特別編 大木政宗は本当にもうお願いだからなんとか静かに暮らしたい。

特別編 大木政宗は本当にもうお願いだからなんとか静かに暮らしたい。








「ふふんふ~ふんふ~♪ほほんふ~ひひふ~ん♪」




静まり返ったビル街に、僕の鼻歌だけが響いている。




「さぁて、リスナーのみなさん!今の鼻歌は何の曲でしょうか?見事当てた方には先着でこう・・・なんかイイモノをプレゼントしましょう!」




今日も今日とて収録は順調だ。


青空には雲一つない。




「お、目的地が見えてきましたねえ!」




ヘッドマウントカメラがブレないように、ゆっくりと目的地へ頭を向ける。


街中にポツンと建つ白いビル。




「そう!本日の探索目標はあそこ!正式名称『龍宮市農業試験場』!です!!」




広い敷地を持つそこは、農家に優良な種子を提供するために作られた大規模施設だ。


ここで稲の発芽実験や病害虫の有無とかそこら辺を実験し、僕たちの食卓・・・の前の前くらいに届けられる。




「僕アキヤマケンゴは、この状況の長期化を見据え・・・ついに稲作にも手を出してみちゃったりしようかなって考えたのであります!」




現在生育していたり、ライスセンターに保管されていたりする作物は既に略奪の対象になっちゃってるんだよね。


詩谷でも龍宮でも、作物を巡って殺し合いに発展した場所もあるみたいだし。




僕はどこかの某田中野さんと違って、全くと言っていいほど近接戦の才能はない。


あんな鉄火場にテクテク参加したら、あっという間に成仏してしまう。




わざわざ危険に飛び込むよりも、大多数の人間がまだ気づいていないだろうここで種もみをいただいた方がいい・・・と思ったのです。


首尾よく確保出来たら、高柳運送周辺の田んぼを使って栽培する予定だ。




子供たちは美味しいお米が食べられて嬉しい、僕は長いスパンの動画が撮れて嬉しい・・・とまあ、これがウインウインというやつだよね。




誰も傷つけない新時代のクリーン動画配信者、それが僕ことアキヤマケンゴなのです。




「それでは今日も『いのちだいじに!』おっかなびっくりコソコソいきますよ~」




マイクをオフにし、僕はバイクから降りた。


カメラはそのまま回しておく。


この先は音声を後付けだ。


編集って便利ぃ。




ここは結構な規模の施設だから、一般野良ゾンビがウロウロしている可能性が高い。


ゾンビパンデミックの発生時刻には、絶賛お仕事中だっただろうしね。


一般人並みの近接戦闘力並びに注意力の僕には、とても小粋なトークをしながら探索をできるほどの余裕はないんだ。


田中野さんとか七塚原さんとか・・・気配察知みたいなパッシブスキル持ってるのずるいよねえ。


僕のスキルツリーにそれは生えてないんだよ。




駐車場から歩き、いつもなら守衛さんが詰めているであろう門へ到着。


・・・開けられた様子はない、ということは僕以外のお客さんはいないのかな?




「・・・あんまりヤバいみたいならとっとと逃げよう、そうしよう」




守衛詰所の窓ガラスは盛大に割られ、乾いた血がべっとりとこびりついている。


恐る恐る中を覗き込・・・うわくさっ!?




