第11話 ハーピーさんと大逃亡劇

 エインティアはララと別れ、自室へと向かう。

何気なく扉を開け、それを見た時、彼女の身体は硬直した。

あったのは男性の体。

そこにある筈の、いる筈のない人物。


「待っていたよ、エインティア。」


オーリストル家の長男にして跡継ぎ。

ベルグレイ・オーリストルがそこにはいた。


「か、勝手に部屋に入らないで貰えますか?家族とはいえ、女性の部屋ですわよ。ベルグ兄様。」


エインティアは今にも飛び出してきそうな心臓の鼓動を必死に抑え、扉を閉めながらも、牽制する。


「そりゃあ僕だって、何もなければこんなことはしないさ。仮にもこの家の跡継ぎだ。礼式くらいは弁えているよ。」


ベルグレイは眼鏡の金具を弄りながら笑う。

だが、その笑顔はエインティアが知っているそれとは違った。


「何もなければ、ね。髪を切って、態々庶民の格好をして、君達は何を企んでいるんだい?」


そういうと、彼は胸ポケットからペンを取り出した。

 勿論、ただのペンではない。媒介具だ。

媒介具は魔導具とは違い、それそのものには何の魔法も魔力も込められてはいない。

役割を簡潔に表すのであれば、魔力制御装置というのが正しいであろう。

 通常、どんな優秀な魔法使いであれ、1%単位で魔法の魔力量を調節するのは不可能である。

また、人間の身体は大量の魔力を一度に放出しようとすると、身体への負荷を心配した脳によって勝手にリミッターがかかり、一定以上の魔力を放出することは出来なくなっている。

 媒介具というのは、それらを可能にする道具である。

勿論、リミッターを取っ払ってしまう媒介具の扱いは難しく、魔法を使い慣れていない者が使うとなれば命の危険が伴う。

 故に、媒介具とは一人前の魔法使いとしての証明書のような物でもあった。




 ベルグレイは媒介具のペンで空気にスラスラと呪文を書く。

そして、


「拘束せよ。」


彼がそう呟くと、空気に書かれた呪文はたちまち光のロープへと姿を変え、エインティアに巻き付いた。


「ぐっ。」

「重ねて、拘束せよ。」


再び空気に書かれた呪文が光となり、エインティアの脚を拘束した。


「さぁ、何をしていたか言え!」

「何のことでしょう。」

「エインティア。今回ばかりはおいたが過ぎるぞ。」


ベルグレイの怒号が飛ぶ。


(ここで攻撃してしまったら、後には戻れない……けれど!)


エインティアは、覚悟を決めて、叫ぶ。


「暴れ我が元に舞い戻れ!」


彼女の声に応じてクローゼットが勢いよく開かれ、中に仕舞われていた彼女の杖状の媒介具が、暴れて空気を引き裂きながら姿を現した。



ゴッ



 杖の先端がベルグレイのこめかみを殴打し、エインティアの手元へと戻る。

 媒介具は作られてから初めて魔力を注いだ人間が持ち主となる。

もし他の人がその媒介具を使うとするならば、持ち主が『魔力抜き』を行い、新たにその人が持ち主とならなければならない。


「がっ…エインティア…お前、いつの間に媒介具を…。」


床に倒れ伏すベルグレイを見下しながら、エインティアは詠唱する。


「灼熱よ、焼け焦がせ。」


光のロープはジュッと音を立てて溶けて消える。


「お兄様、今までありがとうございました。」


別れの挨拶と共に、杖をベルグレイの頭へと当てる。


「揺れろ。」


脳を揺さぶられたベルグレイは、そのまま意識を失った。


(もう、戻れない。クローゼットの中のお気に入りの服も、大好きだった人形も、全部、私の物じゃなくなるんだ……。)


エインティアは思い出と共に、迷いを部屋に閉じ込めて、廊下へと出る。

新たな人生へと踏み出す為に。


(何もしないままで、後悔だけの人生は、嫌だから。)






 「あの、ローゲン様。この状況は。」

ララの周りを、4人のメイドと1人の執事が囲んでいる。

ララは観察する。


(全員媒介具を持っていますね…。)


長男、ベルグレイの元お付き、右目に眼帯を着けているメイドのクロッセ。

元二女のお付きにして現六女のお付き、拷問好きの武闘派メイド、アリア。

気弱に見えて実は交渉事が得意な、とてつもない魔力を持つ二男のお付きメイド、ナブラ。

四女のお付きメイドで、絶対に砕けないと噂の盾魔法の使い手、フート。

そしてなによりも厄介なのが、裏切り者は地の果てまで追いかけて殺す、給仕長の初老の男性、クロムだった。


(あ~、これ、完全にバレてますね。)


