第19話 瑠里の苦悩
これで、何回目だろう?
青に冷たく拒絶されるのは……
再び「 関わるな、話しかけるな 」の一方的な宣言を言い渡されて、瑠里はヘナヘナと座り込んだ。
せっかく、少しずつ少しずつ“ 走る ”ことを通して距離が縮まっていた気がしていたのに……
今度は、何が原因だろう?
瑠里の目に涙がじわっと滲んだ。
なんだか、くたびれた。
やっと再会出来た青は、もはや瑠里の知っている青ではなく……
思い出しては欲しいけれど、それを今の青に望むのは、厳しいことなのかもしれないと、思い始めていた。
時々、ほんの少し、記憶の欠片が残っているように見えることはあったけど……
そういう時は、決まって青は苦しそうにする。
思い出して貰えるよりも、青のそんな苦しむ姿を見る方が、瑠里には辛かった。
いっそのこと……幻のようなあの時間は、大切な思い出として胸の奥にしまい込めばいいのではないかと。
あの二人で過ごした時間が夢ではないことを知っているのは自分一人だとしても、忘れなければいいと。
何より大切なことは……青が生きていることなのだから。
近づくな、と言われても、少なくとも彼を見つめていられる。
彼が走る姿を見ると、とても幸せな気持ちになれる。
それだけで、いいのではないかと……
その日を最後に、青はサブグラウンドには来なくなった。
驚いたのは、その代わりに通常の部の練習に姿を現したことだった。
最初、部内の皆がざわついた。
青と揉めたことのある人間は、いい顔をしなかったのもみてとれた。
だが、彼の実力を知っている者は、彼の走力が戻りつつあることに驚いてもいた。
「 とうとう登場したわね!月城 青!」
夏海が瑠里の側に寄ってきて小声で囁いた。
「 そうだね…」
「 歓迎されてない感がハンパないけど、さすが一匹狼!我関せずの無表情ねー」
瑠里は、夏海の冷やかすような言葉に苦笑いしながら
「 月城さんは……走れればいいんだと思う。」
「 まぁねぇー。彼の走りが凄いのは、鈴木コーチも感心してた。とても大事故にあった人間には見えないって。」
そこだけは、「へぇー」と、嬉しそうに頷く瑠里だった。
そして、瑠里の自主練は、止めることなく続けられた。
青に会いたい一心で始めた自主練ではあったが、練習を積んでいるうちに、走ることへの欲やタイムアップしたいという欲が生まれた。
実際、合同ランでの瑠里のタイムは着実に上がっていて神崎や金沢を驚かせた。
自主練を始めた頃に、青に注意された四肢歩行も、ブレることなくスムーズに移動出来るようになった。
ビルドアップ練習も、最初の頃よりも早目のタイムを刻めるようになっていた。
そして、一人で頑張り続ける瑠里の姿を、サブグラウンド上の自動販売機横のベンチに座ってジッと眺めている人物がいた。
青だ。
部の練習に参加するように促され、瑠里との接触を避けたい理由から自主練をパタリと止めたが……
どうしても足がサブに向いてしまう青だった。
黙々と走り込んでいる彼女を見ていると、なぜか心が満たされた。
誰かを見ていて心が和んだり満たされることなど……生まれて初めての感覚だった。
無理矢理理由をこじつければ、特に会話することもなく黙々と背中合わせに練習する心地好さみたいなものをいつの間にか感じていたのかもしれない。
例の頭痛は、相変わらず続いていた。
瑠里を避けるようになっても、そこは何ら変わらなかった。
それどころか、どういうわけか、今度は夢に瑠里が頻繁に現れるようになった。
見たこともないグラウンドを一緒に走っていたり……
行ったこともない古い小さな神社の大木の根本に二人で座っていたり……
なぜそんな不可解な夢を見るのか全くわからなかったが、夢から覚めた朝は、頭の中のモヤが濃くなり頭痛に襲われた。
それらを何度も何度も冷静に考えてみた。
そして、やはり、自分は一部の記憶を失っているのだという結論にたどり着いた。
そして、その答えを知っているのが高宮 瑠里なのだとも。
ある日、いつものように自動販売機横のベンチから瑠里の走り込みを眺めていた青は、突然思い立ったようにサブの階段を降りてグラウンドに入った。
走り込みを終えて膝に両手をつき、肩で呼吸をしている瑠里の横に立ち、声を掛けた。
「 課題はコーナリングだ。」
