第3話 種明かしと作戦
「 手品と腹話術の、種明かししてやるよ。」
青年は、そう言って突然さっきまでの横暴極まりない態度を変え、ニンマリ笑うと、スーッと足音もなく歩きだした。
雨はいつの間にか止んでいた。
石畳からはずれ、少し奥まった所にある樹齢百年はある大きな楠の下まで行くと、振り返って人差し指を立て、こっちへ来いと合図をする。
瑠里は、唖然とした顔で青年の姿を目で追ったが、何かに吸い寄せられるように青年の元まで近づいた。
「 おまえも、座れば?」
大きな楠の根元のむき出しになっている根っこに腰掛けて、青年は自分の横を顎で指した。
瑠里は、言われるがまま、まるで操られたかのようにストンと腰を下ろした。
「 まずは、取り敢えず名乗っとくわ。俺は、
人間じゃないのに名前があるんだ……瑠里は、ぼんやりそんなことを思った。
自分も名前を言うべきか決めかねる。
だが、一つだけ確かなのは、今、自分を支配している感情は、恐怖ではないという事だった。
最初からおかしなことばかりなのに、人間じゃないと聞いたのに、なぜか怖さよりも、今は横に座る青年に対して、その種明かしとやらを聞いてみたいという好奇心の方が勝っている。
呪いを掛けられそうな感じもしないし、どこかの異世界に連れて行かれそうな感じでもない。
ならばと、瑠里は思い切るように顔を上げて隣りを見た。
「 私は、高宮瑠里。よろしくって言っとくね、いちおう 」
月城 青と名乗った青年は、瑠里の言葉に初めてちゃんとした笑顔を見せた。
「 瑠里ね。覚えとくわ」
彼が笑うと、きつく冷たい感じのする切れ長の目尻が少し下がって、ほんの少し優しい顔になった。
さっきまでの態度とはまるで違う笑顔に、瑠里の心臓は小さくドキンと跳ねた。
何かを迷うような短い沈黙の後、青年はさっきとは別人のような穏やかなトーンで瑠里の頭の中に喋り始めた。
「 まぁ……おまえがこんな話を信じるかどうかは別にして、種明かしするって言ったからな……」
一旦、そう前置きをしてから
「 ここにいる俺は、人間じゃないって言ったけど、それは実体が無いからそう言ったんだ。俺の本当の身体は、どっかの大きな病院にある。」
頭の中の声に真剣に耳を傾けていた瑠里は、“ 病院 ”という言葉に反応した。
「 病院って、入院してるってこと?君、病気なの?」
「 病気ねぇ……原因はわからないけど、俺はずっと眠ったまんまだよ 」
どっかの病院……眠ったまんま……実体が無い……本当の身体。
瑠里は、違う意味でドキドキと跳ねだした胸を落ち着かせようと、彼の言った言葉一つ一つを自分の中で噛み砕いた。
「 どのくらい眠ったまんまなの?」
青年は、瑠里の方は見ずに楠の間から見えるわずかな空を見上げたまま答えた。
「 たぶん、半年くらい 」
「 は、半年も!?そんなに重い病気なの?意識不明のまんまなの?」
瑠里の当然の驚きように、青は苦笑いらしき物を浮かべた。
「 病気とかではなく、そもそも、事故にあったんだ。それもかなり酷い交通事故……だったと思う。」
一年前、月城 青は滋賀県内の大学にスポーツ推薦で入学した陸上選手の一回生だった。
専門は長距離で、特にトラックよりも高校時代の駅伝での実績が認められていた。
問題の事故は、その練習中に起こったものだった。
その日は、間近に控えた入学後初の駅伝大会の為の校外での走り込み練習が行われていた。
青の大学の駅伝チームが、琵琶湖畔の比較的大きな国道を何人かのグループで走り込む事は、この地域では珍しい光景ではなかったし、陸上部としても目立つタスキを掛けるなどの注意を払っていた。
そもそも毎年行われている琵琶湖のマラソン大会は、地元でも一大イベントとして全国規模で注目を浴びていて、こうして地元の大学や高校の陸上部が走り込む姿は、皆に受け入れられていたのだ。
先頭を上級生がペース配分しながら走り、下級生や新入生はそれに続き、その時青は最後尾を走っていた。
その日も走り込みは順調に行われていたはずだった。
時間は、午後三時頃。
日曜でも祝日でもない平日。
琵琶湖を訪れる観光客の車で道路がひしめき合っていたわけでもないごく普通の午後。
