第9話 デートのお誘い 前編

「おかえり、ご飯の準備できてるよ」


 居室から顔を出した私は、吉田さんに小さく手を振った。


「今日は定時に帰れそうだ」と聞いていたので、早めに料理を作り、ちょうど食卓に並べ終わったところだった。

 私が頑張れることは限られているので、少しでも美味しいうちに食べてもらうのも、目標にしていることの一つだった。今日は電車の到着時刻も調べた甲斐もあって、ピッタリでよかったと思う。


「おう、ありがとう」


 靴を脱ぎ終わった吉田さんが手洗いを済ませ、手早くスーツから部屋着に着替える。

 最近はこのパターンが多くなったと感じる。

 吉田さんは朝食のときに「今日は早く帰れそうだ」とか、「三島の仕事に付き合わねえとな」とか、雑談がてら言ったりするので、私はそこから想像して夕食の準備をしている。

 時間を気にして仕事をさせてはいけないと思うので、私から帰宅予定時刻を訊くことはない。

 たまに残業が長引くこともあるけれど、だからと言ってどうこう思うことはなくて、あえて言うなら「お仕事、お疲れさまでした」かな……。三時間の残業だと帰ってくる時間が10時過ぎ。疲れただろうなって思う。


「今日は肉じゃがなんだ。美味しくできたと思う」

「おう、そうか。さっそく頂こうかな」


 吉田さんがちゃぶ台の前に着いたので、私はつい他愛ものないこと言った。

 夕食が肉じゃがなんてことは見ただけで分かると思うけれど、私が顔を合わせる相手は吉田さんしかいないので、吉田さんがいれば喋りたくなってしまう。


「いただきます」


 いつものように二人で食卓を囲み、手を合わせて、食事を開始する。

 今日の話のタネは、吉田さんが以前告白してフられた相手から、どういうわけか食事に誘われたというものだった。


「へぇ、後藤さんにご飯誘われたんだ」


 私はジャガイモをつつきながら、目を瞬かせた。

 後藤さんは吉田さんより2つ年上の上司だけれど、専務をしているらしい。

 吉田さんからは「うちは有能なら年齢に関係なく上役に就けるんだよ」と聞かされていたけれど、たぶん別のときに教えてくれた「同じ大学の仲間内が集まって立ち上げたベンチャー企業」の方が理由としては強いと思う。たぶん創設者の一人なんだろう。


「よかったじゃん」

「よくねぇよ……何だこれ、何メシだよ」

「普通に、ご飯いこ? って誘いじゃないの」

「違う違う! 絶対になんかあるに決まってる。上司との『飲み』や『夕食』にはいろんな意味合いがあるんだよ。異動の打診だったりな」

「えーーー」


 5年間も片思いをし続けたのだから、進展があってよかったと思うのだけど、どうして違うと言い切れるのだろう。


 断った理由によると思うんだけどな……


 上司が男性なら仕事の話の可能性もあると思うけれど、女性が二人きりで食事をしようと誘うのは、少なくとも気があるからだと思う。

 吉田さんが女性の気持ちが分かるタイプとは、私にはとても思えなかった。下手するとフられたというのも、吉田さんの勘違いの可能性だってありえると思う。


「まあまあ、肉じゃが食べなよ。冷めちゃうし」

「おう……頂きます」


 吉田さんがまだ湯気が上がっているジャガイモを口の中に放り込む。


「あ、うまい」

「ほんと? やった」


 吉田さんがそう言ってくれると自然と口角が上がる。私もまたジャガイモを頰張った。


「んー、おいひー」

「お前、結構料理上手いよな」

「えへへ、もっと褒めていいよ」

「よっ、日本一!」

「適当だなー」

「これって、親に教わったのか?」

「え?」


 ちょうど白米を咀嚼していたところだったけれど、表情が強張ったことが自分でもわかった。

 吉田さんが口を開けたまま「しまった……」という顔をしている。

 吉田さんは深く考えずに言葉を放っただけで、私も別に吉田さんに気遣ってもらいたいわけでもないけれど、ちょっと困ってしまう話題だった。

「母さんは、あんまり料理しない人だったから……」と口に出してみたものの、私は直ぐに視線を肉じゃがに落とした。


「料理はほとんど独学かな。料理本とか、ネットとか見ながら。自分の好きな味になるように試してみたりしてた」

「……そうか」


 言葉を選ぶように喋ると、吉田さんも俯くのが見えた。

 正直、私は母さんを悪く言いたくなかった。

 吉田さんには以前、私の家庭環境を少しだけ話している。だから「料理をしない人」と伝えただけでその意味まで察してしまうとは思う。でも「してくれなかった人」とは思われたくないし、思いたくもなかった。


「あ、でもねっ!」


 私は手をパンッ! と打って、努めて明るい声を発した。


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