第4話  再会



それからの瑠里の生活は、あきらかに変わった。

朝起きて学校へ行き、放課後クラブが終わると、そのまま自転車で神社に直行して、青を待つ。

学校と神社は、瑠里の家からは正反対の位置にあったから、自転車でも結構な距離ではあったが、青と再会を果たせるのなら、今の瑠里にとってそんな事は取るに足らない事だった。


あの、青と話した楠の大木の根元に座って、毎日青を待つ。

宿題のある日は、そこで済ませ、小テストの前日ならば、単語帳片手にそこで覚えた。

何もする事の無い日は、日が暮れて字が読めなくなるまで、お気に入りの文庫本を読んで過ごした。

五月も中旬を過ぎていたから、晴れた日なら七時近くまで結構明るかった。


青との不思議な出会いから、十日が過ぎた。

この十日間、一日たりとも欠かすことなく神社に通い続けたが、青はまだ現れない。

あの不思議な出来事が夢でも幻でもないことは、誰よりも自分が知っていたから、必ず青は現れると瑠里は心の底から信じていた。

もちろん、青の言っていた通り、あの現象が青の無意識の中での出来事だったのなら、瑠里が立てた計画はそう簡単な事ではないのかもしれなし、むしろ実現不可能かもしれない。


万が一、移動したい場所を念じて叶う事があったとしてここへたどり着くまでに、青が睡魔に襲われて本当の身体に戻ってしまう事だって考えられたし、実体の無い青の記憶力はかなり曖昧で、この神社の名前も丁寧に教えた道順も、はっきりと思い出せないことだってあり得るのだ。

そう考えると、二度と会うことは叶わないんじゃないかと絶望感に襲われもしたが、瑠里は頑としてその予測は受け付けなかった。


通い詰めて十一日目、今日も青は来なかった。

瑠里は、名残惜しそうな目で鳥居の外から神社を見つめ、薄暗い道に自転車を漕ぎ出し家路についた。



「 ただいまぁ……」


瑠里が、心なしか俯き加減で玄関を入ると、キッチンの方から瑛子の声が返ってくる。


「 おかえり!瑠里、着替えたら、キッチンにレスキューに来て!」


どうやら瑛子は夕食作りと格闘しているらしかった。

彼女にとって料理は唯一のアキレス腱と言える。

今となれば、瑠里の方が料理の腕は上だ。

高宮家では、早く帰れた人が夕食を担当するというルールがあるが、大津市内まで通勤している瑛子よりも、学校から真っ直ぐに帰ってくる瑠里の方が早いのは当然で、殆どは瑠里が担当だったが……この約二週間は瑠里の帰りの方が断然、遅い。

