第十一章 五郎太の出現

 里中洋蔵が脅えていた。そういう表情が一瞬みえたのである。智香は自分の目の錯覚かと思った。だが、もう一度見たその時には元の冷酷な表情に戻っていた。

 智香は一矢を見上げた。どうやら一矢も同じ印象を持ったようだった。何かが、ここの空間に起こりかけているようだった。一矢は智香を敵から・・・間違いなくそこにいると彼は決めているようで、その敵からこの子を守るように運命付けられているのかも知れない。

 「おやっ!」

 智香は飯島一矢の身体に抱かれながら、全身に緊張感を走らせ続けた。

 「誰?まさか・・・やっぱり近くにいるのね。白虎、青龍・・・」

 一矢が現れる前、智香が二人の名前を呼んだのは、単に偶然ではなく、その気配を感じたからで、今彼女が助けを求められるのは白虎と青龍しかいなかったからである。でも、今はいい、と彼女は思った。ずっと一矢の胸に抱かれていたいという強い気持ちがあった。でも、何が起ころうとしているのか、彼女には分からない。ただ、今この瞬間は洋蔵だけではなく何ものも怖くはなかった。まして二人の助けもいらない、と彼女は思った。

 (白虎ね、もういいよ。来なくていい。大丈夫だよ)

 智香は白虎に呼び掛けた。

 この気配は確かに彼らなのに、いつもの大きな姿はどこにも見えなかった。彼女の問い掛けにも何の返事もなかった。彼らは普通の人には見えないことはあっても、彼女に二人の姿が見えないことはなかった。青龍は智香を良くからかいに現れたが、今がそうなのか、とちょっと首をひねった。でも・・・何かがちょっと変・・・もう一つ、違う何かがいるような気がする?

 智香にとって、今は白虎も青龍もいてもいなくても良かったのだが、これまで困った時には、すごく頼りになった。喧嘩もよくやったし、お互いにからかい合ったりもした。だけど、二人ともうそんなことをしなくていいかも知れない、一矢さ様がいるから。智香はそう思うのである。

 「いたいっ!」

 智香は手首の黒い痣の痛みを、キリッと感じた。それも、今までにない激しい痛さだった。

 「どうした?」

 一矢が優しい目を向けて来た。

 智香は軽く首を振った。一矢に知られたくない痛みだった。


 白虎と青龍はずっと智香の傍にいて、逃亡者の出現を待っていたのだが、その時が近付いて来ているのを少し前から感じていた。それには自分たちの存在を隠さなければならなかった。だから、智香の危機が迫っていても出て行かなかったのである。

 一矢が智香を助けに現れる、と白虎が予知していたことはない。その存在すら知らなかった。だから、一矢が現れたことに驚いたのだが、それより智香が助かったことにほっとしていた。

 五郎太という逃亡者はまだその姿を現してはいなかったが、今、確実に二人の近くにいた。やっと彼らは自分の義務を遂行する時が来たのである。

 白虎と青龍は、逃亡者の五郎太をやっと見つけることが出来たのである。もうすぐ五郎太は現れる。

「おい、青龍。来るぞ」

 智香の所にいれば必ず五郎太は現れるという彼らの推測は当っていたことになる。

 「絶対に逃がすな」

 白虎は言葉に出す。しかし、青龍は無言である。

 

 「何処にいるの?あなた達なんでしょ?」

 智香は、やはり気になるので聞いた。近くにいるのは分かっているのだが、今の彼女には強く感じ取れていない。白虎に、今あたい達の傍にいるのは、

(誰?)

と聞いているのだか、白虎の返事はない。

 その時、彼女を抱いている一矢が、彼女の心の乱れを察知した。

 「しっ、何も考えるな。自分を消せ。今は、あいつに集中するんだ。もう一つの存在が気になるが・・・」

 一矢の厳しい声が、智香の心に響いて来た。

 

 智香の一瞬の心の乱れを洋蔵は見逃さなかった。

 「いた。そこだ」

 洋蔵の小刀が一閃を放って、まっしぐらに二人に向かった。

 「終わりだ」

 

 その瞬間、一矢は智香を抱いたまま宙に飛んだ。身体が重い。この子を抱いているから仕方がないが。

 一矢は小刀の攻撃を辛うじて避けた。一人だけなら俺は隠れないであいつと闘っているに違いないと一矢は自信を持っている。だが、一矢はこうして彼女を守っていることに後悔をしていない。

 智香は小刀が側を通って行く時、意思を持った生き物のように感じた。ちょうど彼女の白い友達と似ていると思った。

(私と同じ?やはり、同じ・・・)