そんななんでもない真昼間に、泥酔いで意識を失いかけた様な悪質ドライバーが青達の陸上部の列に、まるで狙ったかの如く突っ込んでくることなど、どんな人間にも予想は出来なかった。
車の走る進行方向に沿って走っていた彼らは、かなりのスピードで蛇行していた車に後ろから何の予告も無しに襲われたのだ。
走る凶器と化した暴走車のボンネットは、一番先に青を餌食にした。
大きな衝撃と共に、自分の身体が宙高く舞上がり、頭から地面に向かって落ちていく……青の記憶は、そこで途絶えていた。
瑠里は、淡々とニュースでも読むように話す青の事故の記憶に、ガタガタと震え出した。
どうしようもない震えを抑えようと、両手で自分の身体をグッと抱きしめたが、なかなか思うようにはいかなかった。
「 どうした?そんな過激な話でもないだろ?なに震えてるんだ?」
瑠里のちょっと過剰な反応に、青は首を傾げた。
「 ご、ごめん……ちょっと、嫌な事思い出しちゃって……」
そう、瑠里は青の話を聞いている内に、やはり事故で失った父親のことを思い出してしまったのだ。
瑠里にとって、この上なく大好きだった父親の死は、未だ完全には乗り越えきれていない哀しい過去だった。
「 なんだよ、まさか同じような経験があるとか言うなよ?」
無神経さながらの青の一言に、瑠里は反射的に言い返した。
「 無い!私じゃない!」
そう短く言って、むっつりと黙りこんだ瑠里に、青は自分が余計な事を言ったと気付いた。
「 なんか……俺、地雷踏んだか?」
瑠里は、ようやく治まってきた震えに溜息をつき、憂いを浮かべた目差しで青を見た。
「 私ではなくて……父さんがね。もう十年前だけど、交通事故で死んじゃったんだ 」
青は一瞬、瑠里を見てから気まずそうに謝った。
「 悪い、俺のつまらん話が思い出させたんだな 」
自分の身に起こった出来事をあえて「つまらん 」と言った彼の声が頭の中に響いた瞬間、瑠里はなぜか苦痛のようなものを感じ取った。
そう、今一番辛いのは彼だ。
淡々と話しているが、どういうわけか彼は、長い間眠りから覚めない自分の身体を抜け出したと言う。
そして、ずっと独りで彷徨っていたとも。
そして、なぜかこうしてここで見ず知らずの瑠里に、事情を説明する羽目に陥っている。
瑠里は自分の過去の記憶を重ねている場合ではないと、反省した。
「 ううん、私の方こそごめん。こんなに複雑な事情を説明してくれているのに、自分の思い出なんて重ねて無神経だった。いいよ、続けて?その後はどうなったの?」
そう言った瑠里の声に、このオカルトみたいな現状にちゃんと向き合おうとしてくれている思いやりみたいなものを感じた青は、なぜか困惑して顔を背けた。
「 続きは……ない。その先の記憶はない」
だんだんと、頭の中で響く彼の声や、この不思議極まりない状況に慣れ出した瑠里は、青の言っている事を理解しようと試み始めた。
「 たぶん、その酷い事故で意識を失って、そのまま眠っているんだね。でも、こうやって身体を抜け出したのって、いつからなの?」
自分の事情を聞いて、すべてを理解しようとする瑠里の態度に、逆に青は不信感のようなものが生まれ、訝しげに目を細めた。
「 なんだ?なんで突然俺を認めようとしてるわけ?腹話術に、イリュージョンなんだろ?俺は 」
突然ぶり返した青の冷たい言い方に、瑠里は首を振った。
「 だって、違うんでしょ?だから説明してくれたんでしょ?種明かしだって言ったじゃん!」
そう言いながら、青の少し透けて見える瞳を覗き込んだ。
こうしてよくよく見ると、確かに透けて見えるのは、目だけじゃなかった。その綺麗な顔も、パーカーを羽おった身体も、みじかく整えた黒い髪も、実際にはほんのわずか透けて見えた。
「 さっき、透けたりはしていないって言ったけど、訂正する。よーく見ると、君はちょっとだけ透けてるみたい。でも、誰が見てもわかるほどじゃないとは思うけどね 」
落ち着き払って、観察するように答えた瑠里に、突然青は吹き出した。
瑠里の頭の中に青のハスキーな笑い声が響いた。
「 誰が見ても って、こんな事になってから俺の姿に気づいたのは、おまえが初めてだよ!」
「 そうなの!?私が初めてってことは、他の誰にも見えないの?なんで?」
青の新たな告白に、瑠里はまた目を丸くした。