そもそも、メイド服を着ていない時点でララは怪しすぎた。






 「こうなることは、予見出来ていた。」


沈黙を破り、鋭い眼光をしたローゲンの口から出たのは、意外な言葉だった。


「虹色ハーピーに選ばれるのは、私でも国王様でもなく、お前だということは。」


その表情は、少しの悔しさと、大きな怒りを帯びていた。


「私が気に入らないのは、お前がエインティアを利用し、自分の背を押してもらおうとしていることだ。」


ローゲンの言葉にララは俯いた。


「余計な事ばかり教えて、それはまだ許せたが、エインティアに道を誤らせようというのであれば、話は違う。」


ローゲンの眼光は更に鋭さを増してゆく。


「エインティアは私の娘だ。アイツでは無い。」


ララは顔を曇らせた。


「エインティアは置いて行け。それが出来ないのであれば、私は容赦しない。」


それは、ローゲンからの宣戦布告だった。


(お嬢様を危険な目に合わせるわけには…。)


「承知いたし……。」

「勝手にわからないでくれるかしら?」

「!?」


そこには、エインティアが立っていた。


「私が置いて行かれる?首謀者は私なんだけど。」

「ローゲン様になんて言葉遣いを!」


 激昂し、飛び掛かろうとするクロッセに対して、エインティアは杖を向ける。


「エイン!貴女、媒介具を!」

「ララ、いい加減私を子ども扱いするのはやめてちょうだい。そしてお父様。私は例え一人だろうと、この家から出ていきますわ。」

「ベルグレイはどうした!」

「少し私の部屋で眠って貰っています。加減したので後遺症は残らないでしょう。」

「お坊ちゃま!」


クロッセは慌ててエインティアの部屋へと駆け出した。

ローゲンはエインティアを睨み、そして笑った。




「ふはははは!予定と大分違うな、ベルグレイにはまた一から教育し直すか。」


ローゲンは再びララに向き直る。


「提案を変えよう。ララ。お前が過去に向き合い、ララという名を捨てるのであれば、エインティア、虹色ハーピー共々旅に出ることを許可しよう。だが……。」


ローゲンの周囲の空間が半透明へと変化してゆく。

空気中の魔力濃度がどんどん上昇しているのだ。


「今すぐにそれが出来ないのであれば、お前たちも、虹色ハーピーも捕らえる。」


チリチリと空気中の魔素が激しくぶつかり合う音が聞こえる。


「お前に、その覚悟はあるのか?」


ララは迷わずに「はい。」と言う為に口を開いた。

……声が、出なかった。


「っ!」


冷汗が噴き出す。腰から背骨にかけて、ピリピリと電流が走るように痛み、息が吸えなくなる。


ヒューヒュー


必死に空気を取り込む。

ただ、「はい。」と言う為に。

だが、声が出ない。涙が噴き出してくる。


(これだけお膳立てされても尚、私は、過去に向き合えないの……?)


立っているのもままならなくなり、ふらりと倒れ……。


「何やってるのよ。」


肩を貸し、崩れ行く身体を支えてくれたのは、エインティアだった。


「そんなの、旅の途中でゆっくり向き合っていけばいいことじゃないの。どんなことがあったのか知らないけどさ。」


エインティアは優しく笑いかける。


「それは出来ない。エインティア、お前の為にもな。」


ローゲンは椅子から立ち上がる。


「お父様、いや、ローゲン!私達は第三の選択肢を選ぶわ!」


エインティアは叫ぶ。


「エイン、何を!?」

「逃げるわよ!元よりそのつもりだったじゃない!」


父親を呼び捨てにしたエインティアに、もう戻る場所などない。


「いつものように、私を守りなさい。ララ。」


エインティアの笑顔を見て、ララは思う。


(全く…本当に…強引で……っ!)


記憶から蘇ろうとする『彼女』の面影を振り切って、ララは指輪の中から魔導具を取り出す。


(今の私に出来る、全てを!)



ボンッッッ!



