第3話 未練は断つ、話はそれからだ
自宅の八坂神社へと帰りついた葵は、とりあえずいつものように身支度を整えた。
怨霊を祓う為の巫女装束を身に纏う。
(この町を守る。それが――――約束だから)
八年前、葵のことを気味悪がらず、怨霊も恐れなかった男の子。大滝凌馬とこの町で再会を果たす為。彼とまた笑いあう為に、葵は孤独な戦いを続けてきた。
いや、本当のことを言えば、彼との思い出だけが葵の拠り所だった。
…………………………相手はすっかりさっぱり、葵のことなんか忘れているが!
もうどうしてくれようだ、この展開! こんなに一途に健気に約束通り戦ってきた乙女をだ!! アイツは気付かないどころか、覚えてもいないんだぜ、こんちくしょう!!!!
もちろん彼にも事情はある。けど、記憶を消去する原因となった湯河芽衣の事故だって、お前が原因だろーがぁぁぁぁっ!!
あ、なんか腹立ってきた。
オタ女の知識を総合すると、このゲームの主人公、大滝凌馬って少年はタラシで肝心なところで物事投げ出しちゃうよーなヘタレだものなぁ。従姉妹の陽菜ちゃんには八つ当たりするっていう、最低具合だし。
何より、事故があったことを直視できずに記憶消去、さらに八年間放置って、けっこうな酷さだよね。
(でも――――大切な人なんだ、それぞれにとって)
葵にとって、陽菜子にとって、リンにとって、そして芽衣にとって。八年前の大滝凌馬との思い出は、かけがえのないもので。
だからこそ―――――。
(このままじゃ、いけない)
思い出にすがっていては、大切なことを見失ってしまう。
顔を上げると、葵はいつもとは違い、まずは台所を覗いた。そこには夕食を作っているお祖父ちゃんがいる。
お祖父ちゃんは「おかえり」とは言ってくれない。けれど、いつだってちゃんと葵の為に夕食を用意してくれている。
分かりにくいし、ぶっきらぼうだけど、お祖父ちゃんは葵のことをちゃんと愛してくれているんだよ!
少なくとも、葵を受け入れてくれている人はいるんだって!! 大滝凌馬より、ずっとずっとお祖父ちゃんは大切な人なんだよ!!
だから、ちゃんと言わなきゃ。勇気を出して。
「あの、お祖父ちゃん……………いつも心配かけてごめんなさい。
今日は早く帰ってくるから、一緒に夕御飯…………食べよう?」
「――――今日は湯豆腐だ。一緒に食べるなら、七時までには帰ってこい。冷めちまう」
ほら、ね? お祖父ちゃんは背を向けたままだけど、きっと湯豆腐温めて待っててくれるからさ。
「分かった」
きゅっと拳を握りしめて、葵は頷く。今日の目標は夕方七時までに帰宅だ!
いつも通りの装備をして、葵は神社を走り出る。まずは町の西側の森。そこに怨霊を誘き寄せて祓う。
今日はそれほど大きな怨霊の気配もない。
(今日は、ちゃんとお祖父ちゃんと、ご飯を食べよう………)
一緒に食べていたって無言で苦しいばかり、と思っていたけれど。
そもそも誰かと一緒に食事ができるってこと自体が、幸せなことなんだ。
葵の脳裏に、幼い頃の一人ぼっちな食卓が蘇ってくる。すると、じわぁっと視界が滲んだ。
(思い、出したら、辛くなるだけだから…………って、ずっと)
本当は泣き虫で、怖がりで、ちっとも強くない。それが八坂葵だ。
だからこそ心を殺して、大滝凌馬との優しい思い出だけを希望にしてしまった。
そうしたくなる気落ちも、まぁ、分かるんだけどね。実の親に気味悪がられるって、疎まれるって、辛いよ。
当たり前だよ。愛してほしいもの。親にはいっぱい褒めてほしいし、がっかりされたら悲しい。分かるよ。
でもさ、親も人間でさ、残念ながら子供の理想通りにいかない親もいてさぁ。「アンタなんか産むんじゃなかった」とか、言っちゃう親だっているわけだ。
それでも顔色うかがって、親に迷惑かけないようにー、とかさ、思っちゃったりするんだよ、子供ってさ。実際、そこまで我慢する必要なんか、なかったりすんのにね。
そりゃ、辛いよ、寂しいよ。でもさ、しょうがないじゃない。そういう親だったんだもん。あ、恨んではいないんだけど。でも、後悔はしたんだ。
親に罵られよーと、自分を守ることを優先すべきだったって。良い子になんて、なっていたら駄目なんだ。
てか、死んじゃった私は、親に都合の良い子供だったってだけ。でもけっきょく、それって自滅しちゃうんだよねぇ。
(辛い、なぁ)
胸をえぐられるような痛みに涙が出る。
でも、そこを、乗り越えよう? 愛してくれる人は、他にいるんだよ。
ちゃんと周りを見なくちゃ、ね?
