特別編 南雲流達人噺『桜木五兵衛』(三人称視点あり)

※むちゃくちゃ長いです。

読まなくても特に本編に影響はありません。


特別編 南雲流達人噺『桜木五兵衛』(三人称視点あり)




「お話をして欲しい・・・?」




「うん!」




蒸し暑いある夜のこと。


なんか寝付けないと主張する璃子ちゃんが、俺の部屋にやってきた。


今日は珍しく朝霞やアニーさんが突撃してこないと思ったら、思ってもいないお客さんが来たもんだな。




「いや、映画とか一緒に見ようよ。俺も付き合うからさ」




「ん~・・・今日はそんな気分じゃないの!それに、音漏れしちゃって子供たちが起きちゃったらかわいそうだと思うな」




あ、それは確かにそうだ。


今は深夜帯。


どれだけ音を小さくしても、日常と違う音ってのは目立つからな。


イヤホンもないし。




「ふむ、まあいいけど・・・」




「やった!」




璃子ちゃんがベッドに飛び乗った。


俺はといえば、その前の椅子に腰かける。




「サクラちゃんもいないから、ベッド独り占め~♪」




そう、またも珍しいことに現在この部屋にサクラはいない。


風呂に入った後戻って来ないので探していたら、馬房の中でなーちゃんと一緒に丸くなっていた。


今日はおが屑ベッドの気分らしい。




「さて、じゃあどんな話すっかな。恋バナとかは全然できないし、怪談って雰囲気でもないな」




「もっと眠れなくなっちゃうじゃん!怖いのはナシー!!」




「ははは、そうか」




冷やした玄米茶が入っているポットを取り出して、お茶を用意する。


これなら目が冴えすぎる心配はないだろう。




「ねえねえ、おじさん!南雲流のお話してよ、南雲流!!」




「・・・へ?」




思ってもいないリクエストが飛んできたもんだ。




「南雲流っても・・・術理とか稽古方法なんて、超絶に説明ヘタだぞ俺」




「違うよ~!私もそんなの聞きたくないもん!」




コップを受け取りながら、璃子ちゃんは頬を膨らませる。




「南雲流ってさ、めっちゃ昔っからあるんだよね?」




「あーうん、たぶん・・・信憑性は薄いけども」




某ウィキで※要出典って付けられまくるレベルでな。


ほぼ口伝だし、歴史って。


それも師匠によって盛られまくってる可能性もある。


・・・まあ、某ウィキにはまず南雲流のページ自体がないんだけども。




「だったらさ!すっごいタツジンの話とかいっぱいあるんでしょ!?私、最近時代劇大好きだから聞きたいなって!」




「あー・・・そういうことか」




「そういうこと!」




璃子ちゃん、時代劇マニアになりつつあるもんな。


俺の持ってる名作をバンバン見てるし。


ちなみに、最近のお気に入りは柳生の眼帯さんが大暴れするシリーズだ。




「たしかにそりゃあ、いっぱいいるけど・・・語り手のマズさは許してくれよな」




「くるしゅーない!よきにはからえっ!!」




「ははぁ・・・」




姫様のお許しが出てしまった。


さて・・・それじゃ、誰の話にしようか。


ええと・・・やっぱりわかりやすい時代の方がいいよな。


それじゃあ・・・あ、丁度いい先輩がいらっしゃった。




「・・・ヒロイン的な人とかが出てくる方がいい?」




「いい!超いい!!」




やっぱり思春期の女の子。


そういうのは大好物か。




あ、でも・・・




「・・・ちょっと悲しいんだけど」




「う・・・で、でも聞きたい!聞きたい!!」




若干怯んだが、食いつきは衰えないようだ。


それならば、仕方があるまい。




「・・・ごほん、それでは~・・・神崎さん、今すぐ入ってください」




「・・・お邪魔では?」




「その状態の方が怖いんで!」




話し始めようとしたら、薄く開いたドアの奥に神崎さんがいた。


なんという嗅覚か。




「凜おねーさん!アニーおねーさん!まだベッド空いてるよ!」




「ふふ、これは嬉しいパーティの誘いだ」




そして、その後ろにはアニーさんも。


やはり今日も突撃してくる気だったのか、この人。


まったく・・・




急遽増えた2人分、お茶を用意する。




「さて・・・おかわりはいないよな?」




ドアを開けて廊下を確認。


・・・よし、乱入キャラはもういないようだ。


神崎さんたちにお茶を渡す。




神崎さんと璃子ちゃんは目をキラキラさせて。


アニーさんはいつものように悪戯っぽく微笑んでいる。




・・・璃子ちゃんだけならともかく、大人勢の前で話すの緊張するなあ。




ええい、ままよ。


ここまで来たら男は度胸だ!




