第6話  恋する季節



朝のニュースの天気予報は、昼から降水確率60%だった。

三階の教室の窓際の席に座り、瑠里はどんよりとした空を眺めて小さく溜息をつく。

神社へ向かう頃まで、天気は持ちそうにないなぁ……

何の気なしにグラウンドに泳がせた瑠里の視線は、何やら人影のようなものをとらえた。


ん?こんな時間に誰か走ってる?


瑠里は三回瞬きをして、窓におでこを押し付けながらグラウンドを見渡した。

この時間はどこも体育はやっておらず、授業中の今はグラウンドは無人のはずだった。

この位置からは、はっきりとした顔までは見ることが出来なかったが、その人影はグラウンド内にひかれたトラックを優雅に走っている。

遠くからでも、その走るフォームが流れる様な無駄のない美しいものだとわかる。


「 青!?」


二週目にさしかかって、わずかにその “ 人影 ” が校舎側に近付いた時、瑠里は驚きのあまり大きな声を張り上げた。


「 高宮君?どうかしたか?」


窓に向って突然大声を出した瑠里は、クラス中の注目を集めた。

国語の男性教師が、びっくりして黒板から振り返り眉をひそめると、瑠里の顔が一気に赤くなり、慌てて立ち上がって申し訳なさそうに微笑んだ。


「 す、すみません!なんでも……ないです」


「 おいおい、寝ぼけんなって!でっかい寝言!」


近くの席の男子がここぞとばかりに野次を飛ばし、クラス中にクスクス笑いが広がる。

瑠里はその男子に口唇を突き出して睨むと、教師にペコリと頭を下げて席に着いた。


それどころではない!瑠里はすぐさま顔を窓につけて、横目で必死にグラウンドを見た。

さっき見た人影は、間違いなく青だった。

いつものパーカーにいつものジーンズ、ちょっとぼやけて見えるその姿は、見間違う訳が無かった。

昨日、神社で別れた彼が、どういうわけか自分の学校のグラウンドを走っている。

今日もこの後、神社まで走って行き、昨日までのように青を待つつもりだったのに、だ。

瑠里の胸は、小さなパニックと興奮状態に包まれ、息苦しくなった。

一体何が起こったのかを確かめたくて、今すぐ青の元へ飛んで行きたくて、瑠里はジリジリした。


トイレに行きたいと申し出てみようか?いや、それだとすぐに戻らなければ怪しまれる。

いっその事、気分が悪くなったと申告して保健室へ行くふりはどうだろう?いや、実際に保健室に行ってないとばれれば、その方が問題だ。


相も変わらず流れる様なフォームで走っている青の姿を目で追いながら、瑠里は一瞬だけ時計を見た。

あと八分で授業が終わることに気付き、待つことにする。

その間、瑠里は片時も青から目を離さずにいた。

また突然消えてしまうのではないかという不安に、どうしようもなく支配される。

昨日の今日、続けて青に会える事自体が奇跡なのに、こうしてグズグズしている内にその奇跡を手放してしまったらどうしよう、と泣きたくなる。


もう長いこと学生をやってきているが、これ程までに授業終わりが待ち遠しく感じた事はなかった。

チャイムが鳴り終わり、男性教師が教室を出るより先に、瑠里は弾丸のように部屋を飛び出した。

全速力で廊下を走り、階段は二段飛ばしで飛ぶように駆け降りていく。一階まで下りると、授業を終えた生徒たちが姿を現し始め、瑠里はぶつからないように疾風の如く走り抜けた。

