第23話  驚愕の記憶 ②



瑠里は、心を決めて、大きく息を吸い込んだ。


「 お話します。でも、私が話し終わるまで、何も質問しないでくれますか?」


「 わかった。」


とても青を見ながらは話せそうになかったので、瑠里は階段下のサブグラウンドを真っ直ぐに見つめた。


「 私が、月城さんに初めてお会いしたのは、今から1年2ヶ月前でした。」


青の顔は、絶対見ないと決めて瑠里は続ける。


「 私は、走るのが好きで、いつも家の近所をジョギングしていました。その日は霧雨の日でした。いつも立ち寄る楠の里神社という小さな神社で、月城さんと出会ったんです。」


青が息を呑むのがわかった。

そりゃそうだ。

1年2ヶ月前の青は、まだ病院のベッドで意識を取り戻せずに眠ったまんまのはずだったから。


「 正確に言えば……出会ったというか、私が月城さんを見つけた、って感じでした。それまで誰にも見えなかった月城さんが、なぜ私にだけ見えたのか……それは、未だに謎ですけど。」


「 おい!一体……何の話をしている!?見えたってどういう……」


「 質問は無しです!まだ全部終わってません!」


瑠里は、青の方は見ずに彼の言葉を強目に遮った。


「 その時、月城さんは説明してくれました。大きな事故にあった自分の体は、どこかの病院に眠ったままなのだと。なぜ、こんな風に魂のような状態で彷徨い続けているのかもわからない、と。でも、自分は死んでいないから、幽霊なんかではないと。」