だが、不思議なことに瑠里は顔を上げなかった。
青が突然現れたり、声を掛けるといつも飛び上がるように反応していた瑠里が、無反応だった。
それどころか、呼吸が整うと、体を起こし青を見ることなく階段の方へ歩き始めた。
青は、予想外の瑠里の反応に、少し慌てた。
「 おい!聞いてるのか?」
だが、やはり瑠里は振り向かない。
青が渋々瑠里の後を追うと、瑠里はタオルでゴシゴシ顔や腕の汗を拭き、次に水をゴクゴクと飲む。
「……スルーかよ?」
青の苛立たしい声を背に受けて、瑠里はようやく振り返った。
思い詰めたような目で睨んでいる。
瑠里の初めて見せた怒りに、青はちょっとたじろぐ。
「 ……二度と関わるな、話しかけるなって言いましたよね!?」
真っ直ぐな眼差しと強い言葉だった。
「 コーナリングが課題なのは、痛いほどわかってます!でも……もう私のことは、放っておいて下さい!」
瑠里の声が震えた。
「 あんな風に……突然突き放されると、とても傷つくんです!月城さんは何とも思わなくても、私には…私には…キツイんです!」
今にも泣きそうな顔で睨む瑠里を見て、青は思わず空を見上げて目を閉じた。
「…………すまなかった。」
青が……謝った。
青の初めての謝罪に、瑠里は驚き大きく目を見開いた。
いつも冷たくて、無表情で、人を寄せ付けない青が、謝った。
瑠里は、すぐに答えられずに首に掛けたタオルを両手でギュっと握る。
再び瑠里を見た青の表情に、複雑な感情が表れると
「……少し、話せないか?」
そう言った。
瑠里に、断る選択肢などない。
再会してから、初めて青から話したいと言われたのだ。
初めて彼の感情が動いたのを見た気がした。
いつものように、どちらともなくいつもの距離を空けて並んで座った。
かといって、すぐに話し始めるわけではなく……
3分程経った時、青がポツリと呟いた。
「 ……どうも、俺は事故のせいで、記憶が抜け落ちているらしい……」
知ってる……瑠里は胸の中で呟いた。
「そして、おまえ…高宮は、俺のことを知っているんだろう?」
名字ではあったが、青が初めて瑠里を名前で呼んだ。
瑠里は、少し遅れて小さく頷いた。
「 事故の前に、俺は高宮に会っていたのか?」
瑠里は……その問いかけには答えられずにうつ向いた。
それが、神崎や夏海には本当のことを言えずについた嘘だったからだ。
「 俺は……高宮に、コーチングしたのか?神崎が、おまえからそう聞いたと言っていた。」
その質問には、コクンと頷いた。
事故の前ではないが、ちゃんとコーチングして貰ったのは本当だから。
「 俺は、何を教えた? 」
「 ……主に、フォームを。」
「 他には?」
「 五千メートルのペースの配分を……教えて貰いました。」
青は、眉を潜め、うつ向きながら辛そうにこめかみを押さえる。
また頭痛に襲われた。
瑠里は、また苦しそうにうつ向く青の姿に慌てた。
「 大丈夫ですか!?」
青は、それには答えずに痛みが収まるのをジッと待った。
瑠里は祈るように息を呑んで見守る。
「 ……それと……」
青は顔を上げ、前を向いたまま続ける。
「 最近、頻繁に、高宮が夢に出てくる。」
「 ……夢、ですか?」
瑠里は自分が青の夢の中に登場していると聞かされ、恥ずかしさに頬を赤らめた。
変な夢だったらどうしよう……
「 どこかはわからないが……古い小さな神社の……大きな大木の根元……」
それは、楠の里神社の大楠木です。
心の中で答える。
「 ある時は……どこか知らないグラウンドみたいな所を二人で走っていたり……」
それは、私の通っていた高校のグラウンドです、きっと。
だが、どれも声に出来ない答えだった。
瑠里は、深く深く迷っていた。
本当の事を話せる相手は、青以外にいないけれど、果たして話してもいいのだろうか?と。
ならば、何と話せばいいのだろう?
貴方は、眠っている間に体を抜け出して、彷徨っていたんです、と?
そして、私と出会って、恋をしたんです、と?
必ず迎えに来てくれる約束を交わしてくれたんです、と?
おそらくは、人と関わることを極端に拒んできた彼が……私なんかの話を信じてくれるのだろうか?
疑って、否定して、怒って……結果、彼を傷つけることになりはしないだろうか?
