第2話 何か、踏みました。

 



 何も、見えない。私は、真っ暗闇にいる、んだと思う。




 私は、大学のグラウンドで走っていたはず……いや、間違い無く走っていた。

 陸上部の先輩達とジュースを賭けて百メートル逆走勝負をしていた。本気での後ろ走り。多少アホっぽいのはスルーして欲しい。

 ぶっち切りで優勝したので、ウイニングランよろしく、両手を上げて前向きでグランドを一周走っていたら、なぜか足が闇に飲み込まれたように消えた。シュルシュル、っと消えた。

 脛まで消えたら、徐々に消える部分が上に這い上がって来た。

 グラウンドは阿鼻叫喚だった。

 訳も解らず、走り続けた。走れば何かから逃げられると思った。


「えっ、ちょ……何あれ!」

「きゃぁぁぁ! 足っ、足がぁぁ!」

茉莉香まりか!? いやぁぁ! 茉莉香! 茉莉香ーっ!」


 最後に聞いたのは、大親友、奈津なつの悲痛な叫び声だった。




 とぷん、と闇に沈み込むような、飲まれるような感覚の後からは何も見えない、聞こえない。でも、体は動いた。体の感覚だけはある。だから走った。どうやらグラウンドから走り続けていたみたいだった。

 ふと、暗闇の中で何も見えてないのに、このまま走っていたら壁にぶつかったり、車に轢かれたりしないか? と不安になってスピードを緩めた瞬間、『ぐにん』いや、『ぐにょん』? あ、何か猫っぽい柔らかな感じの何か! を踏んだ気がした。足の裏からそんな感触があった。そして、膝が何かにぶつかって、ものの見事に転けた。


 ――――ヤバ、何か踏み潰した!?


 この勢いで猫とか、動物とか、子供とか!? 踏んでたら大惨事じゃん!? 慌てて起き上がって、四つん這いでハワハワと辺りを探った。左手の指先に柔らかな……毛? ……あ、頭だ! サラサラしてる。ちょこっと長いなぁ。肩下くらい? 女の子? 人?

 取り敢えず、ペシペシと触りまくった。

 あ? 胸無い。貧乳? おぉ、貧乳仲間ですか? 私、ずっと陸上部だったからなのかペッソリしてるんだよねー。母さんボイーンなのに。未来に期待だ。

 ん? んん? 何かモニモニする。どこだここ。股? てかこの人、倒れてるよね? 私にまさぐられまくってるけど、何の抵抗もして無い。

 あ! もしや気絶してるの!?

 『誰かぁ!』って、え? 声出なーい! 何でぇ?




 取り敢えず、脈はあった。色々まさぐった結果、怪我は無さそうだと判断した。

 気絶しているであろうA子さん(仮名)の両手を引き摺って移動する。肩、抜けないよね? この人、結構軽いなぁ。身長も私より低そう。百六十くらいかな? 

 あ! 背負えば良いんだ! お姫様抱っこだと前向きで転けたらA子さん(仮名)潰しちゃうもんね!


『よっ! ほっ!』


 声は出ないけど、ついつい掛け声出しちゃった。何か恥ずかしい。

 A子さん(仮名)を背負ったら、肩と言うか、首に違和感。違和感が、無いのが違和感。何だそれ? ま、いいや。取り敢えず、行き止まりか壁を探そう。風とか感じないからきっとここは室内だ。

 やだ、私って名探偵!

 自分の天才具合にフンスフンスしていたら、ドンっと硬い何かにぶち当たった。壁っぽい! って事はですよ? 壁に沿って歩けばぁ…………?

 てってれーん! ドア発見!


『ヒャッホー!』


 またもや無音の独り言。結構虚しいなぁ。ってか、暗闇ならわかるけど、何で声も出ないんだろ? もしや耳が聞こえて無いとか? 鼓膜破れたとか? 痛くないけど。

 いや、ほんと、私どうなってるんだろ?




