君の住む街へ

尾八原ジュージ

七月七日

 トキちゃんに告白して「わたし、一年に一度くらいしか会えないけどそれでもいい?」と聞かれたとき、何の迷いもなく「いいよ」と答えたぼくは、たぶん恋と自分に酔っていた。だけどそう答えておいたのは紛れもなく正解だったのだ。

 ぼくの告白を受け入れてくれたトキちゃんは、その日のうちにロケットに乗って、彼女の暮らす星に帰っていった。それからぼくは、一年中トキちゃんのことを考えて過ごすようになった。

 通勤電車に揺られながら、上司に取り掛かっている案件の進捗を報告しながら、給湯室で世間話をしながら、頭の片隅にはいつもいつもトキちゃんがいる。色白の、子供みたいなほっぺたのラインをして、えくぼのある顔で微笑んでいる。

 トキちゃんがいる星に行くためには、ぼくはおよそ丸一年一所懸命に働いて、交通費を稼がないといけなかった。本当はトキちゃんの住む街で一緒に暮らしたいけれど、こっちにはぼくの両親も兄弟も友人も就職先もあるし、惑星間の移住許可なんてそうそう出るものではないしで、なかなかそういうわけにはいかない。

 交通費だけでなく通信費も高額になるため、ぼくたちには連絡手段がない。そこでぼくたちは、毎年七夕の日に会おうと予め決めていた。

 七月七日の夕方五時に彼女の住む街に着くよう、ぼくはあらゆる予定を調整して有給をとる。ロケットの切符をとって、長い長い旅路をどこまでもどこまでも彼女の下へと飛んでいく。やがて空の色が桃色になり、窓の外にはいくつもの時計塔が建ち並ぶ街が見えてくる。トキちゃんの住む街だ。

 発着基地に到着してロケットから降りると、到着ゲートの向こうにトキちゃんが立っているのが見える。少し不安そうな顔をして、ゲートから次々に出てくる乗客の顔をキョロキョロと眺めている。ぼくを見つけると彼女はとてもうれしそうな表情になって、少女みたいにぴょんぴょん跳ねる。ぼくの腕を掴んで肩に頬を寄せる。トキちゃんもやっぱり一年間ぼくのことを待っていてくれたんだなと理解して、ぼくは飴玉を口に入れられた子どものようにしあわせな気持ちになる。

 トキちゃんの家に行くと、夕食の支度がもうほぼ完璧に整えられている。トキちゃんはいそいそとぼくを椅子に座らせ、料理にあわせたお酒を注いでくれる。注ぎ終えるとぼくの顔をまじまじと眺めて、唇に軽くキスをする。するとぼくはなぜか、この一年彼女とずっとずっと一緒にいたような、不思議と落ち着いた気持ちになる。

 ぼくたちは食卓を囲み、ここ一年の近況報告をする。トキちゃんはこの街で時計塔の時計のねじを巻く仕事をしている。職場のひとたちはみんないい人だし、彼女にとってはこれが天職だという。トキちゃんが楽しそうにする仕事の話は、とてもいいものだ。

 手料理は美味しいし、おしゃべりは尽きない。そのうちぼくたちはキスの続きがしたくなって、どちらからともなく席をたつ。

 楽しいときはどんどん過ぎていって、残酷なことに朝がやってくる。あと数時間しか一緒にいられないのかと思うと寂しい。ぼくはベッドの中で裸のトキちゃんを抱きしめる。トキちゃんが細い腕を伸ばしてぼくの背中を抱きしめ返す。今すぐ死んでしまってもいいと思う。

 やがてぼくは午後五時のロケットに乗って地球に帰る。ぼくからは見えないけれど、トキちゃんは搭乗口で、ぼくの乗ったロケットにずっと手を振っているそうだ。ロケットが見えなくなってしまうまで。時計塔の群れが、桃色の空が、どんどん遠くなっていく。そしてまた、トキちゃんを思って過ごす日々が始まる。

 ぼくたちは何年もこうやって、年に一度のデートを重ねていった。


 ある年の七月七日、到着ゲートに立つトキちゃんはぼくによく似た赤ん坊を抱えていて、ぼくを死ぬほど驚かせた。去年できたぼくの息子だという。ぼくはその場で小躍りした。一年に一度しか会えないけれど、トキちゃんに告白して本当によかったと思った。

 トキちゃんの家にはベビーベッドが置かれていて、前よりもちょっと狭くなっている。彼女は赤ん坊をそっと寝かせながら、ナギヒコだよ、と初めて名前を教えてくれた。一年会わない間に彼女は息子の命名もお宮参りも済ませてしまって、でもまぁ会えなかったからしかたないかな、何でもやってくれて頼りになるなとぼくは思う。ナギヒコは一年間ずっとぼくといっしょに暮らしていたみたいな顔をして、ぼくが指を出すとちっちゃな手でぎゅっと握ってくる。

 その年の七月七日はいつもよりもっと短かった。地球に戻ったぼくは、トキちゃんにもらったナギヒコの写真を財布に入れて、以前よりも熱心に働いた。昇進して部下が増え、前より忙しくなったので、一年が過ぎるのが早くなった。