「うむむ、なむなむ~ん・・・」




仕事熱心かどうか知らない守衛さんのなれの果てが、床に倒れているのが見えた。


この陽気も相まって、ぐずぐずに腐っている。


・・・いつ頃死んだかもわかんないな、これじゃ。


どうやって死んだのかも。


制服を染めている謎液体が、血液かそれとも腐ったことによる何らかの液体かすら分別不能。


・・・先にいこっと。




息を殺し、周囲をゆっくり確認。


とりあえず、僕の近所にはゾンビはいないっぽい。


というか、ここから施設入り口までの空間はがらんと静まり返っている。




「・・・」




リュックサックのサイドポケットからお手製集音機を取り出す。


イヤホンを接続し、施設の方へ向けてスイッチを入れる。




ざりざりと聞こえるのはこの機械由来のノイズ。


それ以外は・・・特に息遣いも、人間の立てるような音も聞こえない。


これだけの規模なのに、避難している人間はいないみたいだ。


ぐるっとフェンスで囲われているし、建物自身も頑丈そうだというのに・・・もったいないなあ。




集音機を戻しつつ木陰にしゃがみ込む。


入れ替わりにミニ双眼鏡を取り出し、目視でも確認。




「むむむ・・・」




この施設は3階建て。


この位置から見えるのは大きなガラス窓がはめ込まれてる1階部分だ。


たぶん受付とかそんな区画だろうねえ。


僕と同年代くらいの受付嬢ゾンビが、直立不動で佇んでいる。


1人・・・あ!陰にもう1人、掃除婦おばちゃんゾンビの姿が!!




さてと・・・どうしたもんか。


1階の他の部分には、見てわかる範囲にゾンビの姿はない。


かといってトツゲキー!するほど僕はお気楽じゃない。


他にも絶対いるはずだ。




とにかく、今の目的としては・・・種の確保が最優先。


そのためには館内図をどうしても見る必要がある。


普通、そういうものって受付にあるよねえ。


だから、なんとしても受付部分を安全に物色しなければ・・・




あ、そうだアレ使おう。




木陰にリュックを下ろし、目的のものを探す。


えーと、確か出る時に爆弾と一緒に・・・あったあった。


取り出したのは、小さめのガチャガチャのカプセル。


旧我が家こと古本屋の筐体から回収したものだ。




同時に、左腕にスリングショットを装着。


アタッチメントを切り替え、ベアリングよりも大きな弾丸用の発射台に変更する。




準備ができたので、細心の注意を払ってカサコソ移動。


正面玄関の自動ドアへたどり着いた。




・・・受付奥の警備システム基盤に、起動ライトの点滅は確認できない。


どうやらここも電気はないらしい。


それを確認し、ドア前に移動。


やはりというか、自動ドアはうんともすんとも言わない。




栄養ドリンクの空瓶に詰めていた機械油を、ドアに沿って流す。


しばらく放置し、ゆっくりとドアに手をかけた。




「(お邪魔しま~)」




ゆっくりゆっくり力を込めると、自動ドア・・・いや、手動ドアが開いていく。


受付のゾンビさんたちがこっちに気付いた様子はない。




「・・・ふぅ」




腕の直径ほどの隙間を確保し、スリングショットを構える。


狙いは、受付から奥へ伸びている通路の最奥。




きり、と弓を引く。


持てる力のそこそこを込め、狙い重視で引き絞る。




適当なところで手を離す。




カプセルが、あっという間に受付の横を通過して通路へ消えていく。


かつ、かつというカプセルが跳ねる音に、2体のゾンビが首を動かす。


その一瞬後。




廊下の暗がりから、けたたましいアラーム音が鳴り響いた。




「キシャアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」




「アガガガアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」




受付にいた2体はすぐさま反応。


さっきまでの待機姿勢とは似ても似つかない速さで走り出した。


あっという間に廊下の奥へ消えていく。




その他にも走る音が聞こえる。


やっぱり1階部分にはまだまだお替りさんがいたらしい。




しばらく待機して、他階からの増援がないかどうかを確認。


・・・なし、かな?


腰のポッケから取り出した小さいスイッチを操作。


聞こえていたアラーム音が半分以下の音量になる。




あのカプセルの中には、一定以上の衝撃に対して反応するアラームが入っている。


後から無線経由で音量調節ができる機能も完備。


コスト的に考えたら使い捨てにするのは超勿体ないけど、嬉しいことに今の状況では材料費も工賃もぜーんぶタダ。


思う存分使い捨てられるってワケ。




廊下の奥から聞こえるアラームとゾンビシャウトを確認しつつ、僕は施設に侵入した。






「ふんふん、ほんほん」




受付ブースを物色なう。


思った通り、来客に説明する用のパンフレットをゲット。


さっそく確認・・・お?




