第8話 手のかかる新入社員 中編

 いや、そんなあからさまに不満そうな顔しなくても……。


 私はカクテルをごくごくと飲み干すと店員を呼び、カシスオレンジと勝手に生ビールを注文する。

 吉田先輩はたぶん一般論を言っただけだ。まるで自分は部外者であるかのように意見しただけ。でも、そんな吉田先輩の態度は、私にとって面白くなかった。


「ペース早いだろ」

「飲まないんですか?」

「飲むなら付き合う」

「へへ、まだまだ飲むんで付き合ってください♡」

「そう……」

「それより、さっきの話ですけど、私、おかしなこと言いました? 普通、女子が『吉田先輩モテますよね?』って言ったら、私の中ではストライクゾーンですよってアピールの意味なんです。……だから、吉田先輩もストライクゾーンの意味なのかなって思ったんですけど、違うんですか?」

「そ、そうなのか?」

「そうですっ」


 私に睨まれた吉田先輩の目が、答え難そうに泳ぎまくる。

 まだ1カ月程度の付き合いだけれど、吉田先輩は、無自覚に自分の思い込みを押し付けているように感じる。

 しかも、あんな訝しむ表情ができるのは、自分の感情を脇に置いているからだろう。

 仕事に関しては、それでもいいと思う。

 手抜きし続ける私に対して変なレッテルを張らず、優越感も覚えないというのは、吉田先輩の長所だ。でも、こと男女関係においては、「自分はこう思っている」という感情を脇に置くのは卑怯だと思う。


「あ、いや、その……まぁ、仕事ができない女より、仕事ができる女の方が好みではあるな。……でも、お前は違うだろ?」

「ああ、吉田先輩は知らいないからですね。この会社って、仕事ができない方が可愛がられるじゃないですか?」

「はぁ?」

「は、じゃないですって」


 吉田先輩が思いっきり顔をしかめたので、私は思わず肩を揺らして笑ってしまった。

 もう5年も務めているというのに、吉田先輩は、どうも仕事でも周りが見えていないらしい。

 吉田先輩みたいなタイプはたぶん、物が相手で、しかも個人プレーを求められる仕事に強いんだと思う。思い込みで相手を測っても、視野が狭くても、チームプレーを求められないのなら、さほど問題にならないからだ。


「ほんとですよ、ほんとほんと。部下の将来のことを考えて指導してくれるのって、吉田先輩だけなんですから!」

「他のオッサンは? なんも言わねぇの?」

「先輩たちは『新人だから分からなくてもいいよ』だとか、『俺に任せとけ』って感じですね。だから私、わざと手を抜いてたんです」

「ま、まじか……」


 吉田先輩が溜息をつき、ビールを煽った。それを見て、私も焼き鳥を口に放り込む。

 程なくして二杯目のビールとカシスオレンジが、吉田先輩と私の目の前に置かれた。

 濃淡の美しいオレンジ色が、照明の光でキラキラ輝いている。


 ……私は吉田先輩のことが好きだ。


 職場の男性たちは私のことを華としか見ておらず、吉田先輩だけが社員の自覚と、仕事への責任を求めていることに気付いたとき、私の感情は恋に変わったんだと思う。

 吉田先輩には好きな人がいる。だから、待っていてもチャンスは巡ってこない。

 しかも吉田先輩のことだ、思いを伝えるにしても、恥ずかしがって肝心なことを伏せれば絶対に分かってもらえないだろう。

 私はカクテルをぐっと飲んだ。


「で、話の続きなんですけど……そういうわけで、私の教育係は吉田先輩じゃないとイヤなんです。吉田先輩だけなんですよ、私のこと、ちゃんと一人の社員として見てくれたの……」

「そうか……」

「それで、ですね……吉田先輩の好みが仕事のできる女性って言うのなら、私、これからは仕事頑張ります」

「へ? いや、上司としては何がどうあれ、普段からしっかりやってくれよって思うけどな……」

「……ぷっ」


 失笑してしまった。どうしてこの流れで仕事の話だと思うのだろうか。


「あっはっはっ! 吉田先輩ってそういう感じですよね。ここまでくると清々しいや」

「は? 何のことだよ」

「いや、もういいです、いいですから……」


 気付くと目尻に涙が溜まっていた。

 まさか今ので伝わらないとは……。

 ほんとに予想していなかった。私は溢れ出そうな涙を指先で拭いながら言葉を続ける。


「ところで最近彼女できたんですか? 毎日髭も剃るようになりましたし、シャツの皴も伸びてますよね」

「ああ、例の噂か。後藤さんからも言われたよ……」

「え? 後藤さんからも訊かれたんですか?」

「ああ。……彼女なんかいねぇよ。フられたばっかりだしな」

「フられたって? 誰に?」

「後藤さんだよ、後藤さん」

「えっ! フられたんですかっ!?」


 私は驚きのあまり立ち上がっていた。吉田先輩が顔をしかめる。


「声デカすぎだろ」

「すみません。それで髭を剃るようにして、シャツの皴も気にするようになったと?」

「ああ、まあ、そういうことだ……」


 絶対にウソだ。吉田先輩の目は、これでもかというぐらい泳いでいた。

 後藤さんのことが好きだってことは、吉田先輩の日頃の態度から丸分かりだった。

 だから、お世辞でも清潔感があるとは言えない身嗜みを、心機一転整えるようにしたんだと勝手に思っていた。それがフられていただなんて……。

 それにしても、後藤さんは意味が分からない。吉田先輩に彼女がいるか気になるんだったら普通はフらないはずだ。


「でも、ドンマです」

「うるせーよ。安い同情すんな」

「いやいや、同情なんてしてないですよ。むしろラッキーって思ってます」

「は?」

「じゃあ、気分転換に今度一緒に映画を見に行きましょう。スマホ貸してください。連絡先登録するんで」


 私は手を上向きに、早く渡しなさいと言わんばかりに突き出した。


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