第9話 本当にいい人だ

光凛ひかりちゃんおはよう!」

「おはよう咲那さなちゃん。風邪は治った?」

「うん、もうすっかり元気だよ!」

「それは良かった」

 

 翌朝には通常通りの登校風景。

 いつもの待ち合わせ場所で落ち合い、いつもの時間に電車に乗る。

 隣に居る咲那は元気そうだ。

 昨日のことはもちろん話してない。

 バイトを理由にお見舞いも断った。

 これで元通りになればいいのだが。

 

「おう、おはようお二人さん!」

「ヒロくんおはよー! 今日も朝練?」

「もちもち! うちのテニス部は弱小だから、練習量でカバーしないとな!」

「練習量だけなら県内一じゃない?」

「うっせ! その内結果も出すわ!」

 

 相変わらずの二人のやり取り。

 隣で見ているだけで微笑ましい。

 咲那も本当に心を開いてるし、ヒロくんも面倒見が良い。

 この二人が恋人になれば、何も問題起こらなそうなのに。

 

三隅みすみ、昨日は……」

 

 彼が私に話し掛けた理由は分かる。

 だけど私はそれを望んでいない。

 立てた人差し指を口に当て、無言で合図を送る。

 今はまだこれでいい。

 

「なになに? 昨日二人で何かしてたの?」

「大したことじゃないよ。ヒロくんからお昼誘われたけど、一人で食べたいから断ったの」

「あらまぁ。ごめんねヒロくん。光凛ちゃんは私との先約があるから、今日もダメだよ」

「そ、そうだな。じゃあ誘うの辞めとくわ」

 

 彼は空気を読んで話を合わせてくれた。

 変な誤解までされてしまい、恩人に対してなんだか申し訳ない。

 通り過ぎた所で振り返り、声を出さずにごめんと口を動かしてみる。

 彼はこれも察してくれて、笑顔で会釈を返す。

 本当にいい人だ。

 

 私が教室に踏み込むと、やはりザワついて異様な空気感になる。

 この前突っかかってきたクラスメートの岩村さんは、またもふんぞり返ってやって来る。

 口うるさい以外は、昨日の根本に比べれば可愛いものだ。

 

「おはよー三隅さん」

「おはよ。また何かようなの?」

「本気だったんだね。八巻やまきさんのこと」

「ん? まぁちゃんと付き合ってるけど」

「昨日根本さんの制裁受けたんでしょ?」

 

 なるほど、どこからか噂を耳にしたのか。

 何を聞いて本気だと捉えたのか。

 そもそも制裁にすらなってない、単なる嫌がらせなんだけど。

 別に掘り返す必要も無い。

 適当に話しを合わせよう。

 

「突然ジュース掛けられてびっくりしたけどね。あれ制裁だったんだ」

「それで昼休み後からジャージだったんだ」

「さすがに透けたブラウス着ていられないよ」

「なんか大変そうだね。この間は変なこと言ってごめん」

「別に気にしてないからいいよ」

「色々あると思うけど、相談くらい乗るから」

 

 なんだろう、この手の平返しは。

 咲那との関係が本気なら、久保くんを取られる恐れも無いと判断したのかな。

 こちらとしてもいがみ合いたいわけじゃないし、謝ってくれるならそれでもいい。

 水に流せる関係かもしれない。

 

「あのさ、うちも話すの無駄みたいな言い方しちゃって悪かったよ。カナちゃん本気で久保くんが好きだから、うちらも必死だったの」

 

 いつも岩村さんをカナちゃんと呼んで一緒にいる原さんは、威圧感あるヤンキー風の風貌。

 しかし今日はなんだかしおらしく、こちらの調子も狂ってしまう。

 そんなにあの根本という人物は恐れられているのだろうか。

 

「本当に私は気にしてないから、二人も気にしなくていいよ」

「うん、ありがとう三隅さん。私達も応援してるから」

「そうだよ! 女同士だって、ちゃんと好きならいいと思うようちは!」

 

 何故か教室中の空気が晴れていくのが分かる。

 この二人はクラスの中心人物だし、彼女達に認められれば周囲も変わるのか。

 それにしてもこの集団心理は理解出来ない。

 完全に意見を他人に委ねている状態だ。

 なんでそれを良しとできるのだろう。

 でも原さんに関しては本心から言ってそう。

 無邪気な笑顔がそれを物語っている。

 ちゃんと好きならの好きはあくまで友人としてだけど。

 それでも周りから見て恋愛っぽく見えるならそれでもいい。

 応援されるようなことではないと思うけど。

 本当はいい人なのかな。

 

「なんか暗いね咲那ちゃん。どうしたの?」

「光凛ちゃん。昨日根本さん達に何かされたんだよね」

 

 お昼休みに廊下で見付けた彼女は、表情を曇らせて俯いていた。

 こちらも噂か何かで知ったのだろう。

 気にしないようヒロくんにも口止めしたのに、こうなるなら全くの無意味だった。

 まぁC組には根本本人が居るし、隠し通す方が不可能か。

 咲那も私と同じB組なら良かったのに。

 

「まぁされたと言えばされたけど、ヒロくんが止めてくれたから平気だったよ」

「ごめんね。私のせいで光凛ちゃんにも迷惑かけちゃって」

「そんなことないって。根本さん達が勝手にやってるんだし」

「でもごめん……」

 

 もう何を言っても彼女の自責の念は解消出来そうにない。

 こういう時、恋人なら何をしてあげるべきなのだろう。

 周囲の人はだいぶ少ない。

 目線も集めてなさそう。

 

「咲那ちゃん、こっち向いてみて」

「え? なに?」

 

 こちらに向きを変えた咲那に、不意打ちで軽くキスをしてみた。

 こうすれば慰めくらいにはなるかと思った。

 彼女は顔から火が出るほど赤くなっている。

 さすがに場所が悪かったのだろうか。

 そこでようやく後ろの気配に気が付いた。

 ヒロくんが私達を追って来てたらしい。

 彼まで顔を染めて、両目をわざとらしく手で覆っている。

 何も見なかったとアピールしているのだろう。

 本当にいい人だ。

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