葵はぐいと涙を拭うと、立ち止まって深呼吸した。
怨霊の気配は二つ。
招き寄せる為の陰気をはらんだ符を握って、引き寄せられてくるその気配に集中する。
まずは、一つ! 囮の符に襲いかかってきた悪霊に、シャンッ!! と鈴を打ち鳴らす!
あまり大きくなかったそのモヤは、鈴の音と共に霧散した。が、続けざまに二つ目が襲いかかってくる。
葵は冷静に護符でその突撃を止めると、真正面からシャランッ! と鈴を振った。これで西の二つは完了。
(あとは、北と東)
それぞれに二つずつ。まずは北の方が早いかな?
次に悪霊を誘き寄せるポイントに移動しつつ、気配を探る。本当は悪霊の気配ってゾワゾワして好きじゃない。逃げてやり過ごしてしまいたい。
けれど大滝凌馬との思い出があったから、葵は悪霊に立ち向かうことができた。悪霊が見えてしまう、そんな葵を「格好良い」と褒めてくれた。それだけだったけど。
それがあったから、戦えるようになった。うん、感謝はしよう。
(けど、約束の為に戦うのは、終わりにしなきゃ)
誰かの為に、じゃ、なく。自分に為に、戦う覚悟を持とう。
北の悪霊の気配が近づいてくる。
(未練は――――――ここで断つ)
あの眩しくて優しい思い出と、彼が忘れてしまった約束は。
葵の今までの想いは全部、今日、ここで終わりにする。
襲いかかってくる悪霊に鈴を一振り! シャランッ!! と、音が響くが、ギィィィィ!! という歪な悲鳴を上げながら悪霊が退く。
(祓いきれてない!)
素早く護符を構え、悪霊の動きを止める。そして鈴を打ち鳴らす。大丈夫、今度はちゃんと祓えた。
霧散していく黒い影は実体がないというのに、葵にまとわりつけば身体の自由を奪うし、昨晩のように傷つくことも、最悪死ぬこともある。
(未練…………か)
何も感じないようにして、心が傷つかないよう、押し殺して。そうやって葵は八年間生きてきた。
その生活を変える、今までの自分を根本から否定する。その決意から生じるこの感情は、やっぱり未練なんだろうな。
甘えや弱さなのかもしれない―――――でも、必要な感情だし、だからこそ断ち切る必要がある。
寂しいこと、悲しいこと、苦しいこと。それらだって、自分を形作っている一部。どんな自分でも、まずは直視しなきゃ始まらない。
(あの子は私を恐がらずに受け入れてくれた。褒めてくれた。優しかった。また、一緒に話したり、遊んだり、したかった)
葵の頬に涙が伝った。
(本当は……………お母さん達にだって、恐がられたくなかった。一緒にいたかった。
嫌われたくなかった。こんな、こんな、力なんか、なかったら良かった)
全部、無い物ねだりだと分かってしまうのが、この葵という少女の脆さで。でも、強さでも、あるんだよ。
残酷なほどに現実を知っていて、だからこそ心を殺す。けれどこうして心と向きあえたのなら、ほら、決断ができる。
(悲しい、辛い、寂しい過去は、変えられない。
けど――――今日からは、私は私の幸せの為に、生きよう)
現実を受け入れることができたら、戦えるからね。もちろん、自分が幸せになる為の戦いだよ。
この二つを見失ったままだと、迷走するのよねー。
って、あ、マズイ。東にあった怨霊の気配が近づいてきてる!