さっきの受付ゾンビちゃんのものだろうか。


可愛らしい手帳がパンフレットの下にある。




・・・おもむろにカメラをオフ。




気になるけど、流石に動画経由で全世界に公開しちゃかわいそうだ。


ひょっとしたらゾンビパンデミックについて何か書き残してるかもしれないから、見ない理由はないんだけどね。




手帳をパラパラめくっていく。


えっと、スケジュール・・・マメに書いてあるなあ。


ゾンビ発生日の予定は・・・うわ、小学校の社会科見学の予定が入ってたのか。


他に役立ちそうな情報は・・・と。




手帳の後半部分は日記帳になっている。


何か情報があるかもしれないね・・・ワクワクしてきた!


こういう文書要素好きなんだよね。


なんかこう、ホラーゲームの謎解きみたいでさ。




ウキウキしながらページをめくる。


ほむほむ、3月、4月・・・っと。


綺麗な字だなあ。


ゾンビにしとくには勿体ないねえ・・・




なになに、『昨日はあの人とデート、中々会えないから嬉しかった』か。


幸せそうで何より。


他人の不幸は蜜の味っていうけど、僕は幸福も蜜の味なんだ。


僕の『敵』以外はね。




「・・・ムカムカしてきた。クソ女じゃん」




が、読み進めるうちに後悔してきた。


この受付嬢、上司と不倫してたみたい。




上司がいかにいい男か、そして上司の妻がどれだけ憎いか。


それが場違いなほど綺麗な字で書かれている。


目が腐りそう。




『子供がいるからって図々しくあの人にしがみ付いて・・・憎い』だとさ。


・・・うん、この手帳には有益な情報とかはなさそう。


っていうかこれ以上読みたくない。




不倫ねえ・・・ほんと、できる人の気が知れないね。


誘う方も、誘われる方もね。


とりあえず胸糞不倫カップルの片方は無事ゾンビになったワケか。




いやだねえ、あのクソ女を思い出しちゃう。




この騒動が起こってから、下半身でものを考える男を山ほど見てきたけど・・・女バージョンもいるんだよね。


さっき感じた受付嬢さんへの同情心が、B映画のクライマックスとかで吹き飛ぶビルくらいの勢いで消滅した。


こんな終身名誉バカ女の手帳なんてそこらへんにポイしとこっと。


持ってたら変な病気にかかりそう、ばっちい。




気を取り直してパンフレットを広げる。




えーと、1階・・・違う。


2階、違う。


3階もなし。




「これ、かな?」




BF1階の奥に、『種苗保管ブロック』の文字列を確認。


地下への階段はっと・・・ふむ、丁度いいことにさっきゾンビを追いやった場所の反対側だ。




受付の椅子に腰かけ、スリングショットのアタッチメントを交換。


この前完成したばかりの新規格だ。


試運転も終わってるけど、実戦使用は初めてなんだよね。




腰のポシェットから『弾丸』もとい『矢』を取り出す。


いつでも撃てるように、レールに沿ってそれを装填。




これは3Dプリンタで作成した、ハンディ小型ボウガン・・・別名『ドラグーンバースト大木式』である、かっこいい。


有効射程は20メートルほどだけど、それは威力のせいじゃなく純粋に僕のクソエイム故でのことである。


硬度の高い金属で作られた矢は、僕の腕力でも人間の頭蓋骨くらいなら簡単に貫く。


複数の矢を装填可能だけど、発射機構の関係で連射はちと難しいのが残念ポイント。


でも連射可能にしたらむっちゃ力がいるんだよね、僕じゃキツイ。


閑話休題。




ボウガンを準備したので、行動開始。


ヘルメットにマウントしたゴーグルを下ろし、モードを切り替える。


ゴーグル越しの視界が、緑一色に変わった。


よし、問題ない。




これは、大分前に詩谷の片隅で亡くなっていた謎の軍人さんの死体から頂戴したものだ。


最近自衛隊に問い合わせた所、今田中野さんのいる牙島で絶賛大活躍中の『レッドキャップ』の構成員らしかった。


