第十二章 新たなる展開に翻弄される智香

里中洋蔵は絞めた一矢の喉に感じた違和感に驚き、絞めつけた腕を外した。そして、一矢の首を曲げ、喉元を覗き込んだ。その傷は喉元から首の後ろに貫通しているようだった。

 「お前・・・この傷はどうした?」

 洋蔵は驚愕の目で一矢を見つめた。可笑しなことに、彼の身体は震えていた。怯え・・・

なのか?

 「おい、答えろ。この傷はどうした?」

 洋蔵の感情が乱れているのが、彼の表情から読み取れた。

 「知らん。子供の時から、ある」

 一矢は吐き捨てるように言った。

 「チッ、お前に、何の関係がある・・・」

 洋蔵の答えはなかった。その表情からは、洋蔵はもっと確かめたいことがあるようだった。

 「お前・・・」

 洋蔵の声は、この後途切れた。彼は空間の一点を見つめたまま、動こうとはしなかった。

 洋蔵は急に身体を震わせ、明らかに脅えたような表情を見せ始めた。


 その時。

突然闇の空間を打ち砕き、奇怪な男が現れた。

 「ヒャ、ヒャ」

  奇妙な笑い声は闇の中に響き渡った。その男は闇の空間に目を配り、

 「ここには、いろいろなものがいるようだ。懐かしいものもいるが、まぁ、この先、実に面白いことになりそうだ」

 こういうと、その男が腕に抱えているものに目をやり、抱え直した。


 「あぁ」

 大伴智香は驚きのため息を吐いた。

 「あれは・・・孝子。孝子だわ。なぜ、孝子がいるの・・・?それに・・・誰?」

 智香は呟いた。誰も答えてくれない問い掛けであった。

 その男は・・・現れた男の容貌は子供のように見えたが、伝わって来る雰囲気は子供ではない。明らかに大人であると印象があった。

 「我が息子よ、何をやっている?」

 里中洋蔵に言っている。

 「息子・・・どういうこと?」

洋蔵の仲間ということか・・・智香は洋蔵を見た。だが、彼の表情は脅えたままだった。洋蔵は現れた小柄な男に脅えたことになる。

 

 「ビャッコ」

 智香は大きな声で叫んだ。

白虎の返事はない。白虎は正面から、青龍は右横からいつでも攻撃出来る態勢にいた。だが、その男は左脇に孝子を抱き抱えていた。

 「だめ。だめ。孝子が怪我をしてしまうよ。青龍!」

 智香は青龍の性格を良く知っていた。青龍だって、この闘いに巻き込み、孝子を殺す気はないと思う。でも、孝子が抱きかかえられた状態で闘ったら、孝子が怪我するのは間違いなかった。

 「殺すな、青龍。捕まえて、連れ戻すのが俺たちの役目だ」

 白虎は執拗に叫んだ。青龍の返事はなかった。でも、わかったというような表情を青龍はしたように、智香には見えた。


 「誰?何なの、あれは?」

 池内美和は突然現れたものに目を大きく見開いた。理解しようとしたのではない。興味を持ったといった方がいいかもしれない。

 だが、美和の知識では、かろうじて人・・・と判断するのが精一杯だった。

 ⌒でも・・・)

 首を傾げる美和だった。


 大森智香は、この男が五郎太に違いない、と思った。今目にする白虎も青龍も、いつもの彼らではなかった。長く付き合っている白虎と青龍だから、智香には良く分かった。でも、あの男が五郎太だとしたら・・・と彼女は考える。なぜ、孝子が五郎太に捕まっているのか、彼女には理解出来なかった。


 里中洋蔵の大きな身体がまだ震えている。智香の所からもはっきりと感じ取れた。

 「何をやっている。早く、来い」

 五郎太は叫んだ。

 洋蔵はびくりと大きく肩を震わした。

 

 飯島一矢はただ驚くしかなかった。洋蔵に一瞬の隙を突かれ、首に手首を巻かれた時には、しまったと思った。洋蔵の手首はすぐに首に食い込んで来た。だが、あの男が現れると洋蔵の腕の力は、なぜか急に緩んだのである。

 「何だ?何を躊躇している」

 と一矢は戸惑いを覚えた。

 「馬鹿な」

 一矢は言葉を吐き出した。彼にはなぜ洋蔵が絞めている手首を緩めたのか分からなかった。だが、洋蔵から逃れるのは今しかないと判断した。まだ俺は死ぬときではない。一矢はそう思った。現れた男が誰なのか一矢には分からなかったが、今の彼にとって誰であろうと少しの興味もなかつた。ただ、なぜ洋蔵がこれ程恐れるのか理解出来なかった。その理由に興味を持った。一矢はまだ洋蔵の腕を完全に取り払っていなかったので、洋蔵の身体が震えているのが、一矢にははっきりと分かった。

 「どうした、何が・・・何をこの男は脅えている」

 一矢は現れた男を、洋蔵が恐れる理由を含め、興味を持って見ていた。五郎太は、キッキッと奇怪な声で笑っていたが、人には違いない。迫ってくる風貌は人にはない迫力があり、見れば見るほど不気味に見えて来る。

 くそっと一矢は一瞬激しい苛立ちを覚えた。今の奇妙な緊張感を取り払いたかったのである。一矢は洋蔵の腕を取り、一本背負いのように空中で投げ飛ばした。ただ投げ飛ばすだけでは面白くなかった。一矢は五郎太を目掛けて洋蔵の身体を投げた。