その理由は、まだ瑛子には話していない。

クラブのミーティングだとか、自主トレーニングだとか、毎回適当な理由を僅かな後ろめたさと共に口にした。


もうそろそろ部活ネタも、苦しいよなぁ……

瑠里はスウェットに着替えて、のろのろとキッチンへ向かう。

別に、瑛子に嘘をつきたいわけでも、毎日神社に通っている事を隠したいわけでもなかった。

もともと殆どと言ってもいい位、隠し事の無い親子だった。

瑛子は母親としては、かなりの寛容さで瑠里に接してくれる。

学校や友人関係、瑠里の今の生活スタイルにおいても、根掘り葉掘り聞くことなど、まずなかった。

瑠里が報告することに耳を傾けること重視で、保護者として把握しておきたい事だけを尋ねるだけだ。

ただ、今回の出来事は、瑠里には説明のしようが無かった。

あの不思議な青との出会いを、どう説明すればいいのかがわからない。仮に告白したとして、いくら瑛子でも信じてくれるとは思えなかった。

そして、あの出来事を、青を、否定されることがたまらなく嫌だった。だから、話せなかった。


その話題は、食事時に訪れた。


「 夏の最後の競技会に向けて、最後の悪あがきでもしてるわけ?」


瑠里のレスキューが遅れたせいで、豆腐の原形を殆ど留めていない麻婆豆腐をスプーンですくいながら、瑛子が尋ねた。


「 悪あがき?なんで?」


瑠里はピンとこずに首を傾げる。


「 だって、今だかつてないほどの自主練じゃない?こんなに必死に部活するのってなんだか初めてだから。引退間近だからかな、と思って 」


「 まぁ、そんなところかも。最後ぐらいは、記録残したいってみんな言ってるし」


瑠里は、嘘っぽくならないようにさり気なさを装う。

瑛子は呆れたように豪快に笑った。


「 なんで今なのよ?最初から記録にこだわれば、もっと違う結果が出ていたでしょうに!」


たしかに、瑛子の言う通りだとは思ったが、瑠里は肩をすくめた。


「 何かのきっかけがないと、なかなか頑張れないのかな。かといってあまり先の長い目標は挫折しやすいし」


「 今の子らしい考え方よねぇ!スポ根なんて流行らないはずだわ 」


色々な種類の葉をちぎってドレッシングをかけただけのシンプルなサラダを箸でつつきながら、瑠里は苦笑いした。


「 瑠里は何の記録を狙っているの?」


そら、来た!

瑠里はわずかに下唇を突き出して大急ぎで答えを考える。


「 一応……五千メートルかな 」


「 ねぇ、その競技会で記録を出せたら内申点が上がる、とかの特典はあるの?例えば、優勝したりしたらスポーツ推薦で大学に行けちゃう、とか!」


瑠里は、内心うんざりと目を閉じた。

また大学の話だ!このところ、隙あらば大学の話を挿み込んで来る。


「 陸上の話ではない事を話題にするつもりなら、答えない!」


「 まぁ、瑠里が優勝するなんてことは有り得ないから、スポーツ推薦はないわね 」


あっさりと言って退けた瑛子に、瑠里はカチンとくる。


「そういう決めつけは、やめてよね!スポーツ推薦なんてどうでもいいし、必要でもないけど、優勝出来るか出来ないかは、やってみなけりゃわからないでしょ?」


「 ずい分と強気ね?じゃぁ、賭ける?」


「 何をよ?」


瑠里は挑むように瑛子を見た。

瑛子は、ニヤリと笑うと腕組みをする。


「 あなたの進路よ。このままじゃぁ、一向に埒が明かないでしょ?瑠里が優勝すれば、あなたの好きなようにすればいいし、私は一切の口出しはしない。瑠里が負けたら、私の意見を最大限に考慮する。どう?受けて立つ?」


瑠里は口を真一文字に結んで、瑛子を睨んだ。

自分の意図とは違う方向に話が進んでいる気がする。

挑発には乗らない方が賢いに決まってる。

だが、そこは母親、瑠里の気性を知り尽くしている瑛子の方が上手だった。


「 あぁ、ごめん、ごめん!無理しないで?挑発してるわけじゃないから。どうせ、私が勝つのは目に見えてわかっているしね。負け戦はしないに越したこと無いわ 、忘れて!」


瑠里はあからさまに全否定する瑛子に、我慢できずに噛みついた。


「 もしも……私が勝ったら、本当に好きにしていいの?二言は、無い?」


「 もちろん!当然!」


結果、瑠里は、まんまと瑛子の術中にはまった。



次の日からの瑠里の生活は、また変化した。

朝起きて、自転車での通学をランニングに変えて、放課後クラブで走り込み、またランニングで神社まで行き、青を待つ。

自転車でも十五分はかかる学校までの道のりを走り、その倍近い神社まで走り、また家までを走って帰る。

三日もすると、瑠里の身体は悲鳴を上げ出した。

いくら走るのが好きだといっても、こういう風に自分に何かを課して、追い詰める様な走りはしたことが無い。

その場の勢いでの、売り言葉に買い言葉だったとはいえ、瑛子の挑発にまんまと乗った自分の単純さを恨めしく思い、ひどく後悔した瑠里だったが、今さら撤回するのはもっと嫌だった。


