第44話 星暦552年 緑の月 30日 盗賊、雇いました(学院長視点)

>>サイド アイシャルヌ・ハートネット


「今のファルータ公爵夫人って後妻なんでしたっけ?」

朝食前に姿を現したウィルが卵を乗せたトーストを貪りながら尋ねてきた。


「・・・ああ、殿下と親しかったダナステ侯爵令嬢だった夫人は数年前に亡くなっているな」

ファルータ公爵クラスの夫人が亡くなったら葬儀も大々的な物になる。

当然ウィルも知っていると思っていたのだが、考えてみたら前夫人が亡くなった時期だとまだこの若い魔術師は下町の方で暮らしていた。


・・・自分や周りの人間にとっての常識が、社会の他の部分を構成している人間にとっては全く知らぬことだったというのは盲点だったな。

まあ、今回の事件には大して関係ないと思うが。


「手紙を盗んでいたのは子爵でした。自分が公爵家の血を引いていないとなるとあの地を継げなくなると思って盗ったらしいです。

そんな危険な物を態々盗んだ後に大事に保管していたのは、亡き母の手紙だったからだそうで」


ソーセージの載った皿へ手を伸ばしながらウィルが封筒をこちらへよこした。

中には・・・手紙が入っていた。

実物は読んだことが無かったものの、内容は皇太子が言っていたことに一致している。


「ありがとう」

内紛なぞになったら目も当てられないところだった。本当に、いくら感謝しても足りない。

実際には子爵にこの手紙を悪用する意図は無かったようだが、疑心暗鬼にかられた皇太子が『手紙を持っている相手に脅された』などと思って行動していたら、『思わせぶりな言葉使いをする強気な主張には弱い国王』なんてものになっていたかもしれず、王国へのダメージは計り知れない。


「必ず、返却を確認させたら必ず目の前で焼却させて下さいね。もう一度今回みたいなことをするのは御免ですから」

ソーセージを平らげ、パンケーキの皿へ手を伸ばしたウィルが念を押した。


「任せておけ。私が殿下の手の中で燃やしておくよ。私とてこんな馬鹿な騒ぎは御免だ」

今回は盗んだ相手が悪用する意図がなく、しかも盗んだ物を破棄せずに持っていたことで奪回が可能だった。

もしも同じことが起きた時は、悪用されるか、もしくは奪回が不可能な状況になる可能性は非常に高いだろう。それこそ母を慕う子爵以外、悪用する意図が無いならこんな手紙を取っておく動機なんて無いのだから。


◆◆◆


「見つかりました」

人払いを行い、沈黙サイレスの術をかけた皇太子の私室で手紙を渡す。


「ご子息が、自分が次期公爵になることへの障害となることを恐れて取り去り、母の遺品を捨てることが出来ずに持っていたそうです」


手元に戻ってきた手紙を食い入るように見つめていた皇太子が顔を上げた。

「あの子だったのか・・・」


「もうとっくに成人していますよ。子供扱いなぞするべきではありません。本来ならばそれなりの処罰を非公式にでも与えたいところですが、こんな危険な物を後生大事に保管していた殿下にも非がありますからね。とりあえず、その手紙は本物ですね?」


「ああ」


問答無用に手紙を皇太子の手から取り上げる。

炎よバルネ

一瞬の熱の後、手の上に残ったのは一握りにも満たない灰だった。


「思い出に、これを取っておきますか?」


あっけに取られたようにアイシャルヌの手にある灰を見つめた皇太子は、深くため息をついて椅子に身を沈めた。

「いや、いい。そんな危険な物を助言通りに捨てていなかった私がいけなかった。灰を取っておいてもしょうがないだろう」


当然だ、馬鹿者。

「殿下は国を導く権利があるだけでなく、国民が悪戯に命を奪われるような状況にならないように注意を払う義務もあるのです。ご自分の行動の影響というものを良く考える癖をつけて下さい」


今更な話だが。

今回の事件がいい教訓になってくれることを期待しよう。


「ああ。今まで深く考えて来なかったのだが、今回の事件でいかに自分の周りに何かを求める人間が多いのか、しみじみ実感したよ。これからはアイシャルヌのように無私に国のことを思ってくれる人間を見つけるよう、努力しておくよ」


幼いころから次期国王に取り入って利益を得ようとする人間に囲まれてきた皇太子にとって、今まで何気なく聞き流してきた言葉にどれだけ多くの要求が含まれているかを気がついただけでも良いことだったのかもしれない。


「私欲に満ちた人間の方がずっと主張も我も強いですから、そんな人間を押しのけて権力へ近づこうとする無私の人間なんてほぼいませんよ。無私な人間が国王の傍へのし上がろうとするなんて言う状況は、国の状況が壊滅的であり殿下の政治が最悪でもない限りおきません。

だから無い物ねだりをせず、私欲にまみれているにしても有能で国の為になる人物を見極めて登用し、きちんと上の者として監督責任を果たすことですね」


現実的な話として、無私な人間なぞいない。

誰だって欲しい物はあるし、人生に求める物もある。

欲求が無い人間なぞ、聖人だろう。いまどきの神殿にすらそんな人間がいるかどうか、怪しいところだ。


第一、政治の世界はそんな人間を集めたところで上手く機能なぞしない。

統治する側の人間が誰にでもある『私欲』と言う物を理解せずに、人間の悪意や私欲に対応する手段を講じずに国を動かそうなどしたところで、結果は理想論を吐くだけの裸の王様だ。

現実を見ない理想主義者なぞ、ある意味最も危険で無能な統治者だ。

要は有能な人間を使い、その人間の私欲が悪い方向に働かないように目を光らせればいいのだ。


・・・それだけ人を見る目が殿下にあるかは知らないが。

「頑張って、人を見る目を磨いて下さいね」

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