第4話 巨獣の森にて
診療所はソーニャの家から程近い場所にあった。石畳をタンタンと鳴らしながら、歩道のアーチをくぐり、手入れの行き届いた花壇を横目に裏路地を行く。家々にはロープが渡されており、そこには衣服やシーツが身を寄せ合うように吊るされていた。見慣れた物も見慣れない物もごちゃ混ぜで、親近感と驚きが半々といった所だ。
「こっちだよクエスタ。ここがマージンの診療所さ」
入り口は鉢植えが乱雑に並べられ、ドアが緑に埋もれそうな様子だった。ソーニャは片手で枝葉を押しのけつつ、ノックもせずに扉を開けた。そこから先は廊下になっており、いくつかの扉がある中で、一番手前で立ち止まった。そこでようやく彼女は問いかけた。
「居るんだろう、マージン。入るよ」
その中はこじんまりとした一室だ。ベッド以外には窓と小さなテーブルセットがあるだけの、比較的質素な造りをしていた。
「なんじゃソーニャ。腹でも壊したか?」
男は椅子に座ったまま、顔も向けずに言った。その視線はベッドに横たわるミアの方へと向けられたままだ。
「用があるのはアタシじゃねぇ。クエスタがお友達に用があんだよ」
「ふん。ダイリベリィでひと騒ぎ起こした小僧か。1日で快復するとは、地上人とはしぶといモンじゃわ」
「若いからに決まってんだろ。テメェみたいな死に損ないとはモノが違うんだよ」
「やかましい。そもそも診察中じゃ、気が散る」
マージンは口をつむぐと、ミアの額、喉の順に指先を添えた。そして小さく唸ると、テーブルの上で香を焚いた。ほの甘い香りで、クエスタもどこか心が安らぐような心地にさせられた。
「んで、容体はどうなの。マージン大先生」
「安定しておる。明日には目覚め、そこで問題なければ自由の身じゃ」
「じゃあ元気になるんだよな、良かったねぇクエスタ!」
「ふん。お陰様でワシは大損じゃわ。貴重な霊薬を浪費させおってからに」
「おやおや、良いのかい悪態なんかついて。聞いて驚けよ、この子のスキルはなぁ……」
そう言いかけた所、廊下にけたたましい足音が鳴り響いた。現れたのは若い女で、黒髪を乱す慌てぶりを見せていた。
「あぁソーニャさん、ちょっと助けて貰えますか? うちの子がミルクを吐いちゃって!」
「またなのかい? アンタの子は食が細くって仕方ないねぇ。アタシが見てやるから案内しな」
「すみません、助かります!」
「そんな訳でちょっと外すから。戻るまで待ってておくれよ、退屈だろうけどさ」
こうして、騒がしい乱入者はソーニャと共に出て行った。後に残されたクエスタは、おずおずとマージンに話しかけた。
「あの、ミアの側に居ても良いですか?」
「好きにせい」
マージンは鞄の中を眺めては、ため息をつくばかりで、クエスタの顔を見ようともしない。とりあえず小さな会釈を送り、背もたれ付きの椅子に腰を下ろした。そうして眺めたミアは、瞳を閉じたままだ。それでも血色は良く、寝息も安らかとあって、不安は少しずつ遠のいていった。
そんな彼の耳に聞こえよがしなため息が聞こえた。長く、大きなものが。
「あの、さっき大損がどうのって言ってましたが、僕たちのせいでしょうか?」
「他に誰が居るという。金無しの患者など、アンタらくらいじゃ」
「もしかして、治療が大変だった?」
「こちらの事情など知らんだろうが、薬とは希少品なんじゃ。原料を村で育てたりもするが、やはり巨獣の森で自生する種には大きく劣る。満足のいく薬を作るには、若い衆を募り、森へ送り出す必要がある」
「そうですか。そんな貴重なものを」
「本来なら、アンタらを治療費代わりに一年くらいコキ使ってやる所じゃ。しかし、それが許されんのでな、おかげで泣き寝入りじゃわい」
そこでまた盛大な溜め息。しかし、それが尾を見せる前に、クエスタは声を上げた。
「薬草なら、僕が採ってきますよ。森の中に生えてるんですよね?」
「バカを申すな。あそこには暴虐の獅子が住み着いてるんじゃ。出くわしたが最後、腹の中よ。おぬしが生還できたのは運が良かっただけじゃ」
「そうなんですか? その化け物とすれ違った時は、無事にやり過ごしましたよ」
「なんと、それはまことか!? いや、そうか、地上人だからか。我ら魔人と違って幻素との結びつきが異なる。それ故に気取られる事が無かったと。なるほどなるほど」
「それは、どういう事ですか?」
「早い話が、武装した男連中を10人集めるより、おぬし一人を送り込んだ方が成功率が高い、という事じゃ」