「とある南雲流の槍の技があるんだけど・・・これは、それを編み出した大先輩の話だ」




3人を前に、俺は腹をくくって話し始めた。






・・☆・・






(3人称視点)




時は、戦国乱世の最中。


各地で群雄が割拠し、日ノ本を統一せんと蠢動を繰り広げていた時代のこと。


とある小国があった。




天下統一の野望はおろか、周囲の家々に飲み込まれないように立ち回ることが第一の・・・ちっぽけな国であった。




その小国の片隅に、『桜木村』というこれまた小さい村があった。


春に桜が咲き誇る以外にはこれといった特徴のない村で、貧窮もしてなければ豊かでもない所であった。




そこに、『五兵衛』という若者がいた。




背は高からず低からず。


顔は悪からず良からず。


頭の出来もその通りの、平々凡々な村人であった。




農家の5男坊だから、五兵衛。


それだけの男であった。




朝は早くから畑に出て、夜は縄をなう内職をして眠る。


家を継いだ長男との関係も悪くない。


そんな、真面目な若者であった。




『おらもゆくゆくはどこぞの家から嫁を貰い、親父や兄貴と同じように生きていくんじゃろうなぁ』




彼はそんな風に思いながらも、別段それが嫌なわけでもなかった。


それしか生き方を知らぬこともあったが、さりとてそれ以外の生き方をしようとも思わなかった。






―――そんな彼の生き方は、ある日を境に劇的に変わった。






その日は夏も盛りで、特に暑い日だった。




日課の草刈りを終え・・・木陰で一息をついていた彼に、声がかかる。




『そこの村人、庄屋の屋敷に案内せい』




声をかけてきたのは、初老に見える立派な武士であった。




下級ではない、殿中に仕えるような身分だろう。


その堂々とした立ち居振る舞いから、なんとなく彼はそう思った。




『へ、へい!』




間近で武士を初めて見た彼は、這いつくばって了承した。




『さほどに硬くならずともよい』




そう笑った武士が、背後を振り向く。


彼も釣られてその方向を見ると、大勢の武士と豪華な籠があった。




『この陽気に姫様が少し疲れた様子でな、しばし休ませて差し上げたいのだ』




姫様、という言葉に彼の緊張はさらに高まった。


間違いなく、今までの人生で一番のお偉い様だ。


粗相を働かぬようにせねば!そう思った。




彼は、夏の暑さによるもの以上の汗を流しつつ必死で案内をした。




『な、なに!?姫様じゃと!?』




彼の訪問を受けた庄屋も、同じように滝汗を流す。


この村始まって以来の賓客なのだ、無理もなかろう。




庄屋の屋敷は大騒ぎになり、彼は伝令役として周囲から手伝いを集めることとなった。




それらのお役目が終わり、人生で一番の疲れを感じていた彼は・・・庄屋の屋敷の裏口で水を貰っていた。


喉の渇きにも気付かぬほど、緊張していたのだ。




『おう、大義であったな坊主』




そこに、始めに会った武士が通りがかった。




『お主は随分と足が速いのだな、戦の伝令に欲しいほどよ』




『も、ももも、もったいない、お言葉で・・・』




『よいよい、固くならずともよいわ。あの時は姫様のことがあったのでな、拙者も余裕がなかったのよ・・・楽にせい』




その武士は板の間にどかりと腰を下ろし、彼を手招きした。




『お主もさぞ疲れたであろう。ほれ、庄屋から握り飯をもろうたのでな・・・少し遅いが昼餉に付き合え』




『そ、そそそそんな・・・お、おらのような者が・・・』




『ははは、そう硬くなるなと言うに』




武士はおかしそうに笑い、再度彼を招いた。


そして、彼らはしばしの間食事を共にした。




『拙者の名は南雲、南雲利兼なぐも・としかねじゃ。お主は?』




『ご、五兵衛とも、申します』




『ほう、五兵衛・・・5男坊か。最近畑の様子はどうじゃ?ここいらで採れる米は出来が良いと大殿様がお褒めになっていらしたぞ』




『も、もったいねえお言葉で・・・へい、今年の秋もいい米ができそうです。土の具合もいいし、雨もよく降りますので・・・』




『それは重畳、また美味い酒が飲めるのう!ははは!!』




話してみると、その武士は彼のような農民にも話しやすい男だった。


なんというか、人を人として見ているような感じを受けた。