 無防備な洋蔵は少しの抵抗もなく投げられ、まともに五郎太にぶつかっていった。一矢は五郎太の動きに目を見張った。どう動くか気になったのである。

 「おっ」

 一矢は叫び声を上げた。五郎太は孝子を守るような仕種を見せたのである。


 五郎太は孝子を小脇に抱えたまま、ひょいと身軽に位置を変えた。

 五郎太は投げられた洋蔵を睨み返すより一矢を凝視した。だが、彼から見れば幼い少年を問題視してはいなかった。

 「ほっ」

 とひとつ侮蔑の表情を見せ、笑った。そして、

 「誰だ?」

 と言った。

 五郎太は少年の反応を窺った。少年は何の反応も示さなかった。ふっと五郎太はまた笑みを作った。五郎太はそれ以上の問い掛けをしなかった。


 「青龍」

 白虎は叫んだ。

 この瞬間、青龍は大鎌を五郎太目掛けて真横に振った。

 「アッ」

 と智香は叫んだ。やられる、と智香は思った。孝子が、である。

 「孝子!」

 智香は叫んだ。孝子はずっと気を失ったままであった。

 「ホッホッ、エヘェッ」

 五郎太は気持ち良さそうに笑い、孝子を抱えたまま体の位置を、次から次へと変えた。五郎太の身体はけっして大きくはない。それなのに、同じくらいの体格の孝子を軽々と抱えている。

 「お前たちがここに居ようとは思わなかった。実にしつこいなと思うのは失礼かな。相手をしたいが、今はちょっと無理だな。分かっている筈だ。俺が絶対に捕まらないのを」

 この時、五郎太は殺気を感じた。彼の目の動きが激しく右に左に動いたのである。だが、彼のその感覚は遅かった。彼は身体を引いたが孝子を抱く腕に微かに痛みを感じた。

 「おっ」

 と言った後、五郎太は殺気を感じた方向を睨んだ。

 飯島一矢だった。


 一矢は、この場は引いてもいいと思っていた。だが、それだけで済まない状況のようになってしまったようだった。小男に捕まっているのは、どうやらこの子の知り合いらしかった。

 (そういえば、この前庭から見えたベランダにいた・・・)

 ような気がした。

それならば、成り行き上闘ってみるしかなかった。一矢は自分がどれ程の闘いが出来るのか、正直全くわからなかったが、洋蔵との闘いで少しはやれることを知った。

 それに、突然現れた小男とは対象的に化けもの見たいな大男が現れた。あいらは、何者・・・?

智香という子はあいつらを知っているようだが、小男を捕まえに来たというが、一体どういうことなのか、一矢には全く見当がつかなかった。だが、今はいろいろ考えている時ではなかった。それは、一矢にもよく分かっていた。

 一矢は今印を結び始めていた。《心が奇妙に落ち着き始めている》彼はその行為をはっきりと意識していた。今までにはないことだった。自分の行為を意識することによって、彼は身体の中に自分の知らない生き物が生まれて来ているような気持ちになった。


 大森智香はこれ以上何もしないでいることに耐えられなかった。今の、いや今何よりも大事なことは、孝子が突然現れた得体の知れない何者かに捕まっていることである。

 「五郎太・・・何なの!一体私たちに何の関係があるの?」

 智香は言葉を吐き捨てた。誰も拾ってくれない愚痴のようなものだった。しかし、彼女は言わずにはいられなかった。白虎と青龍は自分たちの任務をやり遂げようとしている。孝子の命なんて、こうなればどうでもいいのかも知れない。でも・・・でも、私には何よりも大切な妹のような存在だった。この世の中で私の友達はもう孝子・・・しかいなかったのである。

 「私は、やる。五郎太が誰なのか、分からない。でも、私にはそんなことはどうでもいいこと。孝子だけは・・・私が守ってやらなくてはいけない」

 智香は心に強く念じた。母真奈香は、何かをしようとする時、心に強く念じなさい。自分のすべてをこれからしようと思うことに集中し念じなさい、他の何も信じてはいけませんと教えてくれた。智香は今ほど強くそう思うことはなかった。だから、念じた、私に・・・力を与えて下さい。ずっとではなくて、今だけでいいのです・・・。


 この時、一矢は自分よりも後方に強い気を感じた。始め、彼はその気が誰からなのかわからなかったが、すぐに察知した。

 「いけない。あの子だ。だめだ」

 一矢は、この瞬間智香が五郎太に何も武器を持たずに突進していく姿を確認した。

 「馬鹿な。何をする気だ。あなたに、何が出来るというのだ」


 「だめだ。いけなません。智香様・・・」

 白虎は突然の智香の行動に戸惑い、その瞬間すぐに行動を止めることができなかった。ただ、青龍は違った動きをした。青龍は智香の動きにすぐに反応した。

 青龍は素早く五郎太に大鎌を振りかざし切り掛かった。智香は感情に支配されていて、その動きにぎこちなく、思うように五郎太に近付けなかった。青龍の闘い慣れた動きには及ばない。つまり、青龍にとっては闘いの邪魔になる。


 「青龍、止めてくれ。今の智香様は、その男、五郎太はまだ智香様の闘える相手ではないのです」

 白虎は祈った。そうするしかなかった。

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