第22話  驚愕の記憶 ①



約束をした。

記録会が終われば、全てをちゃんと話すと、約束をした。


青は、記録会で自身の復活を公に知らしめた。

1年半のブランクがあり、大事故からの復活だけでも凄いことなのに、誰にも文句を言わせないタイムまで叩き出したのだ。

おそらく、合宿メンバーにも選出されるはずだし、駅伝メンバーにも復帰出来るかもしれない。

いわば、青にとって大切な時期だ。

そんな時期に、あの不思議な体験を話して、混乱させてもいいものだろうか?

彼が、この話をすんなり受け入れるとは、どうしても思えない瑠里は、ずっと迷い続けていた。

このまま、合宿だとか大会前の練習とかの忙しさにかまけて、あの約束を無かったことにしてしまうことは可能だろうか?


青と劇的な再会をして、恋人になる……

それが瑠里の支えで、夢でもあったけれど、それはあくまでも青があの時の約束を覚えているということが大前提だ。

今を生きる青には、自分を好きでいてくれたことどころか、自分の名前も、存在すら、全く覚えていないのだ。

それが、現実。

それが、二人の今。



瑠里は、記録会の終了後、夏休み中のスケジュールの為のミーティングに参加すると、帰り支度を済ませてクラブハウスを後にした。


5時を回って、ようやく日も傾き、だるような暑さは収まりはじめたが、昼間焼けついたアスファルトからは熱気がいまだ立ち昇っていた。


メイングラウンドを通り過ぎ、サブグラウンドを過ぎようとした時、自動販売機横のベンチに、青が1人で座っていた。


一瞬、そのまま通り過ぎようかと迷った瑠里だったが……


「 やっと出てきたか。」


肩越しに振り返った青のその言葉で、彼が自分を待っていたことを知り、小さく息を呑んだ。


「 ……お疲れ様です。」


ペコリと頭を下げた。

青はゆっくり立ち上がると、ジャージのポケットに手を突っ込み、小銭を出した。


「 おまえ、何飲む? 」


え?一瞬、耳を疑った。

小銭を出して、何を飲むか?と尋ねられるということは……


「 月城さんが、奢ってくれるんですか?……私にですか?」


「 おまえ以外の他に誰がいる?いいから、早く言え。」


えぇ!?本気で言ってます!?

瑠里は、必要以上に瞬きをして自動販売機を向いてる青の背中を見つめた。


「……まぁ、お祝いみたいなもんだ。自己ベスト更新出来たんだろ?」


えぇ!?青が、私を、お祝い!?

嘘みたいなんだけど!!

瑠里は、思いがけない青の言葉に、さっきまでの気分は一瞬にして吹き飛び、パァッと満面の笑顔になった。


「 あ、ありがとうございます!レモン炭酸でお願いします!」


それから急いで自分のリュックの横ポケットから小さな小銭ポーチを出すと、


「 月城さんは、何がいいですか?月城さんのは私が買います!」


ニッコリそう聞いた。


「 は?何で俺がおまえに奢られるんだ?」


青は、顔だけ振り向いて眉を上げた。


「 だって!月城さんも完全復活じゃないですか!やっぱりお祝いしないと!」


瑠里は、迷わずニッコリ笑った。

青は一瞬、不思議そうな表情で瑠里を見た後、自販機に向き直りボソッと答えた。


「 ……俺は、コーラだ。」


「 了解です!」



二人は、それぞれの飲み物を渡し合うと、ベンチに並んで座った。

ベンチの狭さもあったが、いつもより近い距離に座ることに、瑠里の心音の速度が上がる。


二人は飲み物をそれぞれにプシュッと音をさせて開けると、乾杯の真似事のように、軽く持ち上げた。


「 完全復活ですね!凄い走りでした!」


瑠里の賛辞に、青は微かに苦笑した。


「 凄くもなんともねぇよ。タイムも全然だ。最後はバテたしな。」


青の自嘲気味な言葉に、瑠里はキョトンと首を傾げた。


「 何でですか?1年半振りのレースですよね?」


「 まぁ、な。」


「 さすがに自己ベストとかは無理でしょうけど、あれだけの走りで4年生と同等に走ったんですから、凄いです!」


迷いのない、あっけらかんとした瑠里の言葉に、青は思わずフッと笑った。

この彼女の超前向きな喋り方も、なぜか知っている気がした。


「 俺のことよりも……高宮は、タイムいくらだったんだ?」


「 えーと、16分52秒です!」


「 やれば出来るじゃねぇか。」


「 ですよねぇ!17分切るなんて凄くないですか!?まだ信じられなくて!」


瑠里は、ゴール直後の興奮を思い出し、人差し指を立てて得意気に笑った。

人差し指を立てて得意気に話す……それは、瑠里の昔からの癖で、以前青と過ごした時間の中でも、何度も見せていた仕草だったが、おそらく再会を果たしてからは、初めて見せた仕草だった。


