第32話 答え合わせ
二人は玄関を出ると、道路に出てハタと止まった。
そこには青の白い自転車が止まっていた。
「 チャリで行くか、歩いて行くか、どっちがいい?まだ、走るのはダメだろ?」
ここまでチャリで来たんだ……
瑠里は、かつて後ろに乗せて貰った時のことを思い出して、思わず頬が緩んだ。
「 あの……1つ、聞いてもいいですか?」
「 なんだ?」
瑠里は、青が我が家の玄関に姿を現した時から気になっていたことを尋ねた。
「 なぜ、うちに来れたんですか?月城さんは……なぜうちの場所を…」
「 青だ。月城さんなんて呼ばなくていい。それに、敬語も使わなくていい。」
瑠里の問いかけの途中で、青が遮ると、瑠里は、ポカンと青を見上げた。
「 ずっと、そう呼んでただろ?」
「 え……でも……」
次に名前で呼んだら殺すぞ、と言われた時のことを思い出しながら、瑠里は困惑した。
なんなら、“ 月城さん ” と呼び、先輩として敬語で話してきた時間の方が “ 青 ” と呼んでいた頃より長い。
「 ……そうだよな。それも、俺が瑠里から奪ったんだよな……」
青の重く沈んだ声に、瑠里は慌てた。
「 奪ったとかじゃなくて!そんなんじゃないです!」
瑠里は思わず青のダウンの袖口を掴んでいた。
「 記憶が無かったんですから……当然なんです!」
瑠里の必死な様子に、青は済まなそうに苦笑した。
そして、袖口を掴んだ瑠里の手を大切そうに包みながらそっと持ち上げた。
手の甲には、まだガーゼで出来た幅広の絆創膏が貼られている。
「 まだ……痛むか?」
青の指先が、ガーゼの縁をそっとなぞった。
まるで違って見える青の態度に、瑠里は真っ赤になりながら、戸惑い、慌てた。
記憶が戻ったにしても……
こんな風に突然優しくされると、どうしていいかわからなくなる。
今の瑠里にとっての月城 青 は、無表情で、冷たくて、口が悪いというのが、レギュラー印象となっていたのだから。
「 あ、あの、チャリに乗せて貰ってもいいですか?神社まで、結構距離あるので……」
「 お安いごようだ。往復歩くとなると、確かに疲れさせるしな。」
ほら! また優しい顔でそんな風に言う!
瑠里は、赤くなりながらも青がチャリに股がるのを見ていた。
「 神社までの道なら、当然覚えてる。さっき、言ったろ?全部思い出したって。あの頃、神社から瑠里を家まで送ったりしたから、瑠里の家も覚えていた。これで、さっきの質問の答えになってるか?」
百点の答えを得意気に言った青は、ニンマリ笑った。
瑠里も思わずつられてアハハと笑い返す。
前回と同じように横座りに乗り、サドル下のスプリングの輪っかにつかまると、青が肩越しに振り返った。
「 そんなところに掴まるんじゃなくて、俺のダウンのポケットに手を突っ込め。その方が暖かい。」
「 は、はぁ!?」
な、なんて!?
ポケットにどうしろって!?
そんなことしたら、青に抱きつくようになるじゃん!?
あたふたと戸惑う瑠里に、再び声が飛ぶ。
「 命令だ!高宮 瑠里!両手を俺のポケットに入れろ!!」
「 え!?は、はい!!」
咄嗟の勢いで、瑠里は両手を青のダウンのポケットに、突っ込んだ。
「 よし!じゃあ行くぞ!ちゃんとつかまっとけよ!」
青は軽快にペダルを漕ぎ始めた。
瑠里は、一年三カ月前の青との別れ以降、この神社には来ていなかった。
再び逢えた時に二人で来ようと、封印していたのだ。
そして大学でのまるで別人のような青との再会を果たしてからは、尚更封印を強めた。
なぜなら、昔の青を求めてしまうから。
実際の青が違いすぎて、忘れられていることが悲しくなってしまうから。
なのにだ!
