第7話 ありのままの自分 中編
「別にいいよ化粧水なんてさぁ……使わなきゃ死ぬわけでもないし」
駅前のショッピングモールは相変わらずの賑わいだった。
私は化粧品が並ぶ棚の前でしゃがみ込むと、隣で立つ吉田さんに抗議の視線を送った。吉田さんは吉田さんで、選り好みした化粧水の容器を見比べている。
「ここまで来て何言ってんだよ。これ買うために来たんだぞ」
「だって、有無を言わさず連れて行くって感じだったじゃん」
「まあまあ、好きなの選べよ。買ってやるって言ってるんだから甘えとけって」
「強引だよぉ~~~」
唇を尖らす私に、吉田さんは手に持っていた化粧水を差し出してきた。
吉田さんは頑固だ。普段の買い物は「援交みたいでイヤだ」とか言って一緒に出歩きたがらないし、こういうときは何が何でも買い与えようとする。今日は化粧水を買って帰るしかないだろう。
渋々受け取ると、容器に敏感肌用、ニキビ予防、高保湿と、それぞれの特徴が表記されていることに気付いた。もしかして吉田さんは、私のためにいろいろと調べてくれていたのだろうか。
「吉田さんはさ……」
容器をじっと見つめたまま呟く。
どうして優しいの? そう言おうとして、私は続きを口にすることができずにいた。
母さんからは毎月僅かながら小遣いを貰っていたけれど、その多くは普通の家庭なら親が買ってくれるはずの消耗品で消えていた。
『また無駄なものを買って……え、なに? あんた親に口答えするの? それ無かったら死ぬわけ?』
母さんの嫌味が頭をよぎる。
化粧水は使っていたけれど、吉田さんが渡してくれたような高価なものなんか使ったことはない。買えなかったというのもあるけれど、使った小遣いは報告義務もあったから、無駄に怒られないためにも身の丈に合ったものを選ぶ必要があった。
吉田さんは私の親じゃないのに、私を居候させたばかりか、どういうわけか気にかけてくれてもいる。それが不思議でならなかった。
「なんだよ」
「あ、いや……」
私は不自然な間を作るぐらい考え事をしていたようだ。
吉田さんはたぶん優しい性格だから優しいのだろう。私が特別だからとかじゃなくて、友人とか職場の同僚とか、誰に対しても親身になれる。そこに理由がないのなら、訊いても意味がない気がした。
私は吉田さんに顔を向け、にこりと笑った。
「吉田さんはどういう匂いが好き?」
「は? 匂い?」
明るい声で、何事もなかったかのように笑顔で振舞うと、吉田さんは少し困惑の色を見せた。
でも直ぐに「匂いっつってもな……気にしたことがねぇ」と普通に返してきたあたり、あまり気にならなかったように感じる。
「じゃあ、逆に嫌いな匂いとかは?」
「嫌な匂いか……生ゴミとか?」
「アハハ、生ゴミの臭い付きの化粧水なんてあるわけないじゃん」
「だったら、オッサンのコロンの匂いだな。ああいうのはきつい」
「あー、分かる。分かるけど……そうじゃなくて、こう、香り系のさ」
私は立ち上がり「あんまり匂わないやつ」と言って左手を吉田さんに伸ばすと、笑顔を浮かべたまま真面目な返事を求める。
「いや、だから、お前が好きなやつ選べよ。肌に合う、合わないとかあるだろ?」
「それもあるけどさ……」
「なんだよ」
吉田さんの真剣な眼差しに、私は視線を落とした。
吉田さんに買って貰っておいて、その吉田さんに不快な思いをさせるなんて、それって身勝手なイヤな女じゃん。できれば吉田さんに喜んでもらいたんだよ。なんてことは口が裂けても言えない。なに色気付いてんだって、絶対に勘違いされる。
私は俯いたまま――
「吉田さんの家で使うのにさ、吉田さんが嫌いな匂いさせたら嫌でしょ? もっと言ったら、吉田さんが好きな匂いした方がさ、いいじゃん」
「はぁ……」
言葉を選ぶように答えると、吉田さんは溜息をついた。
「気にしすぎだろう」
「気にするよ!! こんなの買って貰ってさ! さらに嫌な思いなんてさせたくないもん」
「別に嫌な匂いなんてねぇよ。気にせず選べよ」
「いんや、絶対にあるから! 苦手な匂いがない人なんて絶対いないから!」