(………………思っていたより、早い!)
構える間もなく伸びてくる黒い影に、寸でのところで回避して護符を持つ。
ぐっと護符を握りこめば、影は見えない壁に阻まれてそれ以上は進めない。けれど、葵の方も守りに気を集中しなければ押し切られそう!
(だったら)
怨霊を十分に引き付けたところで、葵は護符を手放す。と、触手のような影が一度に襲いかかってくる!
葵はそれらを掻い潜り、跳躍しながら鈴を一振り! シャンッ! と鳴らす。と、同時にそのまま怨霊へと突っ込んだ。
ぶわっと怨霊が祓われた箇所に下り立つと、シャンシャンシャンッと続けざまに鈴を打ち鳴らし、最後に高く鈴を持ち上げシャランッ!! と力強く鳴らせば、怨霊は悲鳴すら上げずに霧散した。
(終わっ…………た)
とりあえず、周囲に怨霊の気配はない。
立て続けに祓ったせいか、視界に斑点がちらついているし、足に力が入らずに膝ががくがくしてしまう。
(でも、ちゃんと全部、祓えた)
時間を確かめれば、もう七時近く。
『七時までには帰ってこい。冷めちまう』
お祖父ちゃんの言葉を思い出して、何とか足を前に出した。
(待っていて、くれるかな)
今までお祖父ちゃんは、葵の分の夕食を作り置きにしてくれていたけど。
それは今まで、葵が一緒に夕ご飯を食べるという考えがなかったからで。でもよく思い返してみれば、お祖父ちゃんはいつでも葵の帰りを待っていてくれた。
だから、きっと。
よろよろと力を振り絞って、葵は八坂神社を目指す。やっと家にたどり着いた時には、もう七時を過ぎていた。
「…………ただいま」
玄関はいつだって明かりがついていて、しかも台所までの廊下だって明るかった。
玄関に置いてある置時計がカチコチと響いている。
(お祖父ちゃん、もうご飯、食べちゃったかな)
きゅぅぅっと痛む胸に、葵はちょっとだけ後悔しはじめていた。
そうだよね、期待するってことはこういう不安と隣あわせで、裏切られた時の辛さは凄まじいもんね。だったら、初めから期待しない、考えないようにしていた方が傷つかない。
けどさぁ、足音が聞こえてきた、でしょ?
玄関先に現れたのは、仏頂面したお祖父ちゃんだった。
「遅い」
「ごめんなさい」
「…………………湯豆腐、温めにゃならん。早く手を洗ってこい」
「お祖父ちゃんは、もう」
「早くしろ。こっちはもう、ずいぶんと待たされてるんだ」
すたすたと台所に向かうお祖父ちゃんは、葵からは顔が見えなかったけれど。
葵はほっとして返事をした。
「うん。すぐにいく、から」
急いで着いた食卓には、おかほかと湯気が立ち上る湯豆腐とお茶碗に盛り付けられたご飯、そしてお祖父ちゃんが待っていた。
「ありがとう、お祖父ちゃん。――――いただきます」
「いただきます」
両の手をあわせた後は、変わらずの沈黙。
けれど温かな湯豆腐は昆布のダシが効いていて、じんわりと優しい味だった。
「美味しい」
「………………大根も食え。ゴマだれもあるぞ」
「うん」
こんな風な気持ちでお祖父ちゃんとご飯を食べたことなんて葵にはない。
「ありがと、お祖父ちゃん」
「早く食って、風呂に入って寝ろ。――――疲れてんだろう」
それはいつも通りの、ぶっきらぼうでそっけないお祖父ちゃんの言葉だったが。
「うん」
今の葵には、湯豆腐と同じくらい温かで優しい言葉に思えたのだった。
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