第5話 デイ・ドリーム・ビリーバー◆-2

 帝国民にとっては有名な話だった。


 彼女の母親である第一王妃は、随分と前に失踪している。


 それも、ある日突然発狂して。


 意味不明な言葉を言うようになり、精神薄弱なのではないかと疑われてはいた。


 彼女が居なくなる前、しきりに繰り返し口にしていた言葉が、


 "海に行かなければ"


 という言葉だったという。


「私…海…会う…お母様」


「聖女様、王妃様が海に行ったのは、とても前なんだ」


 十年以上前の話だ、無事なら何かしら情報があるはず、それが無いと言うことは。


「分かう…私、見うない…わかうない」


 虚な目をしていたが、確かな意志を感じる言葉だった。


 その言葉を聞いて、ようやく俺の中の違和感がどういうものなのか、理解できた。


 聖女様は……白痴でも精神薄弱でもないのだと。


◆◆◆◆◆◆◆◆



「聖女様」


「おぉど?何…?」


 聖女様は首を傾げた。


「この部屋のお香はいつからある?」


「たくさん、前…あう…頭…はっきりない……ない…頭痛い…吐く」


 この香りはかつて、よく嗅いだことがあるものだ。


 まさか宮殿にはないだろう、という先入観で、すぐには気が付かなかった。


 漂う煙は酩酊作用のある物、庭園に植えられた植物もよく見ると一部は原料になる物。


 そして、中毒者がどうなるのかも俺はよく知っていた。


 やる気がなくなり、外へ出ず、そして会話は出来ても、まともな返答が出来なくなる。


 さらに常用者には中毒症状が起こる。


 まさしく聖女が語ったように。


「聖女様、この香りはあまり吸わない方がいい、頭が痛くなっても我慢するんだ」


「私…病気…お父様…作う…すう…ない…頭、痛い」


 ……あまり強引に言ってはダメか……まさか父親の所為だとは言えないしな。


 唯一の肉親の所為で苦しめられているなんてことを、どうして説明できるだろう。


 言い方に気を付けなければ、その含意を彼女が察してしまうかもしれない。


「薬は、多過ぎると身体に悪い。少しずつ、量を減らそう」


「食べう、物…匂い同じ…どおする?」


 食事に混ぜて常に摂取させているのか……


「俺が食料を持ってくる。運ばれてくるのは俺がどうにかする。あとは俺がいる間は、あのお香を消すんだ」


 他に方法は無い、料理人が知らない筈も無い。


 我ながら下らない正義感だとは思う、これで彼女を救える訳では無い。


 陛下が彼女を閉じ込めているのは間違い無いし、彼女が多少正気を手にした所でここにいる限りは吸わされ続けるのだから。


『やふぁいおぐ』


 よく分からない事を呟いて微笑むマナ。


 全く聞いた覚えが無い響きだった。


 ──この国で使われる言語は殆ど把握している筈なのに。


「……今なんて言ったんだ?」


「私達…言葉…ありがとう」


 私達?……両親は共に、この国の人間の筈だ。


 それに……陛下は一体何を考えてこんな事を?



◆◆◆◆◆◆◆◆



 この時の俺は、気が付かなかった。


 自分の生半可な正義感で踏み入れてしまったのが一体何だったのか。


 それが、人生で二つ目の過ちだった。

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