第2話 雨の中の出会い
雨は、霧雨のままだ。
瑠里はあえてフードは被らずに、ゆっくり走りだした。
霧雨なら気持ちがいい。
細かく柔らかいミストを全身に浴びているような感じだった。
滅多に車の通ることのない、水田に挟まれた舗装の悪い道路を走る。
田園独特の青臭い香りと雨の匂いが混ざって鼻をくすぐり、瑠里はその香りを楽しみながら、いつものコースをひた走り、モヤモヤしたままの気分を紛らわした。
本来、走ることが好きだったから陸上部に入ったのだが、陸上を本格的に始める前からも、こうしていつ何時ともなく走っていた瑠里だ。
全身で風を感じ、風を切るこの感覚や、自然が放つツンとした香りに包まれる感じがなんともいえない。
しばらくして水田が途切れると、一気に道が細くなり、楠が生い茂るこんもりとした小さな森の様なひっそりとした神社が姿を現した。
大きな楠が目印になっていて、その陰に隠れるように古めかしい鳥居があり、石畳が続いている。
こうして走る時にはこの神社でお参りをすることが習慣となっている瑠里は、いつものように神社の鳥居をくぐった。
15メートル程の短い石畳の先には、これまたかなり古い祠があり、三段だけの石の階段の上には今にも千切れそうな色褪せた縄に、錆びついた鈴がついている。
鳥居をくぐってすぐに、瑠里は突然足を止めた。
石畳の中程あたりに、人が居た。
地元の人でも滅多に訪れないような小さな神社に佇んでいたのは、若い青年だった。
重なり合うような楠に覆われた僅かな隙間の空を仰ぐように見上ている青年は、傘もささずにじっと立っている。
瑠里は、こんな古い神社にはそぐわなさを感じるその青年の横をゆっくりと通り過ぎながら、チラッと彼を見たが、青年は上を見つめたままだった。
三段だけの階段をのぼって、ちぎれないようにそっと縄を揺すると、鈴は籠った様な鈍い音をたてた。
手を叩いて丁寧にお辞儀をしてから、くるりと向きを変える。
すると……さっきまで空を見上げていた青年が、今度はこちらをジッと見ていた。
一瞬、青年と目が合う。
切れ長で少しつり上がった印象的な目だった。
瑠里は、こちらを見られていることに躊躇しながらも、ゆっくりと石畳を歩き、吸い寄せられるように青年の前で立ち止まった。
インディゴブルーのデニムにベージュのパーカーを羽おった彼は、目付きがきつく冷たい感じに見えたが、鼻筋が通っていて、細面で、なかなかのイケメン顔だ。
背は瑠里よりも顔半分以上は高いので 175 cmといったところか。
正面で向き合って、お互いを見つめ合っているにもかかわらず、青年の瞳にはまるで自分が映っていないような違和感を抱いた。
自分の方を向いているのに、自分を見ていない……どこの何を見ているのかわからないような、表情の無いかすかに透き通って見える瞳。
それは、なんとも言葉では言い表し難い、不思議な感覚だった。
なんだろう?この感じ……
瑠里は、釈然としないまま、
「………こんにちは。傘、持ってないの?」
思いつくままを言葉にして、喋りかけてみた。
青年は、一瞬ギョッと驚いたように目を見開き、やがて訝しげにその目を眇めた。
だが、口を開こうとはしない。
「 あ…この近くの人?私はたまに来るけど……初めて会うね …… 」
瑠里は今度はぎこちなく笑ってみせたが、彼はやはり何も言わず、冷たい眼差しで睨むようにこちらを見ている。
変なの……なんで睨むんだろ?
青年から、なぜかいわれのない苛立ちみたいなものが伝わってくる。
関わらない方がいいんだろな……
瑠里は小さく首を振ると、それ以上喋りかけることはやめて、軽く会釈っぽい態度で青年の横を通り過ぎようとした。
「 なんでだよ?」
その声は、突然響いた。
「へ!?何!?」
瑠里は、ビックリしたように振り向くと、もう一度聞き返した。
「 今、なんか言った?」
相変わらず睨んだままの青年は、瑠里の視線がはっきりと自分をとらえているのを確認すると
「 おまえ、なんで俺が見える?」
そう、聞いた。
だが、その声はおかしな具合だった。
聞こえる、というよりも、響くような感じなのだ。
それも辺りにではなく、瑠里の頭の中で。
「 なんか……おかしい……」
瑠里は、独り言のように呟き、あらためて彼をジッと見た。
「 さっさと、答えろ 」
そのぶっきら棒な言葉が、再び瑠里の頭の中で響いた時、瑠里は大きく目を見開き、パチパチと何度も瞬きをした。
そ、そんな馬鹿な!?
目の前の青年は確かに喋った筈なのに、その薄めの形の良い唇は、固く結ばれたままピクリとも動いてはいなかった。
声は聞こえた。なのに口は動いてない。ん?なんで?