身分の上下ではなく、その相手がどのような人間か・・・それを見ているような男であった。




彼の緊張も少しずつ解け、会話を楽しむ余裕が出てきた頃。






『―――ここにおったか、利兼』






鈴の鳴るような声が響いた。




『姫様、またお一人で・・・危のうございますぞ』




『何を言う、お主がおるではないか。そのように寛いでおれば、何の危険もないであろう』




華美ではないが、それでも立派な着物を纏った姫君がそこにいた。


いや、これは正確ではない。


どんな華美な着物でも、その美貌の前には霞むような・・・そんな美しい姫であったのだ。




少々目つきは鋭く、冷たい感じを受けるものもいるような顔であったが。


それでも絶世の美女と言う他ないほどの姫君だった。


年はまだ少女といった頃だろう。




五兵衛は平伏することも忘れ、目を真ん丸にしてその顔に見入っていた。


彼が今まで目にしたものの中で、間違いなく一番美しい生き物だった。




『おお、お主は案内人の村人じゃな。わらわの為に骨を折らせたの・・・大義であったぞ』




姫はそう声をかけたが、彼の口から出たのは返答の言葉ではなかった。




『・・・て』




『・・・む?』




『天女様じゃあ・・・ありがてえ・・・ありがてえ・・・』




彼はそう呟くと、両手を合わせて拝んだ。


思わずそうするほど、目の前の姫が現実の存在だとは思えなかったのだ。




『ぷ』




姫の顔が綻んだ。




『ぷふ、はははは!あはははははは!!』




彼女は体を折り、目尻に涙を浮かべてころころと笑った。


傍らの武士も、始めは驚いた顔をしていたが・・・やがて同じように笑った。




『ひ、ひいひい・・・て、天女かぁ、そのように褒められたのは、生まれて初めてよのう・・・ふ、ふふふ』




そこへ至って、ようやく五兵衛は自分が何をしたかに気付いた。




『し・・・失礼をば、い、いたしましたぁあ!』




彼は真っ青になり、土間へ降りて平伏した。


雲の上の身分である貴人に、あろうことか気軽に声をかけてしまったのだ。


なにか、大きな罰を受けるかもしれない・・・その思いで一杯だった。




『ふふふ・・・面を上げよ』




彼が恐る恐る顔を上げると、姫と正面から目が合った。


透き通るような、美しい目だった。




『お主、名は何と申す?』




五兵衛が助けを求めるように武士を見ると、彼は笑って頷いた。


直答を許す、ということだろう。




『ご、五兵衛、と、もも、申し、ます』




『五兵衛、うん、五兵衛か・・・ふふ、覚えておいてやろう!ふふふ・・・!』




汗だくになりつつ答えた彼の顔を面白そうに見つめ・・・姫は再び笑うと去って行った。


五兵衛は、半分魂が抜けたような様子でしばらく動けなかった。




『珍しい事よのう、姫様があのようにお笑いになるとはな・・・おい坊主、しっかりせい』




五兵衛の顔の前で手を振りつつ、武士が笑った。




『ふふ、もしや惚れたか?』




『め!めめめめ!滅相も!滅相もな、いや、ございまへん!!お、おらのような者が、そ、そそそそのような・・・!』




『ははは、公言せねばどうということもあるまいよ。心の内はみな自由ぞ』




ひたすら平伏する五兵衛を、武士は愉快そうに見ていた。


その後、ひとしきり笑っていた武士はしばし考え込み・・・彼に向ってこう言った。




『・・・のう、もしも食うに困ったら拙者を訪ねよ。お主には見どころがある』




『へ、へい・・・?お、おらが・・・?』




武士は正面から五兵衛の顔を覗き込んだ。


射貫くような視線に、彼はまた動けなくなる。


しかし、視線だけは逸らさなかった。




『―――勘よ、勘。じゃが、拙者の勘は・・・よく当たるのでな』




まるでおとぎ話に出てくる、竜のような瞳。


その持ち主である武士は、そう言って去って行った。




『どうせ一度きりの人生よ。思うように生きてみねば、つまらんぞ・・・坊主』




そう、愉快そうな声色で言い残して。




五兵衛は、しばらくその場を動けなかった。




今までの人生なら、何の問題もなかった。


だが、今の彼は知ってしまった。






―――この世には、我が身を捨ててもいいほど美しいと思える存在がいる、ということに。






その事実が、五兵衛の人生観を粉々に破壊してしまったのだ。


