第47話 深まる謎のこと
深まる謎のこと
その文書の表紙は、こんな文章で始まっていた。
『これは、何だ』
『生物兵器でもない』
『突然変異でも、ない』
『わからない』
『何なんだ、これは』
『神よ』
乱れた筆致で書かれた文字。
かなりの短時間で殴り書きしたようだ。
そんな書き文字で始まる文書ファイルは、その意味のわからない走り書きよりさらに難解な内容だった。
「でき、ました」
斑鳩さんが翻訳に取り掛かって何時間経っただろうか。
夕方くらいだったはずの外が、宵闇で満たされるころ。
かなり疲れた様子の斑鳩さんが、内容を書き写したノートと共にオフィスへ帰ってきた。
集中したいからと2階の資料室で作業をしていたのだ。
俺達は、何を示し合わせたわけでもないのに再び集まっていた。
璃子ちゃんは待つ間にサクラと一緒に寝てしまった。
ショッキングな話になるだろうから、それはそれでいい。
「専門用語が多く・・・完璧に翻訳できたとは言えませんが、それでもおおよその内容は把握できると思います」
その顔が青ざめているのは、何も疲れだけのせいではあるまい。
内容があまりにショッキングだったせいだろう。
「お借りします・・・」
それを受け取った神崎さんが、視線を左右に動かしながら凄い速度で読んでいく。
速読ってやつかな・・・?
「・・・!」
読み始めてすぐに、神崎さんの顔色が変わった。
いつものポーカーフェイスが嘘のように、その顔は驚愕に染まっている。
・・・武術関連以外ではポーカーフェイスなのだ。
一気に読破した神崎さんは、重々しく口を開いた。
「まず始めに・・・このゾンビ騒動の原因は、彼らではありません」
む、そうなのか。
『暫定降下ウイルス』なんて名前で呼んでるくらいだし、そうかなーとは思っていたが。
「そして、『暫定降下ウイルス』、彼らは『Fウイルス』と呼称していますが・・・これが、ウイルスであるかもわかりません」
・・・?
なんだそりゃ。
っていうことは・・・
「つまり・・・『彼らにも何なのかわかっていない』って、ことですか?」
神崎さんは、苦渋に満ちた顔で頷いた。
「そうです。ここに書かれているのは、原因ではなく・・・発生している現象についての調査報告でしかありません。未翻訳の文書や、先程のタブレットの内容はまだ不明ですが・・・」
・・・なんにもわからないということがわかってしまった。
嘘だろ、謎が増えたぞおい。
出来の悪いアドベンチャーゲームじゃないんだからさあ・・・
「で、そこには具体的に何が書いてあったの神待月」
いいから早く話せと言わんばかりの後藤倫先輩である。
傍若無人であるなあ・・・
「神崎です!・・・この一連の文書には、ゾンビの体についての研究調査について書いてあります」
・・・ぐえ、解剖とかかな?
璃子ちゃんが寝ててよかった。
「なんと、そりゃあ気になるのう」
七塚原先輩は乗り気だが、巴さんはそのシャツを握っている。
・・・怖がりさんである。
ぶっちゃけ先輩ならお化けでもなんでも粉々にできると思うのだが・・・
この人が素振りでもしていたら、怪奇現象の方がダッシュで逃げると思う。
「ええ、それでは大まかな内容ですが・・・」
気を取り直した神崎さんが、ノートを片手に喋り出した。
「・・・マジ、か」
話を聞き終わった俺は、椅子の背もたれに体を深く預けた。
そのままズブズブと地面に沈んでいきそうな気さえする。
「わかるかと思ったら謎がもっと増えた、訴訟」
後藤倫先輩なんか、オフィスの机の上に寝っ転がってしまった。
前世は猫か何かだろうか、この人は。
「わた、私、怖いですぅ、むーさぁん・・・」
巴さんは涙目で七塚原先輩に抱き着いている。
当の先輩も、いつもより一層怖い顔になっている。
・・・やっぱ幽霊より怖いや、先輩。
神崎さんの語った内容を乱暴に整理すると、こういうことになる。
まずはノーマル個体について。
・ぶっちゃけなんで活動できるのか全然わからん。
・心臓は停まっているし、脳波も停止しているのに何故か動く。
・全く生命活動をしていないのに、何故か摂取した人肉は消化されている。胃液も何もないのに。
・視力は悪く、嗅覚も鈍いが聴力だけは一定の水準にある。
・力は若い個体(10~20代)ほど強く、老人や身体に障害のある対象は弱い。
・理由は全く分からないが、活動していないはずの急所(脳・心臓・脊髄)を破壊すると活動を停止する。
・腐敗の兆候はなく、微生物による分解を受け付けない。超高温による焼却によってのみ処理可能。
・人間のみを襲い、その他の動物や食料には一切興味を示すことはない。強制的に摂取させた場合、消化すらしない。
そら神様にクレームの一つでもつけたくなるわ。
なにこの・・・なに?
