第34話  一緒に走ろう




次の日、あの落雷事故以来、1ヶ月振りに瑠里は陸上部への挨拶をしに大学を訪れた。

バス停を降りると、青が待っていてくれた。


「 おはよう…ございます。」


瑠里は、昨日1日の多くの出来事が一気によみがえり、気恥ずかしさと戸惑いで顔が赤くなるのを止められない。


「 おぅ。」


青は、いつもと変わらないいつもの青に見える。

ちょっと不思議そうに首を傾けた瑠里に、青が反応した。


「 なんだ?」


「 いえ……なんか普通だなぁって…… 」


「 瑠里は、普通じゃないのか?」


「 なんか、昨日、色んな事がありすぎて……まだ全部整理出来てないというか……」


瑠里は、ちょっと困った顔でそう白状した。

逆に、今度は青が不思議そうな顔をする。


「 そんなに複雑なことじゃないだろ?」


二人は並んで学内を歩きながら、青が指を折って数える。


「 俺が、ようやく約束を果たして瑠里を迎えに行った事。俺達が約束通り恋人になった事。それと瑠里のお母さんに説明した事……だろ?」


恋人になったこと……のフレーズで、大楠木の根元でのキスが思い出され、ますます赤くなった。

青は、赤くなったり慌てたりする瑠里を眺めながら、ニヤニヤ笑う。


「 やっぱ、瑠里は面白いな。見てるだけで楽しくなる。」


面白い……で、楽しい。

一応、褒められたのかな?

ふと青を見上げると、楽しそうに笑ってる横顔に、ドキッとする。

そこには、瑠里の知っている自然体の青がいた。

夢じゃない……

もう、夢じゃないんだな……

瑠里の顔も、嬉しそうに綻んだ。


クラブハウスに向かう途中、北別館の横の歩道に差し掛かった時だった。

青が突然歩みを止めた。

そして、横にいた瑠里の手を掴み、握りしめた。

突然、強い力で手を握られ、瑠里は驚いて青の顔を覗き込む。

青は頬を強張らせ、引きつった表情で、前方の一点を見つめていた。

街路樹が並ぶ中に、不自然に切られた切り株があり、そこだけ歯抜けのように見える。


なぜ、1本だけ切られているんだろう?

