第5話 服と遠慮 前編
「SNSで知り合った女子高生、誘拐した疑いで逮捕、ねぇ」
吉田さんがスマホ画面を見つめ、読み上げる。
GWに入ったこともあって、吉田さんは床に仰向けになってゴロゴロしていた。家にはテレビはないし新聞も取ってないから、ニュースはネットに頼るしかないみたい。
「吉田さんは大丈夫だからね。うちの親は絶対に私を探したりしないからさ」
「どうして分かるんだよ」
「だから、分かるんだって」
私は洗い終えた衣類を洗濯籠に詰め込みながら、一昨日と同じ遣り取りする。
吉田さんの中には、子供のことを心配しない親がいるって現実が抜け落ちているのかもしれない。別に理解して欲しいわけじゃないけど、吉田さんに言われるのは少し寂しい。
「逆に喜んでいると思うからさ、吉田さんは心配しないでよ」
「そうか……」
吉田さんはそう短く言うと、スマホ画面をじっと眺めたまま何も喋らなくなった。もしかして察してくれたのだろうか。
私は洗濯籠を持ち上げ「ちょっと失礼するよー」と言って、押し黙った吉田さんの顔を跨いでベランダへと向かった。
狭い部屋で横になられると邪魔っていうのもあるけど、昨日もイジメられてるし、吉田さんを困らせたかった。私だけ食べてるとこを見られて恥ずかしい目にあっているのは、絶対に不公平だ。
「パンツ丸見えだぞ。お前」
「す、スカートなんだからしょうがないじゃん」
振り向いた先の吉田さんは、動揺しているようには全く見えなかった。
子供ぽいことをしたと思う。身体が熱い。この作戦は失敗だった。吉田さんを照れさせるとかよりも、普通に私のダメージが大きい。
「そういや、お前ずっと制服だな」
「これしか持ってないし。洗濯はちゃんとしているから汚くないし」
「そのブラウスは寝間着兼用だろ? いつ洗うんだよ」
「そ、そうだけど、吉田さんが仕事のときに洗ってるよ。そういうデリカシーのないこと言わなくていいから」
「そうか、悪い。……にしたって、連休は始まったばっかだし、部屋の中で制服ってのも変だよなぁ」
吉田さんは重そうに身体を起こすと、ビジネスバッグから財布を取り出して、一万円札を私のところまで持ってきた。
「ほら、これで何か買って来いよ。駅前のショッピングモールなら全身揃えられるだろ」
「え、悪いよ」
「毎日パンツ見せられても困るんだよ。それとも、なんだ。一昨日は黒、今日は白って報告したかったのか?」
「ち、違うしっ! そんな趣味ないからっ!」
「だったら行くぞ」
「うぇ?」
吉田さんは有無を言わさずクローゼットを開け、寝間着を脱ぎ始めた。
私が渋ったから吉田さんも一緒に行くという流れになったのだろうか?
彼の着替えを眺めるのは失礼と思い、そそくさと後ろを向いたところで、私は自分が何をしていたかを思い出した。そういえば洗濯物を干す途中だった。
*
駅前のショッピングモールは1階がスーパー、2階には映画館やアパレルショップ、書店、飲食店などが入る複合商業施設だった。休日ということもあって、2階フロアはカップルや子連れ客で賑わっていた。
私は吉田さんの洋服の裾を控え目に握って、後ろを付いて歩く。
「やっぱり、いいよ。帰ろうよ、吉田さん」
「何がいいんだよ。遠慮するな。お前、制服しか持ってないんだろ」
「うう……」
返す言葉がなくて、私は視線を落とした。
部屋着がないのは確かに不便だけど、今まではそうやって暮らしてきたのだから、暮らせないわけじゃないと思う。住まわせてもらうだけでも感謝しきれないのに、わざわざ買ってもらうのは申し訳なさすぎる。
問題はブラウスを洗う日はどうするのかって話だけど、とりあえず私は、賛同されないと思いつつも、今までやってきた方法を提案してみることにした。
「部屋着はさ、カーディガンでどうにかなるから、なくて大丈夫だって」
「カーディガンだけだと下着丸見えだぞ? お前、そういう趣味ないって言ってなかったか?」
「そ、そうだけど……」
「だからお前は服を買う。俺は新しい布団を買う」
「ん?」
私は思わず吉田さんを見上げた。どうしてここでお布団の話が出るのだろうか? カーペットは決して寝心地が良いとは言えないけれど、お荷物でしかない私には、ちょうどいい寝床だと思う。
「お前、起きたときに毎回『いてて』って、背中さすってるもんな」
「うぇ? そ、そんなことしてた?」
「してた、してた」
吉田さんが振り向き、からかうようにニヤケ笑いをする。
全く記憶にないけれど、吉田さんの口ぶりからして本当に「いてて」と言っているらしい。華のJKなのに、年寄ぽくてめちゃくちゃ恥ずかしい。
「でも……」
私は吉田さんの服の裾を放して、立ち止まった。
どうして私なんかのために、何かを買え与えようとするのか疑問に思う。
渡り歩いてきた男の人たちは必ず私に「見返り」を求めたし、母は母で私のために何かをしてくれることなんてなかった。むしろ逆に、母の機嫌を損ねないよう、気を遣う毎日を送っていたと思う。
幼い頃から構ってもらうこともなければ、心配されることもなく、食事や身の回りのことは自分でする必要があった。
私はどうして、今になってこんなに優しくされているのだろうか?
吉田さんが直ぐに気付いて振り返る。
「でもさ……そんなに良くしてもらったら、どう恩返ししたらいいのか分かんない」
「はあ?」
「えへへ」
指先で頬を撫でながら、私は誤魔化し笑いを張り付けた。
つい本音を漏らしてしまったけど、母との軋轢は今この場で話すようなことじゃない。だから、あやふやにしたかった。
慣れない優しさに戸惑いを覚えるけれど、心の中は感謝の気持ちでいっぱいで、吉田さんに恩返しをしたかった。でも、私が吉田さんにしてあげられることは何もなくて、逆に胸が苦しくてたまらない。
「遠慮してるんじゃない。貰った分を返せないから受け取れないってことか……」
「え?」
頭を掻きながら吉田さんが呟く。
どうも心の中で思っていることを、無自覚に口に出しているみたいだった。
違うよ、吉田さん――
今までこんなに優しくされたことないの。だから、私も吉田さんの気持ちに応えたいんだよって、そのまま伝えるのは気恥ずかしかった。でも吉田さんに遠回しなことを言っても伝わってくれないだろう。
私がどう返そうかと悩んでいると、吉田さんが私の方に向き直し、傍に寄った。
そして慎重にゆっくりと、吉田さんは言葉を紡ぐ。
「俺は割と忙しい。だから、家事とかに時間はあんまり取れないんだ。でも、今は沙優が全部やってくれてるだろ。ここ一週間ぐらい、家にいる時間はだいぶ楽できてるんだ。それだけじゃダメなのか?」
吉田さんに見つめ返され、私は目を逸らした。
吉田さんは、ウソは言っていないと思う。でも突然やってきた「女子高生」にやらせたいことが「家事だけ」というのは納得できないし、心苦しかった。
私が家事をするから吉田さんは優しいの?
そう心の中で呟いてみて、どこか違うように感じた。でも理由もなく、私が優しくされているとは思えない。あの優しかった、私が唯一信じていた兄さんでさえ、時間とともに家族との距離を取ったのだから――
「うん……吉田さんがいいなら、それでいい」
吉田さんが「いいよ」と言っているのに、それ以上拒むのはおかしな話だ。
私がぽつりと呟くと、吉田さんは納得したように少し笑った。
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