「煙玉!?」

「ナブラ!残留魔素は!?」

「煙自体に大量の魔素が混じっていて識別が出来ないです!というか、煙自体が魔法!?」


給仕達が怯んでいる隙を付いて、ララとエインティアは逃げ出した。 






 「クロム、ちょっといいか?」


ローゲンは給仕長のクロムに耳打ちする。


「……了解いたしました。」


クロムは心の中で呟いた。


(本当に、子煩悩で優しいお方だ。……だからこそ、この家に一生仕えようと思える。)


クロムは屋敷を飛び出した。






 ギルドの前に、見慣れた帽子を被った小柄な少女と、サブマスターのアイネスがいた。

アイネスは周囲を警戒し、エインティアとララをギルド内へと招き入れた。


「現在、虹色ハーピーを捜索している給仕の者達は森を重点的に調べています。」


アイネスはイリスの手を引きながら、ギルドの裏口へと案内する。


「あの、セリアは?」


ララの質問にアイネスは苦い顔で答えた。


「流石にセクハラが過ぎていたので気絶させました。」


イリスはというと、心ここにあらずといった様子で虚空を見つめていた。


「こらイリス!目を覚ましなさい!」


エインティアにベシベシと叩かれて、イリスは意識を取り戻す。


「ほぇ?あ、お久しぶりです……?」

「何馬鹿みたいなこと言ってんのよ!今オーリストル家の全勢力が私達を捕まえようとしているの!さっさと逃げるわよ!」

「ふぇ?……えぇっ!??」


イリスはようやく正気を取り戻した。


「その様子を見るに、碌な準備も出来ていないようですね。これ、餞別の固形レーションと水です。美味しいものではありませんが、冒険者になる以上は馴れて頂かないと。」


アイネスは嫌みの混じった笑顔でララにバッグを渡した。


「ありがとうございます。」

「ギルドマスターからの、ですけどね。」


アイネスは裏口のドアを開ける。


「私が案内出来るのはここまでです。ゴミ処理場の裏道から東門の方へと出るのをお勧めしておきます。」


アイネスはペコリと頭を下げて、お辞儀をした。


「あ、ありがとうございます!」


イリスの声に合わせて、三人も頭を下げる。


「ご武運を。」


三人は冒険者ギルドを飛び出した。






 東門の前には、給仕長のクロムが目を光らせていた。


「ここは厳しいですね。」

「けど、森を探索していた人達が、どんどん街に引き返して来ているわ。今更他の門に向かうのも無理よ!」

「わ、私が魅惑魔法で!」

「クロム相手には不可能よ!発動すらさせてもらえずに捕まるわ。」


ゴミ処理場(ゴミ一時保管所)の裏道で、臭いに耐えながらも、イリス達は思案する。


「おや、そこにいたのですか。」


絶望の声が真正面から聞こえる。


「クロム……。」


ララはクロムの目を見据える。


「さて、と。どうしますかな。ララであれば、私は三人共捕まえることが出来ますが。」


クロムは意地の悪い笑みを浮かべる。


「っ!」

「気にしなくていいわ。」


エインティアは辺りを見渡し、耳を澄ます。

背後からも、足音が聞こえ、どんどん近づいてくる。


「………捕まるのと臭いの、どっちがマシかしら?」


エインティアは小声で呟いた。


「エ、エイン…?」


ララはエインの顔を見る。本気だった。

エインティアはイリスの顔を見る。

イリスは顔をしかめながらコクコクと頷いた。


「さあ、行くわよ!」

「な!?」


エインティアの掛け声を合図に、三人はゴミ処理場の生ゴミの中に突っ込んだ。


「風よ、かき分けろ!」

エインティアが魔法の風で無理矢理道を作り、走る。

足に纏わりつく不快感に、鼻を劈く激臭に、顔を歪ませながらも、走る。

ゴミ処理場を抜け、東門まであと一歩のところで、背後に着地する音が聞こえた。


「全く、無茶をなさる。」


やはりというべきか、そこにはクロムが立っていた。


「逃がしませんよ。」



キュン



と音がしたと思えば、エインティアは転ばされていた。


「エイン!」


ララがクロムにナイフを向けようとした次の瞬間、クロムは吹き飛んだ。

イリスのドロップキックで。


「グエッ。」


腹で着地したイリスが情けない声を上げる。


「に、逃げるわよ!」


エインティアは立ち上がり、ララはイリスを抱え上げ、東門を通過する。


「けどこれじゃ、追いつかれる!」


エインティアが後ろを振り向くと、東門の前で、クロムは頭を下げていた。


「え……?」


三人は立ち止まる。


「ローゲン様より下された命令は、三人をオーリストル内で捕まえることでございます。」


クロムはニッコリと笑って答えた。


「それからララへ伝言を。万が一でもあったら許さない、と。」


ララはコクリと頷いた。


「……なら、私からも伝言をお願いできるかしら。」


エインティアは少し俯きながら、それでも大きな声で言う。


「こんな娘でごめんなさい、って。」

「……承知いたしました。」


クロムは少し驚いた表情で、了承した。






 「あははは!臭いしパサパサでまっずい!」


嬉しそうに笑いながらレーションを頬張るエインティアの後姿を見ながら、クロムは再びニッコリと笑うのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る