エントランスまで来ると、上履きのまま外へ飛び出し一気にグラウンドまで走った。


「 青!!」 


思わず声が出た。

だが……つい今しがた、終業のチャイムが鳴るまでは確かに走り続けていた青の姿が、もうそこには無かった。

息を切らし、肩で大きく息をすると、瑠里はあらためてグラウンドの隅から隅まで視線を這わせて青の姿を探してみたが、見当たらない。

瑠里はグラウンドへ続く広い石の階段を降りて、もう一度見渡す。

雨前の強い風がグラウンドを渡ると、埃臭い香りが一気に舞い上がってくる。

瑠里は泣きそうな顔で空を仰いだ。やはり奇跡は起きなかった。

間違いなく青は現れていたのに、もう消えてしまった。

こんなに急いで走ってきたのに、待っていてはくれなかった。


「 青のバカ!いい気になって走ったりするから、消えちゃうんだよ!」


瑠里は行き場のない想いを、空に向って吐き出した。



「 おまえにバカ呼ばわりされる覚えはないね!」


またもや突然、瑠里の頭の中に彼の声が響いた。

瑠里は飛び上がる様に反応して、慌てて辺りを見回して声の主を探す。


「 青!?どこ!?」


彼はグラウンドに続く石階段の右端の上段に座っていた。

ついさっき瑠里が降りて来た時にはいなかったはずの所に。


瑠里は青の姿に一瞬息を呑むと、急いで走り寄る。


「 ずっとそこにいた?ううん、いなかったよね?あ、……そうじゃなくて、なんで走ってたの?それより、なんでここに来たの?」


パニックと共に矢継ぎ早に質問を投げかける瑠里に、青は呆れたように首を振り、自分の口元に人差し指をあて、黙る様に促した。


「 黙れよ!ここはあの誰もいない神社じゃないだろ?俺が見えるのはおまえだけなんだぞ 」


瑠里は訳がわからずに、首を傾げる。

ん?青が見えるのは私だけ……?


ややあってから、瑠里はようやく青の言っている意味を呑み込むと、ハハッと笑った。


「 そうだったね!私が青に話しかけると、側からはおかしな風に見えるんだね?パントマイムとか、一人芝居とか、かな?」


そう言いながらも、青の横にちょこんと腰を掛けてのんきに笑う瑠里に、青はやれやれと溜息を洩らす。


「 極楽とんぼって呼ばれるのも、無理ないな……」


青の愚痴は無視して、瑠里はあえてグラウンドを眺めながら呟く様に話す。


「 でもさぁ、どうやって話せばいいわけ?聞きたいことが山ほどあるのにさぁ」


青は意地悪そうにニヤリと笑う。


「 それこそ、腹話術でいいんじゃねぇ?」


青の小さな復讐を、瑠里は面白がった。

言われたとおりにさっそく腹話術の真似をしてみる。

不自然に横一文字に口を結び、中央にわずかな隙間を作って、喋ってみた。


「 だから、青はなんでここに現れたの?」


瑠里のその声は、まるでアニメの猫かネズミが喋っているようなおかしなトーンだった。

青は、たちまち爆笑した。

横で身体を抱えるように大笑いする青に、瑠里の顔もほころんだ。

青は、よく笑う。気持ちがいいほど大笑いする。

青が笑うと、瑠里も楽しくなった。

彼の笑いが収まるのを楽しげに待って、瑠里はもう一度小声で尋ねた。


「 ねぇ、ほんとになんで私の学校がわかったの?」


「 いや、偶然だろ?瑠里の名前を念じてみたらここに来たってかんじだから」


「 おぉ~!!」 


瑠里は小さな歓声を上げた。


「 それって、凄いよねぇ?私の名前を念じたら私の居る場所に来るって事じゃない?」


青はわずかに首を傾げる。


「 さぁ、どうなんだろな?今回だけかもしれないし、もし瑠里の言うとおりだったら、もう神社巡りからは解放されるってことだしな 」


だが瑠里の頭の中は、それどころではなかった。

青が自分の名前を念じると、自分の居る所に来てくれる……その奇跡のような嬉しい出来事を何回も頭の中で繰り返し唱えた。


「 なぁ、もう戻らないとやばいんじゃないか?誰もいなくなったぞ?」


周りを見渡す様にしながら、青にそう指摘されて、瑠里は我に返った。


「 やば!ホームルームが始まる!」


慌てて立ち上がり、制服のスカートの後ろを掃うと、瑠里は青の顔を見下ろした。


「 待っててくれる?終わるまで、ここで」


「 瑠里に会いに来たんだから、待ってるよ。それ以外に俺がここにいる理由は無いからな 」


「 うん!オッケー、じゃぁ、大急ぎで済ませてくるからね!」


瑠里は、青の言葉を胸の中で噛み締めると、ニッコリ笑って校舎へ急いだ。


私に会うためだけに、青はここに来た!