もう、彼は農民として生きていくことは出来なくなっていた。






・・☆・・






果たして、武士の勘は当たった。




それから何日かして、城へと帰っていた武士の元に五兵衛がやってきたのだ。


彼は親族一同の反対を押し切って、身一つで城まで馳せ参じた。




『おう、五兵衛。・・・思うように生きてみる気になったか?』




前と同じように平伏した五兵衛。




『お、おらは・・・あのお方に、お仕えしたい、です』




だが、その喉から出た言葉は前と違って強いものだった。




『ほうほう、天女様にか。ふふふ、やはりのう』




それを聞いた武士は、嬉しそうに笑った。




『それならば、拙者が鍛えてやろう・・・立て、五兵衛』




『へ、へい!』




『へい、ではなくはい、だ。お主は今この時より・・・我が南雲流の弟子よ。これより、拙者のことは師匠と呼べ』




『は、はい!師匠!!』




こうして、武士は門弟を抱えることになった。


五兵衛の身分は、まずは武士の従者ということになる。






武士の流派である、南雲流に入門することになった五兵衛。


早速次の日より稽古が始まった。


姫君の側仕えに推挙するのであれば、まずは腕が立たねば何にもならない。


この城の剣術指南役という立場の武士であったが、そうであればなおのこと贔屓はできないからだ。


農民上がりの足軽ともなれば、なおのことである。




五兵衛には、全くと言っていいほど武術の才能がなかった。


この歳まで武器を振るうことなどなかった農民の身であれば、当然だろう。




だが。




『やめ!おい五兵衛!もうやめじゃと言ったろうが!死ぬぞ!!』




『は、は・・・い・・・』




『・・・あきれた男よ。今日も気絶するまでやりおった・・・師匠に介抱させるとは大した奴じゃわい』




彼には、師匠である武士をも凌ぐ程の『努力』の才能があった。


言われたことを、何の疑問も持たずに実行し続ける才能があった。


血豆が破れても、全身が痛んでも、風邪をひいていても。


稽古と言われれば、必ずやり遂げた。




五兵衛は、武士が呆れるほど愚直であった。




一般的な侍よりも、五兵衛は10倍は物覚えが悪い。


しかし、彼は一般的な侍よりも100倍は努力家であったのだ。




『お主には槍術が向いておるな。というより、槍以外は教えても無駄じゃろうな・・・生き方が槍のような男だからのう』




誤魔化しが利かず、嘘がつけず、性根が真っ直ぐすぎる。


なるほど確かに、五兵衛という男は槍だった。




『まあ、これほどの馬鹿正直ならひとかどの使い手にはなれようなあ』




気絶した五兵衛を見つつ、武士は愉快そうに微笑んだ。






五兵衛が弟子となって、10年の月日が流れた。


ひょろりとしていた体躯は屈強になり、誰が見ても元が農民の小倅とは思えぬほどの立派な男になっていた。




『五兵衛よ・・・』




少し瘦せた武士が、平伏した五兵衛に声をかけた。




『お主は今日から桜木五兵衛と名乗るがいい。本日をもって、南雲流槍術の免許皆伝とする』




『・・・謹んで、拝命いたします、師匠』




この10年で、見かけだけではなく中身も一端の武人になっていた五兵衛はそう答えた。


彼は何度かの小競り合いにも参加し、幾人もの首級を挙げていた。




家中での覚えもめでたく、それでいて一切の驕りを知らぬ彼の評価は上々であった。


彼が、『姫の側仕えになる』という以外の欲は一切持ち得なかったためである。


すわ姫に対して邪な恋慕か、と考える者もいたが・・・それはどちらかと言えば『崇拝』に近いものであったため、その噂もすぐに立ち消えた。




『これほど頼もしい護衛もなかろう』




と、城主も太鼓判を押して遂に側仕えを許したほどであった。




『拙者の、最後の弟子よ・・・なんとも、物覚えの悪い弟子であったが・・・はは、それもよかろう』




武士は老いていた。




この小国において数多くの弟子を育て上げ、数多くの戦に身を置いた彼。


そこらの老人とは比べ物にならぬほど達者であったが、さすがに寄る年波には勝てない。




『師匠・・・』




『勘違いをするなよ、五兵衛。まだまだくたばるつもりはない、ないが・・・さすがにそろそろ隠居がしたいものでな。大殿様にも許しをいただいた、これからは子供らにでも武術の真似事を教えて余生を過ごすわい』




