第26話 ティリアナ・アポリツィオーネ

 目が覚める。

どこか見覚えのある天井が、目の前に広がっている。

…この景色は、メルフィリアと共によく見上げた景色だ。

つまり、私達の拠点。

ずっと空けていた筈なのに、室内は私達がいた時よりもずっと片付いていた。

ここに入れるのは当時の創作魔法研究会の会員のみ。

だとすると、恐らくはフゥミリアが掃除をしてくれていたのだろう。

他に掃除が出来る人間を思いつかない。


「お、目が覚めたのか。よかった。」


ブラウムが覗き込んでくる。

何故だか大地は揺れていない。

グラメペペスはどうしたのだろうか。

というかそもそもここは……。


「はぁ、はぁ、街の人達が皆、虹色ハーピーが空を飛んでいくの!見たって!イリスがグラメペペスを……って、ララ!?お、おはよう…あぁ、次から次へと何が何だか……。」


扉を吹き飛ばすかのように部屋に飛び込んできたエインティアが視界に入ってきて、夢心地が急激に冷めていく。

平均的な庶民の服を纏っていて、金色に輝く綺麗なストレートの髪は、走り回ったからか、汗と風でグチャグチャになっている。

夢の中とは全く違うその姿は、ここが現実であるという実感を湧き上がらせる。


「エインティアさ……エイン、おはよう。」

「お、おはよう、ララ……大丈夫?」


上体を起こした私を覗き込むように、エインティアは屈んで、心配してくれる。

気付いた時には、その頭を思い切り抱きしめていた。


「ふぐっ…ちょっと!?」


もがくエインティアを押さえつけ、その頭をワシャワシャと撫でる。


「何なのよ!もう!」


怒ったエインティアの顔を改めてよく見ると、涙の跡がくっきりと残っていた。


「少し良い夢を見てね。…心配かけてごめん。」


ブラウムによると、私をここに運び込んだ後イリスがいなくなっていたらしく、少し前まで泣きじゃくっていたようだ。

エインティアは顔を真っ赤にして否定したが、顔に証拠が残っていた。


開きっぱなしのドアから、クゥペッタが入ってくる。

手には水でふやかして食べやすくしたレーションが入った、器の乗ったトレイが握られていた。


「ありがとう。」


 私もメルフィリアも魔法研究にのめり込むとその他一切の事を忘れてしまう為、心配したフゥミリアが大量に送り付けてきたものだ。

二人ともこれの味が大嫌いで、食べる度に、次は絶対食べなくて済むように、ヘトヘトになる前に料理を作るか、研究を切り上げて外食に行こうと、毎度誓い合ったものだ。

 何度も何度も繰り返した日常を思い出しながら、スプーンで切って口に運ぶ。

相変わらず、クソ不味い。

繊維質な食感の癖に、薄い牛乳のような味だ。


 口に運びながら、エインティアが部屋に入ってきた時の言葉を思い出す。


「イリスは…グラメペペスは…?」


エインティアの話を聞く限り、イリスがグラメペペスを食い止めてくれているようだ。

あれだけ嫌がっていた、本当の姿を晒してまで。


「私は、救われてばっかりだ。」


ローゲン様に命を救われて。

エインティアの笑顔に救われて。

そして今、イリスに救われて。

それだけではない。

ブラウムに、ラセッタに、フゥミリアに、セリアに…。

これまでこの街で出会った多くの人達に助けられて、今私はここにいる。

だから、だからこそ、今度は私が、この街を、皆を、助ける番だ。


 ベッドから降りて、立ち上がり、全身を魔力で触診する。

大丈夫、コンディションは良好。

媒介具の杖を指輪から取り出す。

と、同時に、大地が再び大きく揺れ始める。


「イリスっ!?」


エインティアが悲鳴と共に部屋を飛び出した。

クゥペッタも後に続く。

その後ろを追いかけようとして、足が竦んだ。


(大丈夫。大丈夫。大丈夫。)