突然思い出したと言う。
ずっと封印していた神社に行こうという。
もちろん、それは二人で約束した通りではあるんだけど……
いまだに青の「全部思い出した」という言葉にピンと来ず、どこかキツネにつままれたような感覚だった。
二人を乗せたチャリは、懐かしい神社の前に着いた。
相変わらず、入口が楠木にこんもりと覆われ、鳥居が見にくいままだ。
入口の楠木の元にチャリを止め、二人は神社に入っていく。
「 ……懐かしい…… 」
所々割れたり欠けたりしている短い石畳みに立って、瑠里は感慨深気に狭い境内を見回した。
「 俺は、ここに立っていた。」
青が記憶を辿りながら、石畳みの真ん中に立ち、こちらを見た。
そう、あの日、ジョギングでこの神社に足を踏み入れた時、見たことのない青年が立っていた。
「 あの時……青は、空を見上げてた。」
あの時の青を語った時、瑠里の呼び方は、自然と「 青 」に戻っていた。
声にして、青の名前を呼んだ瞬間、瑠里の中の時計があの日へと巻き戻しを始めた。
なんでおまえに俺が見えるんだ?と詰め寄られた。
触れるものなら、触ってみろと言われたが、どんなにがんばっても出来なかった。
瑠里は、次に大楠木の根元に吸い寄せられるように足を向けた。
青は、黙って瑠里に寄り添うように歩く。
「 瑠里、座ろう。」
青が先に座り、あの時と同じように自分の隣りを手でポンポンと叩いた。
瑠里は、コクンと小さく頷いて隣に腰掛けた。
あの時は、春だったが、今は吐息も白い冬だ。
ピンと冷えきった静寂の中で、二人は話し始めた。
「 ここで、いっぱい喋ったね。青の事故のこともここで聞いた。」
「 瑠里のお父さんの話も聞いたな。俺の事故の話をしてた時、瑠里はお父さんのことを思い出して震えてた……」
あぁ、青は、本当に全て思い出したんだなぁ……
瑠里は、青の横顔を見つめながら実感した。
この場所に二人で来たことで、瑠里の中のタイムラグのような違和感が消えた。
「 何を考えてる?」
青が瑠里を見た。
二人の目が合う。
もう透けてない青の綺麗な瞳だ。
「 何でも言えよ。言いたいこと、思ってること、全部言えよ。もう気を遣わなくていい。ずっと瑠里は、我慢して、頑張って、こんな俺でも傍にいてくれただろう?」
青のその言葉は、瑠里の心の琴線に触れた。
想いが溢れる。
青に逢えなくなったあの大会から、誰にも言えずに独り頑張ってきた月日……
青がちゃんと生きてると知った時の震えるほどの感動……
ようやく再会を果たした時の衝撃、あまりに変わり果てた青へのショック……
何回も何回も拒絶された時の痛み……
それでも青が陸上に復活した時の感動……
一緒に走れたことの感動……
「 うわぁぁぁぁぁぁぁん!!!」
瑠里は、空を見上げるように、突然大声で泣き出した。
青は、予想外の瑠里の大泣きに度肝を抜かれた。
「 る、瑠里………!?」
「 ずっと、ずっと独りぼっちだったの!あんな不思議なこと、誰にも言えなくて、母さんにも言えなくて、後ろめたくて、苦しくて、辛くてー!」
瑠里は、溢れる感情のままに、泣きながら空に向かって言葉を吐き出す。
「 バカー!!青のバカー!!やっと、やっと、やっと逢えたのに、ホントに凄く頑張って逢えたのに!おまえなんか知らないって!!二度と話しかけるな!近づくな!ってなんなのよー!?俺はおまえの知ってる青じゃない!?はぁ!?なんなのよー!?じゃぁ、青って誰よー!?」
青は黙って目を閉じ、瑠里の言葉を聞いていた。
瑠里の積もり積もった痛みが、胸をえぐるように痛い。
「 でも……でも……青はとても冷たいけど、たまに、ちょっと優しくて……陸上も教えてくれて……走っている姿を見るのが楽しくて……でも冷たくされるのが嫌で……もうどうしたらいいかわからなくて……やっと仲良くなれたのに、また喧嘩して……もう消えろって言わないって約束したのに……また言われて……」
瑠里は今度は膝を抱えて、顔を埋め、ベソベソ文句を言いながら泣き続ける。
青はたまらずに、瑠里の華奢な肩に腕を回し、抱き寄せた。
膝に顔を埋めたままの瑠里の頭に自分の頭を寄せる。
「 瑠里……瑠里……俺を許すな。こんなにおまえを傷つけて苦しめた俺を、絶対に許すんじゃない……」
