第8話 手のかかる新入社員 後編

 吉田先輩が眉を顰める。


「なんでだよ。映画に誘うぐらい、連絡先交換する必要ないだろ?」

「な、なんでって……理由がないと交換しちゃダメなんですかね? 必要があるかないかじゃなくて、したいかしたくないかだと思うんですよね、こういうのって。……吉田先輩は、私と交換したくないんですか?」

「そうじゃねぇけど……」 


 吉田先輩は渋りつつも、溜息をついてスマホを渡してくれた。

 私が連絡先を登録している間、手持ちぶさたになった吉田先輩は、ビール片手に「けどよ、連絡先を交換したところで俺なんかといったい何を話すんだ?」と、不思議なことを語り始めた。


「え?」

「だから、俺は無趣味でつまらん人間だし、そんな俺とわざわざ連絡先を交換したところで、楽しい会話はできないだろ。俺がもっと会話の引き出し多い人間ならまだしも、用事もないのにメッセージを送ることもないし、送られてきたとしても気の利いた返信なんかできねぇよ」

「いやいや、なんですかそれ……」


 つい表情も険しくなって、手も止まってしまった。

 吉田先輩が無趣味なのは知っている。一緒に仕事を上がった際に教えてもらっていたからだ。

 休日は寝るか、昼間から酒を飲むか、後はネットサーフィンで過ごしているらしい。吉田先輩から仕事を取ったら何が残るんだってぐらい、余暇は充実していない。

 とは言え、それが連絡先の交換を拒む理由にはならないはずだ。

 でも吉田先輩は、さも当たり前のことを語っているかのような表情だ。

 私は額を押さえて考える。

 もしかして、吉田先輩は自分自身を卑下しているのではないだろうか?


「えーと、つまり、自分には特に理由もなく連絡先を交換してもらうほどの魅力はない、みたいなことが言いたいわけですか?」

「ま、まあ……シンプルに言えばそういうことだな」

「はぁ……」


 これだけ深い溜息は久しぶりだと思う。でも、吉田先輩の本質が少しは理解できた気がした。

 自分の思い込みで異性の好意に気付けないなんて、損というか、間抜けな人生を送っていると思う。


「ほんっと、バカみたい」

「は?」

「いや、みたいじゃなくて、バカです。吉田先輩ってバカですよね」

「なんだなんだ、急に喧嘩腰になりやがって」

「バカっていうか、自己中ですよ、吉田先輩は! 自分の思い込みで物事を理解しようとするクセがあると思います。会社の様子が見えていないのもそうですし、さっきの連絡先もそうです。吉田先輩は自分のことを無価値な人間みたいに思っているかもしれないですけどっ、相手も同じように思っているとは限らないじゃないですかっ!」


 困惑し、仰け反る吉田先輩を尻目に、私の語調は攻撃的で早口になっていった。

 こんなこと直属の上司にするべきではない、そう頭の片隅では叫んでいた。

 嫌でも毎日顔を合わす仲だ。今後の関係を考えれば、言い争いは避けるべきだと思う。でも、抑えきれなかった。

 だいたい私は思っていることを口にするタイプだし、恋心を踏みにじられた腹いせもあったかもしれない。

 だから、心を落ち着かせるように大きく深呼吸すると、私はハッキリ言った。


「吉田先輩は人のことを気遣っているフリして、結局は、自分の価値観を押し付けているだけですよね。相手も吉田先輩と同じ気持ちや考えとは限らないのに。……それを相手のためだと思い込んでいるのは、吉田先輩の悪い癖だと思います」