くださいなと言ったら快くくれたので、大いに役立っている。


・・・嘘です、本当はネコババしました~


報告はちゃんとしたけどね。




全ての準備が終わったので、足音を立てないように移動を開始した。






「―――ァッ・・・」




銀色の矢が側頭部に突き刺さり、ゾンビが壁にもたれかかりながら床へ崩れ落ちる。


よしよし、威力は十分。


あと南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。




地下へ降りた所にいた、研究者っぽい一般ゾンビを無力化した。


これで先に進めるね。




本来は真っ暗な廊下でも、暗視装置のお陰で昼間同然に歩ける。


かがくのちからってすげー!ってやつだ。




おっと、半分開いたドアからゾンビがコンニチハした。


なんでか知らないけど、暗がりにいるゾンビって能動的に動くんだよね。


1階みたいな周囲が明るい場所では、影の部分に立ってるだけなんだけど。




きり、と引き絞って矢を放つ。


音を立てずに飛んだ矢は、新顔ゾンビの右目に突き刺さる。


うわぁい!まぐれ当たりバンザイ!


ホントは額を狙ったけど、結果オーライだね!




ゾンビは空気の漏れるような声を出し、出てきたばかりの部屋の中へ倒れた。


すかさずドアを閉め、外から鍵を閉める。


これで他のゾンビがいたとしても、未来永劫出てくることはできない。


ゾンビの悲しきさだめなんだよね・・・


田中野さんがボコしてる新型とかはドアをぶち破るだろうから、マジで恐ろしいけどね。




パンフレットを確認しつつ、奥へと足を進める。




さらに何体かの一般ゾンビを無力化(意味深)しながら、やっとこさ目的の部屋の前にたどり着いた。


『水稲保管庫』、ここだね。




が、ここでアクシデント発生。


・・・鍵がかかっている!


あー、そりゃ当たり前だよねえ。




鍵穴を確認する。


むむ、このタイプか・・・結構複雑な鍵を使用するタイプのドアだね。


僕が考えるよりも種って貴重なんだなあ。




このまま施設中をしらみつぶしに探索し、鍵を探すのは流石に面倒臭い。


ひょっとしたら鍵を持ったままのゾンビがフラフラしてるかもしんないし、時間もかかりすぎる。


なので、ここは強行突破することにした。


ここは一つ、科学に頼ろうと思う。




ポシェットから取り出した小指の先くらいの粘土を、くにくにとこねる。


ある程度柔らかくなったので、鍵穴やドアの隙間からそれを押し込む。


しっかりと奥まで入ったことを確認。


別のポシェットから電極と受信機を取り出し、それに差し込む。




後ろに下がりつつ、さっき使ったスイッチを操作。


1階部分で絶賛活躍中のアラームくんの音量を上げておく。


そんなに大きな音は出ないはずだけど、一応ね。


この一本道でゾンビに来られたらちょっと軽く死ぬかもしんないし。




「3、2、1・・・ポチっとな」




十分安全な距離を取り、スイッチを押し込む。


くぐもった爆発音が響き、ドアノブ周辺から煙が上がる。


・・・よし、許容範囲内の爆音だ。


これなら上には聞こえないだろう。




今使ったのは俗に言うプラスチック爆弾ってやつ。


これも謎軍人さんの死体から拝借しておいたものだ。


ちなみにプラスチックは含まれていないって知ってた?


別の意味のプラスチックのことなんだよね。




・・・いろんなところから危険薬品を回収しまくってるから自分でも作れるけど、やっぱり既製品の方が楽でいい。


僕は繊細な爆弾よりも豪快な爆弾を作りたいマンなんだ。




焦げ臭さを感じつつ、ドアに近寄る。


計算した通り、ドアノブと鍵の部分が拭き飛んでいる。


これなら引くだけで入れるね!


もうピッキングは時代遅れ・・・これからは爆破開錠がトレンドなんだよ!