私に会う事だけが、青のここにいる理由なんだ!


来た時と同じぐらい大急ぎで教室に戻りながら、瑠里の胸は大きな喜びと興奮に包まれていた。

家族以外で、こんな風に誰かと関わった事は無かったし、他人にこんな風に必要とされた経験も無い。

今現在、青が見えるのは自分だけで、自分だけが青と話せて、青がこんな風に彷徨っている事を知っているのも自分だけで……彼にとっては自分だけが唯一無二の存在のような気がしてくる。

そう思うだけで、とてつもなく胸が弾んだ。

もはや色々な意味で、瑠里にとって青は特別な存在になっていた。



その日を境に、青は毎日姿を現した。

それも、必ず瑠里の居る場所に、突然現れる。

学校ならば、授業中はもちろんのこと、昼休みであったり、クラブ活動中であったりと、時ともなしに現れて瑠里を心底驚かせた。

何よりも神経を使ったのは、青が見えるのは自分だけだから、むやみやたらに話しかけられない事だった。

学校において、瑠里が一人っきりになる事は極僅かな時間であったし、仮に昼休みに現れた青を誘導して、体育館裏や滅多に人が来ない場所に連れて行っても、常に気は抜けなかった。

人気ひとけのない場所を探すのはなにも瑠里だけでは無く、高校生カップルならば、まぁ、当たり前の事だ。

だから、二人の世界に浸っているカップルに出くわして、気まずい思いをすることも度々あった。

そういう時の瑠里は、あたふたと慌てて顔を真っ赤にした。

だが、青はそんな瑠里をとても面白がった。


「 おまえさぁ、彼氏とかいないわけ?」


ある日の昼休み、屋上につながる非常階段の踊り場で、ようやく二人きりになれたとたん青がからかい口調で聞いた。


「 いたら、青の相手なんかしてるわけないし!わかって聞いてるでしょう?意地悪!」


青は、予想通りの瑠里の反応に大笑いする。

最近では、青も口を動かして喋る様になったから、その笑いもとても自然に見える。


「 いやいや、悪かったな、俺なんかの相手させて。でも、瑠里に彼氏が出来ないのは俺のせい、なんて言うなよ?」


「 それはどうかなぁ?青にも責任はあるよ!」


瑠里は、わざとらしく口を尖がらせて青を睨んで逆襲に出た。


「 毎日毎日、大変なんだからね!青は平気で喋りかけてくるけど、私はみんなの前では喋れないんだよ?最近の私の様子は絶対に不自然極まりないだろうって、自覚できるくらいなんだから。もし、私の事が好きだと思っている子がいたとしても、きっと近付き難くなってるに決まってる!……と思うんだな 」


「 残念ながら、それはないな 」


青が間髪を入れずに答えて、笑った。


「 学校中のことはわからんが、少なくとも瑠里のクラスにおまえを好きな男はいないよ 」


「 なんで青にそんなことがわかるのよ!?」


淡々とした青の否定に、瑠里は内心傷ついた。

まるで、おまえには何の魅力も無いよ、と言われたような気がした。


「 俺は、実体のない人間だからな。なんとなくわかるんだよ、誰のエネルギーが誰に向いてるのかって事が 」


青は瑠里の複雑そうな表情にも気付かずに、得意気に続けた。


「 誰かが誰かを好きだったりすると、そいつのエネルギーみたいな物が一人の人間に向かって放射してるのがわかる。最近、気が付いたんだけど、そのエネルギーみたいな物にはぼんやりと色が着いてるんだ。