「分かりました。じゃあ僕行ってきますよ」
「待て待て。気ばかり焦っても意味がなかろう」
マージンは羊皮紙の端切れを取り出すと、羽付きのペンを滑らせ、手早く書き込んでいった。
「ほれ、薬草の特徴をイラスト付きで書いておいた。それを手掛かりに探してこい」
「はい、それじゃあ行ってきます」
「それから、くれぐれもソーニャに気取られんようにな。行く先を聞かれても、散歩ですと嘘をつくように。絶対じゃぞ?」
「はぁ、分かりました」
少しばかり気が抜ける思いで、診療所を後にした。それからすぐに村から出ようと思ったのだが、やはり彼は酷く目立った。たった2人の地上人なのだから当然だ。しかも百人足らずのコミュニティでは、噂が広まるのもアッという間である。
「おぉ、君が勇敢な少年か。お出かけかい?」
「もうダイリベリィの副作用が快復したのか、随分と早いねぇ」
「ねぇねぇアンタ。うちの子と会ってくれないかい? 美人で気立てが良いから、きっと気に入るハズだよ」
すれ違う人がやたらと声をかけてきた。そして決まって行き先を尋ねられたので、散歩ですと告げて立ち去った。
「ふぅ。まさか森へ行く前から神経を使うとはね」
村外れまで来ると、さすがに人目は消えた。街灯の範囲外というのが幸いした形だ。
「よし、早速探そう。見覚えのある物からにしようかな」
概形の描かれたイラストと説明書きから、心当たりがある。その1つがヒェット草だ。解熱剤の材料や、火傷に効く薬草だ。それは湖畔で見かけた事があり、水辺に生息するとある。
「小川が傍にあって助かったな、これでまず一種類か」
袋に一掴み分を詰め込むと、残りの品々も順調に探り当て、同じ様に入手した。ついでに赤と青のベリィーも加えておく。
そうして袋を満杯にして帰還しようとしたのだが、その時になってようやくスキルが発動した。
――上と下。安全なのはどっち?
続けて怖気が走る。下と答え、すぐに伏せた。すると頭上を掠める何かが通り過ぎた。しかし今回は敵が折り返し、クエスタと視線を重ねだ。
そして獅子の怪物は、目の前に陣取るようにして降り立ち、巨体が地面を揺らした。続けて肌が震えるほどの咆哮。声だけで背中を押し付けられた気分になり、改めて強大な敵だと痛感させられた。
「僕は気付かれないんじゃなかったの、マージンさん……」
読みが外れた。しかし泣き言を言っても今更だ。相対した今、出来ることは限られている。戦うか、逃げるか。脳裏に浮かぶのは、その2択だった。
「何か武器を……って、そう言えば!?」
彼はずっと丸腰だ。それこそ地上で田畑を耕した日から。愛用する剣は、今も遠く離れた生家に残されたままだ。
「どうしよう。魔法って効くのかな……」
暴虐の獅子は呼び名に恥じぬ体躯だった。後ろ足で立てば人の2倍。4本の足は丸太のように太い一方で、しなやかさも備えており、素早い移動を実現させる。そして背中の大きな翼。狭苦しい森の中では真価を発揮できないが、後ろに広げることで滑空くらいの事は出来る。そのため捕捉された後の逃走は不可能。
そして戦うにしても絶望的。せめて弱点でも分かればと思うが、予備知識はひとつもない。地上では見かけることのない種族なのだから。
仕方なく、拳を構えようとする、しかし震えて力が入らない。開いた両足にも力が抜けてしまい、立ち上がるのがやっとだ。こんなザマで何が出来ると、自分に叱咤しても怖いものは怖い。
「おかしい……なんで襲ってこないんだ?」
クエスタは、相手の動きを不審に思う。その大きな巨体は、唸り声で威嚇するばかりで、一向に襲いかかる気配を見せなかった。怪我をしているでもなく、ただ獣の眼が片時も離れずに向けられるだけだった。
一体何を考えてるのか。そう訝しんだクエスタは、脳裏を駆け巡る言葉に絶句した。
――猫ちゃんと仲良くするには、拳と人差し指、どっち?
「えっ……!?」
咄嗟に出た叫びは大きかった。暴虐の獅子は半歩だけ後退り、また唸り声を発する。その仕草を見てクエスタは思う。もしかして、お前も怖いのかと。
「じゃあ、人差し指で……」
突き出した右手を震わせ、腰も引けた姿でゆっくりと歩み寄った。逃げられない、戦えないというのなら、せめて生存確率の高い方を。
近寄れば、敵の大きさが改めて理解できる
前足だけでも簡単に斬り裂かれてしまいそうだ。視界で更に大きくなる。そして指先が獅子の鼻に触れかけた頃、脳裏に声が鳴り響いた。
――正解です!