ま、炎上が怖いので動画に残せないのは残念だけどね~・・・


アキヤマTVは(比較的)クリーンな動画を目指すのです。




暗視装置の緑色にも飽きてきたし、とっとと目的のものを回収して帰ろう。


朝飯食べてないからお腹空いたなあ・・・帰ったらラーメンを食べようかな。


それともお土産持参で斑鳩さんのランチをいただこうかな。


夢が広がるねえ。


僕はワクワクしながらドアに手をかけた。








「太陽光って癒しだよね・・・」




やっと暗視装置から解放されたクリアな視界。


うーん、地上は最高だね。




あの後は特にゾンビもトラップも幽霊もいなかったので、お目当ての種もみを大量に回収することができた。


農業にはあんまり詳しくないけど、とりあえず米袋に詰め込めるだけ詰め込んだから大丈夫だろう。


ここに来る途中のお米屋さんから回収したものだから、頑丈だし。


なお、例によってお米本体はすっかり略奪されていてすっからかんだった。


まだ『あるもの』を目的にしている人が多いみたいだね。


そいつらの注意が種に向く前に、生きていくのに困らない量を回収しているので僕は勝ち組というわけだ・・・フヒヒ。


高柳運送には、そうして僕やみんなが集めた種が備蓄されている。


そこらへんにある食料なんかよりもずっと貴重なものだ。




栽培してるのを目撃されれば、変なのが襲ってきそうだけど・・・ご愁傷様としか言いようがないよ。


あそこの戦闘力は、そこらへんのチンピラにどうこうできるレベルをとうに超えているんだから。




正直、七塚原さんとか後藤倫さんだけでもヤバいのに・・・最近は斑鳩さん母娘もヤバい。


特にママの方の斑鳩さん。


田中野さんとかはあんまり見てないからわかんないと思うけど・・・狙撃の時に脳天以外に弾が当たってるのを見たことない。


遠い所のタイヤとか、運転手とかも基本百発百中なんだ。


お父さんが猟師だったって聞いたけど、外国の漁師ってすごいんだなあ・・・と、思う。


璃子ちゃんはそんなお母さんにかなり憧れて訓練に余念がないので、あと10年もしないうちに凄腕スナイパー2号が出来上がるんだろうな。




そんなことを考えつつ歩いていると、バイクの前までたどり着いた。


・・・うん、周囲に死体はないね。


今日は何もなかったんだな。




以前からちょいちょいバイクを狙われるので、防犯対策を施すことにしたんだ。


どこに隠しても乗る瞬間を見られたり、襲われたりすれば結局同じことだしね。


だからバイク本体の防犯体制を強化することにした。




具体的に言うと、キーを差し込んで・・・普通に回すと車体に致死量の電流が流れます。


じゃあどうやってエンジンをかけるのかって話だけど、キーを『差し込まず』・・・もう一本の隠された鍵穴にキーを差し込んで回せばいい。


パッと見た所にある鍵穴は、存在自体がダミーなのだよ・・・明智くん。


これで盗まれることはほぼないし、脅された時はおとなしくキーを差し出せばいいって寸法さ。


隠してある鍵穴はちょっと見ただけだとわからないし、あからさまに鍵穴があるから普通にそこを使うよね、僕以外はさ。




「・・・ん?」




エンジンをかけて帰ろうとすると、何かが聞こえてきた。


これは・・・ゾンビじゃないな、人間の声だ。


何かを争っているみたいな感じ。


人間同士の揉め事かな?




荷台に米袋を詰め込み、鍵をかける。




ま、アホな人間の殺し合いなんて見ても楽しくないし・・・なにより撮れ高もない。


君子は危うきに近寄らないけど、大木も近寄らないのだ。


早く帰ってご飯にしようそうしよ・・・






「―――こんにちは。すっごいバイクね?キミが作ったの?」






背後から、声をかけられた。


同時に、僕の本能が脳内警戒アラームを最大出力で鳴らす。




全然気付かなかった。


米袋を積む前にしっかり周囲を確認したんだよ?


半径10メートルは無人だったんだよ?


・・・いくらなんでも異常事態だ。




「・・・」




僕はゆっくりと両手を上げ、バイクから降りた。




こんな芸当ができるってことは、僕の後ろの・・・たぶん声からして若い女は、田中野さんとかと同ジャンルの人間だ。


抵抗してもどうにもできないし、逃げるなんてできるはずもない。


だから、僕の取るべき道は一つ。




「はい!僕が作りました!殺さないでくださいなんでもあげますんで!!」




即座に地面に這いつくばり、綺麗な土下座の体勢に入ることだ。




「え、これは予想外」




頭の上から少し困惑した声が聞こえる。


ドン引きされようが、殺されるよりなんぼかマシなのだ!