とうとう話した。

彷徨っていた青のことを。

青がどんな顔をしているのかを見る勇気は無かった。

とんでもなく驚いているのか。

あまりの突拍子の無い話に、不信感の塊になっているのか。

ところが、次に返ってきた言葉は意外だった。


「 ……続けろよ。」


瑠里は、前を向いたまま続けた。


最初は、とても信じられなかったこと。

でも、どんなに頑張って青に触れようとしても彼の体は透き通っていて叶わなかったこと。

そして、青の事故やその後の事情を聞いて、信用しようと思ったこと。けれど、なぜかその不可思議な現象を怖いとは一度も思わなかったこと。


それから2回目に会うのにとても苦労して色々作戦を練ったこと。

でも段々スムーズに会えるようになって、2人で沢山話をしたこと。

青が見えるのは自分だけだから、周りに気づかれないように喋ることに苦戦したこと。

瑠里が陸上部だと知ると、クラブ活動に一緒に参加して、フォームや走り方を時間の許す限り、教えてくれたこと。

そして、高校最後の大会で優勝する為に、最後の最後まで一緒に走ってくれたこと。

それが……青と過ごす最後の時間になったこと。


瑠里は、自分が青を好きだという感情は、敢えて話の中に入れなかった。

そして青が自分を好きでいてくれたこと、2人で交わした約束も、言わなかった。



「 これが……全部です。」


沈黙が支配した。

青は身動みじろぎもせず、俯いている。

瑠里も前を向いたままだ。

どんな表情で、どんな様子かを見るのが怖かった。


どのくらいの時間が過ぎたのかはわからない。

5分だったのか……それが10分は経っていたのか……

青が、ポツリとかすれた声で


「 ……答え合わせ出来たな……」


そう言った。


答え合わせ……

前に青が尋ねた質問のことだと、瑠里は思った。

夢に出てきたという、小さな神社や見知らぬグラウンド、フラッシュバックした高校最後の大会。


「 はんっ!!なんと気味の悪い話だな!オカルトかよ!?」


次に乾いた笑いが起こった。

瑠里の嫌いな、あの笑い方だ。


「 おまえは頭がおかしいのか!?妄想癖でもあるのか!?」


青の怒りを含んだ強い言葉に、思わず瑠里は青を振り向いた。

おかしくなんてありません!と反論しようと振り向いたのだが……

青の表情を見て口を閉じた。

とても苦しそうな、辛そうな、なんとも表しがたい顔をしていた。


「 途中までは……そう怒鳴ろうと思った。だが……」


そこまで言うと、青は頭を抱えるように俯いた。


「 おまえの話と、俺が見続けている夢が……どんどん一致した。否定のしようがないくらいに。」


そうは言いながらも、信じたくない、認めたくない、という青の強い戸惑いがひしひしと伝わってくる。


当然の反応ではある。

逆の立場なら、自分だって否定するだろう。


「 確かに夢は見る。覚えのない場面や、情報が突然浮かぶこともある。だけど!!」


誰にともなく、青が突然話し始めた。


「 全てが俺の記憶には無いものばかりだ!俺は、覚えていない!知らない!!知るかよ!!」


怒りと苛立ちと混乱を、吐き捨てるように青は自分の足元に向かって怒鳴った。


「 体を抜け出した!?そこらじゅうを彷徨った!?」


エスカレートする青の怒りに、瑠里は苦しげにギュッと目を閉じた。


「 そもそも!俺は思い出せない記憶の話をしてるんだ!そんなオカルトみたいな話を聞きたかったわけじゃない!!そんなのはデタラメだ!!誰が信用するかよ!!」


瑠里は、出来ることなら耳を塞いでしまいたかった。

キツく閉じた目に涙が滲んだ。

まるで青が2人居て……

自分の知らない青に、自分だけが知っている青を、全否定されているような錯覚に陥った。


「 おまえだけに見えただと!?毎回おまえに会うために体を抜け出した!?抜け出すってなんだ!?そんなでっち上げたようなオカルト現象を誰が立証する!?誰が証明出来るんだ!?えぇ!?」


瑠里の瞳から涙が零れた。


「 黙ってないで!何とか言えよ!!」


「 ……青を……青を……否定しないで……」


瑠里は涙に濡れた目で、混乱に上気している青を睨んだ。


「 生憎、俺はおまえの知っている青じゃないんだよ!!そんな気持ち悪い奴を青と呼ぶな!そんなの青じゃねぇ!!」


「 やめて!!気持ち悪いとか言わないで!!……私の知っている青は……俺は、走るために生まれてきたんだって誇らしげに笑う人だった……」


瑠里はしゃくり上げながら、訴える。


「 大事故にあったって……走ってたことに後悔はないって……ちゃんと、元の体に戻ってみせるって……また絶対走るって!……青は……あんな状態でもちゃんと向き合う、心の強い人だった!!」