彼がこの小国に仕えてからの功績に似合わぬ、小さな願いであった。


だからこそ、許されたのであろうが。




『お主は・・・まあ、好きにやれ。教練の才能は皆無じゃから、それは他の弟子に任せるとする』




『も、申し訳・・・』




『よいよい、人には向き不向きがあるよってな』




五兵衛は、人にものを教える才能だけは皆無であった。


元が零なので、これはどれほど努力しても実ることはない。




だが、この国には武士の教えを受けて皆伝を許された弟子たちがいる。


南雲流断絶の危機は、今はまだない。




『しかしまあ、あの村人がよくぞここまで・・・ふふ、やはり拙者の目は確かであったのう』




老いた武士は、恐縮する五兵衛を見ながら昔のように笑った。






その、翌年のことである。


姫君の、輿入れが決まったのは。




かの姫の美貌は、周辺の国々にも広く知られていた。


適齢期になるや否や、婚儀の申し込みが殺到したほどである。


だが、その美貌ゆえか。


他家同士が牽制しあい、結局本決まりになることはなかった。




しかし、今回だけは相手が違った。




格上も格上・・・いくつもの国を併合した戦国大名から声がかかったのだ。


かの家と縁戚となれば、この小国の未来は安泰。


家中、諸手を挙げての大賛成となった。




それについて、五兵衛は思う所はなかった。




彼にとって姫とは、妻にしたい相手ではなく仕えたい相手だからだ。


姫が嫁入りした先でも、生え抜きの側仕えとして死ぬまで働くつもりであった。


それで、十分幸せだったのだ。




『五兵衛、おるか』




『は、ここに』




婚礼へ出向く旅の途上。


姫は、輿の中から五兵衛を呼んだ。




初めて出会ってから、はや10年。


姫は、五兵衛に全幅の信頼を寄せていた。


輿入れに対して『五兵衛を側仕えにすること』のみを、相手方への条件にするほどに。




『お主、わらわを庄屋の屋敷へ案内したことを覚えておるか?』




『ええ、昨日のことのように』




それを聞いた姫は、小さく笑った。


笑いを含んだまま、彼女は続けて尋ねる。




『・・・わらわを、まだ天女のように美しいと、そう思うておるか?』




『・・・お戯れを』




『どうせ他のものは聞いておらぬわ、どうじゃ?んん?』




しばしの沈黙の後、五兵衛は小さく答えた。




『・・・今でも、変わらずに』




『・・・ふふ、そうか。そうか、そうか・・・』




姫が、嬉しそうに呟いた。






―――その時である。






五兵衛の持つ槍が翻り、空中を幾重にも薙いだ。




『狼藉者!何奴じゃあ!!』




槍を回し、彼に向けて放たれた矢を悉く叩き落としながら彼は叫んだ。




『おのおの方、ご油断めされるな!狼藉者にござ―――』




周囲に向けて叫んだ五兵衛の目に映ったもの。




それは、物陰から現れた軍勢と。


護衛の何割かが刀を抜いて・・・敵対した瞬間であった。






姫の輿入れを、気に入らぬ国があった。


それは、例の大名と敵対している国であった。




小国の中に間者を放ち、寝返らせ―――相手の顔に泥を塗りつつ、噂の美姫さえ手に入れようという謀であった。


一連の流れは秘密裏に、慎重に行われた。




元より人を疑うことを知らぬ愚直な五兵衛には、見抜けぬ謀であった。






『―――おのれ、慮外者共が』




向けられた敵意と殺意に、五兵衛の目が据わる。




『五兵衛!』




『ご心配めさるな・・・お主ら、姫を頼む。いずれは城もこの大事を知ろう、それまでなんとしてもここを死守せねばならぬ』




ただならぬ気配に声を上げた姫に、五兵衛は答える。


寝返らなかった者たちを呼び寄せ、籠の周囲と御付きの侍女たちを守らせた。




『ご、五兵衛殿は・・・』




仲間の声に、彼はいつもと変わらずに短く答えた。




『拙者か?決まっておろう・・・慮外者共を、討ちに参る』