正直この距離で反撃する手段は僕にはない。


いや、銃とか持ってても同じことをするけどね。


構える前に殺される予感しかしないもん!!田中野さんがいっつも似たような殺し方してるもん!!




「ねーねー、そんなことしなくてもいよ?ちょっと話しかけただけだもん。別に欲しいものもないから、キミをどうこうしようとか思ってないよ?」




なだめるように声が降ってくる。




「ね、ちょっとお話しようよー。パパ待ってる間暇なんだよー」




その声に、若干の苛立ちが含まれたのを感じて即座に起き上がる。


手は上げたままだけど。


機嫌を損ねるともっと不味い。




この人は、僕を虫でも潰すように殺せる。


さっきのセリフは、欲しいものがあるなら僕をどうこうすると言っているのも同じだからだ。




「あは、はやーい。ここらじゃ見ない顔だね、遠征?」




背は僕より少し高い。


赤みがかったロングヘアの・・・『見た目だけなら』スゴイ美人さんだ。


年齢は僕と同年代か、少し下くらいだろう。




「はい、そうです。秋月から来ました」




「ふうん、遠いね~。何しに来たの?ここまで」




「えっと、種もみを回収しに来たんです。この先に種を保管している研究機関があって・・・」




「種もみかあ、農家さんなんだね!そんな施設あるなんて知らなかったぁ」




楽しそうに反応する女性。


対する僕の背中は、冷や汗でびっしょりだ。




「緊張してるの?あは、かわいいね」




「あ、ありがとうございます・・・」




僕に向かって細められた目は、笑みの形に歪んでいる。


『歪んでいる』だけだ、目は一切笑っていない。




「今日はね、パパのリハビリの付き添いなんだ~」




「そうなんですか?お父さん、お一人で大丈夫なんですね」




もっと言うと、この人は僕を『対等な』人間だとみなしていない。




「駄目駄ぁ目、娘が近くにいると気が散るんだってさ。ほんっと、頑固者なんだから」




「強いお父さんなんですねえ」




暇だったから話しかけた、いつでも殺せるレベルの雑魚。


人間が、たまーに猫とか犬とかに話しかけるような気持ち。


そんな感情が、読み取れる。




「うんうん、すっごく強いんだよ!もうすぐリハビリも終わりそうなんだって・・・よかったぁ」




「よかったですねえ」




なんというか、なんだろう。


この目は、なんだろう。


人間の目じゃないみたいだ。


まるで、まるで・・・蛇のような。




気紛れに餌を生かしてやる気持ちになった、そんな蛇のような目だ。




「ね、なんか食べるもの持ってない?」




「キャンディとガムとクラッカーとチョコ、それにジュースが4本とコーヒーが3本あります!どれがいいですか!どれでもいいですよ!!」




バイクのサイドバックを開き、非常食袋を取り出す。




「わー!すっごいね!・・・じゃあパパの分も入れて二人分、いい?」




「はい!どうぞどうぞ!」




袋を差し出すと、女性は嬉しそうに中を探っている。




「あ、これ好きなやつだ。ありがとね」




取り出したのはチョコとクラッカー、ジュースとコーヒー。


根こそぎはいらないらしい。




僕を気遣ったわけじゃ決してない。


『今自分がそれだけ欲しい』からだ。




「あ、パパだ!パパー!!」




嬉しそうにチョコを頬張りながら、女性は手を振る。


その視線の先を見た瞬間、僕はもう漏らしそうになった。


水分摂取してなくて本当によかったと言わざるを得ない。






道の向こうにあるビルの影から、男が歩いてくる。


古ぼけたコートの全身を返り血で染めた、大柄な男が。




金属製の手甲と脚絆。




顔中に走る傷跡。




そして、片目を覆う革製の眼帯。




全身から死と血の臭いしかしない、そんな男だった。




眼帯以外のすべての特徴が、僕の知るある男に合致している。


・・・うわぁ、生きてるんじゃないかと思ってたけど、やっぱり生きてるんだなあ・・・神様の意地悪。


僕もう無神論者に鞍替えしたい!本当にしたい!!