なのだ。智香は洋蔵を睨んだ。時々、自分は普通の人と違う、と考えたように。この男も、この世では別の存在なのである。

 「来る、また来る。あいつから、小刀が次から次へと飛んで来る。いくつでも来る。来るなら、来い」

 一矢は叫んだ。小刀はまた戻り、二人に攻撃を加えてきた。しかも、洋蔵は小刀の数を増やして来た。一矢は二回、三回と小刀の鋭い攻撃を外した。智香を抱いているので、彼の動きが鈍くなっている。まずい。このままではやられてしまう。

「この子を一人にして大丈夫か?いや、この子は負けないはずだ。俺には分かる。なぜだか分からないが」

一矢には分かる。

 「くそつ」

 一矢は笑う洋蔵を睨んだ。

 「チッ」

 智香を抱く腕に小さな痛みが走った。赤い鮮血が空間に飛び散った。一矢の腕の皮膚が裂けた。


 その一矢の血が、智香の頬に一滴当った。

 「あっ」

 智香は小さな叫び声を上げた。一矢の身体の小さな温もりのある血だった。彼女の悲しい声の響きだった。

 「私なら大丈夫。離して、離して下さい。私も闘います。あの時のように」

 こう言うと、彼女を抱き護ってくれている一矢の腕を解き離そうとした。この間も、小刀が二人に攻撃をしてくる。

 「あの時・・・」

 一年前の京の蒸し暑い日であった。一矢は昨日の出来事のように思い浮かべた。だが、今はそんな観賞に浸っている時ではない。


 「分かった。だが、今はいい。俺が、いや僕があいつをやる。少し離れていてくれるか」

 一矢は智香を地上に降ろすと、

 「いいか。ここにいろ。ここにいて。いるんだ。あいつと闘って、どういうことになるのか僕にも分からないが、このままでは二人ともあいつにやられてしまう」

 と言った後、彼はポケットから、

 「これを!」

 と双竜王の珠を差し出した。

 「あっ、これは!」

 「この前、俺の前に転がって来たから。今度、会うことがあったら、渡そうと思っていた」

 「これは、お母様の・・・」

 「今は、いい。いずれ、この球の言われは聞く」

一矢はこういうと、洋蔵に立ち向かっていった。一矢は飛んで来るいくつもの小刀を、身軽になったのか身体を伸ばし捻じらせながらかわしていく。一矢は叫ぶ。

 「お前が誰かは知らない。そんなこと、俺には興味もないし知る気はない。だが、俺はあの子を護って見せる」

 「ふん。お前に何の関係がある。俺とあいつの宿命なのだ」

 洋蔵の意思をもった小刀は何度何度も反転し、一矢に攻撃を仕掛けて来る。

 「知らん。知らん。お前の宿命なんて、知る気はない。ただ」

 一矢はここで言葉を切った。自分でも、この後何を言ったらいいのか分からなかった。

 「くそっ」

 一矢は動きの中に洋蔵との距離を縮めていた。しかし、どうすれば洋蔵に対抗出来るのか、一矢にはこの瞬間何の策もなかった。


 このままでは、あの少年はあの化けものにやられてしまう、と南小四郎は思った。彼は少し前警察に、武器を持って出動するように連絡した。仲間の反応は鈍かった。小四郎は小林刑事に代われと受話器に唾を飛ばした。

 「まただ。また、奴が出た。急いで名古屋医科大学病院に来い。とにかく武器を持って、すぐに来い。そうだ、拳銃だ」

 南小四郎警部は怒鳴った。小林刑事は小四郎の言っていることをすぐに理解したようだった。

 来て、どうする?小四郎にもどうすればいいのか分からなかった。ただ理解し難いことが目の前で起こっているのは確かなことであった。この前と同じだ。数日前の限られた者だけしか、その現場にいなかった。だが、今は違う。小四郎がかかわっている事件に関係ない多くの人がこの状況を見ている。彼は自分の周りを見回した。誰もが夢を見ているような目で、この不可思議な空間を見ていた。

 「おっ」

 南小四郎は警察のサイレンの音に気付いた。と同時に、病院を覆う空間が次第に闇に包まれていくのにも気付いた。状況はあの時と全く同じになりつつあった。

 それにしても、あの少年は誰だ?小四郎の見た印象は、近頃見かけなくなった覇気がぷんぷん漂う若者に見えた。


 大森智香は、

「このままでは一矢様はやられてしまう」

と思った。

(お願い、白虎。やっぱり来て。どうすればいいのか、あたいに教えて。あたいが、一矢様を助けるから)