「…ふぅ。」


大きく深呼吸する。


「無理すんなよ。」

「無理をしてでも、守りたいんだよ。」


酒瓶を片手に持ったブラウムの警告を、有り難く受け流す。


「そういえば、あんたはこんなところで油を売っていていいの?仮にも今は第一師団の隊長なんでしょ?」

「副団長が優秀なもんでね。」

「あっそ。」


 まぁ、ブラウムは元々人の上に立つタイプではないし、勉強も出来ないタイプだ。

この地位も戦闘能力を買われてのことだろう。

ブラウムは今では内外共に、王国最強との呼び声が高かった。


 部屋を出ようとすると、今度はラセッタが転がり込んでくる。


「そろそろここもヤバいかんね!皆、避難の準備を…って。」

「ラセッタ、丁度いいところに。」


私が起きていることに驚いたのか、準備万端なことに驚いたのか、ラセッタは一瞬ピタリと止まった後、心配そうに眉間に皺を寄せた。


「膨大な魔力を使って、凄い威力の魔法を放つから、街の魔導具系統の魔力は出来る限り切っておいてくれると助かる。故障させたくないからね。」

「…わかったんよ。」


ラセッタは指輪から魔導具のタブレットを取り出し、アトラセルの各地に指示を飛ばす。


「フゥミリアの指示で、仮設砦を築いたんよ。結局、王都の民が全員避難出来たところで、住める場所も行き宛ても無ければ、どうしようも無いかんね。」


 そうだ、王国の主要機関が集まった王都が潰れたら、王国は滅亡だ。

帝国、共和国に亡命するにも限度がある。

結果として、大勢の人が死ぬ。

フゥミリアとしては、それは絶対に許せないだろう。

フゥミリアは誰よりも優しいから。


「さて、行こうか。」


媒介具の杖で床を叩き、気合を入れる。


「お、踏ん切りがついたか?」


ブラウムが馬鹿なことを言う。


「いや、これからつけに行くんだよ。」


私なりのけじめを。

私なりの感謝を乗せて。






 簡易的な仮設砦の上には、数十人の魔法使い達が、媒介具を構え、迎撃の準備をしていた。

エインティア、クゥペッタもいる。

その中に、見覚えのある赤い髪の魔法使いが立っていた。

……震えて今にも倒れそうになりながら、媒介具の杖で身体を支えて。


「無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理……。」

「大丈夫?ミィ。」

「ひぎゃっ!?……って、ティリアナ!?」


私を見てひとしきり驚いた後、明らかに目を輝かせ始める。


「せ、折角だし、あ、あんたに、この砦の中央であるこの場所を譲ってあげても良いわよ?」


 膝をガクガクと震えさせながら、アトンミィはそれでも強がっている。

無理もなかった。

既存のどんな魔法でも、グラメペペスに傷を与えることは難しい。

生物としての、格が違い過ぎる。

ここに残るということは、ここで死ぬということに等しい。


「なんで逃げなかったの?」

「イリスちゃんが頑張ってるのに、流石に私だけ逃げられないでしょう!?」


アトンミィは涙ながらに訴える。

なんだ、充分に立派な動機ではないか。


「良い仕事をしてくれたよ、ミィ。ありがとう。」


虹色の輝きが、こちらへ向かって飛んできている。

どうやらイリスも無事だったようだ。

ホッとする。

恐らく、イリスに補助魔法をかけたのはアトンミィだろう。

あれはそこらの魔法使いが扱える魔法では無い。


「さて、と。」


折角イリスが稼いでくれた時間を無駄にする訳にはいかない。

一つ、髪留めを外す。

ショートカットに見えた髪は、本来の、腰を覆う程の長さに。

もう一つ、外す。

銀色に輝いていた髪は、見る見るうちに艶やかな漆黒に。


「ティリアナ・アポリツィオーネが命ず!総員、防壁魔法の準備を!」


 突如として現れた私の存在に、怯えた空気は戸惑いへと変わり、そして、徐々に熱気を帯びていく。

