第9話 デートのお誘い 後編

「料理は結構楽しくてさ。一人で結構やってたんだ。趣味……みたいなものだったかも」

「ああ……おかげで、毎日こんなに美味しい飯が食えるんだから、ありがたいったらないな」

「うん、頑張った甲斐があった」


 私は頬が熱を帯びるのを感じながら、笑顔を返した。

 料理が趣味ってわけではなかったけれど、やってきた家事の中では楽しい部類に入るのは間違いなかった。そして、せっかく自分のために作るのだから、自分の好きなように味付けしようと思って作っていたのも事実だ。

 私は吉田さんを見つめる。


「それで、行くの?」

「ん?」

「後藤さんと、ごはん」

「そりゃ、断れねぇよこんなの」

「なんで? 好きだから?」

「上司だからだ」


 相変わらずの返事に、溜息が漏れる。素直じゃないな……。


「ほんとは好きだからでしょ」

「違うっつの」

「じゃあ、好きじゃないわけ?」

「それは……それとこれは別だよ」

「そう、なんだ……」


 つまり吉田さんは、後藤さんのことは好きで諦めきれないけれど、今回のお食事デートは仕事関係じゃないかって思い込んでいるってわけね……。

 そうなってくると、吉田さんがフられた日に何があったのか、益々疑問だ。


「ねぇ、フられた日のこと、訊いてもいい?」

「聞いてどうすんだよ?」

「同性なら少しは後藤さんの気持ちが分かるんじゃないかって話だよ。……アドバイス、いらないの?」

「いや、アドバイスっつっても、フられた理由は5年も前から恋人がいたからだよ。だったら関係ないだろ?」

「そっか、彼氏いたんだ……。でも、いいからさ、話してみてよ」


 そこまで言うと、吉田さんは難しい顔で頭を掻き、これまで一度も語ろうとしなかったフられた日の出来事を教えてくれた。

 食事以外では初めての二人きりのデートで、日中には動物園に行って、夕食はお洒落なフレンチに入った。

 5年間も思い続けていて初デートというのがまず驚きだ。快く誘いを受けてくれたって吉田さんが言うぐらいだから、やっぱり後藤さんは吉田さんのことが好きなんだと思う。

 そしてそのディナーの中で、吉田さんは思いの丈をぶつけた。


「つまり、お酒の勢いに任せて『家に来ませんか』って言っちゃったわけね」

「そうだ」

「しかも断られてから、思い出したかのように自分の気持ちを伝えたんだ」

「間違ってねぇけど、その言い方はどうかと思うぞ。というか、お前、なんか怒ってないか?」

「そりゃ怒るよっ。初めてのデートで身体の関係まで持ちましょうって誘われたんだよ。後藤さんがどんなに吉田さんのことが好きでも身体目的じゃないかって不安になるだろうし、吉田さんは軽薄な人だったんだって失望もするじゃんっ」


 何故か腹が立った。

 吉田さんは誠実な人だと肌で感じるだけに、勘違いされるような振舞いをしていることが許せなかったのかもしれない。もしくは、女性の気持ちが全く分かっていないことに苛ついたのかもしれない。

 理由はどうあれ、私の根底にあるのは「吉田さんには幸せになってもらいたい」という類のものだった。

 吉田さんは怪訝そうに顔を歪める。


「あのな、軽薄とか思うわけねぇだろ。5年も一緒に仕事をしてきたんだ。お互いに相手のことは分かってるさ」

「それってさ、後藤さんも同じように思っているって本当に言えるの?」

「そ、それは……」

「後藤さんは吉田さんのこと、好きだったと思うよ。彼氏がいる話もたぶんウソ。いたら休日デートなんて受けないよ。彼に悪いじゃん。でもさ、好きだって気持ちを伝えられるより先に、身体の関係を求められた事実は変わらないよ? だから咄嗟にウソを言ったんじゃないかな?」


 吉田さんはまだ不服そうな顔をしていたけれど、腕を組み何かを考え始めた。

 ひとしきり沈黙した後――。


「つまり俺は、愛想尽かされたってことか」

「そうじゃなくてさ、仲直りしようってことじゃないの?」

「だといいけどな」


 吉田さんが乾いた笑いを漏らす。

 吉田さんは本来、恋愛の階段を重視するタイプで、付き合ってもいない女性を家に上げようだなんて考えもしない人だと思う。

 だから「家に来ませんか」なんて言ってしまったのは、出来心か何かだろう。

 その日はたまたま「出来心」が重なって、吉田さんは後藤さんにフられ、私は吉田さんの家に上げてもらうことができた。

 そういう意味でも、吉田さんの恋は成就して欲しいと私は思う。


「吉田さんもさっき言ってたじゃん。5年も顔を合わせてたら、互いに相手のことは分かるって。だからさ、後藤さんも吉田さんがそんな人じゃないことぐらい分かってると思うよ。きっとまたチャンスがあるよ」

