時の彼方に溶けて消えた
春野訪花
時の彼方に溶けて消えた
ガチャガチャと音を立てながら、青年は荷物を下ろした。
こちらには一瞥もくれず、テーブルに向かって作業をする男が、無言で床を指差した。
大量に物が散乱している中に、巾着袋が落ちていた。青年はそれを拾い上げて中を確認すると、いつもどおり三十枚ほどの金貨が入っていた。
紐を締めて巾着をポーチにしまう。それから、相変わらずこちらには目もくれない男へと声を投げかけた。
「どうですか、進捗は」
すると初めて男が青年を見た。一瞬だったが。
数秒青年は待ってみたが、男は何も言わなかった。
青年が定期的にここに「材料」を持ってくるようになってから一ヶ月がたっている。毎日毎日、飽きもせず、男は同じ実験を繰り返している。そのための材料で、内容は毎回変わっている。前回の材料ではだめだったということで、欲しい結果は得られていないということだ。
と、わかっているのに尋ねたのは、それでも多少なりとも気づきや、男の心境に変化がないかと確認したいからだ。
前に材料を配達していた人物から、青年は話を聞いている。
曰く、男はもう何百年も同じことを繰り返しているのだと。ただの人間としては途方もない。目の前にいるの男は人間と全く同じ見た目なので、にわかに信じられない気持ちもある。だが、辞書並みに分厚い配達記録はあるし、男の一軒家は廃墟同然にボロボロになっている。実験ばかりしかしていないのでほとんどの部屋が埃まみれで、歩けば道ができるほどだ。
唯一、この部屋だけがかろうじて人が過ごせる状態だ。子どもが遊んでもこうはならないだろうほど散らかり放題だが――ベッドの周りだけ綺麗なのだ。天蓋に覆われて中は伺えない。
「――とっくに、わかっている」
青年はぎょっとした。
男が口を利くのは、今回が初めてだったからだ。
若々しい見た目に合わない、しわがれた声をしていた。あまり声を出さないからか、精神的なものなのか、そういう者なのか……青年には分からなかった。
弱々しい眼差しがこちらを向いた。
「――諦めちまえばいい」
力ない、嘲るような笑みだった。
男の顔は、それ以上に年を取った、死ぬ間際の年寄りのように思えた。
青年は何も言えなかった。
何百年。そのうちの五分の一も、自分は生きていない。
そのことを一瞬で思い出す。
そんな、深い深い、表情だった。
「だけどな……もう、これ以外……なくなっちまったんだよ」
男は天蓋へと目を向けた。
その目元が痛みを堪えるように、歪む。
「愛していた――はずなのにな」
そう零し、男はもう青年を見なかった。
青年は、まるでこの上なく恐ろしい化け物を目の当たりにしたかのような……そんな表情を浮かべていた。
天蓋の中――そこに何が横たわっているのか、聞いたことはない。いや、誰も知らない。
だんだんと青年の表情が沈んでいき、哀れむように男と天蓋を見た。
そっともと来た扉に手をかけて、黙々と作業をする男を見やり、ポツリと告げる。
「また来週」
青年は部屋を出た。
時の彼方に溶けて消えた 春野訪花 @harunohouka
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