「はいどうぞ!お疲れ様ぁ」




こちらまで歩み寄ってきた男に、女性がコーヒーを渡す。




「お?気が利くじゃねえか・・・こっちの兄ちゃんから貰ったのか?」




「うん!この子とってもいい子なんだよ、チョコとクラッカーもくれたの!」




「へぇ」




男の視線が、僕を貫通する。


今しがた数多の命を奪った、殺人鬼の視線が。


・・・気を失わなかった僕を褒めてあげたい。




「悪いな、兄ちゃん。ウチの娘と遊んでくれてよ」




「ハイ、イイエ。ボクモタノシカッタデス、ホントニ」




「あは、何その声~!パーパ、駄目だからね!この子はいい子だから!!」




仕方ないでしょ!怖すぎて声帯が仕事してくんないんだから!




受け取ったコーヒーを一息で飲み干し、男は息を吐いた。


そしてまた僕を見る。




「ふう・・・兄ちゃん、アンタ鼻が利くな。長生きするぜ」




「アリガトウゴザイマス・・・アリガトウゴザイマス」




この親子にとって、僕は喋る路傍の石ころレベル。


わざわざ蹴り飛ばすほどの存在ではないが、機嫌を損ねれば蹴るどころか砕かれる。




「・・・そんなに固くなるなよ。兄ちゃんじゃ何の『足し』にもならねえし、今日は疲れてるからな」




言いつつ、男・・・鍛治屋敷は缶を『縦に』潰した。


あっ、すっごいコンパクトに・・・プレス機かな?




「兄ちゃん、酒とか持ってねえか」




「ハイ!純米大吟醸ト芋焼酎トウイスキートブランデーガアリマス!!」




「おうおう、いいねえ・・・全部もらっていいか?」




「ドウゾドウゾ!今包ミマスノデ!!」




荷台を再び開け、酒類を取り出してエコバッグに緩衝材と一緒に詰める。


ごめんなさい中村先生!生きるためなんです!!


またお土産探しますから!!




「ドウゾ!!」




「お、悪ぃな」




微塵も悪いと思ってなさそうな口調で、鍛治屋敷はそれを受け取った。




「パパ、調子どう?」




「本調子だ。視界が少し気になるが、かあちゃんの作ってくれたアレのお陰で前よりいいかもしれねえぞ」




「わーい!ママも喜ぶね!」




ってことは、この娘が田中野さんの背中とか神崎さんの足にナイフ投げた奴か。


お父さん以外に向ける声に、感情が一切籠っていなさすぎて凄い怖い。




「世話になったな兄ちゃん。食うに困ったら牙島の北にある貨物船まで来な・・・飯くらいは食わしてやる」




「あ!じゃあ来るときはお土産持ってきてね!」




「機会ガアレバ、ゼヒ」




食うに困った人間に土産を要求するのか・・・なんだこの娘。




「じゃあな兄ちゃん、今みたいにこれからも賢く生きな」




「ばいばーい!あ、そうだ」




娘が瞬く間に踏み込んできた。


気を失いそうな僕のポシェットに、手を突っ込む。




「これもらっていくね!」




その手に握られていたのは、僕が今日持ってる中でも一番威力の高い小型爆弾だった。




「キミ火薬クサイよ!ちゃぁんとお風呂に入るんだよ~」




娘はそう言うと、先に歩いていた父親を追って走り出した。


失敬だな!昨日もサクラちゃんと一緒に入りましたよ!!!






「ふうう、ふ、うううう・・・」




2人の姿が見えなくなっても、僕はしばらく動けなかった。


気が付いてバイクに乗ろうと動いたら、両膝が大爆笑を始めて歩けもしない。




「い、今まで会ったどんな化け物よりも・・・化け物・・・」




バイクに縋り付くように座り、息を整える。


何度も100メートル走を終えた後みたいに、心臓がとんでもないビートを刻んでいる。


スコールを喰らったように、汗が後から後から流れて止まらない。




「とりあえず、田中野さんに知らせなきゃ・・・」




僕は、震える腕で四苦八苦しながらバイクのエンジンをかけた。


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