第5話

『というか何を話しているの? 全然聞き取れなかったわ』

 ……あの時の、蛍光ピンク。

 いや待て、まってまってこいつどこから入ってきやがった?

『……ヤキツケちゃん?』

『…………極東語だよ。日記がわりのただの独り言。育ての親が極東人でね、大陸語よりも馴染んでるんだ……それでお前、どこから入ってきた?』

『そこの窓から。無用心ねえ、こんなにかわいい女の子のお部屋の窓の鍵が開きっぱなしだなんて……明日からはちゃんと閉めておきなさい、獣にでも食い荒らされたらどうするつもりよ?』

『いや、ここ三階なんだが…………まあいい、あの時は助けてくれてありがとう。おかげで命拾いした。ずっと礼を言いたかったのだけど……あなたのことはどうにも聞き難くてね』

『礼なんていらないわよ。わたしはわたしのためにあなたを助けたんだから』

『はあ……?』

 どういう意味だ……?

 うーんわからん。

 ……そういや名前知らねえな。

 聞いておくか。

『名前を聞いていないのだけど、なんて呼べばいい? シアン様とか他の誰かから聞いているかもしれないけど、私の名前は渡辺宙……っていうのは極東風の名乗りだな。大陸風に名乗るとソラ・ワタナベ・クォーツだ』

『シアン……?』

『ん? 私の雇主でここの屋敷のお坊ちゃんなんだが……まさか知らないとは言わないよな? この後に及んで実はヴァレーリ家とは無関係の赤の他人……ってわけないし』

『知ってるわよ。ただ呼び方が気に食わなかっただけ、何よ「様」って、あなたはわたしのかわいこちゃんなのに』

 ……こいつは何を言っているんだ?

 わたしの、って何?

 いつ誰がお前のものになったと?

 いや助けてもらった身でこういうのはなんかあんまりよろしくないのだろうけど。

『雇主を様付けして何が悪い。何が気に食わないのかは知らないが、様を付けずに呼んで怒られるのは私なんだ。最悪、無礼者と一刀両断にされるぞ』

『されないわよ。そんなことしたらどうなるかなんてうちのファミリーの馬鹿共はよーくわかっているもの』

 ……この謎の蛍光ピンク、結構身分高いのかな?

 いや、異様に強いのはよくわかってるけど、馬鹿共って。

『さっきからちょいちょい極東語が出てるけど、何を言っているの?』

『……悪い、これ癖なんだ……極東語も大陸語も両方使ってるから……よく混じってしまって……基本的にその後に話すことと似たようなことを話してる』

 ……というのはただの建前なのだけど。

 もうこれ完全に癖なんだよなあ……

 先生には直せって散々言われてるんだけど、多分一生無理だ。

『両方話せるとはいっても極東語の方が話しやすいから、とっさに出てくるのが極東語なんだ、悪いが聞き流してくれ』

『ふうん、なら別に気にしないけど』

『そう言ってくれると助かるよ』

『フィヨーレ』

 え? 何なんだって?

『私の名前、あなたがさっき聞いてきたじゃない。フィヨーレよ、フィヨーレ』

 あ、名前か。

『ああ、はい……フィヨーレ、様……ところで』

『はあ? 「様」なんてつけないでちょうだい。「さん」もダメよ呼び捨てにしなさい、「ちゃん」なら許すけど今度「様」をつけて呼んだら酷い目に合わせてあげる』

 何故に?

 さんとか様を付けろって蹴られたことは何度もあるけど、逆は今まで一回もないな。

『わ、わかった、わかったから……ふぃ、フィヨーレ、これでいい?』

『ええ、ええ! それでいいわ。それから私がいないところでも私の名前は呼び捨てになさい。約束よ、破ったら折檻ね』

『わかった、わかったからちょっと離れて……』

 なんなんだこいつ……意味わからん。

 というか多分そこそこの地位がある人だと思うんだけど、ほんとに他の人の前でも呼び捨てにしなきゃ駄目? 私怒られない?

『それで、さっき何か言いかけてたけど、なあにヤキツケちゃん』

 ……さっき名乗った通り、私には先生からもらった宙っていう立派な名前があるんだが、ヤキツケちゃんのまま通すつもりなんだろうか?

