第4話 デイ・ドリーム・ビリーバー◆-1

 宮殿の回廊には俺の足音だけが響いていた。


「……何故、命令を無視した?」


 陛下の静かな声が、今も耳に残っている。


 俺の人生最大の過ちは、二つある。


「人命を優先した結果です」


「……私の命令よりも、か」


 陛下の声は静かなものだった。


「どのような処分も受け入れます」


「ならば新たな命を下そう、それは──」


 その一つ目は"聖女"の騎士として任命されたことだった。


 字面はいいが実際は降格、もしくは左遷だ。


 誰も"白痴の姫"の騎士になど、なりたくはない。


 なった者は誰一人として、生きて宮殿を出ていない、無能を消すための口実とも言われている。


 実際に聖女を見た者は王族以外、殆どいない。


 見た者がいなければ、物事は迷信に、そして幻想になる。


 かつて存在した魔術が今や迷信と言われているように。


 "狂った皇帝"が作り出した幻想なのではないか、そういう意味も込めて"白痴の姫"なのだ。


 ただ、左遷されて尚、俺には陛下が狂っているとは思えなかった……それだけの恩義がある。


 一介の剣士に過ぎなかった俺が、ここまで生きてこられたのは、他ならぬ陛下のお陰だ。


「ここか」


 宮殿の外れ、大きな扉の前に辿り着く。


 俺は人として間違った選択をしたつもりはなかった。


 結果的に助けようとした命は救えず、立場も失った。


 それだけのことが最大の過ちになるとは、思いもしなかった。



◆◆◆◆◆◆◆◆



 独特な甘い香りと煙が漂う、白い壁と天井のステンドグラスに閉ざされた、室内庭園。


 その香りは何処かで嗅いだような匂いだったが、すぐには思い出せなかった。


「あ、ぁた…騎士?…つ、が…次…?」


 帝国の権力の象徴──"聖女"は俺を見るなり、そう言った。


 彼女は長い銀の髪を垂らし、光のない真っ青な瞳をこちらに向ける。


 彼女の姿形だけならば、帝国でも随一の美人に見える。


 精巧に作られた人形なのでは無いかと一瞬疑う程に。


 だが、舌足らずな発音で片言に喋り、生気に欠けたその姿は、"白痴"と噂されるに相応しいものだった。


「聖女様、なんなりとお申し付け下さい」


 正面で跪く。彼女の実在に驚きはしなかった。


 彼女は帝国権力の象徴、押しつけられた役割とは言え、俺には逆らう事の出来ない相手だ。


 いくらここが"左遷先"とは言え、全うする他ない、それが陛下の意思なのだから。


「……帰う…いぃ」


 か細い声で呟くように聞く聖女。


「そう言うわけには」


「…ぁ、何で?」


「陛下の勅命なのです、第一王女に騎士も──」


「お父ぉ……様?」


 近づいた聖女が俺の目を覗き込んできた。


「うぉっ」


 思わずひっくり返りそうになり、素っ頓狂な声が出てしまう。


「驚く?」


 間近で見た彼女の瞳は本当に真っ青だった。それこそ、深い海の底のような。


「も、申し訳ございません、ご無礼をお許し下さい」


「…ぃとみ…瞳…赤」


「え……?」


「髪…黒…珍しい」


 不思議そうに俺の髪を触る聖女。そんなに珍しい物でもないと思うが……。


「は、はぁ……」


「……ぁえ…な、まえ」


「オード、と申します」


「おぉど…覚えう、すう…私…まな」


 聖女は自分を指差して屈託なく笑った。


 まるで子供のように。


「存じております」


「ぁたい」


「申し訳ございません、どのような意味でしょうか?」


「…ぁたい?……違う?」


 同じ言葉を繰り返す。彼女なりの意思表示なのだろうか?


「…かたい…分かう、ない?」


「何が硬いのでしょうか?」

 

「……こと、ば?…言葉」


 首を傾げる聖女、いや、そこで傾げられても困るんだが……硬いと言われてもな。


「私の身分では、このように申す以外に御座いませんので……」


「難しい…言う…分かう…ない」


 そう言って額を指で押さえる聖女。


 ……そもそも何を言ってるのか理解できていなかったのか……?


 "赤子の世話をするつもりで行け"と言われたが……こういう事か……どうせ俺以外ここに来る人間もいない……別にいいか。


「……わかった、簡単に話すよ」


「それ…皆…難しい…言う」


「それだと、俺たちは怒られるんだ」


「誰…怒う?」


「偉い人達が」


「お父様…言葉…同じ」


「陛下は一番偉い。いいんだよ、陛下を怒る人はいないだろ?」


「違う」


 ……どう言う事だ?子供ならこれで納得しそうなものだが……


「何が違うんだ?」


「私…許す…えぁ…えらい人」


 微笑む聖女。


「あぁ、そうか」


 なるほど、自分が帝国の権力そのものだと言う事は、ある程度理解しているんだな。


 陛下が教えたのか……何か違和感を感じるが……


「はじめて」


「初めて?こう話す騎士はいなかったのか?」


「おぉど…かしこい…分かう」


「下町には、言葉が苦手な奴もいる、帝国の言葉が分からない奴もいる」


「外?私…出う、出来う、ない…知う、ない」


「出れない?外に出たがらないって──」


「嘘…私…出う…海…行く」


 嘘……?

 じゃあ、一体何故そう言われてるんだ……?


「海?なんでだ?」


「お母様…海…行く、昔」


「っ」


 その一言に、俺は返す言葉を失ってしまった。


 彼女の母親は、随分と前に失踪していたからだ。

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