第24話

【聖域】の光球が現れる。その半径は約三メートルで僕が展開できる最大サイズだ。よし、影獣エイジュウは絶対に通さないようにして、と。


「ふう、痛っ」


 石畳に座り込む。痛みに我慢しながら上着を脱ぐ。背中の傷は手が届かないので直しようがないので自然治癒に任せる。それよりは、両腕の傷だ。長爪で切り裂かれて血が止まらない。インナーの長袖をまくり上げる。うわあ、これはひどいな。元の世界にいたころの僕だったら、失神しそうだ。


 顔をしかめながら、スワイプしようして。


「あ、そうだ。ヘイ、シリエルさん。どう治療したほうがいいかな」


『そうですね。今いる四階層なら【帰還門】には問題なく帰れるでしょうから、ここは治療の経験ができるいい機会と考えるべきでしょう。トオルがいた世界の治療レベルは、星屑世界の中ではかなり下級となります。エイド噴霧器を使ってみてください。驚きますよ』


「エイド噴霧器……ああ、あの白いスプレーね。オケオケ」


 シリエルさんと街で買い物した時の様子を思い出しながら、二本指を滑らせる。上から下へ。


「インベントリ・スワイプ」


『なんでちょっと鼻の下伸びてるんですか』


「エイド噴霧器買ったお店の軒先で、シリエルさん商品確認するために屈んでたじゃないですか。立ってた僕の視線がつい胸元にいってしまってたの思い出したので脳内再生を」


『最低です。最悪です』


「ごめんシリエルさん悪気はなかったんだ。偶然の不幸な事故だったんだ」


『これほど嬉しそうに不幸という言葉を使うのは【潜る者】ダイバー初だと思います』


 かなり怒られそうなことを話しているのに、シリエルさんがいつもよりも詰めてこないのは僕の心情が分かっているからだろう。無理やりに強がってはみたけれどやっぱり失敗らしい。痛い。無茶苦茶痛い。


 血がどくどくと溢れている。たった一人の迷宮内。自然治癒で治るとは言われたが、本当に大丈夫なのか。そんな不安が収まらない。


 ダイバーズウォッチが管理するインベントリ空間より取り出したエイド噴霧器を左腕の傷口に構える。震える指先でボタンを押すと、プシューという音とともに白い煙が出てくる。


『傷口がなくなるまで吹き付けてください』


「お、おお? おおおおおおおおおお?」


 信じられない事にみるみるうちに傷が塞がっていく。なんだ、これ。気持ち悪いくらいに治っていくぞ? え、ほんと何だコレ!


 左腕の傷を全部治した後は、エイド噴霧器を左手に持って、右腕の傷を治す。時間はそこそこかかったものの、全部綺麗に治ってしまった。背中の傷もスプレーが届きそうなとこはかけまくった。


「狭間の世界、すごい……」


『戦闘中に使える暇はないでしょうが、かなり役立つ治療具です。その分、高額ではありますが』


「いくらぐらい?」


『先ほどの影獣エイジュウだと、十匹分くらいでしょうか』


「う、地味にお高い」


『ですが、効果は体験された通りですから。常備しておくのをお勧めします』


「だね。また街にいって補充しよう。ついてきてね、シリエルさん」


『はい』


 まだ少し残っていたエイド噴霧器をインベントリに戻すのを意識すると手元から消えた。


 インベントリ・スワイプは、ダイバーズウォッチに収納した道具を取り出すためのスワイプだ。アイテムボックスと同義。収納できる量は、支援精霊の能力によるらしい。


 シリエルさんはまだ産まれたてなので、そんなに多くはないらしい。今の所、旅行で使うキャリーケース。あれ一個分くらいだとか。……キャリーケースをコロコロ動かして颯爽と歩くシリエルさんを想像してみた。いい。実にいい。


 インベントリ・スワイプは、何を取り出すか考えながら行うので、失敗すると思っていたのと違うのを取り出してしまう。某猫型ロボットのように焦ってしまうと駄目って事だな。


『【聖域】の展開に、負担はありますか?』


「うーん、今の所なんにもなし。これなら、一晩でも展開できそうだ。予定通りができそうだね」


『【聖域】の本来の用途は、こういう使い方なのかもしれませんね』


「戦闘に使う僕が異端なんだろうなー。今日は、ここで終わろうかな」


『お疲れ様でした』


 これで階段やセーフティゾーンを気にしながら探索しないで済むようになった。これは、かなり探索に有効だろう。影獣エイジュウが多い所で使ってしまうと大変になるだろうから、使う場所はすこし考えないとだけども。


「えーと、寝袋、枕、食料、ポット……」


 野営(と言っていいのか分からないけど、とりあえず野営と言っておく)の準備をするために、インベントリからどんどん取り出していく。先ほど購入した道具だ。なんかキャンプみたいで、内心楽しい。


 取り出したタオルで身体を拭く。怪我の痕跡はすっかり無くなっていた。

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