実験した研究者も頭を抱えるどころか壁に打ち付けたことだろう。
・・・正直この段階でもうお腹がいっぱいなのだが、さらにこの後の項目がある。
そう、俺達が黒ゾンビと呼んでいる個体群についてだ。
ノーマルの時点で意味不明だが、この先はより一層出鱈目だ。
・通常のゾンビの完全上位互換種である。
・膂力は最低でもノーマルの5倍以上。
・筋肉と骨は人間ではあり得ないほどの高密度であり、特に筋肉の防御性能は拳銃弾を受け止め、ほぼ刃物を通さない。
・体表面に散見される殻のような物質は、成分的には甲殻類の装甲によく似ているがやはり防御力が段違で、角度によってはライフル弾を弾く。
・動きは獣じみて素早く、視力聴力嗅覚も軒並み優れている。
・・・どうだいこれ?
肌では感じていたが、こうして目の前に付きつけられると否が応にもショックである。
が、これで終わりじゃない。
まだ続きがある。
『活動していないはずの脳が、異常に発達している』
解剖した結果によると、黒ゾンビの脳は非常に重い。
見かけは通常の脳と同じだが、まるで『脳が複数あるくらいの』重量がある、らしい。
『人間やノーマル種の頭部・・・脳を積極的に摂取する習性によるものと推測されるが、なぜ経口摂取で脳の重量が増えるのかは不明』
そんな感じで、一種投げやりに書かれている。
研究者もお手上げのようだ。
なんで脳味噌が重いのかはわからんけど、黒ゾンビがクソ強いのはそこしか原因が考えられないってことか。
喰って太るのは生物の常だが、脳味噌を喰って脳味噌が太るのはありえない。
もうわけがわからんな・・・もっとも、ゾンビの時点でわけが分からんのだが。
そして、その文書は最後にこう結ばれていた。
『身体並びに外殻は、更なる成長をする可能性あり。発見した場合、可能な限り即時無力化を推奨する』
うん、黒ゾンビになっても頭モリモリ食ってたもんねあいつら・・・
あのアタッシュケースには、他にもまだまだ文書が詰まっていた。
さらに、現在充電中のタブレットもある。
・・・情報だけでも腹が破けそうだぜ、参ったなあ。
もうお腹一杯だよ・・・
「どーしたもんか、なあ?」
「わふ」
風呂桶に入って浮かぶサクラに話しかける。
彼女は楽しそうに・・・やめなさい風呂のお湯を飲むのは。
ばっちいでしょ。
あのままあそこにいてもしょうがないので、風呂に入ることにした。
澱んだ気分をスッキリさせないとな。
斑鳩さんは更なる翻訳作業のため、資料室にまた籠った。
あまり根を詰めないでと言ったが、『ようやく私がお役に立てますので!』と張り切っていた。
ううむ、気にしなくていいのになあ。
「ま、でも俺みたいなのがいくら考えても・・・なあ?」
「きゅん」
不思議そうに見つめてくるサクラ。
その鼻を指でつんと突く。
嬉しそうに指を甘噛みするサクラ。
はは、考えてても何にもならないか。
「どうせ俺はぶん殴るしか能がないんだもんな・・・考えるだけ無駄だよなあ?」
自分に言い聞かせるように呟く。
黒ゾンビがヤバい。
放っておくともっとヤバい。
正直、俺はこれだけ頭に入れておけばいいんじゃなかろうか。
あの資料は御神楽高校に持ち込もう。
で、無線経由で各所に通達して注意喚起してもらおう。
詩谷にはまだ黒ゾンビはいないようだが、用心に越したことはない。
・・・が、俺の知り合いならみんな対処できそうではある。
友愛や秋月は当然として、モンドのおっちゃんも大丈夫だろう。
あ、モンドのおっちゃんには・・・宮田さん経由で伝えてもらうとするかな。
敦さんにも頑張ってもらわないとな。
まあ、人間相手と比べて駆け引きは必要ないから、問題はないだろうけども。
あそこもおっちゃんに美沙姉、敦さんに小鳥遊さんと戦闘力には事欠かないし。
「ふう、下手な考え休むに似たり・・・お?」
「わふ・・・」
そんなふうにつらつらと考えていたらサクラがのぼせてしまった。
いかんいかん。
賢いから子犬だってのをしばしば忘れちまうな。
反省だ。
のぼせたサクラを涼しい所に寝かせ、屋上へ出る。
「お、珍しい」
「ん、レアキャラ」
先客の後藤倫先輩が、手すりに寄りかかって夜空を見ていた。