気が付けば、絶望が希望に変わっている程に。


「最強の魔法使いが来たからには、安心して、呪文を唱えな!」


自称するのもなんだが、この言葉は自分に向けたものでもある。

二度と、失敗はしない。


「魔力解放、展開、そして集え。」


大気中の魔素が集まってくる。

目は、真っ直ぐ前を見据えて。


神罰を驕る慈悲深き閃光 天則に則って理を歪めし叫喚

許しを請わぬ蛮人の嘆き 命を慈しむ虹の煌めき

映りしは大地の母の涙  聞こえしは天空の父の鼓動

消えし虚無の旅人よ   消した虚空の悲しみよ

通り通し通い      得てして何も得ず


一文詠唱をするごとに、周囲に魔法陣が二つずつ現れていく。


夕闇を統べる悲しき悪魔 真昼を這い啜る懇篤たる僕

鮮やかに彩る愚者の平穏 曇り沈みゆく聖者の式典

足りぬ絨毯の縫い跡   尽きぬ雑多な干渉

響く夢幻の歌声     浸みる幽玄の狭霧

上へ上り上げて     下ろし下り下せ


 砦まで残り15mといったところで、イリスが突如としてふらついた。

補助魔法が解けかけているようだ。


「風よ巻き上がれ!」


エインティアが慌てて風でイリスの飛行を援助する。

イリスは一生懸命翼をバタつかせて高度をキープする。

突如、突風が巻き起こり、イリスの身体をふわりと浮かせ、砦まで運んだ。


「クゥペッタ!」


イリスは無事に砦へと着地した。

クゥペッタの風魔法だ。

そういえば、エルフは風の魔力を持った種族だったね。


(全く、ヒヤヒヤさせるなぁ。)


呆れと安堵で思わず笑みが零れる。

さぁ、詠唱を続けよう。


朝旦を告げる緑の禽鳥  暮夜を告げる妖精の一矢

佇むは道標       誘うは鳥おどし

爽やかな青葉の香り   不貞腐れた大樹の気息

暴れ狂う泡沫      蕩けた水晶

満ちて満たし      飢えに飢えろ


 イリスは、グラメペペスについて語り始める。

朦朧とした意識で、死に場所を求めるカメの話を。


揺れる蝋燭の悪意    触れる心の怨讐

燻し煙る悦楽      許し詫びる憂愁

歌い踊る咎人      酔い潰れる旅人

有に障る杖は起きて   無に開く盾は眠る

重ね重なり       連れて連なれ


(成る程ね。それで、あの時。)


嫌な記憶が走馬灯のように駆け巡る。

心の乱れは、魔力の乱れ。


「!」


魔力に身体が引っぱられ……!?


「大丈夫?しっかりしてよ!」

「落ち着いて下さい!」


崩れた身体は、金色の髪の少女と、虹色の翼を持った少女に支えられる。


「ごめん…。」

「違うでしょう。」

「そんな言葉は相応しくないです!」

「!」


 グラメペペスの速度が急速に上がっていく。

けれど、不思議と心は落ち着いていた。


消えた金色の灯     彷徨う魔女の抜け殻

命断つ断崖       染み付いた罪咎

清濁併せ吞む純然    屈託なき光の微笑み

勇敢なる七色の翼    紡ぎ重なる魔導の調べ

譲り譲られ       託され託して


百の魔法陣が周囲に散らばり、轟音と共に今にも炸裂しそうな音を立てている。

杖をグラメペペスへと向け、それらを一点に集め、重ねる。

そして、


「ありがとう。」


解き放つ。

おびただしい数の光が捻じれ絡み合い、それでも真っ直ぐに、大陸を貫く。

光線はグラメペペスの頭を消し飛ばし、かつて大地だった甲羅の中央で、大爆発を起こした。


「皆様、防壁を!」


フゥミリアの声がどこからか聞こえた気がして、アトンミィが私達の前に立って防壁魔法を展開する。


 閃光と轟音により、何が何だか分からなくなって、それでも、隣で支えてくれた大切な二人のぬくもりだけは、確かに感じていた。

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