「なっ!」


 気圧されていた吉田先輩は、一瞬目を見開き、何かを考えるよう俯いてしまった。

 反論されるとばかり思っていた私は、そんな吉田先輩の態度を見ていると、急激に頭の奥が冷めていくのを感じた。

 私は小さく息を吐いた。やりすぎたと思う。


「すみません、言いすぎました……」


 でも、吉田先輩はテーブルを見つめたまま反応しなかった。

 よほど堪えたのだろうか? だとしたら言った甲斐があったわけだけど、そこまで落ち込まれると逆に何だか申し訳ない気分になってしまう。


「あ、あの、吉田先輩?」

「……ああ、すまん、考えごとをしてた」

「考えごと、ですか?」

「この前も同じことがあってな。悩みを打ち明けてくれたってのに、思い込みで決めつけてさ、ほんと、俺って変わんねぇなって思い出してたんだ」


 吉田先輩の表情はさっきまで私に責められていたことを微塵も感じさせず、不思議なぐらい晴れやかだった。

 吉田先輩も私と同じで、自分のペースで変わろうとしてるんだなって、そう感じさせる笑顔だった。


「そんなことがあったんですね……その話、聞いてもいいですか?」

「いや、人の悩み事だからな、勝手には話せねぇよ」

「です、よね……」

「ありがとな。自分のことに気付けて良かったよ」

「いえ、とんでもないです」


 なんとなくだけれど、吉田先輩に相談した相手は女の人のような気がした。

 後藤さんだろうか。でも彼女は吉田先輩をフッたのだから、深刻な相談をするとは思えない。そうなると、別の女性が吉田先輩に近付いたってことになるのだけど……

 そう考えたとき、私はついおかしくて吹き出すように笑っていた。


「吉田先輩って、なんか子供みたいで素直ですよね?」

「そうか?」

「ええ、普通は自分の弱いところとか人には話せないですし、素直に『ありがとう』なんて言葉も出ないです」


 私は照れる吉田先輩を見ながらまたクスクス笑った。

 そして友達一覧に『ゆ』と追加したスマホを、吉田先輩に返す。


「サンキュー」

「映画、約束ですよ」

「わかってるって」


 後藤さんにも、その女性にも負けない。吉田先輩のハートは、絶対に私が射止めるんだから。


   *


「遅ぉいぃぃぃ」


 ずっと布団の中に潜り込んで待っていた私は、やっと帰ってきた吉田さんに不満の声をあげた。

 時計の針は夜の10時を回っている。

 吉田さんは毎日二時間残業しているらしく、帰りはいつも9時ぐらいだ。料理はその帰宅時間に合わせて作っているので、とっくの昔に冷めてしまっているだろう。


「夕食冷めちゃったんですけどぉぉぉ」

「あ、いや、それが……食べてきたんだ」


 私は顔だけ上げて振り向き、正座している吉田さんを見た。吉田さんは申し訳なさそうな顔をしていた。そんな表情をされると、責めるのも悪い気がしてきた。


「そう、なんだ……残業長かったもんね」

「それが、飲みに行ってたんだ」

「ああ、お付き合いもあるよね。課の人たちと行ってきたの?」

「いや、それがだな……」


 今日の吉田さんは歯切れが悪い。私に気を遣っているというよりも、何か隠し事をしている感じを受けた。だから、私は出来心で「もしかして、女の人?」と訊いてしまった。


「……まあ、一応、女ではあった」

「そっか……」


 自分で訊いておいて、胸が痛んだ。

 吉田さんにだって私の知らない世界があって当然だし、女の人とのお付き合いも普通にあるだろう。だから、私が気にする必要なんてないはずだ。……ないはずなのに、どこか吉田さんは、女性と疎遠な人生を送っていると思い込んでいた気がする。

 表情があからさまに曇っていく自覚があった。

 私は再びお布団を頭から被り身体を丸めると、気持ちを誤魔化すように「けっ、私との夕食より、女の子と食べる外食がいいってわけね」とブーたれた。


「悪かったってほんとに」

「女の子との飲みは楽しかったですかー?」

「すまん、夕食は明日の朝に食うから」

「別にいいですよー。私の料理より外食の方が美味しいですもんねー」

「いや、沙優のメシはレストランで食うよりうまいと思うぞ。……おっ、今日はハンバーグだったんだな。好物なんだよ。明日の朝が楽しみだなー」

「ふっ……ふふっ……」


 わざとらしいご機嫌取りがおかしくて、私は羽枕を口元に当て必死に堪えた。

 これでは新婚さんみたいじゃないか。吉田さんは連絡を入れずに遅く帰ってきた旦那さんで、私は待ちくたびれた新妻。必死に詫びる会話がまるっきりそれだ。

 私は笑いながら身を起こし、吉田さんを見た。


「あはは、あー、面白い。別に怒ってないって」

「なんだよ……からかうんじゃねえ」

「吉田さん、『悪かったって』『すまん』てしか言わないから面白くって、ふふっ、でも、ちゃんと明日の朝食べてね」

「ああ、そうする」

「ふふっ」


 女の人の会っていたとかどうでもよくなった私は、立ち上がり、ラップをかけておいた夕食を冷蔵庫にしまった。そして、お風呂の追焚きボタンを押す。

 ちょっと図々しいとは思ったけれど、作った料理をちゃんと食べると言ってくれたのは嬉しい。

 私は食器棚からお椀を取り出しながら、居室の吉田さんに話しかける。


「今日はあんまり酔っぱらってないね」

「明日も仕事なのに、そんなに酔っぱらうほど飲まねえよ」

「でも、私と会った日はベロベロだったじゃん」

「あれは……失恋後だったし、次の日も祝日だったからだよ」

「そんなに好きだったんだ」

「……まあな」


 私が味噌汁を持ってきたことに気付いた吉田さんが、やや間を空けて頷いた。

 どうしたんだ? と言いたげな顔付きだ。


「飲んだ後はお味噌汁でしょ」

「ああ、ありがとな」


 私はちゃぶ台の斜め前に座ると、吉田さんが一口啜ってから、かねてからの疑問を口にした。


「どんなとこが好きだったの?」

「……胸、かな」

「あはは、正直なやつだ!」


 私はおかしくてケラケラと笑った。

 それって性的関心があるってことだけじゃん、とは口にはしなかった。



<注>

*吉田の休日の過ごし方と、三島にそれを伝えていることについては、BD第3巻特典小説『物語』からの情報です。また三島の大学時代の情報についても『物語』からです。

 

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