瑠里は首を傾げながら、その切り株と青を見比べる。

ややあって、ハッと思い付く。

……あそこに雷が落ちたんだ……

青は、その瞬間を思い出したんだ。


瑠里は、痛いくらいの力で自分の手を握る青の手に、そっと自分の手を重ねた。


「 ……私は、ここにいるよ。どこにもいかないよ……」


瑠里に語りかけられ、青の強張った表情がすーっと緩んだ。

瑠里の顔を見ながら困ったように笑う。


「 ……悪い。そうだったな。」


「 うん、大丈夫。」


もしも、青と私の立場が逆だったなら……

もしも、青が目の前で、雷に打たれたら……

もしも、青が息をしていなかったら……

瑠里は、ゾッとする恐怖に小さく震えた。



「 瑠里ちゃん!!お帰り!」


クラブハウスに着いて、庶務室を覗くと、夏海が飛んできて瑠里に抱きついた。

続いて神崎、金沢も出てきてくれて、瑠里の回復を喜んでくれた。


「 この度は、ご迷惑とご心配をお掛けして、本当に申し訳ありませんでした!」


瑠里は、三人のマネージャーに深々と頭を下げた。


「 本当に!月城君から連絡貰った時、さすがに心臓が止まるかと思ったわ。」


神崎が、胸に手を当て、当時を思い出しながら首を降ると、


「 でも!本当に、よく回復してくれたわ!高宮さんの元気な顔を見れて、やっと安心出来た。」


金沢が、そう続けて微笑んだ。

夏海だけは、ちょっと口を尖らせて不満そうに瑠里を見た。


「 もう二度と、あんな無茶しないって約束して!」


瑠里の意識が戻るまでの間、夏海は病院に通っては、泣きながら帰っていったと、瑛子や青から聞かされていた。

瑠里は、夏海の手を取って何度もごめんなさいを言って約束をした。



今日は、陸上部の年内最後の練習納めの日だった。

後五日もすると、今年も終わる。

皆がグラウンドで走り納めをする様子を階段上のベンチで眺めながら、あそこに参加出来なかったことを少し悔やんだ。

その中には、青も居た。

駅伝チームで走っている。

どんなに人がいっぱい居ても、青を見つけられる。

流れるような綺麗なフォーム。

ネックウォーマーを口元まで上げて、瑠里は飽きることなく皆と、青のランを眺めていた。




新しい年が明けた。

今年の正月は、特別な正月になった。

大輔が亡くなってからの長い年月、母と娘二人で迎えて来た新年を、今年は三人で迎えた。

それは瑛子の提案だった。

どこにも行く予定がなく、年末年始を寮で過ごすのならば、青に我が家で正月を迎えてもらったらどうか?と。

小さいながらも大輔が遺してくれた家は、一軒家で幸い部屋も余っているからと。

瑠里は、瑛子の案に大喜びで飛びつき、青を誘った。

青は、戸惑いはしたものの……

迷惑でないならと、控え目に受け入れた。


正月を家族で迎える……

よっぽどの事情がなければ当たり前にやっている一般行事だったが、青にとっては生まれて初めての経験だった。

誰かと食卓を囲んだり、誰かとのんびりテレビを観て過ごしたり……

他人と時間を共有するということを、初めて体験した。


お節料理は、絶対的な信頼を寄せている瑛子御用達の料理屋さんに注文するのが恒例で、その他の細々とした料理を瑠里が用意した。

青に食べて貰うのならと、今年はいつもより頑張った瑠里だった。


何より、瑠里は一日中青と時間を共有出来ることに、沸き立った。

何かと青にまとわりつき、彼の横に陣取った。


一方、普段の1人の生活感とのギャップの大きさに、青は戸惑いを隠せなかった。


「 瑠里、俺、今日寮に帰るわ。」


三が日の終わりに青がそう言った。


「 え!?なんで!?部活始まるのまだ先だよ?」


瑠里が青の申し出に驚いて反論した。

それは、二人で箱根駅伝を食い入るように見終わった直後だった。

最初の予定では、冬休み中ここにいることになっていた。


「 う……ん、やっぱりそろそろちゃんとトレーニングしないと体鈍るしな。」


「 え!なら、私も一緒にトレーニングする!年明けの部活から本格復帰だし!」


「 いや、瑠里はいきなりではなくてペース配分考えて徐々にだ。」


「 えー!青と一緒がいいー!」


拗ねるようにそう言った瑠里に、ダイニングにいた瑛子が、


「 月城君の言うとおりよ。貴女の体は色々ダメージ受けたんだから。」


そうたしなめた。


「 トレーニングならうちから通えばいいのに……」


ぐずぐず文句を言う瑠里に、青は苦笑した。


「 10日から練習始まれば、また会えるし、居残れば一緒に走れるだろ?」


それでも瑠里は、青と離れるのを嫌がり、不満気に口をすぼめた。



青が玄関で丁寧に御礼を言って、寮へ帰っていくと、瑠里は瑛子に呼ばれた。


「 いつまでも拗ねてないで、そこに座りなさい。」


瑛子はミルクたっぷりのカフェオレを瑠里に、自分はブラックを作るとダイニングテーブルに向かい合って座った。


「 瑠里、想像してみて。」


「 何を?」


「 もしも、貴女が幼い時から親も兄妹も無く、独りぼっちだったら。」


瑠里は、マグカップを両手で包みながら眉を潜めて斜め上を見た。


「 ……そんなの無理だよ。独りぼっちになったこと無かったもん。」


「 そうよね、それは私も同じよ。だから、月城君の育ってきた環境も、彼が寮に帰りたがった理由も、私達にはわからないのよ。」


瑠里は、瑛子の言葉の意味が分からずに首を傾げた。


「 きっと、彼は居心地が悪かったのよ。人に囲まれて過ごすことに慣れていないせいで。」


人に囲まれて過ごすことに慣れていない……


「 幼い頃に両親を亡くして、寄宿舎で過ごしてきた彼は、それが当たり前になって、独りを淋しいとは思わないのよ。むしろ、突然人に囲まれると、距離感や立ち位置がわからないんだと思う。」