「 俺が知るかよ!こっちが聞きたいね、なんでおまえにだけ俺が見えたのか 」
「 ねぇ、話の腰を折るみたいで悪いんだけど……」
突然、瑠里が思いついた様に話を遮 り、青を軽く睨んだ。
「 さっきから、私の事を“ おまえ ” で連呼しているけど、自己紹介したんだからちゃんと名前で呼んでもらえないかな?」
不満そうにクレームを付ける瑠里の口調に、青はまた笑いだす。
「 俺の正体よりも、この超常現象よりも、呼び方にこだわるってかぁ!?」
「 そこは大事だもん、私には」
青の大笑いに、口を尖らせて抗議したが、その気持ちのいい笑い声につられて瑠里も吹き出した。
「 おま……いや、瑠里だっけ。天然って言われたこと無いか?」
「 う~ん、天然というより、クラスの子に ″ 不思議ちゃん ″ って言われた事はあるかな 」
瑠里が恥かし気に白状すると、それを天然と言うんだと再び青が大笑いした。
瑠里も同じようにつられて笑いながらも、青の綺麗な笑顔に思わず見とれた。
楽しげで、とても端整な横顔。
「 なんか、こんだけ笑うのも、人と喋るのも、久々だわ」
笑いが納まると、感慨深げに青が呟いた。
「 ずっと一人だったの?その、こんなふうに……えぇと……」
瑠里は言葉に詰まった。
今の彼をどう表現すればいいのかがわからない。
「 彷徨うようになって、だろ?遠慮すんなよ、事実だから」
「 うん……そう、それ。私が初めて月城君の姿が見えた人間なら……」
「 月城君じゃなくて、青でいい 」
今度は青が遮って、訂正した。
瑠里は鼻の頭にしわを寄せて笑うと
「 了解、青ね!で、ずっと一人で誰にも気付かれなくて、淋しくなかった?」
「 淋しい……か 」
青の目が、再び遠くを見るように虚ろになった。
「 そんな感情は無かったな。毎日のように、色々な場所で目の前を数えきれない人間が通り過ぎて行ったけど、誰かに気付いてほしいとも思わなかったし……自分でも、正直気味悪かったしな。まるでB級ホラー映画みたいで 」
皮肉めいた笑みを浮かべながら、漏らした本音に瑠里は小さく首を振った。
「 ホラーなんかじゃないじゃん!幽霊でも妖怪でもないんでしょ?現に、私にはちゃんと見えたし、こうして喋ってるし!」
「 それが不思議なんだよな。なんで瑠里には俺が見えたんだろう?おまえ、霊感とかある奴?人が見えない物がよく見える、とか 」
ちょっとからかう様な意地悪い笑みを浮かべながら、青がこちらを見た。
瑠里は、呆れたように笑い返す。
「 霊感なんて、このかた感じたこともないし!変な物を見たこともないし、金縛りにだってあったことない!」
「 本当になんでなんだろな……」
その青の一言に、複雑な感情を感じ取った瑠里は、あえて明るく笑い飛ばした。
「 いいじゃん!よくわかんないけど、こうして知り会えたんだし。きっと私の波長と青の波長がぴったり合ったんだよ。こんな不思議な事、科学者でもわかんないんじゃない?偉い人にだってわからない事は考えるだけ無駄無駄!」
あっけらかんと言い切った瑠里を青はポカンと見つめた。
「 天然で……なおかつ楽天家って言われた事ないか?」
「 それなら、“ 不思議ちゃんで極楽とんぼ ”って言われた事はある 」
真面目くさった顔でそう言った瑠里に、またもや青は大笑いした。
「 面白い奴!おまえ、楽しいな!」
心の中で、おまえじゃない!瑠里だってば!と抗議はしてみたものの、瑠里は青が自分を楽しいと言ってくれた事が、思いのほか嬉しかった。
もはや、瑠里の中にあった未体験の出来事に対する不安感や違和感は、きれいに消え去っていた。
「 ねぇ、また会える?ここに来たら青に会える?明日も、会える?」
まるでいつも会っている友達に約束でも取り付ける様な瑠里の言葉に、青は戸惑った。
ここへ来ようと思って来たわけじゃなかった。
いや、いつでも意識の無いままに身体を抜け出して、気が付くとどこかに立っている……そんな感じなのだ。
それをどう伝えようかと考えながら瑠里の顔を見ると、ワクワクと子供のように目を輝かせながら青の返事を待っている彼女の様子に、青は再び戸惑った。
「 あ、ひょっとして明日は予定がある?なら、明後日でもいいよ?」
……この俺に予定?なんの?
