登場人物紹介および原作との主な相違点 3章前半まで

<作風 Wikipedia及び頂いたレビューより 一部改変>

 本作は、サラリーマンの吉田と女子高生の沙優が家族のような関係を築きつつ、互いに自分のことを見つめ直していくという内容の人間ドラマである。

 筆致は軽妙で読者が読みやすいものになっているが、沙優が抱えている心の傷は、吉田の想像力では遙かに及ばない程に深く、読んでいて耐え難いものである。


<吉田(よしだ)>

 IT企業に勤めるサラリーマンで、年齢は26歳。東京都にあるアパートで一人暮らしをしていたが、沙優と出会ってからは彼女と共に暮らしている。

 正義感が強く優しいが、自分の価値観を押し付ける自己中心的な面もある。

 作中では複数の女性から好意を寄せられているが、本人は「巨乳で年上の女性」が好みで、加えて自身に向けられる好意には鈍感なところがある。

<相違点>

 沙優から成育環境を打ち明けられたことで、沙優に対して思い込みを抱いていたことに気付き、三島から「自己中」だとハッキリ指摘されたことで、自身の問題点に気付く。原作では3巻中盤で気付くため、かなり早まっている。

 沙優に対して「一時的に住まわさせているだけ」という自覚があり、参考書で勉強するよう告げている。なお原作で参考書を買うのは、沙優が帰る気持ちが生まれてきた3巻序盤である。


<荻原 沙優(おぎわら さゆ)>

 本作のヒロイン。北海道旭川市の高校に在籍している女子高生。Fカップの巨乳。吉田とは8歳差がある。

 4月下旬に家出先の東京で吉田と出会い、彼の住まいで共同生活を送っている。

 吉田と出会う前は仮の宿を得るために男と性交するという俗に言う「ヤドカリ援交」を繰り返していた。

<相違点>

 原作では母親から受けた虐待については短編集等で軽くは触れられているが、自身の心境等については吉田に語ることはなかった。虐待については独白で語り、吉田に対しては顔色を窺い毎日怯えながら生きていたこと、ごめんなさいと謝り続けていたことを、信頼し話している。

 常習化した虐待により「自己」を喪失している自覚があり、取り戻したいと吉田に対して目標を告げている。


<三島 柚葉(みしま ゆずは)>

 吉田の職場の後輩OL。吉田が教育係として面倒を見ており、彼女も吉田を慕っている。

 職場ではウケを狙ってわざと「できない自分」を演じていたが、そんな自分にも真摯に接し続ける吉田に恋心を抱いた、という経緯を持つ。映画鑑賞が好きで、吉田宅の最寄り駅にある映画館にしばしば足を運んでいる。

<相違点>

 食べている最中でも喋る癖が原作にはあったが、気が急いていたためと変更となっている。

 吉田と連絡先を交換するタイミングは、原作3巻中盤から物語序盤に変更となった。また原作では、恋のライバルが増えたことにより半ば強引に交換したが、失恋の気分転換をかねて一緒に映画に行くことをダシに行っている。


<後藤 愛依梨(ごとう あいり)>

 吉田の職場の人。吉田より2歳年上の女性で、推定Hカップの巨乳の持ち主。

 吉田からは5年に渡って好意を寄せられており告白もされているが、断っている。

<相違点>

 吉田の上司であることや、Iカップであること、2歳年上であること、告白を断った理由についてはまだ描かれていない。


<ストーリーラインの変更点>

 原作は当初、『剃り残した髭、あるいは、女子高生の制服』というタイトルで、作中でも「女子高生」であることは特別という点、あるいは「ひげ」について度々強調されていたように思える。

 たぶん原作は、「ひげ」が特徴的なオッサンが「女子高生」を拾い、「ただそこにいるだけ」で救いが生まれ、偶然が意味あるものに変わっていったと仰りたいのだと思う。


 しかしこれは現在広まっている「吉田批判」の根源にもなっているように思える。

「ただそこにいるだけ」で救われるわけだから、吉田は基本的に何もしておらず、結果論的に、沙優の心は癒えていったわけだ。自己中心的な吉田と、後ろ向きの沙優の組み合わせだったから、物語にドラマが生まれたわけだ。これは先生も語っている。 

 しかし、その吉田は何もしていない点に批判は集中しているのだから、そのコンセプトが批判の的という感じだろう。


 扱っている問題が「援助交際」「虐待」「親友の死(トラウマ)」と繊細でリアルな類であるからこそ、「ただそばにいるだけ」で救われないことがわかるだけに、吉田批判に繋がっているのだと思う。

 吉田批判には主に2種類あり、何も知らない方々による犯罪者批判と、既読組による「何もしていないだろ」「何がしたいんだ?」的な批判がある。

 向かい合うべき批判は後者なわけだが、そこに真摯に向き合うなら、解決方法もリアル(吉田に主体性を持たせる)であるべきではなかったのかと思う。

 

 私は複数の方から吉田-沙優の関係は「共依存」ではないかという話を伺ったこともあるが、そのように見えてしまうのも吉田の主体性の無さからだと思う。吉田が主体的に動いていれば「依存」には見えてないし、せめて立ち位置をハッキリさせても「依存」には見えなかったと思う。

 それはある意味「型」かもしれないけれど、主人公は読者の共感できる人物像でなくてはならないのだと思う。


 そういうことで、吉田は物語上の成長とは別に、コンセプト変更に伴う主体性の獲得が必要ではないかと思っています。

 現在はまだ小さな変更を積み重ねている状態ですが、その小さな違いが、コンセプトの違いだと感じて頂ければと思っております。

 

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