第16話 ウェイクアップ・リトル・マナ◆◇-1

◆◆◆◆◆◆◆◆


 俺は、獣の咆哮を聞き、即座に叫んだ。


「走れ!俺が引き付ける!」


「うん……!」


 二手に分かれて走り出す、俺の方が当然早い。


「◾︎◾︎◾︎◾︎──!」


 獣は、先に前へ出た俺へ目掛けて、突進し始めた。


 ほんの一瞬、背後を見る。


 遅れたマナ様が、息を切らして走っているのが見えた。


 信じるしかない、彼女が無事に潜り抜ける事を。


 これは──"彼女が"生き残る為のたった一つの冴えたやり方なのだから。


「さぁ来いデカブツ!こっちだぁぁ!!」


 襲いくる機海獣の巨体は、俺が防ぐにはあまりに大きく速い。


 分かっている、生身で機海獣をどうにか出来るわけが無い。


 見栄を張ったところで、まるで及ばない。


 倒せるわけがない、立ち向かうなんて、愚か者のする事だ。


 腰から抜いた剣一本など、あっという間にへし折られて終わりだろう。


 分かりきったことだ、


 これは俺の半端な正義感の終着点。


 彼女の父を見殺しにして、帝国への忠誠を裏切った俺への罰。


 帝国の恩恵を受けて生き、騎士となった筈だった俺の。


 誰かが俺達を殺す為に、アレを解き放ったんだろう。


 あの庭園から出た、たったそれだけで自由になれるわけもない。


 マナ様を縛り続けた陛下の呪縛は、今、目前の脅威として形を成したのだ。


 これが現実。


 逆立ちしたってどうにもならない残酷な事実。


 だとしても、そうだとしても。


「引くわけにはいかないだろうがぁ!!男ならぁぁぁ!!」


「◾︎◾︎◾︎◾︎──ッ!!」


 振り上げる剣、視界の端でマナ様が通り抜けていくのが見えた。


 奇跡でも起きなければ、二人とも無事では済まないだろう。


 だがそれはありえない。


 魔術はこの世界からとっくの昔に消えてしまったのだから。


 ありもしないことを、俺は願っていた。



◇◇◇◇◇◇◇◇



 何か鈍い音が響いた。


「──っ!!」


「振り…向くな!走れ……!走ってくれぇぇ!」


 そのオードの声は必死に絞り出したような掠れ声だった。


 動悸は激しい、息が苦しい。初めて踏む橋の上は冷たくて硬い。


 急に動かした足は、慣れない運動で悲鳴を上げている。


 ほんの少ししか走っていないのに、この短い時間がまるで永遠のように感じる。


 振り返れば、きっともうここを渡り切る事は出来ない、私は行かなきゃならない。


 彼の声に私は振り返っちゃいけないんだ。


 外に踏み出す為には、彼を置いて──。


 置いて……?私が?


 そんなこと、私には。


「──オードぉぉぉ!!」


 私は置いていけない!


 脇目も振らず、私は怪物へ向かって走り出す。


 置いて行かれた私が、誰かを置いていくことなんて出来ない!


 もし、誰かが私のことを白痴だと言うのなら、馬鹿だと言うのなら。


 全く否定できない、否定しない。


 彼が開いた血路を無駄にするなんて正気じゃない。そんなこと分かってる。


 私が引き返して何になると言う。


 ──何も出来ない私が。


 ──石ころに過ぎない私が。


 でも、もしも、私に出来る事が何かあるのなら。


 私の"役目"が偽物じゃなかったのなら!


『るぅなふ!いぶるぐんとむ!ぶくとらぐる!』


 唱えたのは、ただのおまじない…でしかない。


 願掛けに言うだけの、誰にも理解されなかった私達の言葉。


 遠く海を回遊する孤独な鯨と同じ、私だけの言語。


 魔術、魔法なんて、今や迷信で影も形も無い、誰一人として信じていない。


 誰も信じなくても、私はそれを信じよう。


 どっちも、私にとって本当なのだから。


「《──夢よ!私の願いに応えよ!》」


 たった一度だけでもいい。


 私に夢を──!

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