瑠里の的外れな質問に、青は答えるより先に笑いの虫に襲われる。
再び爆笑した青に、瑠里は文句を言った。
「 なによ!笑い上戸?」
そして、横で腹を抱えて笑い続ける青に、瑠里は思わずパンチを繰り出した。
「 もう!!笑い過ぎだって!」
だが、瑠里の拳は、やはり青に当たることはなく空を切ってすり抜けた。
「 あ……、ごめん……」
瑠里のしまったと言いたげの顔に、青の笑いはピタリとおさまった。
「 気にすんな、別に痛くも痒くもないんだから。それに、約束は出来ない、たぶん」
「 なんで?せっかく会えたのに!また会おうよ?もっと色々話そうよ 」
瑠里の正直な反応に、青は苦笑いを浮かべた。
「 正直、わからないんだよ、どうやってここに来たのかも。俺の意思じゃないんだよ、いつも。」
瑠里は青の言葉を受けて、抱え込んだ膝に顎を乗せてしばし考え込んだ。
やがて、顔だけを青に向けて、人差指を立てながら質問した。
「 ねぇ、今までに同じ場所に行ったことはある?例えば、二回以上 」
青は目を細めて記憶を辿った。
「……あるな。大学の陸上部のグラウンドならしょっちゅう行ってる気がする 」
「 青の大学って、どこ?」
「 K大 」
K大といえば、ここ地元のかなり有名な大学だ。瑠里はヒューっと口笛を吹く真似をした。
「 頭良いんだぁ!凄いね!それに、わりと近くじゃん?」
それから瑠里はまた考えた。
「 次の質問ね。今までで一番遠い所に行ったのはどこか覚えてる?」
青は今度は目を閉じて思い出す。
「 遠い場所……殆んどが見たこともない知らないとこで……覚えているとすれば、東京っぽい街に行ったような気がするな 」
「 へぇ、ある意味便利だね?高い新幹線代なしで東京行けちゃうって!」
瑠里は、相変わらず脳天気に笑い、青は笑いを噛み殺した。
「まぁな。で?それがなんなんだよ?」
「 慌てないで、まだ質問はあるんだから。じゃぁ、次ね?移動ってしたことある?例えば、その東京で観光して歩いたとか、大学のグラウンドからどこか別の場所に行ってみた、とか 」
「 それは、ある。うろうろと歩きまわったり、ぐらいなら 」
瑠里は、今聞いた質問の答えを指折り確認しながら、ニッコリと微笑んだ。
「 うん、これでいこう!やってみる価値は、ある!」
「 だから、何がだよ?」
「 名付けて、“ 青のコントロール大作戦 ”だよ!」
「はぁ?なんだ、それ?」
困惑気味に目を細めた青に、瑠里は得意げに説明した。
「 つまりはね、訓練するのよ、意識を。今までは無意識に、ランダムにいろんな場所に行ってたわけじゃん?でも、同じ場所に行ったことがあるってことは、きっと記憶とか執着心とかが作用したのかもしれないでしょ?」
そこで、瑠里は腕を組んで自分の考えを確認するように頷いた。
「 最初から、行きたい所に行けるわけないとは思うんだけど、でも、いずれコントロール出来るようになるかもしれない。だから、取りあえずは青が飛んだ所から、移動を試みてみるのよ。幸い、青の大学はここから近いから次に青が大学に行ったら試してみやすいでしょ?」
とても理論的で、尤もらしく聞こえるが、実は無謀で根拠のない瑠里の“ 作戦 ”に、青はつかの間、呆気にとられた。
「 本気で、言ってるのか?冗談、だよな?」
「 すっごい本気だよ!」
瑠里は青の呆れかえったような表情を見ながら、口を尖がらせた。
「 出来っこないって、思ってるの?そんなこと不可能だって?何もやってないうちから?」
青の無言が、イエスと答えていた。
瑠里は煽るように意地悪な目をした。
「 青って、意気地無しだね!じゃぁ、なに?このまま一生彷徨うつもり?誰にも気付かれることもなく、ウロウロと?幽霊みたいに?」
青は、瑠里のストレートな言葉を受けて、その目に怒りを浮かべた。
きつく見えるその目に冷たさが加わる。
だが、瑠里は怯まなかった。
「 死んだわけでもないのに、彷徨うの?自分の意識をコントロール出来たら、目覚められるかもしれない、とは思わないの?このままずっと病院のベッドに寝たままでいいの?」
瑠里の問いかけは、どれも的を得たもので、青は内心ショックを受けていた。
正直、目覚めたいという気持ちも持たなかった。
いつまでこんな事を繰り返すのだろう?いつ自分は死ぬのだろう?