獅子は指先の匂いを嗅いだ。フンフンと鼻を鳴らして嗅いだ。何度も何度も入念に嗅いだ。そして、クエスタの腕に頬を擦りつけた。瞳を閉じ、気を許した様な表情で。
「出来た……仲良くなった……」
クエスタがその場で尻もちを着くと、獅子もならって横になった。尻尾はゆっくりと左右に振られ、眺める者ですら落ち着きを感じさせるようだ。
「お前、寂しかったのかい?」
獅子は穏やかな顔のままで、クルルと鳴いた。
「そっか。村の人とは戦うばっかりだもんなぁ。友達が欲しかったんだね」
剥き出しの腹をそっと撫でてみる。手のひらに小刻みな振動が伝わり、胸の内の喜びを膨らませてくれた。
「さてと。僕はそろそろ村に帰るよ。また来るから、君は森で大人しくしてるんだよ」
クエスタが立ち上がって背を向けると、服の裾をカプリと噛まれた。そして高々と放り上げられ、最後には獅子の背中の上に着地した。
「何をする気……って速い!」
獅子はクエスタを乗せたままで疾走した。周囲の景色が別世界のように背後へと消えていく。もちろん向かい風も強烈だ。たてがみを強く握りしめることで、どうにか落下を防ぐという有様だった。
「はぁ、はぁ、凄いね。アッという間に森を抜けちゃったよ」
「クルル……」
「それじゃあ、本当に僕は行くよ。心配しないで、また明日会いに来るから」
一歩二歩と足を踏み出せば、背後でズシリとした音が響く。そこで振り向くと、獅子との距離が全く開いていない事に気づいた。
クエスタはもう一歩踏み出し、靴を地面につけた瞬間、素早く振り向いた。すると獅子は、前足を素早く引っ込めて足の裏を舐め始めた。
「まったくもう。信用してくれよ。僕はキミの友達だよ、約束は守るからさ、今日はお帰り」
大きな顔を抱きしめた上での説得は、効果があった。クエスタが闇夜の道を歩く最中、ついには足音は聞こえなくなった。チラリと背後を覗いてみても、暗がりで座る獅子の姿も確認できた。
「やれやれ。村に連れて行く訳にはいかないからね」
村の入り口まで来ると、すれ違う人々から軽い挨拶を受け取った。その素振りから、例の獅子は騒ぎになっていないと確信した。
それから診療所まで戻り、取手を握ろうとした瞬間、激しい音と振動で身をすくませた。耳を澄ませてみると、中で争うような声が聞こえてきた。
「クエスタに何を吹き込んだのさ、このモウロク爺!」
「し、知らんぞ! あの小僧なら散歩に出かけると言ったきり……」
「警備の連中が見てたんだよ、あの子が巨獣の森へ行く所をな! わざわざ自分から行くわけねぇだろ! どうせいつものように、薬代だのゴネたんだろう? この金の亡者のクソヤロウめ!」
「く、苦しい……離してくれ……死んじまう」
「おう死ねや、代わりに金をくれてやる。命よりも大事そうだからなぁ!」
修羅場だ。そう確信すると、敢えて元気よく扉を開いた。
「ただいま戻りましたぁ!」
「クエスタ! よく無事だったね!」
ソーニャはマージンを後ろに放り投げると、野牛のように駆け出した。それからクエスタを抱きしめたのだが、顔色の割には優しい手つきで、温かみと柔らかさに包まれる想いだった。
「良かった、本当に心配したよ。せっかく拾った命を粗末にするだなんて、バカのやることさ」
「すみません。でも、無事に戻れたし」
「良いかい。今度からはアタシに相談してくれよ、特にあの爺が言った時は」
ソーニャは満面の笑みである。しかし滲み出る気迫というか、謎の圧力が凄まじく、苦笑いを返すのがやっとだった。
それから袋の中身をマージンにみせると、老人とは思えぬ素早さで各種素材を抱きしめ、奥の部屋へと駆け込んだ。
「やっぱり巨獣の森へ行ったんだね。マージンの野郎、ほんと嘘ばっか」
「ごめんなさい。次からは気をつけるから」
「それにしてもアンタは運が良いよ。暴虐の獅子に見つからなかったんだからさ」
「その獅子だけど、実は仲良くなってさ」
ここでソーニャの動きが止まり、瞳は驚愕に見開かれた。その視線はやがてクエスタの肩を飛び越え、彼の背後へと向けられた。
今も開きっぱなしの扉の方へ。
「それから、ええと、ついてきちゃったみたい……」
そこには鼻っ面を建物に押し込もうとする巨獣の姿があった。
そして一大事だ。街中パニックになり、武装した魔人が押し寄せる事態になったのだが、クエスタが懸命に懸命を重ねた説得を繰り返す事で、なんとか穏便に済ませる事が出来た。
そして夜のうち、村中に凄まじい速度で噂が伝わっていった。今度の地上人はヤバいスキルを持ってるぞと。絶対にあの少年を怒らせるなと。
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