好意的な感情には、黄色っぽい色。敵意のような感情には、赤っぽい色だな 」


そこまで聞くと、瑠里の拗ねたような表情は一変して、興味津々となった。


「 すごーい!本当なの?マヂでそんなオーラみたいなのが見えるの?」


「 オーラか……確かにそんな感じだな。やっぱり俺がエネルギー体そのものだからかもしんないな 」


腕組みをしながら、納得するように呟く青に、瑠里は恐る恐る尋ねる。


「 あのさぁ……私、誰かにひどく嫌われてたりするのかなぁ?なんか見える?」


「 いいや、なんにも見えん」


今度はその淡々とした答えに、瑠里はちょっとだけ胸を撫で下ろした。だが、青はわずかに目を細めて瑠里を見た。


「 なぁ、おまえ友達とかいる?親しくしてる奴は?」


瑠里は、一瞬答えに詰まり苦笑いを浮かべた。


「 適当にお喋りしたり、その時の流れでお昼一緒に食べたりする子はいるよ。別に誰とも喋んないわけじゃないのは、青だって見て知ってるでしょ?ただ……」


「 ただ、なんだよ?」


「 特別に親しい子は、いないかな。……苦手なんだ、そういうの」


「 だと思ったよ 」


青の訳知り顔に、瑠里は眉をひそめた。


「 誰も、瑠里に関心が無いように見えたからな。というよりも、瑠里の方が誰にも関心を持っていないって感じの方が強い 」


そこは図星だった。

確かに、今だかつてクラスの男女にかかわらず、誰かに関心を持ったことはない。

携帯も持ってはいるが、このクラスの誰かとメールやラインのやり取りをしたこともない。

学校関係でメールがあるとすれば、クラスの緊急連絡か、陸上部の連絡事項がグループラインで回ってくるぐらいなものだった。

あとは、瑛子からの伝言があるだけで、瑠里にとって携帯は本当の意味での連絡手段道具だった。


「 女子ってさ……べったりするじゃん?遊ぶのも、トイレも一緒だったり、あれがなんか苦手でさ。悩み事打ち明けたり、恋ばな、とかもすごく苦手……」


「 瑠里に恋ばなは、無いだろうしな」


「 だから、勝手に決めないでよね!」


瑠里はプーッとふくれっ面で横を向いた。

青は笑いを堪えながら、


「 たぶん、瑠里は俺と似てるんだよ」 


そう言った。


瑠里がその声の感じに違和感を感じて振り向くと、青は少し遠い目で景色を眺めていた。


「 青も、そういうの苦手だったの?友達って少ない方だった?」


「 そこあんまり、記憶にない。事故の当時の記憶はけっこうはっきりしているけど、それ以前の記憶が曖昧なんだ。友達、仲間、そういうワードを思い浮かべても誰の顔も浮かんでこないから、ひょっとしたら瑠里よりひどかったのかもしれないな 」


最後の方は、苦笑いを浮かべながら青はそう告白した。


「 ただ、思い出せないだけかもしれないよ。本当は、うじゃうじゃ仲間に囲まれてたりして!」


瑠里の軽口に、青は顔をしかめた。


「 想像しただけで、ゾッとするから有り得ないね!」


瑠里はアハハと笑ってから、ふと口をつぐんだ。

本当はもっと聞きたいことがあった。

でも、どう切り出していいかがわからない。

恋人はいなかったの?なんて……。


「 だから、きっと彼女とかもいなかったんだろうな、誰の顔も浮かばねぇわ。瑠里のこと笑えないな 」


まるで自分の心の声が伝わったかのような青の答えに、瑠里は内心ドギマギした。


「 あぁ、……だから似てるって言ったんだ?自分も恋には無縁だったって?まぁ、確かに青は口が悪いから女の子にもてるってタイプじゃないよね 」


瑠里はわざと意地悪い口調でそう言ったが、本心ではそうは思っていなかった。

青はとても綺麗な顔立ちで、独特の雰囲気を持っているから、さぞかしモテたであろう事は簡単に想像出来る。

ただ、自分のように人付き合いが苦手なようにはあまり思えなかった。

こうして、今のように気軽に話が出来るようになった青は、気さくで良い奴だとさえ思う。

そんなことを考えながらも、瑠里は青が言った、恋人や彼女らしき人の顔は浮かばないという言葉が実は一番嬉しかった。

青が誰かにとって特別な存在かもしれないと思うだけで胸の中がモヤモヤでいっぱいになる。

特別なのは、自分だけでいい。

そうあって欲しいのだ。

そう……いつの間にか瑠里は、青に恋をしていた。


青が頻繁に現れるようになって、瑠里が何よりも有り難かったのは、クラブ活動だった。

青は陸上のスポーツ推薦で大学に入った実力の持ち主だったから、彼のアドバイスはとても実践的だったし、瑠里が瑛子と交わした大会での優勝という挑戦において何よりも心強い存在だった。