その日も、今にも降り出しそうな空を背に、瑠里は学校から神社に向かって走っていた。

朝の天気予報では、夕方から雨になりそうだと言っていたから、背中のリュックには念のためにレインスーツを入れておいた。こうして神社に通い出してちょうど二週間目だった。

クラブでもトラックを走り込んだ後だったので、少しゆっくり目のペースで走る。

神社の大楠が見えてきた時に、顔にポツンと雨が当たった。


「ラッキー!ギリギリセーフ!」


瑠里は慌てて鳥居をくぐると、リュックの肩紐を両手で握り、例の大楠の根元へ急ぐ。



「よぉ!瑠里!」


ただただ、ひたすらに待ち続けていた声が突然、瑠里の頭の中いっぱいに響き渡った。

青との再会を果たす為だけに、こうして毎日通い詰めていたにもかかわらず、瑠里の身体と頭はパニックに陥った。

走って来た身体が、まるで後ろから何かに引っ張られたかのように突然止まった。

目だけが大きく見開かれ、大楠の根元をまばたきもせずに凝視する。

半開きの口で睨むようにして立ちすくんでいる瑠里に、青は苦笑する。


「 まるで、幽霊でも見てるような顔だな。俺はまだ死んでないって言ったろ?」


青の小さな笑い声と、この前別れた時そのままの青の姿に、瑠里はようやくまばたきを再開させた。


「……心臓止まるかと思った!!」


「はぁ?おまえがここまで会いに来いって言ったんだろが?」


相変わらずのぶっきら棒さに、瑠里の胸いっぱいに安堵感が広がる。


「 ごめん、ごめん、ちょっとビックリしちゃった!だって、二週間全くの音沙汰なしだったから……」


今度は、青が不機嫌に瑠里を睨んだ。


「 あのなぁ!簡単に言うな。相当苦労したんだよ、ここへ来るのに 」


瑠里はリュックを下ろして、青が座っている大きな根っこの横に自分も座り、ふうっと大きく息を吐いた。

走って来たせいと、青に再会できたせいとで、心臓が異常に跳ねている感じがした。

呼吸を整えて、あらためて青にニッコリと微笑んだ。


「 はい、もう落ち着いた!で、どうやってここへ来れたのか聞かせて?」


青の説明はこうだった。

あの後、ほぼ毎日のように( 時間、日付けの感覚は無いに等しかったが )大学のグラウンドに行ったのだという。

瑠里に会ったことも、瑠里と約束した事も、はっきりと覚えていて、もちろんすぐに行動を起こすべく移動を試みた。

だが、そこからが厄介だった。

移動を始めると、決まって例の “ 睡魔 ” に襲われたのだ。

それもたいした距離を移動するでもなく、意識が消える。

また次の日も、同じ事を繰り返し、その次の日も、同じだった。

七回同じ事を繰り返した時、青は方針を変えることにした。

移動距離が稼げずに意識を失うのなら、大学のグラウンドではなく、瑠里に教えられた神社の名前に執着するべきなのだと。

だが、それも簡単にはいかなかった。