 一年後の七月、おみやげをどっさり持って、ぼくはトキちゃんたちが暮らす星に向かった。トキちゃんは歩き始めたナギヒコの手を引いて立っていた。その翌年、ナギヒコに妹が生まれた。


 七夕は毎年やってきた。子どもが増えるたび、トキちゃんの家は狭くなっていった。ふだん一人で世話をするのは大変だろうと言うと、職場のひとや近所のひとが手伝ってくれるから平気だとトキちゃんは笑った。

 そのうち食卓に、子どもたちの作った料理が並ぶようになった。ぼくは会社の役員になり、トキちゃんはさらに大きな時計台のネジを巻く仕事を任されるようになった。交通費は丸一年かけなくても貯まるようになったが、子どもたちの養育費を稼がなければならないため、やっぱり年に一度、七夕にしか会えなかった。

 トキちゃんの顔に皺が増え、ぼくの髪は薄くなった。それでも彼女は若い頃と変わらずかわいかったし、ぼくのことをかっこいいと褒めてくれた。


 その年、到着ゲートにはトキちゃんの姿がなく、子どもたちだけが並んで立っていた。いつの間にか若い頃のぼくとそっくりになったナギヒコが、暗い顔で彼女の死を告げた。

 トキちゃんは仕事中に誤って、時計塔から落ちたのだという。地球に送った通信は到着までに時間がかかるため、ぼくと行き違いになったらしい。ぼくと子どもたちは搭乗口で抱き合って泣いた。

 一年ぶりの家には小さな祭壇があり、トキちゃんの遺影が飾られていた。彼女の最期に立ち会えなかったことが、葬式に出られなかったことが悲しくてくやしくて、ぼくは祭壇の前で泣いた。彼女と何度も囲んだ食卓で泣いた。一緒に抱き合って眠ったベッドの上で泣いた。

 泣き明かした翌日の夕方五時、ぼくはロケットに乗って自分の星に帰った。搭乗口で子どもたちが手を振って見送ってくれた。

 ロケットのシートに身を埋めて、もうあの街にトキちゃんはいないんだなとぼくは考える。何年も何年も続けてきた七夕の逢瀬はもう、会いにいくべき織姫をもたない。いっそこの宇宙に身を投げてしまいたかった。でもぼくには子どもたちがいるし、トキちゃんもそんなことは望まないだろうと思った。

 地球に帰ると、ぼくは惑星間移住申請を提出した。受理までには何年もかかるだろうと言われた。その間にぼくは以前と同じように働いた。七夕にはロケットに乗って、トキちゃんのいない時計塔の街に向かい、子どもたちと過ごした。それはそれで楽しかったけれど、やっぱり心のどこかに穴が空いているような気持ちがした。

 十年の時が流れた。ぼくが定年退職し、愛着のある職場を去ったその年、ようやく移住の申請が通った。ぼくは亡くなった両親の墓に参り、兄弟や友人知人にも順にさよならを言って回った。

 いよいよトキちゃんのいた星に向かい、向こうで子どもたちと暮らすのだ。そう決めてしまうと、今度は今まで暮らしたこの街がいとおしく思えた。ぼくはトキちゃんと子どもたちのことを考えながら、慈しむように日々を過ごして七月を待った。


 やがてやってきたその日は、朝からよく晴れていた。ぼくはボストンバッグを手に、足取りも軽く駅に向かった。

 遠い遠い街で、今日こそはトキちゃんが待っているような気がした。彼女はもういないのに不思議な気持ちだった。向かいから手をつないで歩いてくる若い母親と小さな男の子が、その昔ぼくを待っていたトキちゃんとナギヒコのように見えた。

 対向車線から大きくはみ出した乗用車が歩道に向かって走ってきたのはそのときだった。一瞬、すべてがスローモーションになり、後ろを向いた若い母親がぽっかりと口を開くのが見えた。ぼくはとっさに親子連れを建物側の方に突き飛ばした。

 直後、視界が真っ青になった。目の前一面に青空が広がっていた。街並みが逆さまに見え、そして真っ暗になった。

 心臓が止まるまでの間、ぼくはまぶたの裏に幻を描いていた。ぼくの乗った電車がロケットのように空へと駆け上がり、時計塔が建ち並ぶあの街に走っていく。到着ゲートではトキちゃんが、少し不安げな顔をしながら、乗客の中にぼくの姿を探している。「トキちゃん!」と声をあげて駆け寄ると、彼女は満面の笑みを浮かべて、ぼくに子どもみたいに抱きついてくる。

「いらっしゃい」

「ひさしぶり」

「会いたかったわ」

「ぼくも会いたかった」

 ぼくたちは腕を組んで、トキちゃんの家に向かう。

 ふたり並んで歩きながら、ぼくはいつだったか彼女に「わたし、一年に一度くらいしか会えないけどそれでもいい?」と聞かれたとき、何の迷いもなく「いいよ」と答えたことを、自分の人生で最も素晴らしい決断だったと思う。そこで走馬燈は終わり、駆け寄ってきた救急隊員がぼくの脈をとって首を振った。

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