長崎の被爆地(山王神社ヘ再び)

8月、蔓延防止がまだまだ続く中、数年ぶりに、長崎にもやってきた。新幹線で博多まで来たあと、「カモメ」と言う特急で長崎ヘ。約4時間半ほどかかって長崎駅へ。長崎駅に、別の新しい路線が出来上がってきていた。どうやら長崎新幹線「西九州新幹線」の建設工事だったらしい。2022年の秋に、一部、開業するようだ。全線が開通すれば大阪から長崎まで、乗り帰らずにスムーズに行けるようだが、まだ一部しか開通しないらしい。全線開通まで、まだまだ時間がかかりそうだ。長崎に到着後、路面電車に乗り換え、平和公園ヘ、手前の浦上駅の方が近かったのだが、小雨が降る中、平和公園に到着。公園内は、翌日の平和記念式典の準備の為、立ち入れない場所もあったのだが、とりあえず久しぶりに拝見した平和記念像。何度見ても圧倒されてしまう。しかし、あまり長居は出来なかった。この後、平和記念資料館ヘ、資料館に入ると、コロナウイルスの影響もあったのか?閑散としていた。一番気になったのは、長崎に投下された原爆(ファットマン)の実物大の模型。以前訪れた時は、濃い緑色をしていたのだが、今は、黄色に塗り替えられていた。その他の遺品等も何度も見て回ったのだが、かなり痛々しい姿で悲惨さを訴えられているようだ。平和記念資料館から今度は、徒歩で、山王神社に向かった。途中、道に迷ったものの、20分程で、一本柱の鳥居前に到着。階段坂の手前には、被爆直後の一本柱の鳥居の写真パネルが貼られた石碑があった。山王神社の一本柱の鳥居は、長崎原爆遺跡として、史跡となっていた。2016年10月3日に原爆遺跡として、国の史跡に指定されていたのだった。階段坂を登り鳥居をくぐり抜け、途中、吹き飛ばされた鳥居の残骸が置かれている参道を通り、初めて山王神社の境内ヘ、真っ先に目にした大木。これが被爆クスノキだった。初めて見たクスノキ。被爆したとは思えないような、立派な大木に見えた。爆心地から800m離れた、山王神社の境内に立つ「被爆クスノキ」、樹齢600年と言われる2本のクスノキ。原爆の熱線で焼け焦げ、爆風で大半が飛ばされてしまった。しかし、被爆から2ヶ月後、焼け残った幹から新芽を出して成長、かなりの生命力に思えた。クスノキは、高さ20m、幹周りは、一本は6m、もう一本は8mあり、幹に出来た大きな空洞には、爆風で吹き飛ばされた石や瓦が今も残っていると言う。昭和44年に、天然記念物に指定。しかし、クスノキは幹が腐って枯れそうになったと言う。今では、樹木医の治療を行い、今も枝いっぱいに葉を付けているそうだ。治療費を賄おうと「被爆クスノキ」を描かれた手ぬぐいを山王神社で販売している。平成26年に、長崎出身の福山雅治の「被爆クスノキ」を題材にした「クスノキ」と言う曲を発表して大きな注目を集めていると言う。「被爆クスノキ」を目の当たりにした時、被爆したように思えなかった。しかし、爆風でえぐり取られたと思うところには、セメントのようなもので塞がれているように見えた。

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