瑠里は、リュックを背負ってすくっと立ち上がり、後から後から溢れる涙を両手の甲で拭いながら


「 ……貴方なんて……青じゃない!!青なんかじゃない!!」


そう叫ぶと、その場から走り去った。





瑠里は、人目もはばからず泣きじゃくりながら校内を走り抜け、大学を後にした。


青を混乱させるのは、わかっていた。

こんなことになるんじゃないかと、恐れもした。

だから、言いたくなかった。

思い出さなければいけない気がすると言った、青の心情に期待してしまった。

自分の話を信じて受け止めてくれるんではないかと、ちょっと希望を持ってしまった。

もしくは、すぐには信じられなくとも、何らかの思い出す努力をしてくれるんではないかと、希望を持ってしまった。


だが、結果は……

「 俺はおまえの知っている青じゃない!!」の言葉だった。


瑠里は、大切に大切にしまってきたものが壊れてしっまたような気がした。


「 やっぱり……幻だったのかな?夢を見ていたのは……私の方だったのかな…。私の青は…どこにいっちゃったんだろ……」


数えるほどの人しか乗っていないバスの一番後ろの席の窓にぐったりともたれ、瑠里はボソッと呟いた。




「 おかえり!!瑠里!どうだった?」


家の玄関を開けると、瑛子がスリッパを履くのももどかし気に玄関まで飛んできた。


「 え?あ……ただいま…」


瑠里は、瑛子が何を慌てているのかがわからずに、ぼそぼそ答えた。


「 だから!出たの?自己ベスト!」


瑛子に急かされて、ようやく我に返った。


「 あ、あぁ……自己ベストね。うん、なんとか更新出来たよ!」


言葉とは裏腹な、心ここにあらずの瑠里の精気の無さに、瑛子の表情は一変した。


「 瑠里、何があったの?」


何かあったの?ではなく、何があったの?の問いかけ方が、母だった。

だが、瑠里には説明する気力が無かったし、未だかつて青の存在自体を話していないのだから、瑛子であっても言えるわけがなかった。

靴を脱いで玄関を上がると、こちらをジッと見つめる瑛子に、瑠里は済まなさそうに微笑んだ。


「 ……母さん、ごめん。もう、クタクタで…力が入らなくて……記録会の事はまた話すから……」


そう力なく言うと、瑛子の横を通り過ぎながら階段に向かった。


「 今日はもう……寝かせて……」


「 ご飯、食べないの?お風呂は?」


「 要らない。シャワーは大学で済ませてきたから。」


階段を上がりながらそう返した瑠里に、


「 どこか痛めたりしてないわね?」


瑛子の心配そうな声が追う。

瑠里は足を止め、階段下の瑛子にもう一度微笑んだ。


「 大丈夫、どこも痛めてないし、ちゃんとストレッチもしてきたから。ちょっと……疲れただけ。」


瑛子は、ちょっとの間、瑠里の顔を見つめると、ニッコリ笑って大きく頷いた。


「 了解!好きなだけ休みなさい、おやすみ!」


母さん、ごめんね……心の中で呟く瑠里だった。




休養明けの三日後、合宿行きメンバーが発表された。

長中距離班からは、男子20名、女子10名の名前が学年別に、クラブハウスの玄関フロアーに貼り出してあった。


「 瑠里ちゃん!やったね!合宿一緒に行けるよ―――!」


張り紙前で呆然として眺めていた瑠里に、夏海が抱きついてきた。

五千メートルの女子メンバーに、特待生の坂上と共に瑠里が選ばれていたのだ。


「 ……本当かなぁ……」


ぼんやりと首を傾げる瑠里に、夏海は笑いながら指で頬をつついた。


「 頬っぺた、つねってあげようか?」


「 や、やめて!」


瑠里が、慌てて横に飛びのくと、夏海がクスクス笑った。


「 それと、もう一つ!良かったね?」


「 ん?何がもう一つなの?まだ何かあるの?」


聞き返した瑠里の腕を、夏海が意味深に肘でつついた。


「 月城さん、駅伝メンバーに復帰だって!」


そっか……駅伝メンバー復帰出来たんだ……

張り紙の男子の方に視線を移し、瑠里はぼんやりそう思った。


「 あれ?嬉しくないの?瑠里ちゃん、ずっと気にしてたよね?」


「 あ……ううん、良かったって思ってるよ… 」


瑠里は、取り繕うように笑って見せた。

あの記録会後の告白以来、青を見かけることはなかった。

休養日があったから当たり前なのかもしれなかったが、その後の練習日でも青は不参加だったような気がする。


ような気がする……

すなわち、瑠里自身が青を探さなくなっていた。

あの日を境に、瑠里は自分の中に、ぽっかりと穴が空いた様な感覚に陥っていた。

何かとても大切な物を失ったような……そんな感覚に近かった。


そして、ずっと自分に言い聞かせていることがあった。

「 俺はおまえの知っている青じゃない」……という言葉だ。

自分の知っている青は、目覚めなかった。

もしくは、本来の体に戻った瞬間に消滅してしまった。

同じ顔、同じ声、同じ姿を持ってはいるけれど、今を生きている 月城 青は、全くの別人なのだ。

自分が好きになった 月城 青は、もうどこにも居ないのだ。

だから、探さない。

だから、追わない。


それに、今の青にとっては、自分の記憶は彼を苦しめる要因でしかない。

自分が彼から遠ざかれば、気味の悪い夢も見ないだろうし、奇妙なフラッシュバックも起こらない。

そして、なにより、別人のような青に傷つけられることも無くなる。

それこそ、一石二鳥ではないか!

瑠里は、悲しげにそう思った。



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