******




 ルイスが召喚の間に入って二日が経った。

 か弱くはあるが、まだルイスの魔力を召喚の間から感じる。きっとまだ大丈夫なのだろう。私が代われたらどんなに良かったか。

 召喚陣は一人の魔力しか受け付けない。しかも魔力供給を途中で止めると召喚失敗に陥り、百年の休眠期間に入ってしまう。百年間、何が起ころうとも召喚陣が使えなくなるのだ。これは私と陛下、王妃殿下、王太子殿下しか知らない事だ。ルイスはただ失敗するとだけしか知らない。それでいいのだ。これ以上あの子に重荷を背負わせたくない。




 ルイスは幼児の頃から他を圧倒するほどの魔力量だった。魔力の多さから魔力暴走を幾度となく起こしていた。これは魔力の多い者の宿命とも言える。

 普通なら教会に報告し、師が付きっきりで指導していくのだが、前王は教会との折り合いが悪く、ルイスの魔力量を計測も報告もせず、ルイスの指導も誰にもさせなかった。

 当時枢機卿だった私は、たまたま王城の庭園を散策していた時に、庭園の隅で丸まる小動物らしきものを見付けた。犬か猫だと思い近付くと、ガリガリに痩せこけたルイスだった。

 ルイスはその時四歳だったのだが、良くて二歳児にしか見えなかった。

 辺りには侍女も護衛もおらず、悩んだ末に聖堂まで連れて帰った。

 長期的に食事を与えられていないような雰囲気だったので、固形物は辛かろうと野菜スープを与えると、予想外にぺろりと平らげたのでホッとしたのを覚えている。

 その後、当時の教皇と前王が幾度となく話し合い、ルイスは教会で育てる事となった。

 当時の教皇曰く、前王は魔力がほぼ無かった。なのに息子は多分この国随一の魔力量になる。だから…………妬んでいたのだろう、と。




 ルイスは良くご飯を食べる子だった。

 幼少期の栄養不足のせいか、体の成長は著しくは無かったが、心も体も健康に育ってくれた。

 …………こんな事の為に健康になった訳では無かったろうに。


「教皇、私共が控えていますので。教皇は休まれて下さい」

「心配を掛けてすまぬな。だが、私の可愛い息子が中で頑張っているのだよ。ここで見守らせてくれ」

「教皇……せめて、座られてお待ち下さい」


 この場を知っている枢機卿達がイスを用意してくれた。ここはありがたく座らせてもらおう。

 座って一息吐いた瞬間、ルイスと何者かの魔力が混ざった波動が膨れ上がり、勢い良く体を駆け抜けた。


「――――ぐぁぁぁぁぁぁ!」

「!? 何だ今の声は!?」

「ルイス! ルイス! 無事なのか!? ルイス、返事をしてくれ!」


 召喚の間に続くドアを力の限り叩くが、全てを拒むように頑として開かない。魔力の障壁のような物がドアを守っているようだ。

 中で何かが動く気配はする。ルイスなのか? 聖女なのか? なぜ返事をしないんだ? ルイス、失敗しててもいい、どうか生きてておくれ。私の可愛い息子よ……どうか…………。




 私達を拒むかのように頑として開かなかったはずのドアが、カチャリと軽い音を立て、いとも簡単に内側から開いた。

 先ず見えたのは、細い腕。肌は薄めの小麦色。次に気付いたのは不思議な色形の履物。そこから伸びる靭やかに美しい…………生足!?

 そして、ピッタリと体に貼り付いた下着のようなものを身に着けた女性らしき人物。

 そして、それに背負われたルイス。


「……ルイス? ルイス、生きているのかい?」


 そっとルイスの頬を撫でると、規則正しい寝息を立てていた。顔色は良い。魔力は尽きかけているが、生命に異常は無さそうだ。疲労と魔力の枯渇からの昏睡だろう。


「……きょ、教皇! 近付いてはなりません!」

「これは…………失敗なのでしょうか? …………悪魔?」

「いや、この者の魔力の波動は美しい、白く輝いている。真珠をすり潰した粉のような温かな美しさだ。聖女で間違い無いだろう」

「で、ですが……」

「教皇っ! くっ…………首から上が無いんですがぁぁぁぁ!?」



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