まずは、徹底的にフォームを直された。

青によれば、瑠里は少し右に傾く癖があるらしく、そのバランスの悪さがタイムロスになるという。


「 直し始めは、かなり違和感があるだろうけど、それさえ乗り切ればスピードアップ出来るし、負担が少なくなる分、疲れにくくなる 」


確かにそれは簡単に、とはいかなかった。

無意識だった傾きを意識して修正しようとすると、逆に左に傾いて走る様な感じになる。

それは結構辛い練習だったのだ。


「 はぁ~!こんなんで大会、間に合うのかなぁ?」


瑠里は、真っ赤な顔で肩で息をしながら走り込み練習を終えて空を仰いだ。


「 間に合うか間に合わないかは、おまえ次第だろ?今のままじゃ無理だろうけど 」


ずっと一緒に横を並走してくれた青が、肩をすくめる。

瑠里は青の方は見ずに、タオルで顔を覆い文句を言った。


「 今のままって……結構これでもいっぱいいっぱいなんですけど!」


「 じゃぁ、無理だな。今のタイムじゃ優勝どころか入賞もない 」


瑠里はグラウンド隅の石段まで行き、ペタンと座り込むと、周りに人がいない事を確認してからすぐ横に腰を下ろした青を恨めしそうに見た。


「 もうちょっと優しい言い方ないの?そんな希望のない言い方されるとやる気無くなるし!それに青は専門にずっとやってきたから簡単だろうけど、私はこれでも必死なんだから。大体、フォームのこと言われたのも初めてなんだから 」


思うようにいかない瑠里はグズグズと愚痴をこぼしたが、そんな瑠里を青はバッサリ切り捨てた。


「 じゃぁ、やめろ!やっぱり無理でしたってお母さんに言えば全てから解放されるだろうよ」


「 そ、それだけはヤダ!絶対にヤダ!」


慌てて即答した瑠里を、青は厳しい目差しで一瞥する。


「 これだけは言っておく。こと、走ることに関しては俺に優しさなんて求めるな。俺の中の陸上の世界に、優しさも励ましも存在しない。ひたすら前に走ることしかないと思っている人間なんだよ、俺は。それに現実はそんなに甘くない、フォームについて初めて意見された、なんて簡単に言うな。トップを狙う世界ではフォーム調整なんて当たり前の事だ」


ただでさえキツイ印象を与えるその切れ長の目を細めた青は、一層冷たく見えた。

瑠里はそんな彼を、まるで戦国時代の武士みたいだと思った。


「 真剣なんだね。青にとって走ることって、特別なんだ!」


叱られていることも忘れて素直に感心した瑠里だったが、青は何も答えなかった。


「 おこりんぼ!ちゃんと真剣に頑張るから、そんなに怒らなくってもいいじゃん!」


黙り込んだ青の態度に、瑠里はすねる様に口を尖らせた。

その子供っぽい仕草と表情を横目で見つめた青は、堪え切れずに口を歪めて吹き出した。


「 ほんとにおまえってマンガみたいだな!」


青の顔にいつもの気さくな笑みが戻ると、瑠里は心の底から嬉しそうに笑った。


「 ね!フォームは絶対に直して見せるし、タイムも上がるまで頑張っちゃう!見ててね!」


ついさっきの不機嫌はどこへやら……その満面の笑顔と、ころころ変わる豊かな感情を持つ瑠里に、青は呆れながらも、この娘がたまらなく好きだと思った。

瑠里だけが自分を見つけてくれて、瑠里だけが自分の存在を疑うことなく信じてくれた。

この現実離れした状況の中で、瑠里の存在だけが自分にとっての確かな真実だった。

そして、この限りなく純粋で屈託なく笑う娘にいつの間にか心惹かれ、逢うたびに、心底愛しいと思う青だった。


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