第5話 星暦552年 赤の月 5日 下準備とリサーチ

とりあえず、新しく術回路を作るにしても、まず今まで造られたものを参考にすべしということで、俺とアレクは魔術院に行って今まで登録された発熱と熱吸収の術回路を全部書き写してくることになった。


その間にシャルロは膨張率が高くかつ何度も膨張・収縮しても痛まない素材の開発にとりかかる。

新しい素材っていうのはある意味行き当たりばったりに色んな素材を造って試していく閃きの世界だから、直観の男シャルロが一番向いているんだよね。

常識にとらわれない思いつきだったらこいつに勝る人間はそうそういない。


ま、何も良いのが出てこなかったら適当に膨張率が高い亜鉛でも使ってもいいんだし。


◆◆◆



「これだけあるとはね・・・」

術回路の特許は50年間有効だ。

一応50年あれば本人が老人になるまでの生活費になるだろうという考えらしい。

だから古い術回路だったら既に特許は切れているんだよね。

考えてみたら、この間の乾燥機にまだ特許が生きている術回路を使ったのは失敗だったかも知れない。

まあ、最新式の方が魔力効率が良かった可能性は高いし、あの分の特許料を払っても利益が出たんだから、問題は無いけど。


足が出てるならまだしも、利益を最大化出来なかった程度のことはあまり深く考える必要はない。

『利益の最大化』とか、『機会の最適化』とかを狙いすぎると、人は却って身動きが取れなくなる。

ちょっとした失敗しちまったなら、ちょっとだけ反省して、後は次回の改善に繋げれば良いだけだ。


と言う事で、今回は良いのが開発出来なかったら特許切れの術回路を使おうと俺たちは相談している。新しい物の方が威力が高いことが多いんだけど、昔の出力が小さな術回路でもそれこそ薄く小さいのを幾つか連結すればそれなりのパワーがあるし。


「毎回新しい商品を開発するたびにここで現存の術回路を全て書き写すとなったら、これらを工房で整理しておくために専用の本棚を買った方がいいかもしれないな」

アレクが提案してきた。


「確かにね。そういう資料整理の為に秘書も一人欲しいところだな。

毎日は来なくていいから、何日かに一度来るだけで奇麗に整頓出来ると思うんだけど」


アレクが小さく顔をしかめた。

「確かに秘書は欲しいところだが、機密保持のことを考えるとそこら辺の農家の主婦を臨時で雇う訳にいかないからな。それなりに高くつくかも知れんぞ」


う。

「とりあえずは、俺たちで整頓しようか」

書類の量が多くなる頃には、そう言う信頼できる秘書の給料が苦も無く払えるぐらいに儲かっているはずだし。


しっかし。

紙だってタダではない。

膨大な数の術回路を紙に書き写して持って帰るのもそれなりにコストがかかるなぁ。

願わくはあまり無駄が無いと良いんだけど。

『発熱』の術回路という要件で選り分た特許だけでも学生時代の大きな鞄一つが一杯になった。

あまり使いものにならないような物も、多いんだろうなぁ・・・。


◆◆◆


どかっ。

「とりあえず、一つ一つ試作品を作って術回路の効果を実際に見ないことには参考にも出来ない。まずは、発熱の術回路を片っぱしから造っていこう」

書き写してきた大量の術回路の用紙を作業台の上に置き、アレクを振りかえる。


「分かった。そちらの机に出来あがった術回路をその特許画面の書類の上に置いていき、後で全部が終わってから比較評価しよう」


考えてみたら、全部作り終わった時点でシャルロが何か有望な膨張・収縮素材を見つけていたらそれを使って発熱具合を確認するのもいいかも。


どちらにせよ。

先は長い・・・。


後でお茶にしてパディン夫人のケーキでも食べよう。

ついでに夫人に『人前でリビングに置いておいても恥ずかしくない湯沸かし器』ってどんなものが考えられるか聞いてみればリサーチと言うことになるし。


◆◆◆


「リビングに置く湯沸かし器ですか?」


14刻のお茶にケーキをつけるよう頼み、同席してもらったパディン夫人にリサーチを兼ねて意見を聞いてみた。


「そうですね・・・。リビングにあっても違和感のない外見は必須ですね。その最低条件を超えた上で考えるのでしたら、注ぎやすさ、倒れない安定性、保温性、沸騰までの時間と言ったところですかしらね」