彼女は闇に覆われていく空間に目を配りながら、白虎を探した。いる。いるのである。間違いなく近くにいるのである。なぜ姿を現さないのか、彼女には分からなかった。でも、二人を感じ取れる気が、いつもとは違っていた。

 「あっ!」

 智香は叫び声を上げた。


 里中洋蔵はこの若者が誰だが知らなかったが、味方ではないと感じた。だが、敵でもないとはっきりと認識していた。だからこそ、洋蔵は若者をここに呼び寄せたのである。

 こいつ、俺の小刀を相手にしながら、俺に近付いてきている、洋蔵はにっと口を歪めた。

 「ふん。やるな。だが、そこまでだ。その体勢で、俺の相手出来るかな」

 洋蔵は小刀を二つ三つ四つと続けて、闇に覆われて行く空間を投げた。小刀は二つが合わさったり、三つが巴に重なり合ったりした。雷光はその合体した小刀に走り、一つに束なった。

 「いくぞ。おい、今度は厳しいぞ。どうする?」

 雷光は合体した小刀に吸収され、不気味な眩さを放ちながら、一矢に走った。


 「あっ」

 と、再び智香は叫んだ。彼女はこの雷光の怖さを身体で体験していた。しかも、今目にする雷光の威力は比べものにならないくらい大きい。この前は双竜王の珠はなかった。洋蔵の気だけの闇であり、雷光だった。だが、今は雷光の光りの強さからして違った。

 「一矢様が・・・」

 智香は、誰か、助けて・・・と祈った。


 「チッ。来るか」

 一矢は自分に闘う手段がないのを良く知っていた。いや、正しく言うなら、一矢は自分の何かを知りつつあったと言っていい。

 「そうか・・・」

だが、 一矢の動きには余裕があった。小刀は確かに洋蔵の意志を持って一矢を攻撃していた。あれから逃げるのはしんどいと思ったが、あいつの小刀を自分の意志では操れないこともない、と一矢は思った。

 (人は・・・)

と一矢は考えた。あいつは化けものだが、人には違いない。人は二つのことを同時に出来ない。片方に多くの力を注いだ場合、もう一方はかなりその力は小さくなる、と彼は考えた。

 一矢は初めの雷光の攻撃を読んでいた。彼は小刀との距離を取った。そうすることによって余裕を持って小刀を操れた。つまり、避けていた。

 「来た!」

 一矢は二つの小刀を身体に引きけ、体を反転させた。雷光の閃光を予測した所に誘い出した。その次の瞬間、二つの小刀は見事に雷光の当り、火花を散らした。雷光は粉々になった。

 「行くぞ」

 一矢は腕を背中に回し、双竜王の剣を手に取った。

 「おっ!」

 洋蔵は、

「ギョ・・・」

驚愕の表情を見せた。

 「お前・・・それは・・・なぜ、その件を持っている?」

 一矢は、

 「なぜ・・・そんなことは、どうでもいい。お前、隙だらけだぞ」

 と吐き捨て、剣を斜め下段に構えたまま、洋蔵に突進して行く。

「チッ!」

 洋蔵は双竜王の剣を辛うじてかわした。

「やるな。俺を倒せるかな」

 一矢は次に攻撃の態勢を整えた。

 「そんなことは、やってみなければ分からん。いくぞ」

 一矢は容赦のない小刀の攻撃をかわしながら、こっちに突進してくる雷光を剣で振り払い、だんだんと洋蔵に近付いて行った。彼の振り回す双竜王の剣は美しい線を描きながら、小刀を潰して行った。そして、ある距離になると、彼は一気に飛び掛った。若い体のスピードのある攻撃に、洋蔵の大きな身体は揺らいだ。

 「チッ、何たることだ」

 洋蔵は一矢の次の攻撃を予測した。案の定、洋蔵は背後に鋭い殺気を感じた。

 一矢が剣を振る瞬間、洋蔵は身体を二歩ばかり前に出た。そして、一矢が刀を振り下ろす前に、一矢の懐に入り込んだ。

 「ははっ。捕まえたぞ。どうする。どうするね。若者」

 

 「青龍。現れるぞ」

 白虎の声が闇に響いた。白虎にとって、二人の闘いなんてどうでもよかった。


洋蔵は一矢の首を一気に絞めた。だが、彼の腕の力はすぐに緩んだ。

 「何だ?」

 洋蔵は絞めた腕に不快な違和感をもった。

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