“ 楠の里神社 ” 瑠里は青に神社名をそう教えた。

もちろん、間違ってはいない。

ただ、そのありふれた名前は、全国規模で存在していたのだ。

だから、ありとあらゆる “ 楠の里神社 ” に行った。

どこかはわからなかったが、とんでもなく山奥にある “ 楠の里神社 ” に行った。

ある時は、関東らしい地域だったり、そこそこ街中みたいな所にも同じ名前の神社はあった。

結局、八番目に辿り着いたのがここだったのだ。


「 俺がどれだけイラついたかわかるか?神社巡りなんて俺の性に合わねぇよ!」


瑠里は、その時々の青の姿を想像してみた。

見ず知らずの神社に立ち尽くしてキョロキョロ辺りをイライラと見回す青……

無性に可笑しさがこみ上げてきて、抑え込むように口元をぎゅっと結ぶ。

だが直ちに青に見破られて睨まれた。


「 おまえ、今想像して笑っただろ?」


瑠里は口を固く閉じたまんま、ブンブンと首を振る。

青は横目でジロリと見て、フンと鼻で笑った。


「 瑠里はどうなんだよ?ちゃんと約束守ったのかよ?」


「 え?約束?なんの?」


キョトンとした顔で聞き返した瑠里に、青は呆れ顔で溜息をつく。


「 ねぇ!私、なんか約束したっけ?私の出来ることって、ここで毎日青を待つしかなかったから……それ以外は、なんにもしてない。なんの約束だっけ……」


そう言って真剣に何かを思い出そうと眉間にしわを寄せる瑠里に、青は再び呆れた。

そして、すぐに青の大笑いが響いた。


「 そうだった!瑠里は、ど天然だった!」


すねたように口を尖らせる瑠里の横で、ひとしきり笑ったあと、青はやれやれと微笑んだ。


「 瑠里が、俺との約束をちゃんと守ったってことはわかったよ。毎日、ここへ通ってくれたんだよな?」


「 まぁね、そういう “ 約束 ” だったからね。それに私が言い出した計画だったし 」


瑠里はようやく青の言葉の意味を理解し、やはりちょっとふてくされながら答えた。


「 瑠里は、ここで何してたんだ?こんな人も来ないところで、ただ待っててくれたのか?」


「ううん、やることは結構あるんだな、高三にもなると。宿題やら、小テストの暗記やら。でもって、する事の無い日は、本読んだりね 」


指を立てながら、今度は得意げな顔で話す瑠里のコロコロと変わる表情に、思わず青は見惚れていた。

自分では全く自覚していなかったが、実はこの娘に逢いたかったのだと、今初めて思い知る。


「 ねぇ、これで明日も会えるかなぁ?今度は一回のイメージでここへ来れるかなぁ?青はどう思う?」


じっと瑠里を見つめていた青は、急に話を振られて、照れ隠しに大楠を見上げた。


「 さぁな、俺にもわからん。今日が偶然だったのか、意識的にたどり着けたのか。じゃぁ、明日はすんなり来れるのか、また行きたくもない神社巡りをすることになるのか……」


