第七章 呼び寄せられる一矢、そこには、洋蔵に捕まっている六太郎が・・・
大森六太郎は、コンコンという物音に振り返った。顔を歪め、
(また白い服を着たあの男が、私の体を触りに来たに違いない)
と、不機嫌になった。
「・・・」
六太郎は、おかしいと思った。彼は耳に神経を集中させた。コンコンの次には、大森さんという声が聞こえるのだが、その声が聞こえて来ないのである。
彼のいる部屋に入って来たのは、白い服を着た男ではなかった。
「ふふっ」
六太郎の知らない男がいた。大きな男で不気味な笑い顔して、六太郎を睨んでいた。だが、二三秒の後、彼の知らないと思っていた男を見て、六太郎の表情が脅え出した。何かを思い出したのか、
「お前は・・・」
といった後、言葉が出て来なかった。彼は明らかに何かを思い出しつつあった。そして、今、彼は正常な恐怖心に襲われていた。
「俺の元へ来い。こっちだ。そう、こっちだ」
病室の外に出ると、もう知らない男は消えて、いなかった。
「来い。来い。早く、来い」
あの化け物の声は、一矢の体の中に響いていた。一矢には化けものが何をやろうとしているのか分からなかった。だが、一矢の体に響き渡る声の調子は次第に高揚していて、化けものがどんなに興奮しているのが良く感じ取れた。化けものが何をやるのか、それはもうすぐ目にすることができる、と予想できた。何をやる気だ、と彼は興味を持った。だが、まともなことでないのは分かっていた。確か・・・里中洋蔵と呼んでいたな、彼は智香がそう呼んでいたのを思い出した。
「今、向かっている。もうすぐ、着く」
一矢は言った。彼の感情も間違いなく高揚していた。
「何をやる気だ」
一矢は立ち止まり、目の前に迫って来ている大きく建物に驚いていた。名古屋医科大学病院と屋上に掲げてあった。一矢はそこにあいつがいるのを見た。そして、もう一つ、間違いなく洋蔵なんかより遥かにか弱い人間がいるのも感じ取っていた。誰だ?
「来たな」
化けものの声は一矢の体に冷たく響いた。だが、しかし彼はその感覚を平然と受け取った。
池内美和は病室のベッドに座ってばかりいるのに疲れて来たので、ちょっと廊下を散歩しようと思い、病室を出た。もう学校へ行けるくらい元気だった。学校の廊下を走っているように、この病院の廊下を走りたい気分だった。中学生になっていたから、そんなことをやってはいけないのくらい分かっているので、美和は周りをキョロキョロしながら、廊下をゆっくり歩き始めた。
美和は第三病棟の三階にいた。昨日、母の直と一階の売店に行った。一時間前に昼食を取ったから、腹は空いていなかった。今何かを食べたいという欲求もなかつた。でも、すぐに病室へ戻る気もなかった。とにかく気晴らしをしたかった。
美和はエレベーターで一階に下りた。扉が開き、エレベーターの中は彼女が一人だったのだが、彼女が降りようとした時、一瞬足を止めた。
(あれは、智香の・・・お父さん、だ)
「あっ」
と、声は出たが、智香のお父さんに聞こえるはずが無かった。美和の声は呟き程度だったのである。それに、智香のお父さんの目が焦点がずれて、虚ろに見えた。美和は智香の父に会ったことがあるが、数回見かけたことがあるだけだった。どうして、この病院にいるんだろう、と美和は思った。
美和がそう思った時、彼女は智香の父の後をつけていた。彼女は途中智香の父に声を掛けようかと思ったが、まだ一度も話したことがなかったので、その勇気がなかった。それに、智香のお父さんの様子が変だったからである。美和は以前テレビで催眠術を掛けられた人が歩かされている姿を見たことがあるが、その様子というか雰囲気が、今目の前を歩いている智香のお父さんに似ていたのである。
(何処へ行くんだろう?)
美和はこのまま智香のお父さんの後を付けることにした。
智香のお父さんは二棟の屋上まで上がって行った。そして、そこには、化けものみたいに大きな体をした男がいた。智香のお父さんを見るなり、いきなり屋上の鉄柵まで引っ張って行くと、目の色が金色に変わり、この世に中に生きている人間とは思えない形相になった。美和は童話をよく読むが、こんな怖い顔をした鬼や化けものは出て来なかった。彼女の夢の中にも、一度だって出て来ていない。美和は腰が震え、階段の所から外に出られなかった。
洋蔵は六太郎の顔を鉄柵の外へ突き出した。
「死ね。死ね。ここから飛び降りろ。もうこれ以上、この宿命を伸ばす気はない。四百余年待ったのだ。俺が終わらせてやる。お前を地獄にやるのを手伝ってやる」
六太郎は何の抵抗もしていなかった。しかし、六太郎の目や表情は人間の意識を取り戻しつつあるように見えた。洋蔵の大きな手は片手で六太郎の両腕をつかみ、高く持ち上げた。
「ああっ」
六太郎は悲しい声を上げた。この瞬間、彼は完全に正気に戻った。大森六太郎は全てを思い出した。その時、彼の体は恐怖で慄き、激しく震え出した。
「全てを思い出したのだな。それでいい。それでいいのだ」
里中洋蔵は六太郎を睨み、唾を吐いた。洋蔵の片方の手には小さな刀があった。一瞬、その小刀が半円を描いた。
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