そんなことばかり考えていた気がする。
自分の弱さみたいなものを今日会ったばかりの天然娘に指摘され、青は苛立った。
「 おまえに俺の何がわかる?偉そうに勝手にあれこれ言ってくれるな!」
「 怒ったの?無関心ではないってことだね。もちろん、私に青の何かがわかるわけ無いじゃん!そんな特殊な経験したことないし!」
瑠里はそこで、真剣な目で身体ごと青の方を向いた。
「 でもさぁ、初めて私が青に気づいたんだよね?それって、何か意味があるかもしれないじゃん?ひょっとしたら、チャンスかもよ?青が目を覚ます為の! 」
瑠里は、そこでトーンダウンした。
「 きっと、青が目覚めるのを待ってる人がいるよ。このままでいいなんて、誰も望んでないよ……」
ふと、青は瑠里の言葉に何か違う感情が入っているような気がした。
そう、自分に何か違うものを重ねているような……。
「 瑠里……おまえ、お父さんのこと思い出してるのか?」
瑠里の目になんともいえない哀しげな色が浮かんだ。
青はついさっきの場面を思い出す。
自分が事故に遭った時の話をした時の瑠里の反応を。
「 お父さんみたいにまだ死んだわけでもないのに諦めるなって言いたいのか?」
瑠里は、図星を突かれて青から目を逸らした。
バカ正直な心が反応して顔が歪む。
そんな瑠里を見つめる青の瞳から冷たい色が消え去る。
うつむく様に下を向いた瑠里の頭の中に、青の溜息が小さく響いた。
「 了解、いいよ、瑠里の言う通りやってみるわ。どうせ暇だしな 」
今度は、観念したような、だが決して投げやりではない青の声が頭の中で響き、瑠里はパッと顔を上げた。
目の前で青が少しおどけるように微笑んでいる。
「 で?具体的に、俺はどうすればいいわけ?」
その一言に、瑠里はニッコリと笑うと、喜び勇んで説明し始めた。
瑠里の考えは、単純で明快なものだった。
まず、この神社の名前やこの町の名前、大学からの道順をしっかりと覚える。
幸い、大学からこの神社まではバス停にして三つ、道筋も湖畔道路1本で来れる。
次に、青が大学のグラウンドに飛んだ時に、頑張ってここへ移動を試みてみる。
瑠里は、出来る限り毎日この神社に顔を出す。
取りあえず当面の目標は、二人が再開すること。
「 あ、そうだ!肝心な事聞いてなかった 」
説明を終えた時、瑠里はポンと手を叩いた。
「 ねぇ、身体に戻る時って意識ある?やっぱり知らない内に戻ってるの?前兆とかは?」
青は、眉間にしわを寄せながら上を向いた。
「 前兆……ねぇ。よくわからんけど、毎回やたらと眠くなるような気がする。我慢できないくらいに眠くなった後の記憶はないから、それが戻るきっかけかもしれない 」
瑠里は、興味津々の顔で目を丸くした。
「へぇ!睡魔に襲われて、眠る様に戻るんだ。なんか映画みたい!」
明らかに面白がっている瑠里を青はジロりと睨んだ。
「 おまえ、頭いかれてるんじゃないか?なに楽しんでんだよ。そもそも本当は怖がるか関わらないようにするかだろうが?」
「 なんで?」
瑠里はキョトンとして尋ねた。
「 だって、青は怖くないじゃん!口は悪いと思うけどさ。幽霊でも妖怪でもないし、いわば、迷子の魂って感じでしょ?」
青は、一瞬の間を空けて、また大笑いした。
こんな不思議な奴は、初めてだと思った。
「ど」がつくほど天然で、飾り気がなく、言いたいことをずけずけ言うくせに、どこか憎めない。