瑠里は、青の言葉を受けてまたじっと考え出した。


「 ねぇ、質問!」


瑠里はそれが癖かのごとく、人差し指を立てて小さく振った。


「 大学のグラウンドから移動しだすと、睡魔に襲われたのよね?その意識を失う瞬間に、次に自分が行きたい場所を頭に浮かべるとか、念じるとかしていたわけ?」


青は、少しだけ記憶を辿り、そしてそうだと頷いた。

瑠里はうんうんと納得して頷きながら、また指を振る。


「 じゃぁさ、今日は少し変えてみようよ」


「 何をどう変えるんだ?」


瑠里は、そこでちょっと言いにくそうに口ごもる。


「 だから、どう変えるんだよ?」


「 つまり、頭に浮かべる場所を、神社の名前じゃなくて……私の名前にするとか……」


青の方は見ずに、少し顔を赤らめながら答えた瑠里の横顔をしばし眺めて、青は「おぉ!」と頷いた。


「 なるほどな!そうか、その方が範囲がかなり狭まるな!“ 瑠里 ” ならそうそういないよな?」


「 “ 瑠里 ”だけじゃだめだよ!そんなの神社より絶対に多いし。名字も入れないと!」


瑠里が呆れ顔でそう言うと、青はハハッと笑った。


「……で、おまえの名字ってなんだっけ?」


「 た、か、み、や、!高宮瑠里!」


やっぱりね、と言いたげに瑠里は大袈裟に発音してみせた。

青は、真剣に “ 高宮 瑠里 ” という名前を三回唱えた。

青の少しハスキーな声が、自分の名前を繰り返し唱えているのが頭の中に響くと、瑠里の心臓は急にドキドキと音をたてて跳ねる。

自分の胸の音に戸惑いながら俯いていた瑠里を、青が不思議そうに見た。


「 なぁ、なんか疲れてないか?この前より精が無いよな 」


「 え?私のこと?」


瑠里は慌てて顔を上げて、青と視線を合わせると、


「 あ、……私しかいないよね。う〜ん、疲れてるといえば疲れてるかな?ここんとこ走り込みがきつくてね 」


情けなく微笑んでみせた。

青は瑠里の顔から何かを読み取ろうとして目を細める。


「 走り込みって、なんの?部活か?」


「 あれ、この前言わなかったっけ?私、いちおう陸上部なんだ。青と同じ、中距離専門の」


「 へえっ!おまえ、陸上やってんのか!生意気に!」


言葉は悪かったが、 “ 陸上 ”という言葉に反応して、青の顔はこころなしか輝いた。


「 生意気って何よ!感じ悪いなぁ!」


「 そうか、陸上部ね。それも中距離か。で、得意距離は?」


瑠里の抗議など取り合いもせずに、青は興味津々で尋ねる。


「トラックの五千だよ。青の専門は何なの?」


「 俺は、駅伝がメインだよ。トラックなら一万かな」


瑠里は、青の表情があきらかに明るくなったのを感じ取り、彼が陸上に思い入れがあることを知った。


「 青、陸上好き?」


瑠里のシンプルな質問に、青は笑った。


「 俺は、走るために生まれてきたと本気で思ってた。それくらい、好きだった」


「 後悔は、してないの?練習中に事故に遭ってこんな風になったんだから……」


「 何を?走ってた事をか?陸上をしてた事をか?」


突然、不機嫌な目差しで瑠里を見た青の顔は、とても冷ややかだった。


「 俺に突っ込んできた車を恨む事はあっても、陸上を恨んだり後悔することは、あり得ないな!当り前だろうが。好きでやってたんだ 」


「 ごめん、馬鹿な事聞いた。そうだよね、陸上のせいじゃないもんね 」


瑠里は、素直に謝った。


「 三年ってことは、もう最後の大会だよなぁ?疲れるほど走り込んでるって、優勝でも狙ってんのか?自己記録更新とか?」


青の普通の問いかけに、瑠里は苦笑してしまう。

単純に走るのが好きだという理由だけで陸上部に入った自分は、優勝することや記録を出すことにそこまでこだわったことが無い。


今回の事にしても、瑛子との確執がなければこんな羽目に陥ってはいないのだ。


「 なんか、成り行きでね……優勝を狙う、みたいなことになっててさ 」


とても本気で優勝を狙っているとは思えない瑠里の口調に、青は眉を上げた。


「 なんだそれ?おまえって成り行きで優勝狙えるほどの実力者なわけ?」


「 そんなわけないじゃん!」


瑠里は思わず天を仰いで溜息をつくと、先週の瑛子とのやりとりをぽつりぽつり話し出した。