長い眠りから覚め、地獄のようなリハビリを乗り越えて、ようやく走れるようになり、もうすぐ完全復活する青に。
「 なぜ、何も言わない?なぜ、何も答えない?」
黙り込んだままの瑠里を、青は訝しげに見た。
「 ……なんで、そんなに辛そうにしている?」
無意識に両手をキツく握りしめ、うつ向いて考え込んでいた瑠里に青は不思議そうに首を傾ける。
瑠里は、すぐに顔を上げなかった。
辛いに決まってる。
大切な大切な二人の思い出を告げられないなんて、辛すぎる。
でも、やっぱり、今は、言わないことを選択する決心をした。
瑠里は、自分自身に小さく頷くと、顔を上げ、青に笑いかけた。
「 1つ、教えて欲しい事があります。」
「 なんだ?」
「 やっぱり……私に、コーナリングのコツを教えて下さい!」
「 は?それは……交換条件か何かか?」
相変わらず訝しんだ眼差しの青に、瑠里は手を振って笑った。
「 ち、違いますよ!交換条件なんかじゃないです!」
瑠里は、少し真顔になって、青を見つめた。
「 私、今は記録会に集中したいんです。初めての記録会だし、自分なりに頑張ったので、自己ベストを出したいんです!」
青は、瑠里の決意表明みたいな意見に、不思議そうな顔をした。
「 出るんじゃないか?今の高宮なら」
そうあっさり言った青に、瑠里は目を丸くする。
「 そ、そんな簡単に言わないで!……下さい。」
「 事実だろ?現に、合同ランでのタイム上がってるだろ?」
合同ランでのタイムは、夏海が細かく計ってくれていたので伸びてきていることは、瑠里も知っていた。
だが、おそらく本番は違う。
特待生組ももっと仕掛けてくるだろうし、かつて高校最後の大会で緊張の為に大きく出遅れたトラウマがある。
あの時は、青が側について落ち着かせてくれた。
でも……今度は一人だ。
誰も助けてはくれない。
「 月城さんは、駅伝メンバー復帰を目指しているんですよね?」
「 そうだ。」
「 この話の続きは……記録会終わってからにしませんか?」
「 それは、今は話したくないということか? 」
瑠里は、青の問いかけに小さく首を振った。
「 ちょっとだけ……複雑な話なので、上手く伝えられる自信がなくて……それなら、今ではなくて、まずは記録会を頑張って、お互いに目標達成してからちゃんとお話ししたいなって。」
青は、少しの間、瑠里の真剣な顔を見つめた。
そして徐に前を向くと小さな溜息を吐いた。
「 まさか、おまえに諭されるとはな。だが……たしかに、今の最優先事項は俺のどうでもいい抜け落ちた記憶ではないな。」
青はそう言いながら自嘲の笑みを浮かべた。
どうでもいい記憶なんかじゃないよ!
瑠里は、口唇を噛みながら胸の中でそう叫んだ。
相変わらず辛そうな顔の瑠里を見て、青はスッと立ち上がった。
「 コーナリングをスピード落とさずに走るには頭の位置が大切だ。コーナーに差し掛かると、遠心力に対抗しようとどうしても体の軸が斜めになる。そうすると頭の位置も左に傾く。常に地面と直角に頭と軸を保てば推進力が前に向く。」
青は、手振り身振りで体を使って説明を始めた。
瑠里も、慌てて立ち上がって青の説明を体で覚えようと真似をする。
「 前半の比較的ゆっくりの時はそこまで意識しなくてもいいが、最終になるとスピードが落ちることがタイムダウンになる。頭を起こせば自然と左肩が前に出る。コーナーに差し掛かると同時に左肩から走るイメージを持て。」
なるほどと、頷きながら瑠里は軽く腕を振りながら肩を意識してみるが、真っ直ぐのこの場ではイメージがわからない。
それを見た青が、人差し指を立ててグラウンドの方へ3回倒した。
「 3周走るぞ。1周はゆっくりめ、2周目からスピード上げるから、今言ったことを実践して感覚を掴め、いいな?」
青はそう言うと、グラウンドに向けて走り出した。
瑠里は、しっかりと頷くと後を追って走り出した。
青の背中を追って走るのは、二回目だ。
前回は、色んな想いが溢れて泣き出してしまったが、今回はそんなことにはならないと、決意する。
こんな風に一緒に走ってくれるのも、最後になるかもしれない。
記録会が終わって、本当の事を話せば……今度こそ、二度と近寄れない人になってしまうかもしれない。
だから、しっかりと刻もう。
一生忘れないでいよう。
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