そして、自分も瑠里とこのまま別れてしまうのは惜しい、と思っている事に気付く。
唯一、自分の存在に気づいてくれたこの娘に、また会いたいと思っているのだ。
しばらく青への道順レクチャーが続いた後、また瑠里が突拍子もない事を言い出した。
「 ねぇ!初めましての記念に、握手しようよ?」
「 はぁ!?なに言ってんだ?出来るわけないだろうが!さっき実証しただろ?」
だが、瑠里は首を振りながら青の正面に回って手を差し出した。
「 真似くらい出来るでしょ?本当に握れなくても、手を合わすだけでいいんだから 」
なんの疑いもない目差しで、ニッコリと笑う瑠里につられて、青はおずおずと手を出した。
瑠里は、青の手に自分の手を握手する様に、そっと合わせた。
すると、不思議な事が起こった。
通り抜けてしまわないように合わせた青の手から、ふわっとした熱のような物を感じたのだ。
「 あったかい……」
瑠里が驚いてとっさに呟くと、青が首を捻った。
「 青!凄い!ねぇ、凄いよ?青の手、触れないのに温かい!」
青は、瑠里と握手のように合わせた手を上からまじまじと見つめた。
だが、瑠里が言う様な “ 熱 ” 的な物は何も感じない。
「……なんも感じないぞ?」
「 そうなの!?私だけ?なんていうか……ふわっと温かい熱みたいな物が、手のひらに感じる 」
青が思わず手を引っこめると、瑠里は残念そうに青の手を目で追った。
「 幻じゃないね!夢でもないし。青は本当に存在するんだね!凄いよ!」
瑠里の単純明快ぶりに苦笑しながら、なぜか自分の方が受け入れ難いことばかりだと、青は思った。
自分が見えて話しかけてきた瑠里。
怖がるどころか、また会おうと言われた。
なんなら、意識をコントロールしてみろ!とも言われた。
そして、こんな中途半端な抜け殻から熱を感じる?
「 別に、そんなに凄くはないだろ。おそらくは、俺自体がエネルギー物質みたいな物だからじゃねぇの?」
「 なんか、つまんない言い方!」
瑠里が鼻にしわを寄せてそう言うと、青はフンッと笑った。
「 世の中、そんなに凄くも楽しくもないってことだろ。」
ひねくれた言い方をした青に、瑠里が歯をむき出しながらイーッとすると……突然、青の身体がスーッと一気に透けて見えた。
それは、今にも消えてしまいそうなくらい透けていた。
「青!!青!?」
瑠里が慌てて大声で呼びかける。
青は、うつむき加減でふらつきだした。
「……やばい……眠てぇ……瑠里……」
今にも消え入りそうな声で呟く青に、瑠里は必死に呼びかけた。
「 青!忘れないで!消えちゃう前に神社と大学の名前念じて!待ってるからね!ここで、待ってるから!会いに来て!絶対に会いに来て!」
最後の瑠里の言葉が終わるとほぼ同時に、青の姿は消えた。
いや、消えたというよりどんどん透き通っていって、見えなくなったと言った方が正しいかもしれない。
瑠里は、立ち尽くした。
自分の周りをもう一度見渡し、大きな楠を仰いだ。
夢でも、幻想でもないと、思う。
確かに、青はここにいた。
瑠里は自分のほっそりとした右手を見つめ、左手でそっと包む。
あの温かさは、嘘じゃなかった。
だから、青は嘘なんかじゃないのだ。
それが、瑠里と青の雨の日の奇妙な出会いだった。
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