話がおかしな方向に流れて行くのを感じながらも、私はムキになって語調を強くしていた。違う。私はそんなことを言いたいんじゃない。
私は吉田さんが好きな匂いのやつにしたくて、そうすれば少しは吉田さんへのお返しになるんじゃないかって思って、なのに、どうしてそれを理解してくれないのだろう。
「わかったよ」
吉田さんが根負けしたかのように、わざとらしく腕を組み、考える素振りを見せる。
譲歩してくれたことは嬉しいけれど、吉田さんに期待はできない。私が言い方の工夫をしなくちゃダメだ。
吉田さんが良いと言っても限度はある。居候の身だというのに、あれもこれもというわけにはいかない。せっかく吉田さんが選んでくれた化粧水だったけれど、私は棚に戻し、オールインワンと表示された容器を手に取った。
ラベルには柑橘系の香りと書かれてあった。
「吉田さん、好きな果物ある?」
「果物か……そういや最近はほとんど食べてねぇな」
「えーーー、じゃあ子供の頃に好きだった果物とかないの?」
「子供の頃ねぇ……みかん、は結構好きだったな」
「なるほど、みかんね……」
私は思わずニッと笑うと、うんうんと何度か頷いた。そしてジェルを付けて吉田さんの胸元に「えいっ」と飛び込む。
「うおっ! な、なにやってんだお前」
「吉田さん、オレンジの香りだってさ」
「そうか……」
「そうか、じゃないよ。……どう? 私からオレンジの匂いしたらドキドキする?」
上目遣いで見上げると、少し赤くなった吉田さんの横顔があった。
腕を間に挟んでいるから密着はしてないけど、こんなに近いのはお味噌汁を初めて作ったとき以来だ。
でも、あのときと違って、少しドキドキする。
微かに触れた身体から、逞しさというか、男の人だなっていうのが伝わってくる気がした。吉田さんも私に「女」を感じてくれているのだろうか? それとも化粧水の効果で悦んでくれたのかな?
吉田さんが私を引き剥がす。
「し、しねぇよ……」
「アハハ、そっかぁ」
私は「冗談」と言わんばかりに、わざとらしく笑った。
ああでもしないと、吉田さんは本音を語ってくれないのだから仕方がないよね。
少なくともオレンジの香りは、吉田さんにとって不快ではないことが分かってよかったと思う。
*
「化粧水1点で、お会計、1760円になります」
「なっ……女子高生って大変なんだな」
「ほんとだよねー」
店員さんの言葉に、吉田さんはビックリした表情を浮かべていた。
こんなところで買えば高いに決まってる。家からは遠いけれど、ドラッグストアに行けばもっと安いものも置いてあっただろう。そう思うとおかしくて、私は肩を揺らしてくすくすと笑った。
会計を済ませてエントランスホールに出ると、吉田さんはきょろきょろと辺りを見渡し始めた。どうやら上の階に上がるためのエスカレーターを探しているらしい。
「せっかく出てきたし、他にも買っていくか」
「何かって?」
やっぱり、化粧水だけで終わらなかった。
「せっかく」とか言っちゃってるけど、普段出歩いていないのは吉田さんだけだからね。私はここの一階スーパーにはほぼ毎日来てるんですけど?
予想していた言葉だけに、私は不服そうな顔を吉田さんに向けた。
「睨むなって。例えば参考書とかだよ。お前、自分が高校生だってこと忘れてないか?」
「え? あ、いや、忘れてはないけど……」
私は急に現実に呼び戻された気分になって、目を泳がせた。
なんで忘れていたんだろう。吉田さんは「家出に飽きるまで住んでいい」と言ってくれたけれど、それは期間が長いという意味であって、終わりがないわけじゃない。
「そうだね、ちゃんと勉強しておかないと、スムーズに復帰できないもんね。……ありがとう、吉田さん」
高校に復帰するイメージは湧かず、母さんの元に帰れる自信もないままだったけれど、とりあえず私は気持ちを誤魔化すように、吉田さんの気遣いに感謝を伝えた。
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