ただ、青をここで待つために嘘をついていた事は編集し、自分の進路問題がきっかけとなった事を強調した。


「 なるほどな……」


青は、瑠里が話し終えると呟いた。そして少しの間を空けてから


「 ひとつ聞きたいんだけど、いいか?」 


そう言った。


「 ん?なに?」


「 瑠里がこの先、本当にしたいことってなんだ?あ、適当にごまかすなよ!本音しか受け付けないからな 」


青のその質問は瑠里を黙らせた。

自分の本当にやりたいこと……嘘でも建前でもなく、本音の答え……。

黙りこくったままの瑠里に、青は苦笑した。


「 おまえ、本当はそこんとこちゃんと向き合ってないだろ?」


それは、瑠里の一番痛いところを突いた。


「 瑠里んとこの事情や気持ちは、わからなくもないけど、なんか違うんじゃねぇ?そんなんじゃおまえのお母さんは、うんって言わないだろ 」


青は、そこで一旦言葉を切ってちょっと迷う素振りを見せたが、すぐに思い切って続けた。


「 難しいかもしれないけど、もしも瑠里が親の立場だったらと考えてみ?自分が大切に育てた子供に、将来の夢も持たずに、やみくもにただ家計の為に働く!って言われたらどうだ?嬉しいか?納得出来るか?俺は、なんか安っぽい親孝行を感じるわ 」


瑠里は茫然と、青の言葉を聞いた。

反論しようにも反論できる言葉が見つからない。

“ 安っぽい親孝行 ”という最後の言葉に、思いのほか傷ついた。

なのに、何も言えなかった。


「 例えば、瑠里にどうしてもやってみたい仕事があって、だから進学ではなくて就職っていうならまだ説得できるだろうよ。小さいころからのなりたい夢がある、とかでも可能だな。だから聞いたんだ、おまえが本当にやりたいことって何だ?って」


瑠里は、思わず耳を塞いだ。

青が話しかけているのは自分の頭の中だという事も忘れて、拒否するように子供っぽく耳を塞いだ。


青の意見は、どれも瑠里があえて目を逸らしてきた事ばかりだった。

瑠里には、現実的な夢が無かった。

自分が心の底から何を望み、将来何になりたいのか、この先どうやって生きていきたいのか……そこに何の答えも見いだせないでいたのだ。

だから、向き合えなかった。

何の目的も夢もないから、大学などに行く意味もないと思った。

こんな中途半端な自分なのに、これ以上瑛子に負担などかけれないと。


その時、急に瑠里の頭のてっぺんがフワッと温かくなった。

膝を抱え、両手で耳を塞いで俯いた瑠里の頭に、青がそっと手を乗せたのだ。

まるで頭の上だけに太陽でも当たったかのような温かさに、瑠里はびっくりして顔を上げた。


「 おまえ、案外子供っぽいのな 」


青が可笑しそうに笑いながら、瑠里の頭をポンポンと叩く真似をした。


「 やっぱり、温かい……」


青の温かさに、瑠里の表情が緩み、そっと呟く。

青は、しょうがないなぁとでも言いたげに微笑むと、肩をすくめた。


「 いいか、もう一度最初からちゃんと話しあえ。表面的な事情で話したって、平行線のままだろうよ。今度の大会で瑠里が優勝出来ようが出来まいが、やっぱりなんも解決しないと俺は思うね 」


すでに自分の頭から外された、青のちょっと骨太の手を名残惜しそうに見つめながら、瑠里は小さく頷いた。

また一から、今度は本音で瑛子と話しあう……その勇気が自分にあるのかどうか疑わしくはあったが、でも青の言うとおり避けてはいけない事なのだという自覚も生まれた。


「 瑠里……」


物思いにふけるように黙りこくっていた瑠里に、青が切羽詰まった様な声をかけた。


「今度までの、俺からの宿題な。……そろそろ、やばいわ……」


そう言った途端、目の前で青の身体が一気に透明度を増した。


「 青!消えちゃうの!?」


瑠里は大慌てで、声をかけた。


「 青!私の名前!高宮瑠里!忘れないで!約束だよ!」


青は、またあの時のように少し身体を前に屈めながら、一気に透き通ったかと思うと、見えなくなってしまった。

瑠里は、追いかけるかのように立ち上がり、辺りを見回す。

だが、たった今の今まで横に座っていた青の痕跡は、どこにもなかった。

また一人取り残されたような淋しさを感じ、瑠里は青が最後言った「宿題」を胸に、重い足取りで家路についた。


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