 これ指摘してもいいのかな、できれば指摘したいんだが。

『……ところで私に何か用があってここにきたのかと聞こうとしただけだ』

『会いたかったから会いに来ただけよ。本当はもっと早くに来たかったのだけど……ちょっと色々あってこれなかったの』

『そうか。それと……できればヤキツケちゃんはやめてくれ』

『なんで?』

『……私は自分の名前が気に入っているんだ。だからできればそちらの名前で呼ばれたい。確かに私はヤキツケで、奴隷だ。本当は人間と同じような名前を名乗ることすら許されないのかもしれない……だから奴隷風情がと思ったのならこの場で切り捨ててもらっても構わない』

 あ、やべ流石に言いすぎた。

 でもやっぱりヤキツケちゃんは、ないわー。

 だってもうあからさまに奴隷って呼ばれてるようなものだし。

 私確かに奴隷だけどさあ……それでもやっぱり面と向かってそう呼ばれるのはね、ちょっとキツい。

 ……それにこの名前は、先生がくれた名前なんだ。

『そこまで言うならいいわよ。ソラちゃん……不思議な響きのお名前ね、極東の言葉なのかしら?』

 …………おうふ。

 首繋がった。

『……大陸でいうところの空……というか宇宙コスモと同じ意味の極東語だそうだ。安直だろうかって先生は言ってたけど、私は気に入ってるよ』

 先生はコスモオーラだから宙だなんて安直すぎるだろうか、嫌じゃないだろうかって言ってたけど、そんなことないんだよなあ。

 人間としての名前を考えてくれたっていうだけで、十分だったのに。

『あら、素敵ね』

『ありがと……ちなみに渡辺……苗字の方は先生……私の育ての親の名前をもらった。意味は……確か極東の地名が由来になってるんだっけな……ご先祖の武勇伝ばかり聞いてたから由来はあんまり聞いたことがない』

『武勇伝? あなたの先生のご先祖様って凄い人なの?』

『ああ、なんでも伝説とまで言われるほどの凄い鬼殺しがいたそうだ。渡辺家は極東一の鬼殺しの一族でな、先生も脚に傷を負うまでは鬼殺しとして国を守っていたらしい』

『オニゴロシ……ってなあに?』

 おっと、そこからか。

 そういやこっちじゃ鬼とは呼ばないもんな。

『鬼を殺す者。鬼っていうのは大陸でいうところの色変わりのことだよ』

 あ、まったそもそも色変わりって言ってわかるか?

 一般常識に入る知識らしいけど、知らない奴にも何度か会ったことがあるし。

 そもそも大陸で色変わりが絶滅したのは数百年も前って話だから、知らなくてもおかしくはない。

 私だって先生から話を聞いていなけりゃ知らなかっただろうし。

『色変わりってのは、空に浮かぶ二つの月のどちらかの光を浴びることで色が変わる種族のことだ。色が変わるだけじゃなくて、姿や性格が変わったり異様に強くなったり……大陸じゃあ数百年前まで暴君として君臨してたらしいが……革命が起こって絶滅したそうだ』

『……知ってるわよそのくらい』

『あ、そう? 悪い……変な間があったからてっきり知らないのかと』

『馬鹿にしないでちょうだい。……あなたの先生は色変わりを殺していたの? というか極東にはまだ色変わりがいるの?』

『両方肯定だ。先生によると極東で鬼と呼ばれる者達の祖先の多くが西の海、つまりは大陸からやってきたという言い伝えがあるらしいから、こっちでの革命の時に極東に逃げ延びた色変わり共がそのまま極東に居着いたんだろうって話だ。色変わり達が流れ着いてきた時には当然争いになったらしいが……色々あって和解したらしい。今では普通に共存してるんだってさ』

『和解したのに、殺すの?」

『……殺すのは人間や人間に好意的な鬼を害する犯罪者……人間を見下し虐げることを当然とする……悪鬼と呼ばれるタチの悪い奴らだけだよ』

『アッキ……?』

『悪い鬼って意味。鬼は普通の人間と違ってかなり強いらしくてな、取り締まるにしても処刑するにしても専門家じゃないと対応できないそうだ』

『へえ……』

『それで、渡辺家は古くから……鬼が現れたころから鬼と戦い続けてきた名門中の名門だそうだ』

『あら、それじゃああなたの先生、とっても凄い人なのね』

『ああ、とても凄いお人だよ。おまけに優しくていい人だ。……まあだいぶ変わり者だけどな、奴隷の私を人として弟子としてここまで育ててきたくらいだから……極東では奴隷を作る事が禁じられてるらしいから、そもそもの感覚がズレているんだろうけど……』

『……ああ、だからあなたはそんなに綺麗なのね』

『はあ? ……それってどういう』

『……ああ、そろそろ時間ね』

『あ?』

『本当は夜が明けるまでお話ししていたかったのだけど、この後お仕事なの』

『仕事? こんなに遅い時間から?』

『ええ、だからまた今度遊びにくるわ。じゃあ、また会いましょう、わたしのかわいい……ソラちゃん』

 え、ちょ……!?

 ま、窓から飛び出してった……

 ここ三階なんだけど、死んでるんじゃ……

 あ、生きてた暢気に手ぇふってやがる。

 どういう運動神経なんだよあいつ。

 はあ……もう寝るか。

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