少しの間、眉を寄せて考えた後、瑠里の口から飛び出した言葉は、へんてこな質問だった。
「 な、なんで……腹話術なわけ?」
今度は青年が目を丸くして、透き通った瞳で瑠里をまじまじと見た。
「……何だそれ?何言ってんだ?」
やっぱり彼の口は動かないまま、高くも低くもない、少しハスキーな声が頭の中に響いた。
「 ……だ、だって、君が口も動かさずに喋るから……腹話術なのかと思って…… 」
瑠里はキツネにつままれたかの様に、ポカンとして答えた。
青年はそんな瑠里をじっと見つめ、ややあってから口元だけを歪めてニヤリと笑う。
「 なるほどな。そういうことね 」
そう納得気に頷いて、再び瑠里を真っ直ぐに見た。
「 いいか、とにかく俺の質問にちゃんと答えろ。腹話術だと思おうが、それはおまえの勝手だが、とにかく答えろ!わかったか?」
ぶっきら棒で、命令口調丸出しの青年の言葉に驚きながらも、瑠里はちょっと不機嫌に口を曲げた。
青年は腕組をしながら、もう一度確認するように瑠里の顔を覗き込む。
「 おまえ、俺のこと見えるんだよな?見えてるから話しかけてきたんだよな? 」
そこで青年の眉間のシワが深くなる。
「 それは……どんな風に見えてるんだ?ちょっと透き通ってるとか、なんならぼんやり幽霊の様に見えてるのか?」
瑠里は、突然並べられたそのちんぷんかんぷんな質問に、再び目をパチパチと瞬いた。
この人、なに言ってるの!?
見えるって何の話をしてるんだろ…
瑠里は、思ったまんまを口にした。
「 あの、君が何を言っているのかまったくわかんないんだけど。……見えるって何が?透き通るって、何?幽霊って何?だいたい、君は誰?」
瑠里が不思議そうに顔を傾けてそう聞き返すと、青年はまた黙り込んで睨むようにじっと見る。
「 ねぇ……私、なんでそんなに睨まれてるの?」
今度は瑠里が眉をひそめながら逆に睨み返すと、青年はつっけんどんに命令した。
「 俺が聞いた事に答えもしないで、ごちゃごちゃ質問攻めするな!俺が聞いてんだ。まずおまえが答えろ 」
その一言には、さすがの瑠里もカチンときた。
挑むように青年を睨みながら見上げると、ぶっきら棒に答えた。
「 あぁ、そう!わかった!まず、私に君が見えるか、だったよね? えぇ、えぇ、見えますとも!はっきりとね!透き通ったりはしてないし、幽霊っぽくもないと思うけど!そもそも幽霊がどんなんだかも知らないし!これでいい?」
ところが青年は、瑠里の苛立ちを楽しむように、ニンマリと笑った。
そして、ちょっと考えるようにしてから、瑠里の目の前にスッと手を差し出した。
「 触ってみろよ。……触れるもんなら」
また訳のわからない言葉に、とうとう頭に来た瑠里は、口を尖らせながら勢いよく青年の差し出した手を払い退ける様に上から叩いた………はずだった。
「 えぇ!?な、何!?どうなってるの!?」
大きく素っ頓狂な瑠里の声が、静寂漂う境内に響く。
間違いなく叩いた筈の瑠里の手は、青年の手に触れることなく、ただ勢いよく下にすり抜けたのだ。
瑠里はたった今目の前で起こったことが信じられずに、ぎょっとした顔で青年を見た。
青年は、意地悪くニヤリと笑い、どうだ?と言わんばかりに眉を上げる。
瑠里は、空を仰ぎ、目を閉じる。
霧雨とはいえ、ずっと濡れっぱなしだったせいでおでこに張り付いた前髪を指先でクシャクシャと払いのける。
そして息を吸い込んで、再び青年を見ると、あえてゆっくりと自分を落ち着かせるように喋った。
「……これって、なに?腹話術の次は、手品?イリュージョンとかいうやつ?」
「 手品……なるほど、そうきたか。じゃぁ、次はこうだな 」
青年は不敵な笑みを浮かべたまま今度は徐に瑠里の両肩を掴むべく、スーッとその両手を上げた。
そして、横から挟むようにして瑠里の華奢な肩にその手を掛けた。
青年の一連の動作に、一気に緊張した瑠里は思わず肩をいからせるように力を入れた。
……なのに、何も感じない。
瑠里は確かめるように自分の左右の肩を、恐々目線だけで見た。
確かに、青年の両手は自分の肩を掴むように置かれているのに、触れている様に見えるのに、何も感じないのだ。
数秒後、瑠里は驚きのあまり小さなパニックを起こし、無意識に青年の手を振り払った。
だが、やはり瑠里の手は、空を切るように勢いよく青年の手をすり抜けて下に落ちただけだった。
「 せ、説明して!!ちゃんとわかるように、説明して!!」
瑠里は、虚勢を張る様に肩をいからせ、青年をグッと睨みつけた。
「 君は、誰!?何者!?」
思わず声が裏返る。
興奮するように頬を赤らめながら、怒鳴り始めた瑠里を、青年は面白そうに眺めた。
「 俺は、何者かって?ほんとに知りたいか?怖くないのか?」
「 な、なんで、わ、私が君を怖がらなきゃいけない…のよ…」
瑠里は頭の中でどんどん広がっていくパニックを必死に無視しようと試みたが、成功するわけもなく、言葉と声は裏腹になってしまう。
「 な、何?き、君は、幽霊だとでも……言うの……」
青年は、瑠里のあからさまな怯えた問いかけを、馬鹿にしたように鼻先で笑った。
「 俺は、幽霊じゃない。でも、たぶん今は人間でもない。」
「……人間じゃない……って……」
心の中で呟いた筈の言葉が、口をついて出ていた。
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