「未熟な者とそれを見ぬ者」

……………。


***


 ——必死の思いで行き着いたのは、山道中の車道だった。

 山沿いの神社で木々をかき分け、ガードレールをよじ登って辿り着いたのだ。


「はあ…はあ……もう、追って来ないのか…」


「ああ、多分ね」


「ちょっと諦めが早すぎないか…?」


「くく、別に諦めたわけじゃないさ。やつは我々を現時点で殺害出来ないと判断すれば、すぐに去っていく。…すなわち、やつら、長期戦を予測してるってわけだ。しつこく追ってこない代わりに、この街の中でサイレンサー付きのハンドガンでいつ撃ち殺されるかわからない。だから、おまえはこれからひとりで行動するんじゃないよ」


「…承知したが…、そこまで狙われているなら、なぜあなた達はこの街にいるんですか? こんな狭い街で命を狙われながら生活してたんじゃ、まともに夜も眠れないでしょうに。…なぜ街の外へ逃げないんです?」


 言うと、強気な口調で答えるのは怪和崎だった。


「今俺達が街の外へ出る事は、やつらに”譲る”ってことになっちまう。たとえ死んでもそれは出来ねぇ。…齋兜は忘れてしまった大事な物が、まだ…この街にはあるんだ。だから、まだ町からは逃げられない」


「…聞きたい事が、まだ…いくらでもある。いつ…教えてもらえるんだ?」


 蚊帳の外のように置かれ、腹が立った。


「——すまないな。本当に…一か月、お前を助けられなかった事も…記憶を失った今、掛けてやれる言葉が何もない事も。俺はまだ、力不足で…本当にすまない」


「僕は謝って欲しいわけじゃない。…あんたたち全員に、知っていること全て、僕についての全てを聞きたいだけなんだ。いつ、教えてもらえるのか…僕は聞いているんだ。———…いつなんだ!?」


「俺には何も言えない…分からない。俺は、齋兜に何を伝えたらいいのか。いつ伝えたらいいのか…なにも」


「……」


「それじゃあ、私の家に行こうか。こっからだと遠いが、安全だよ」


「大いに良し」


「…今、話すんですか? 齋兜に」


「ああ。今思い出させてやることに躊躇する理由はこれといって無い。むしろ、すっかり新しくなったニュー・齋兜として戦力となってもらう方が幾分か効率的だ。おっさんは、口釜くちがまの言い分に賛成する」


「僕は戦わなくちゃいけないのか?」


「おや、それを肯定した上で思い出そうと聞き出していたんじゃないのかい? 

くく、君は元より戦士だったんだ。なまった身体はすぐに鍛え上げられるさ」


「………」


***


 …口釜邸。俺をツアラーバイクに乗せてここまで運んできた女性、口釜孤織こおりの家。山のトンネルを抜けた公道沿いの土地、山に接しているため高く盛り上がった立地の特別大きくもなく、小さくもない平均的な一軒家。…程なく、大して時間も掛かることなく到着した。…早く、俺について知りたい。そういった待ち遠しさもあっただろうが、何故だかその家に、思い入れがあるような気がする。


「それもそのはずだ。おまえは四年もの間、ここで寝泊まりをしていたんだよ」


「———…”四年”だって?」


「ああ、四年だな。結構長い間だが…何か思い当たることがあるのか?」


 その数字に、やつのにやついた顔を思い出さずにはいられなかった。


「維井条は…維井条襲は、僕から四年間の記憶を奪ったと言っていた。つまり、この街で過ごした時間をすべて、奪われたということになるのか?」


「?…まあ、そういうことになるが、それがどうかしたのか?」


「…ああ、あは、そういうこと」


 口釜は既に勘づいたようだった。


「維井条は僕の記憶を消したことによって、僕が『完全な白色』となったと言っていた。…困った事に、どうもそれにしっくり来てしまっているんだ…僕は、四年間の事…だけでなく、四年以上前の幼少期の事ですら、覚えていない。「自分が藤岡齋兜である」ということしか、分からなくなっていた」


「そんなこと、維井条の言った事が本当とは限らないだろ? ひょっとしたら消された記憶は全てのエピソードかもしれないじゃないか…」


「いや、あいつはそんなくだらない嘘はつかない。四年間…それは真実だろう」


「つまり、…やつは僕の四年間を知っていた上で、その記憶を消したことになる。維井条は、どこまで僕のことを知っているのか…分からなくなってきた」


 そう、俺が言い終えたところで、口釜邸の玄関まで辿り着いた。


「…ともかくともかくだ。情報がゴタついてきてる。ここで少し整理しよう」


 …が、誰かいるのか、鍵が掛かっていなかった。


 ガラガラガラと、古びた横開きの玄関を開ける。


「おかえりなさーい!」


 と奥から聞こえてくる、無邪気な声。…同時に、にわかに活き活きとした足音が聞こえて来る。———誰か。また俺の知らない人間が、すぐ近くにいることが分かる。


「……っ!! ———齋兜、さま…ご無事で……!!」


 ———現れたのは、…俺を見るなり小さな涙をぽろぽろと流しながら「様」付けで呼ぶ、後ろ髪を小さく纏め、真っ白な子供用の和服に見を包んだ少女だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る