「はは、慰めてくれちゃって、まあ」

「ほんとだってば」

「まあ、とにかく明日は行くよ。この前の謝罪と、もう一度気持ちを伝えておきたいからさ」

「うん、それがいいと思う。じゃあ夕食はいらないよね」

「そうか、昨日は作らせちまったからな。……ああ、いらない」

「分かった」


 私はそう言い終わり味噌汁を啜ったところで、吉田さんがまだ私を見つめたままでいることに気付いた。


「どうしたの?」

「そういやお前、携帯って、持ってないのかなって思ってな」

「あ、携帯ね……」


 私は苦笑し、首を横に振った。


「持ってない」

「実家に置いてきたのか?」

「千葉辺りにいたときに、友達……っていうか、北海道にいたときのクラスメイトからあんまりにもしつこく電話がかかってくるもんだから、海にぶち込んじゃった、へへ」

「まじか……」


 ほとんどウソだった。学校には友達と呼べる人がいなかったので、クラスメイトに言い直したけれど、電話がかかってくる相手はクラスメイトからじゃない。


 誰とも連絡を取りたくなくなった日、私は公園のゴミ箱にスマホを捨てた。

 最初は少しでも遠くに逃げようと、ひたすら南に向かっていたことを覚えている。

 そして気が付くと千葉まで来ていた。ふと、どうして千葉なのかを考えたとき、私は兄さんの住むアパートに向かってたんだと気付いた。


 旭川駅まで車で送ってくれて、三十万もの大金まで渡してくれて、家出を後押ししてくれた兄さん。そんな兄さんを頼って東京まで行くのもおかしな話だと思うのだけど、私は誰かに傍にいてもらいたかったんだと思う。

 でも、千葉まで来て、察してしまった。

 どうして兄さんは年を追うごとに家に帰らなくなったのか、家出中とはいえどうして私に連絡をしてこないのか、何故お金が尽きる頃になって執拗に電話をしてくるのか――。


 私の家族は、失踪した父さんを除けば、母さんと兄さんの三人だけれど、今ここで吉田さんに本当のことを告げれば、間違いなく兄さんについて話さなくちゃいけなくなる。

 でも私は、兄さんについて正確に伝えられる自信がなかった。

 下手に説明すると、兄さんに連絡を入れられ、私の逃避行も終わりを告げることになるだろう。それだけは避けたかった。


「無くても案外、困らないものだよ。……なんで?」

「いや、だって……携帯あった方が何かと便利だし、突発的に帰れないことが決まったときとかに、お前に連絡つかなかったらまた無駄にメシ作らせちゃうかもしれないだろ」

「あ、そっか……まあでも、もし作っちゃっても朝とかに食べてくれればいいしさ」


 しかし吉田さんは、首を縦には振らなかった。他にも理由があるのか、吉田さんがさらに呟くように言う。


「いや、でも、何かしら連絡手段は欲しいよなぁ……」


 そういうことか……。

 吉田さんは頑固で自分の意見を押し通そうとするところがあるけれど、今回はそうじゃない気がした。私の利便性や食事の話はあくまで一つの例で、本当は別の理由から私に携帯を持たせたいんじゃないだろうか。


「じゃあ、吉田さんに任せるよ。吉田さんの都合は私には分からないからさ。それに、携帯は私一人で契約できないから、吉田さんが二台目を持つってことでしょ? だったらなおさら、私がどうこう言えないよね」


 吉田さんが驚いたようにまばたきを繰り返し、そして微笑びしょうを浮かべた。


「お前、少し変わったな」

「え?」

「今までだったら、頑なに拒んでたと思うぞ」


 吉田さんのその言葉に、私も逆に驚いてしまった。

 そう言えば、最近はどうして優しくされるのかとか、ごちゃごちゃ考えていない気がする。吉田さんにあれだけ意見したのも、最初の頃では考えられなかったと思う。

 そして何よりも、私はまた誰かと繋がりを持ちたいとも考え始めていた。


「うん、そうかも……」


 私がはにかむと、吉田さんもまた微笑んだ。


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