そして自分は・・・愛用の槍に一瞬視線を向けると、前に出る。


敵に、向かって。




『手向かいいたさねば、命は助けるぞ!』




『―――抜かせ、死んでも御免被る』




前方に展開した軍勢からの声に、五兵衛は吐き捨てた。


その身には、一切の気負いがない。




『五兵衛、やめよ!多勢に無勢じゃ!!わらわなら心配はない!!どこの家中へ嫁ごうと、所詮は同じ―――』




『―――姫様』




思わず声を荒げた姫の言葉を、五兵衛は遮る。


そして、籠を振り返った彼は歯を見せて笑った。


屈託のない、少年のような顔で。






『―――この10年、五兵衛は天下一の幸せ者でございました。しからば、幸せ者のまま・・・おさらばに、ござる』






そして、五兵衛は軍勢に向き直り。




『―――南雲流!!桜木五兵衛!!』




四方の山々に響くほどの大音声で名乗りを上げ。




『死にたい者から、参るがいい!!』




ただ1人、敵陣に突撃した。






敵軍の将は、当初は余裕の表情であった。


なにせ、自軍の数だけでも護衛兵の2倍以上はいるというのに、さらに寝返り者までいる。


どう考えても、負けるはずのない戦であった。




だが、その表情は徐々に曇り始めた。




『ええい、なにをしておるか!手負いの兵1人に情けない!!射れ!!射殺せ!!!!』




喚く将に、副官が答える。




『射っております!射っておりますが・・・し、死なぬのです!!奴は!!』




『馬鹿を申せ!!物の怪でもあるまいに、そのようなことがあるものか!!』




初めは、遠くで聞こえていた戦いの音。


それが今や、近付いてくる。




『1本や2本ではありませぬ!奴は・・・奴の体にはそれ以上の矢が突き刺さっておるのに、一向にこたえた様子がないのです!!』




真昼だというのに真っ青な顔色の副官は、冷や汗を流しながら叫ぶ。


その間にも、怒号と悲鳴が近付いてくる。




『ふ、ふざけ―――』




将がしかりつけようとした、その時。




『うわぁ!?』『っぎゃあああ!?』『と、通すな、決してここを―――』




『ルウウウオォオオオオオオオオオッ!!!!!!』




地の底から響くような声がした。


それと同時に、血飛沫が舞う。




『ば、化け、ばけもの・・・!』




鎧は、もはや襤褸切れのようだった。


矢傷、刺し傷、切り傷。


その体中で、血に染まっていない箇所はなかった。


返り血と、彼自身の血で。




『と、殿を!殿をお守りしろぉお!!』




片目には、矢が突き刺さっていた。


それどころか、10本以上の矢が体中に突き刺さっていた。




『おのれ!くたばり損ないがぁあ!?ああっが!?』




『ガァアアアアアアアアアアアアアッ!!!!』




だが、それでも。




『槍だ!槍で突け!頭か腹を―――!!』




五兵衛は、立っていた。




『・・・敵将、と、お見受け、いた、す』




今まさに槍で彼を突こうとした兵の腹を貫いて、一瞬で絶命させ。




『みしるし・・・頂戴、つかま、つる』




五兵衛は、敵将だけを睨みつけて立っていた。




『―――っひ』




真っ直ぐに、一本。


血で道を描いて。




五兵衛は、ただ真っ直ぐに敵将の元にやってきた。




敵を全滅させたわけではない。


ただ、ただ真っ直ぐに。


障害となる敵のみを屠り、ひたすら真っ直ぐに五兵衛は駆けてきた。




―――あたかも、槍のように。




『殿を守れェ!!』




生き残りの兵は、まだいる。


だが、誰もが気圧されたように動けない。




五兵衛に後ろから斬りかかる者は、1人としていなかった。


その証拠に、彼の背中には一切の傷がない。




だが、側近の精鋭たちは辛うじて責務を全うする気概があった。


将を背後に守り、槍衾を作る。




『いいか!一斉に突け!一斉にだ!』




『一撃で奴の息の根を止めよ!!』




側近たちは呼吸を合わせ、槍を引く。