自分でレアとか言うのか・・・(困惑)
先輩に煙がいかないように場所を選び、懐から煙草を取り出す。
「しっかし、本当に珍しいですね・・・心境の変化ですか?」
先輩はこの時間になるとだいたい寝ているか、ごろごろしている。
早寝早起き、健康であるなあ。
「私にもそんな日くらいあるぞ田中。女の子には百と八つの秘密があるのだ」
それ煩悩じゃ・・・まあ、いいか。
煙草に火を点け、吸い込んだ紫煙を吐き出す。
暗闇に揺れる煙が、虚空へと消えていく。
あ~、生き返る。
「・・・きな臭くなってきたね、田中。今は煙草臭いけど」
「・・・なんかすいません」
「甘味を出世払いで」
一生出世する予定はないから・・・踏み倒せるなコレは。
「黒ゾンビのさらに上、かあ・・・見たくないですねえ」
「それには同感。だけど人間の方がまだ質が悪いから」
まあそりゃあ、いくら力が強かろうが馬鹿だもんなゾンビ。
いや、あの資料の言葉を借りれば脳が活動していないんだから当然か。
「このまま進化すると銃とか使うかもしれないけど」
「・・・怖いこと言わないでくださいよ」
「可能性の話、可能性の」
いつものように飄々とした先輩の口から、あまり歓迎したくない推測が飛び出す。
そりゃあぞっとしないな。
「黒ゾンビに、ヤクザ・・・それにまだいるだろう襲撃者かあ・・・中々にサツバツとしてきましたねえ」
「ん。とりあえず戦って・・・駄目なら逃げようか」
おや。
好戦的な先輩には珍しい・・・弱気になっているのかな。
「で、体勢を整えて皆殺し」
うん、いつもの先輩だ。
「りっくんがいれば鬼に金棒だけど・・・ななっちもいるし長州もいるし・・・」
それひょっとして神崎さんのことかな?
もう原型残ってねえぞおい。
「棒きれ程度には頼りになる田中もいるし」
辛口である。
まあアレだ!棒きれでも的確に当てれば致命傷になるし!
・・・せめて木刀程度には頼もしくなりたいもんだなあ。
「大丈夫大丈夫、なんとかなる・・・ならなきゃ死ぬだけだから安い」
ぼうっと夜空を見上げて言う先輩。
なにかこう・・・和風の妖精みたいに見えてしまった。
「・・・ふっふ、この田中野を舐めないでいただきたい」
・・・何故だかそれがとても嫌だったので、無理やり声を出す。
「みんなで面白おかしく生き残りましょうよ、先輩。肉壁程度には役に立ちますからね、俺」
我ながら似合わないサムズアップをかます。
もっとイケメンならさぞかし絵になったのだろうな。
「・・・む、むぅ、ううう・・・!!」
何があったのか、先輩は急に腹を押さえて屋上に蹲ってしまった。
おいおい、どうした食あたりか?
「えっ先輩、どうしt」
「ちぇいさ!!」
声をかけた瞬間、先輩の貫き手が俺の腹筋にめり込む。
掛け声こそ珍妙だが、その威力は本物だ。
あっ駄目すごく痛いこれ。
「ゴボー!?」
ぐうううああああ!?
息ができねえ!?
なにしやがんだ畜生!?
「・・・な、生意気!」
腹を押さえてのたうち回る俺に何かを呟きつつ、先輩は足早に屋上を後にした。
お、俺が一体何したっていうんだ・・・神よこの野郎!!!
女心と秋の空なんて言うが・・・先輩はそれ以上にわからん!
多分死ぬまでわからんのだろうな!
ダメージが抜けるまで、俺は屋上で変則ブレイクダンスをする羽目になった。
途中で何かの拍子に屋上に来た璃子ちゃんに、大層心配をされてしまった・・・
あれは珍しい生き物を見る目だったな・・・
「お前はずっとわかりやすい女の子でいてくれよ・・・」
「わふ!わん!」
俺はまだ屋上にいる。
階段を駆け上ってきたサクラを抱っこして。
まだ寝る時間には早いし、あんな話を聞いた後じゃ映画を見る気にもならない。
眠くなるまでまったりしていよう、そうしよう。
「星が綺麗だなあ、サクラ」
「わふ」
「あんだけあったら・・・宇宙人もさぞたくさんいることだろうなあ」
「きゅん!」
サクラは飽きもせずに星空を眺めている。
緩やかに振れる尻尾がぽふりぽふりと腹に当たる。
大変に気持ちいい。
くるんと丸まっててかわいいなあ、尻尾。
「見えるかサクラ、アレは小犬座って言ってな・・・」
・・・いや違うなあれは。
大鷲座か?
