誤解です
高田"ニコラス"鈍次
第1話
今日は日曜日。
いつもは超満員で辟易としてしまう通勤電車も閑散としている。梅雨の晴れ間で天気もいいし、このまま遠くまで出かけてしまいたくなるくらい。
コロナウィルスの影響で、蜜を避けるためにローテーションで日曜日も交代で出勤するようになってから約1年。
ローテーションとは言うものの、家族が居る先輩方にはなかなか日曜出勤を強いるのは難しく、必然的にまだ若くて独身で、しかも彼女すら居ないという、僕のような者にお鉢が回ってくるという寸法だ。
とりたててやることもないし、早く帰っても文句を言う人もいないから、まあいいんだけど…でも、なんだか寂しいんだよなあ…
駅のホームを抜け、改札をくぐる。
いわゆるオフィス街のど真ん中に会社があるので、ビジネスマンがほとんど居ない週末は実に静かだ。
駅から歩くこと5分。僕の職場が入っているビルに着いた。15階建てのオフィスビル。11階から15階までは、誰もが知っている大企業がフロアを占拠している、そのビルの5階に僕の職場はある。
さすがに日曜日、僕以外にエントランスフロアには誰も居ない。
「日曜日なのにご苦労さまだねえ」
「いえいえ。お互い様じゃないですか」
そんな会話を守衛さんと交わしながら、僕はエレベーターの前に立つ。エレベーターは全部で五台あるが、今日は一台しか稼働していない。
エレベーターは一度地下まで降り、しばらくしてようやく扉が開いた。先客は居ない。
僕はエレベーターに乗り込み、5階のボタンをタップする。そして「閉」のボタンに指を掛けようとしたその時…
ビルの入口から走ってこちらに向かってくる女性の姿が目に飛び込んできた。
スカートから覗く肉感的な脚元
ブラウスの中で、豊満な乳房が揺れる
マリアだ…
彼女とは同じビルの中で度々すれ違う。
何処の会社に勤めてるのかも、名前も知らないが、二重まぶたで彫りが深く、スタイルも抜群で、僕の仲間うちでも
「あの娘、モデルみたいに綺麗だよね」
と話題の彼女。
「誰かに似てるよね?」
という話題になり、誰かが
「わかった! あの娘だよ、あの娘…
西内まりあ!」
そう言い放った瞬間、そこに居た全員が頷いたのだった。
それ以来、彼女のことを仲間うちでは「マリア」と呼ぶようになった。
「すみませーん。ありがとうございます」
まだ息を切らしながら、マリアはエレベーターに乗り込んできた。
「何階ですか?」
僕が訪ねると
「はい…7階をお願いします」
可愛らしい声で答えてくれる。
マリアと…初めて会話を交わした……
あのマリアと今…
しかも…密室で2人きり…
これは神様からのプレゼントなのか?
お近づきになる大チャンスではないか!
よし。ここは何か話しかけなければ…
えーと…
「日曜日なのに、お仕事なんですね。僕もなんです。お互い頑張りましょう」
いや、なんか硬いな…
「相変わらず綺麗ですね。いや仲間うちでも話題なんですよ。このビルに居る女性の中で一番綺麗じゃないか、って。どうもはじめまして、高田です」
いやいや、なんかおかしい。
これじゃナンパしてるみたいだし…
あーどうしよ…
鼓動が早くなっているのが自分でもはっきりと感じられる。
さて、どう話しかけようか。そう逡巡していると、僕はある違和感に気づいた。
マリアは何故か僕の真後ろ、振り向けば美しい顔が目の前に現れるほどの至近距離に立っているのだ。
このエレベーターは定員20名。今でこそコロナの影響で一度に10名までに限定されているが、10人乗っても手を伸ばしても触れない程距離を保てるくらいの大きさである。
そのエレベーターに2人きり。それなのに…
何故マリヤは僕の真後ろにいる?
手を伸ばせば、簡単に触れられる距離に…
これは…もしかして…
もしかしてだけど…
オイラを誘ってるんじゃないの?
頭の中で馴染みの歌が流れた。
だってそうでしょ?
普通はさ、もっと離れて乗るでしょ?
それがこんな近くに…
これまで会話すらした事がない男なら
警戒心を持つのが普通だよね?
それなのに…
ああああああああぁぁぁ…
しかも…
むちゃくちゃいい匂いがする♡
い、い…いかん!
早く何か話しかけなければ!
だって、マリアは僕を誘っているのだ。
据え膳食わぬは男の恥。
そうだ。今日は日曜日だ。マリアもきっと仕事が早く終わるに違いない。
よし! 夕飯一緒にってのはどうだろう?
僕は意を決して振り返った。最高の笑顔を拵えながら。
マリアと視線が交わる。
そして僕は確信する。
間違いない!
マリアは僕に好意を抱いている!
「あのぉ…」
僕が話しかけた瞬間である。
「誤解でございます」
無機質な機械音がエレベーター内に響いた。エレベーターの扉が開き、僕に早く降りろと催促する。
「…5階ですよ」
マリアが言う。
「は、はい。誤解ですよね?」
「ええ。5階です」
マリアは実に明快に答える。
「…じゃ、お先に…」
僕は無性に恥ずかしくなって、急ぎ足でエレベーターを降りようとした。そこに、後ろから声がかかる。
「あのっ!」
「はいっ!」
僕は即座に振り返り、返事をしていた。
やっぱり誤解というのは誤解だったのかもしれない。機械如きに言われたくはないのだ。
僕はマリアの言葉を待った。大いなる期待を込めて。
「あの…背中に…付いてます」
「え?」
そう言い残したマリアは、深くお辞儀をしてエレベーターの向こうに消えて行った。
僕は慌てて上着を脱ぐ。そして見つけてしまった。
「色落ち対象外」
クリーニングのタグが、
襟元につきっぱなし…
どいつもこいつも馬鹿にしやがって…
そう思いながらも、僕は笑いが止まらなくなった。
イヒヒヒヒヒ(笑)
気色悪い笑い声を上げながら、僕はクリーニングのタグを乱暴に引き剥がし、指先でクシャクシャに丸めて、指で弾いた。
誤解です 高田"ニコラス"鈍次 @donjiii
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