『・・・ふ』




それを見て、五兵衛は笑った。




『・・・ふふは、はは、は』




先程姫に見せたような笑みではなく。




『はぁあ、はは、ははは』




歯を剥いて、獣のように笑った。


その迫力に、側近の誰かが思わず唾を飲み込む。




―――それが、合図だった。




『―――参るッ!!!!』




真っ直ぐに、五兵衛が踏み込んだ。


槍衾を避ける様子など、微塵もなく。




『っつ、突けェエエエエエエ!!!!』




数で勝る兵たちは、悲鳴のような雄たけびを上げて必死に槍を突き出した。


五兵衛の残った1つの目が、瞬時に左右を見る。




そして。




『なっあ!?』『なんっ!?』『馬鹿、な!?』




突き出された槍の穂先は、五兵衛の体に突き刺さった。




胸に。




腹に。




腕に。




足に。




だが、そのどれもが五兵衛の命を刈り取ることはできなかった。




『――雄ォオオオオオオオオオオオッ!!!!!!』




ある槍は、たわんで折れ。


ある槍は、五兵衛の体を貫通して折れた。




『っひ!?く、来るな、来るなぁあああああ!!!!』




体中に槍の穂先を突き刺したまま、五兵衛は槍衾を突き抜けた。


そのまま、真っ直ぐ。


真っ直ぐ、敵将の元へ。




『エェエエエエエエア!!!!!!』




発露する、裂帛の気合。




敵将は手綱を引き、身を翻して逃げようとした。




『―――っぎ!?!?』




だが、恐るべき勢いの一撃はその馬の首を貫き。


そのまま敵将の胸を、鎧もろともに突き抜けた。




真っ直ぐ心臓を貫かれた敵将は、一息で絶命。


槍が引き抜かれると、どちゃりと地面に落下した。




『―――敵、将ォ!桜木五兵衛が討ち取ったァア!!!!』




地面に転がる敵将の首に槍が突き刺さる。


そのまま、五兵衛は敵将の体を天へ掲げるように軽々と持ち上げた。




『・・・さ、あ』




金縛りにあったように動けない敵兵たち。


彼らへ向け、五兵衛が振り向く。




『つ、ぎは・・・どいつ、じゃぁ』




その顔面は蒼白。


傷という傷から流れる血が、地面を染めている。


どう見ても、死に体。




『―――っひ』




だが。




『ひけェ!!ひいいいいいけぇえええええええええ!!!!』




そんな彼の姿に、敵軍は蜘蛛の子を散らすように逃走を開始した。




人でもなく、獣でもなく、物の怪でもない。


得体のしれぬ敵から、一刻も早く逃れるように。






『五兵衛!五兵衛ぇえ!!』




『なりません姫!籠からお出になっては!まだ残敵が―――』




『ええい!誰ぞ姫をお止めせよ!!』




血の道を、姫が走る。


五兵衛が作った道を。




『五兵衛!五兵衛!!』




重い打掛を脱ぎ捨て、姫は走る。


足袋が血に染まっても、一向に構うことなく。




『っ五兵衛―――』




その先に、五兵衛がいた。


槍に敵将を突き刺したまま。


倒れることなく。




『ご、へえ、五兵衛・・・』




目前に走り寄った姫が、目を見開く。


その目からは、後から後から涙が零れた。




『おぬし・・・おぬし、は』




姫の震える指が、五兵衛の顔に触れた。


唯一無傷で残っていた、右目に。




『・・・ぁ』




その瞼が震え、開く。




『五兵衛!五兵衛!!』




姫がその体に縋り付くのと。


五兵衛が前のめりに倒れ込むのは、ほぼ同時だった。






『―――ぉお、ご無事、か。姫、様』




『・・・う、む。そなたの、お陰じゃ』




地面に横たえられた五兵衛が、目を開いた。


その頭は、姫の膝に乗せられている。




『・・・こ、れは、勿体、ない』




『褒美じゃ、甘んじて、受けよ』




姫は、その頭を抱え込んで見つめている。


着物が汚れるのも構わずに。




『・・・こ、の身に、余、る・・・光、栄にござい、ます・・・』