「 ……私、青に嫌な思いををさせていたの?」


瑠里の声が一気に弱くなった。


「 そうじゃないわよ。月城君にとって瑠里は、おそらく初めての特別な人だから。」


瑛子は、ゆっくり微笑んだ。


「 でも、距離感を大切にしなさい。自分の気持ちだけを押し付けるんではなくてね。少しずつ少しずつ縮めていけば彼も慣れるわ、誰かと時間を共有することに。」


距離感……

少しずつ縮める……

私とずっと一緒にいることに慣れる……


瑠里は、瑛子の言葉を噛み砕いていくうちに、胸の奥の方が痛みに疼いた。

青の孤独を自分なりに理解していたつもりだったけど、そんなものではなかったんだと思い知った気がした。

本当に孤独の中にいる人は、孤独を淋しいと思わないのだ。

淋しいという感情は、人と関わり合って生きてきたから感じる感情なのだ。


「 母さん……私、バカだ……青のこと何もわかってない……」


辛そうに顔を歪めてうつむいた瑠里に、瑛子は、アラ、と笑う。


「 たった今、理解したじゃない?少しずつでいいのよ。少しずつで。焦らない、焦らない!」


それでも瑠里は、青を想い、胸を痛めた。



それからの一週間は、瑠里は家での自主練に努めた。

軽めの筋トレと神社までのジョグ往復を毎日自分に課した。


青が帰ってから、なんとなくメールの類いも遠ざけていると、2日後に

『 こら、メールくらいよこせ 』

というお叱りメールが青から届いて飛び上がるほど喜んだ。

メールはしていいんだなと、そこからは毎日メールすることにした。

内容といっても、今日のトレーニングとジョグコースの説明くらいで、結果陸上の話題ばっかりだし、青から来るのも自主練の話ばっかりだったのが、二人らしかった。



陸上部、年始めの練習初日、全体集会での今年の抱負から始まり、それぞれに軽めの練習でその日は昼過ぎには終了した。


青と瑠里は、二人サブグラウンドにいた。

以前の二人とは違い、隣同士に座ってグラウンドを眺めていた。


「 悪かったな。正月招待してもらったのに、途中で帰って。」


青が、一番最初に口にした言葉は謝罪だった。


「 なんであやまるの!私の方こそ、無理矢理来てもらって、ごめんなさい!」


瑠里が首を振りながらそう言うと、青は不思議そうな顔をした。


「 なんで、瑠里があやまるんだ?」


「 だって!……いきなり家に呼んで、慣れない雰囲気の中、泊まらせちゃったから……居心地悪かったんじゃないかと……青は、人とワイワイするの苦手なのに…」


瑠里の言葉に青は、困惑した笑みを見せた。


「 いや、楽しかったよ。俺にとってはあんな風に正月を迎えるのも初めてだったしな。」


「 ホントに!?ホントに楽しかった?」


「 ホントだ、疑うなよ。」


瑠里は首をちょっとすくめながら笑った。

青はグラウンドの遠くを見つめて話し始めた。


「 不思議な感覚だった。他人とひとつ屋根の下、三日間も過ごすのも……寮に帰った時に感じたなんとも言えない初めての虚無感も。」


瑠里は、真剣な眼差しで聞く。


「 俺の帰る場所には、いつでも静寂だけがあった。そこは無機質であることが当たり前だった。それを変だと思ったこともなかったが……」


青は、不思議そうな顔でふと瑠里を見た。


「 一緒に過ごしたのは、たった三日間だったのに、帰ってあの静寂の中に瑠里がいないことが違和感だった。」


「 うるさくて……煩わしくて帰ったんだと思ってた …」


「 まぁ、青!青!って、うるさかったけどな。」


そう言ってニヤリと笑った青は、たまに出る意地悪な青だ。

瑠里が拗ねて口を尖らせると、くくっと笑う。


「 なんか、良い感じだと思ったんだ。瑠里と瑠里のお母さんとの感じが。これが親子ってやつなのかと思った。」


それは、瑠里が初めて聞く家族感に対する青の心情だった。


「 そう思えば思うほど、そこに居る自分に違和感を覚えた。ここは俺みたいな者が居てはいけない場所のような気がした。」


瑠里は、ブンブンと何度も首を振って否定した。

胸が痛い。上手く説明出来ないけど、胸が痛い。

瑠里は言葉に出来ない想いを伝えたくて、そっと青の手に自分の手を重ねた。

青は、瑠里の手を見つめてふっと微笑む。


「 俺は…生まれて初めて “ 淋しい ” という感情を知ったのかもしれないな……」


瑠里の頭の中に、瑛子の言葉が甦った。

本当に独りで生きてきた人は、独りを淋しいと思わないのだと。

淋しいという感情を知らないのだと。


瑠里の手に力が入り、青の手を握った。


「 これからは、きっと淋しくなるよ。会えない時間があると、淋しくなる。でも、それは次会うための原動力になるよ。淋しいと、次会えた時の嬉しさが倍になるよ。」


「 そうか。これからはもっと淋しくなるのか……それはちょっと困るな。いや、だいぶ困る……」


少し考えるように眉を潜める青の横顔に、瑠里の表情が笑顔で崩れた。

なんて純粋な人なんだろ!

大好き過ぎて叫んでしまいそう!

そうなる前に、瑠里はすくっと立ち上がった。


「 青!走ろう!一緒に、走ろう!」


突然立ち上がった瑠里を驚いて見上げ、やがて青もニヤリと笑うと立ち上がった。


「 久しぶりに、走るか。」


二人は肩を並べ、グラウンドに向かってゆっくり走り始めた。

年明けの冷えきった空気が風となって頬を叩いていく。

冬のランは、この鼻がツンと痛くなる感じが瑠里は好きだった。


もうすぐこの辺りは恒例の初雪が降るだろう。

雪は、苦手だった。

大好きな父を奪ったから。

でも、今年は、青と二人で雪の中を歩きたいと瑠里は思った。

二人で雪の中を並んで走りたい。

青となら、どんなことも幸せな出来事に書き換えていける。


瑠里は、横で規則正しい呼吸で走る青を、この上ない幸せな微笑みで見上げる。

青となら。

青と二人でなら。




    第二部 完 


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