軽く指を顎に当てながら夫人が答えた。


「見た目が絶対条件ですか・・・」

アレクが呻くように答えた。


これは難しい。

はっきり言って、デザイン性は俺たちの得意範囲とは必ずしも一致しない。


「しかも、保温性や沸騰までの時間って実は優先順位が低いんだ?」

ちょっと想定外だったな、これ。機能が重要なのかと思っていたんだが。


「楽しく話していれば、沸騰にかかる時間なんてそれ程長く感じられませんよ。

時間がかかるなら最初から前もって沸かしておけば良いですし。保温性にしたって、冷めてしまったら再沸騰させればいいことでしょう?」


ごもっとも。


とは言え。

術回路の機能性で勝負しようと思っていた俺たちにとってはちょっと想定外な話だな、これ。


「この場合、何人前ぐらいのお湯が必要なのかな?注ぎやすさも考えたらあんまり大きすぎると持ち上げられないと思うけど」

シャルロが興味深げにパディン夫人に尋ねる。あまり堪えてないね、お前さん。


「そうですね、一度に注ぐ限度としては4人前と言ったところでしょうか。それ以上でしたら台所の火器コンロで複数のやかんを使って注いで持ってくるでしょうから」


ティー・トレーに乗せてきたセットに再びお湯を注ぎ、おかわりを淹れながらパディン夫人が答える。


ふむ。

湯沸かし器がリビングにあったとしても、ティー・ポットやカップ、ケーキは台所から持ってくることになる。湯だけがあったところであまり役には立たない。


「例えば、ティー・トレーに湯沸かし器がついているのってどうかな?台か縦の支柱のところに湯を入れておく場所があって、そこから注げるようにしておいたら極端に見た目は関係なくないかな?」

ついでにその湯沸かしの部分を取り外し可能にして書斎ででもお茶を簡単に入れるように置きっぱなしに出来るようにしておいたら来客時じゃない時の利用も簡単に出来そうだ。


「まあ、そうですが。でも、それだったら保温性のいい容器に沸かしておいたお湯を入れて持ってくるのとあまり変わりが無いと思いませんか?」


「・・・お茶をリビングで淹れる際に不便だと思うことってどんな時にある?」

アレクが恐る恐るパディン夫人に尋ねた。


「あまりありませんわね。親しい友人とでしたら台所でお茶を飲むことの方が多いですし」


やばいじゃん。

術回路の開発以前に、もしかして売る商品に対する需要が無い??


◆◆◆


パディン夫人が退場した後にしばし流れた沈黙を破ったのはアレクだった。

「方向性を変えよう。

きちんとお茶を入れる主婦や家政婦にとって、リビングで使える湯沸かし器と言うモノに対する需要はあまり無いようだ。ティーポットやケーキまで準備しなければならない相手にとって、湯という一部だけがリビングにあっても別に全体的な手間は大して変わらないんだな。

だから、我々はきちんとお茶を入れない人たちを対象にするべきだ」


なるほどね。

「ティーポットが必要になる時点で、駄目なんじゃないかな。だから、お茶をポットなしで直接カップに淹れられる方法をまず売り出さないと」

茶葉を捨てる手間があるんだったらそうそう手軽に書斎や仕事場でお茶を淹れると言う訳にはいかない。


「薄くて小さな麻袋か何かに茶葉を入れてお茶を淹れられるようにしたらどうかな?僕は時々そうやっていたけど?」

シャルロが提案した。


成程、部屋でお茶を淹れる際にそうやって茶葉の始末をしていたのか。

だが。

「麻袋といったってそう安くは無いぞ。一々お茶を飲むたびに袋を捨てるほどの経済的余裕がある人間はそれ程多くないと思う」

1日4回お茶を飲むとして、月に30日x4で120枚。1枚1枚の麻袋はそれ程高くは無いが、月120枚となったらバカにできない出費になる。


「再利用できる形にしたらいい。高級茶のモノは使い捨て、普通のモノは使い捨てしたければ可能だが再利用も可能にしておき、店で使用後の麻袋を買い戻すシステムにしておけば、自分で詰め替えたくない人間もそれなりに麻袋のコストを削ることができる」


自分で詰め替えるのが一番経済的だが、その手間をかけない代わりに少し余分に金を払うのは構わないという人間だって多そうだ。あとは更にコストを削りたい人間だな。

「ついでに麻袋だけというのも売っておいたら、ティーポットを使わずにお茶を淹れる習慣と言うモノがより早く根付くかもしれない」


ふう。

3人で思わず目を合わせて、笑った。

何とかなるかもしれない。


ニパっとシャルロがアレクに笑いかけた。

「じゃ、アレク頑張ってお兄さんにこのアイディアを売って来てね!」


そう、早いところこのアイディアを流行させてくれないと俺たちが造る湯沸かし器に対する需要も限られてしまう。


頑張れよ~。







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