『馬鹿を、申せ』




周囲に展開する護衛は、誰も動かずにいた。


それどころか、彼らに背を向けて立っていた。




彼らの別れを、邪魔せぬように。




『のう、のう五兵衛・・・そなた、何か望みはないか?これほどの戦功じゃ、褒美はより取り見取りであるぞ?』




『・・・は、は』




五兵衛が笑う。


じわじわと、その目から生気が抜けてゆく。




『ひ、め、様の・・・』




『・・・なんじゃ、申してみよ』




姫が、五兵衛の口元に耳を寄せた。




『姫、様の・・・お子が、見とう、ございました・・・なぁ・・・』




それを聞き、姫がきつく五兵衛の頭を抱えた。


そして愛おしそうに顔を摺り寄せ、五兵衛にしか聞こえぬほどのか細い声で。




『―――お主の、お主の子なら、いつでも・・・何人でも、産んで、やる』




そう、泣きながら呟いた。




『・・・やっ、ぱり』




それを聞いた五兵衛の口元が、笑みを形作った。






『―――ひめさま、は、おらの・・・てんにょ、さま・・・じゃ・・・ぁ・・・』






それきり、彼は二度と動くことはなかった。




姫は、迎えの兵が来るまで五兵衛の首をずっと抱えたままであった。


子供のように、声を上げて泣くばかりであった。






・・☆・・






後の歴史によると、姫はこの後心を病んですぐに亡くなったという。




嫁入り前の姫を害された大名は怒り狂い、この謀を企てた国を攻め滅ぼした。


それによって、この小国は平穏を得ることができた。




当主は五兵衛の献身にいたく感動し、卑賎の身でありながら彼を弔う菩提寺を建立した。


現代に至るまで、その寺は残っている。




・・・その寺の言い伝えによると、姫が亡くなるのと時を同じくして旅の尼僧がこの寺に身を寄せた。


目元が少し冷たい雰囲気のあるその美しい尼僧は、102歳で大往生を遂げるまで・・・五兵衛の墓を篤く供養したという。


現在、五兵衛の墓の傍らに寄り添うように建っている小さな墓が、その尼僧のものだという。






・・☆・・






「泣きすぎじゃない?璃子ちゃん」




「うぇええええ・・・おじざんのばがああ・・・む、むうっちゃ、むっちゃがなじいじゃああん・・・」




「あー・・・ゴメン、ゴメンよ~」




いかん、璃子ちゃん的には大ダメージっぽい。


俺に抱き着いたまま離れてくれない。


ちょっと刺激が強すぎたかな・・・?




昔話の『ごへえとひめさま』にしときゃよかったかな?


あっちは最後に何故か五兵衛が殿様になって、さらに姫様と結婚してハッピーエンドだもんな。


あまりにもフィクションすぎるから除外したけど。


いつか、葵ちゃんたちに話すことがあったらあっちにしておこうか。




「・・・いい話じゃないか、イチロー」




「アニーさん、なんで抱き着いてくるんですか」




サンドウィッチ田中野ができてるんだけど。


なんか目が赤いような気がしたが、今は首が固定されていて見えない。




「人肌恋しいというやつだ・・・リコ、イチローと一緒に寝ようか」




「うん・・・」




俺の意思はどこ!?




「当たり前だがイチローに拒否権はない」




そんなご無体な!?




神崎さん助け・・・いねえ!?


どこいったの神崎さん!?


さっきまでそこにいたのに!?




そして俺は、2人がかりで抱き枕にされるという末路を辿ったのだった。



・・☆・・




南雲流槍術、外典が一つ『捨身しゃしん』






絶望的な多勢に対し、単身で踏み込みつつ攻撃を受ける。


紙一重で急所を外し、死に体を偽装しつつ必殺の突きを放つ。




瞬時に攻撃の行く先を見極める動体視力と、一撃で敵の急所を貫く突きの正確さ、さらに決死の覚悟が必要な禁じ手。




これを放つと決めた時点で、使い手は己の死を受け入れる。

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