青の声が小刻みに震えた。
「 ……許さなくていいから……嫌いでいいから……それでも、傍にいて欲しい……いてくれ……おまえがいてくれないと俺はダメだ……」
瑠里は、酷く辛そうな青の告白に、ハッと顔を上げた。
肩を抱かれ、ピタリと寄り添うように青の顔があった。
とても辛そうな暗い目をしていた。
涙でぐしゃぐしゃの瑠里の瞳と、辛そうな青の瞳がお互いを見つめる。
「 ……恨んでないよ。私は……青を恨んでない。だから、許さないとかは……無いよ。」
瑠里は、無意識に青の頬にそっと触れた。とても冷たい。
「 どんなに冷たくされても……嫌いになれなかった。どんなに傷ついても……大好きだった。出逢った時の青も、私を忘れていた月城さんも……大好きのままだったの。」
青は、両腕で瑠里を抱き上げるように引き寄せた。
瑠里も、ぎこちない動作で青の首に抱きついた。
自分の肩口に顔を埋めている青が震えていた。
「 本当に……本当に……!瑠里を失うかもしれないと思った。目の前で雷に打たれて倒れたおまえは……呼吸もしてなくて……どんなに頑張っても戻ってこなくて……」
その告白と、病室で見た真っ青で立ち尽くしていた青の姿が重なった。
青がどれ程の想いで自分の傍にいてくれたのかを、ようやく実感する。
「 だいたい!あんな酷い雷雨の中に飛び出すなんて、おまえは無茶が過ぎる!!」
青は、顔を起こすと、突然怒りだした。
大好きな切れ長の目が怒りに満ちている。
「 あの時、俺は瑠里に謝りに行こうと思ってたんだ!なのに!逃げただろ!?」
瑠里は、突然の青の怒りに、キョトンとなった。
今の今まで辛そうで苦しそうだったのに……
「 ……ごめん。」
「 なんで逃げた?」
「 なんでって……」
あの時の辛かった感情を思い出しているうちに、瑠里も次第に怒りが込み上げてきた。
「 ……月城さんに……青に、会いたくなかったから。だって!もう消えろとか言わないって言ったのに、失せろ!って!青が何にそんなに怒ってるのかもわからなかったの!」
「 ……それは……瑠里がアイツに……」
もごもごと、最後まで言わない青に、瑠里は体を少し離して、口をへの時に曲げながら青を見た。
「 アイツに、なによ?私は何も怒られるようなことしてないよ!」
青は、気まずそうに瑠里から目を逸らした。
「 ……悪かったよ。やっぱり悪いのは俺だ……」
次の瞬間、瑠里はぷぷっと吹き出した。
「 もう!怒ったり謝ったり、今日の青は忙しいよねー!」
それから瑠里は、軽く睨む真似をした。
「 怒りんぼだし、相変わらず口は悪いしー。でも、今度、消えろとか失せろとか言ったら絶交するからね!」
「 絶交って、友達かよ!それに、おまえ嘘ついてただろ?」
「 ……え!?嘘?」
瑠里は何の事を言われてるのかわからずに戸惑う。
私が青に嘘をついた?
「 俺が失くしてた記憶を話してくれた中に隠してることは無いって言ったよな?」
青の顔に例の悪そうな笑みが浮かび
瑠里はドキッとする。
「 隠してたら、お仕置きだって言ったの覚えてるか?」
青はそう言うと、スッと瑠里を引き寄せた。
瑠里の心臓が一気に加速する。
「 ……一番大切なこと言わなかっただろ……俺達は、恋人になるって約束したこと……」
青の顔がゆっくり近づくと、そっと口唇が重なった。
約束のキス……
あの時、実体の無い青とキスの予約をした。
ふわっと熱を感じたキスだった。
だが、実際の青の口唇は、冷たかった。
青の微かなコロンの香りが鼻をくすぐる。
お互いに初めてのキスは、ぎこちなく不器用で、何かを確かめるように何度も何度も口唇を合わせた。
青が名残惜しそうに瑠里から離れると、微笑んだ。
「 お仕置きな。こらから何度もするからな。」
瑠里は、顔から火が出ているんではないかと疑いたくなるほど、真っ赤な顔でコクンと頷いた。
大好きな大好きな青の瞳に自分が映っている。
もう、何も隠さなくても、我慢しなくてもいいのだと、実感する。
瑠里の大切な大切な、夢が叶った瞬間だった。
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