いや夏の大三角形か?
・・・駄目だ、北斗七星しかわかんねえ。
星座とかもっと勉強しとけばよかった。
「・・・いやいいさ、星は綺麗だからな!星座とか人間が勝手に決めたこじつけみたいなもんだ!なあサクラ!」
「きゅうん!」
サクラはいい子だなあ。
こんなアホな話にも付き合ってくれて。
今度お高いドッグフードを食わせてやるからな・・・!
「大きな星が点いたり消えたりしている・・・あれは・・・彗星かな?いや違うな・・・彗星はもっとバー!って光るもんな!」
「きゅ~ん・・・きゅ~ん・・・」
「・・・さん、田中野さん」
むにゃむにゃ・・・まだ食える・・・ハッ!!
目を開けると、心配そうな神崎さんの顔があった。
・・・ここはどこ?
「もう、こんな所で寝ると風邪をひきますよ?」
・・・どうやらサクラを抱っこしたまま眠ってしまったようだ。
「いやあ面目ない・・・あだだだ」
コンクリの上に寝たから背中がバキバキだ。
俺の胸の中で寝ていたサクラは、寝ぼけたようにわふわふ言っている。
半分起きてるな・・・
起こすのもかわいそうなので、脱いだベストに包んで床に置いた。
スピスピ鳴いた後、再びサクラは夢の世界へ旅立った。
「あんな話聞いた後なんでどうにも落ち着かなくて・・・」
屋上の手すりにもたれかかり、煙草を咥える。
「私もです、急に新事実が多く出てきて少し混乱しています」
神崎さんはそう言うが、まったく表情に出ていない。
うーん、俺も見習いたいなそのポーカーフェイス。
夜空に紫煙を吐き出す。
「でもまあ・・・科学者やお医者さんには悪いですけど、俺のやることはシンプルですからね」
とにかくぶん殴る。
血が・・・あんまり出ないけど殺せはするしな。
「体組織ごと変わってるって話なんで・・・どう転んでも人間には戻りそうもないですからね」
遺伝子組み換えワクチンでもできれば別だろうが、そんなもん100年経ってもできる気がしない。
後世の人間には悪いが、降りかかる火の粉は叩いて砕かねばならない。
「ってまあ、随分蛮族よりの発想ですけどね」
「・・・現状はそうするしかないでしょうね、遺憾ながら」
神崎さんは物憂げな顔をしている。
「やらなきゃやられますからねえ・・・とにかく腹はとうに括ってますし、近接戦闘はお任せを。どっかの聖堂騎士よろしく、銃弾をブオンブオン弾くのは無理ですが」
「ふふ、そこは私にお任せください」
「マジか、神崎さんは〇ォースにバランスをもたらす存在だったのか・・・」
「そこじゃありませんっ!」
お互いに顔を見合わせ、笑い合った。
そうだ、世界がどうなろうがどうせやることは変わらない。
シンプルに生きるとしよう。
今までもこれからも。
複雑なことは他の誰かに頼もうか。
俺は身の回りのことだけで精一杯だ。
ふと思い立ち、神崎さんに手を差し出す。
勿論右手だ。
「というわけで・・・改めてこれからも、よろしくお願いしますね神崎さん」
「・・・はいっ!」
神崎さんには珍しく、満面の笑みで握り返された。
・・・美人はどんな顔でも美人なのだなあ・・・などとアホなことを考えつつ、俺は煙草を堪能した。
その後、神崎さんは一服した後下りていった。
俺もサクラを抱えて寝るために下りていくと、何故か階段の所にお目目がキラキラの巴さんがいた。
「んふっふ~春ですよっ!田中野さん!!」
そう言われながら背中に張り手をかまされた。
元オリンピック候補のスパイクすげえ痛い。
だから今は梅雨だって言ってるでしょ・・・
・
・
・
・
「どがいしたあ、後藤倫。顔が真っ赤で?風邪か?」
「赤くない!普通!ノーマル!」
「お、おう・・・気のせいじゃったわ」
「そう!気のせい!・・・田中のくせに生意気・・・」
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