第6話 髭とオッサン

「吉田さん、髭、今日は剃らなくていいの?」


 私はちゃぶ台の向かいに座る吉田さんに声をかけた。

 彼は半熟の目玉焼きの黄身を割って、白身に絡めているところだった。吉田さんの言ってたとおり、確かに私の食べ方とは違う。


「今日はいい。面倒だしな」

「剃る日と、そうじゃない日があるけど、何か特別な意味あるの?」

「ねぇよ。伸びてきたら剃るだけだ」

「今日のそれはまだ『伸びてない』なんだ」

「いや、やっぱり、剃るかな」

「どっちだし」


 私は箸を止めて、にこやかに微笑んだ。

 私には父さんがいないから、男性の髭を剃る頻度というものがよく分からなかった。

 吉田さんとの同居生活を始めてちょうど一週間が過ぎたけど、吉田さんは一日置き、もしくは二日置きに髭を剃っているみたいだった。でも、それはGWだからだと思っていたら、出社日でもスタンスは変わらないらしい。

 私は残していた黄身だけの目玉焼きを、口の中に放り込んだ。うん、濃厚な卵の味が口いっぱいに広がって幸せな気分だ。


「なんというか、オッサンになったって感じがするな」

「なんで?」

「二十歳になったばっかの頃は、髭がちょっとでも伸びてきたら気になって剃ってたんだ。剃り残しがないかめちゃくちゃ気にしてな。髭自体が、オッサンの符号みたいなイメージがあるけどな。何となく違う気がする」

「違う?」

「髭を剃るのが面倒になるのが、オッサンなんだな」

「ふ~ん」


 なんとなく分かる気がした。女子も身だしなみが面倒に感じるようになったら、それはもうオバサンになったって感じかもしれない。


「あ、悪い。女子高生にこんな話なんかしても興味ねぇよな?」

「ううん、そんなことないよ。吉田さんの髭、最近気になってたからさ。あ、でも髭フェチって意味じゃないからね」


 私は発した言葉が誤解を生みかねないことに気付いて、慌てて否定を入れた。

 とはいえ、吉田さんのことが気になり始めたのは事実だった。

 男の人の家を転々としていた頃は、宿主が髭を剃っていたかなんて気にしたことがなかったし、兄さんの髭を剃る頻度なんかも覚えていない。私の最近の関心事は、吉田さんに向いている気がする。


「分かってるよ。でも、他の男にそういうことは言わないほうがいいぞ。お前にそんな気がなくても、勘違いする奴はいるからな」

「あ、う、うん……」


 私はどう反応したらよいか分からず、固まってしまった。

 平然と味噌汁を啜る吉田さんは、本当に忠告しただけという感じだ。

 そうだ、吉田さんはそういう人だった。私が仮に吉田さんことを好きだと言ったとしても、冗談か何かだと思い込んでしまうだろう。抱き付いてアピールしようものなら「もっと自分を大事にしろ」と本気で説教してきそうだ。だったら――

 私が思っていることを口に出しても、変な意味で捉えられることはないと思った。

 食事を終えた吉田さんが、手を合わせ、ごちそうさまをする。


「吉田さん、時間。会社、遅れちゃうよ」

「分かってるって」


 吉田さんが気怠そうに席を立つ。

 私はちゃぶ台の上の皿を重ねながら、吉田さんが居室から出て行くのを待った。そして吉田さんの後ろ姿に向かって、思い出したかのように「あ、そうそう」と声をかける。


「ん?」

「髭、あんまり似合ってないよ。剃ったほうがいいと思う」

「余計なお世話だ」

「ふふふ」


 予想どおりの反応に、私は肩を揺らして笑った。

 吉田さんは雰囲気がオッサンで、生えかけの髭はトレンドマークって感じだけど、髭を剃ればイケメンだし、何より私好みだ。

 程なくして、洗面所から電気シェーバーの甲高い音が聞こえてきた。期待してなかっただけに、私はまたクスクスと笑った。

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