その仕草に、再び青の記憶は反応をした。

ズキンとした痛みが襲う。


「 ……やっぱり、俺は……おまえを知っているんだよな。」


僅かに顔をしかめながら、青がボソッと呟いた。

瑠里は、辛そうな青の表情に、小さく溜め息をつく。

私と居ると、どうしてもその話しになっちゃうんだな……


「 あの……」


瑠里は迷いながら話し始めた。


「 大きな事故にあうと、殆どの人がその時の記憶を失うらしいって、読んだことがあります。ケースもまちまちで、自然と思い出せる場合と、ずっと思い出さない場合があるそうです。」


「 そんなこと、どこで読んだんだ?」


「 以前……図書館で。」


瑠里の発した 図書館 というワードに、再び青が反応した。


「……そう。図書館も夢に出てきた。何か調べものをしていたような……」


青の目覚めてからのリハビリとかを知りたくて、一緒に通ったんだよ……

瑠里は、大会前日の図書館での二人を思い出した。

青はいつもの大笑いで、楽しくて幸せだった日……



「 月城さん、自然に任せませんか?無理に思い出そうとしなくても……支障は無いんじゃないですか?」


瑠里は、思い切って口を開いた。


「 支障か……」


青は、遠くを見ながら呟いた。


「 俺も、そう思っていた。記憶が抜け落ちていようが、別に構わないと。走れるだけの体力や能力が戻りさえすれば……僅かな記憶など取るに足らないと。」


取るに足らない、という言葉に、思いの外傷つき、瑠里は小さく口を噤んだ。


「 だが……記憶の欠片のような夢はずっと続いている。なんなら前より増えた。あまりに鮮やか過ぎて、まるで現実のようにだ。」


青はそこで瑠里を見た。


「 以前にも、今日のような競技会に出たことあるか?」


……ある。

それこそ、高校最後のあの大会だ。

青と会えるのが最後になった大会。

瑠里は、頷くでもなく、少しうつむいた。


「 今日、夢ではなく、同じような光景がフラッシュバックのように頭の中に甦った。おまえが最後のコーナーを回った瞬間だった。」


瑠里は、え?と顔を上げて青を見た。


「 ……私のレース、見ていてくれたんですか?」


「 あぁ、見ていた。」


記憶云々の話より、瑠里には青がレースを見ていてくれたことの方が、純粋に嬉しかった。


「 私、ちゃんと走れてましたか?直すところとか、無かったですか?」


肝心な事には答えようとしないのに、走りの事になると顔を輝かす……

そんな瑠里に、青は呆れて小さく笑った。


「 自己ベストが出たってことは、いい走りだったからだろ?まぁ、改善の余地はあるがな、コーナリングがぎこちない。」


「 やっぱり!」


瑠里は、ポンッと膝を叩いて頷いた。


「 頑張って練習したんですけどねぇ。肩を意識し過ぎちゃって。秋までには、克服します!」


自分が今から話そうとしている事を、分かりやすくはぐらかす瑠里に、青は鼻の頭に皺を寄せながら頭を軽く振った。


「 今しているのは、おまえのレースの話じゃない。」


苛立ちを含んだ青の声に、瑠里はまた黙り込んだ。


「 話したくないということか?」


「 だって……記憶の話をすると、月城さん、調子悪くなるじゃないですか……なんか、苦しそうだし……」


瑠里はもぞもぞとそう言った。

それが瑠里の気遣いだと知ると、青の表情は緩んだ。


「 上手く言えないんだが……」


「 はい。」


「 思い出さないといけない気がして仕方ないんだ。なんて言うか……頭の中にもう一つの頭があって……そいつが諦めようとしないというか……」


青は頭をかきむしるようにうつむいた。

青の中にもう1人の青がいる……?

それが私の知っている青?


それでも瑠里の迷いは残る。


「……もし、忘れている記憶の事を私が話したとしても……また走ることを教えてくれますか?」


「 そもそも、俺は教えているつもりは無い。」


一旦、否定したものの、青は言葉を継ぎ足す。


「……たまに、あまりにお前が下手くそな時は、注意はするけどな… 」


「 1番嫌なのは……言って欲しくないのは……二度と関わるな、近づくな…なんですけど…」


瑠里は、恐る恐る、伺うように青を見た。

青は、意外そうに少し眉を上げ苦笑いらしきものを浮かべた。


「 すまなかったって、言ったろ?……もう、言わねぇよ。」


信じたい。

もうあんな風に傷つきたくない。

青に好きになって貰えなくても、嫌われたくない。

あんな話をしても、嫌われないだろうか?


「 いいから、言えよ。」


もたもたぐずつく瑠里に、青が促した。








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