第3話 地下深くに住まう人々

 病身の仲間を背負い続けるのは、簡単なことでは無かった。そうでなくとも危険が潜む森だ。時々身を潜め、あるいは駆けるなどして、ただ前へと進んでいく。


「まだかな。共倒れにならなきゃ良いけど」


 心に浮かぶ不安を消しては、一歩一歩進んでいく。疲れ切った両手に感覚はなく、意識も次第に薄れゆく。そんな時に役立つのが青い果実だ。


 ダイリベリィ。強烈な活力を得る代わりに、明日は地獄の筋肉痛に襲われるという、性能の尖った果実だ。スキルに導かれた形でクエスタは食べた。躊躇もなく、複数個の塊ごと口にして一気に噛み締めた。


「水っぽくて不味い……。でも力が溢れ出るようだ!」


 味はともかく効果は絶大だ。それまでの歩みとは異なり、一気に駆け抜けて距離を稼いだ。


 すると、森の切れ目から人工物を見た。木の柵があり、所々に鉄柱が突き立っている。その先端には眩い光が宿っており、広範囲を照らし出していた。草木がもたらす光よりも遥かに眩しく、ここだけ昼間が訪れたかのようだった。


「そうだ。村まで来たけど、ここからどうすれば?」


 クエスタはまだ知らない。スキルは村の位置を教えたのみで、ミアを助ける手段には触れていないのだ。


 薬があるのか、それとも病に効く泉でもあるのか。何も知らないまま、とりあえず村を覆う柵までにじり寄った。


「ここが魔人の村……」


 ほの光る草むらから覗いたのは、文明的な暮らしぶりだった。未知の技術による灯りが、整然と並ぶ石畳に、石やレンガで出来た家々を照らし出す。視界を巡らせば、井戸や風車らしきものまで見える。


 ただし建物が光輝いていないのは不思議だ。これまで見かけた石は全て、何らかの色に輝いていたのだから。


「いやいや、観察してる場合じゃない。ここからどうするか、スキルを発動させなくちゃ」


 意識を集中させ、次の言葉を待つ。しかし、それが許されたのも、隣の草むらが揺さぶられるまでだった。


 クエスタは反射的にそちらを見た。すると視線が重なった。肌が青白く、黒髪で、黒目がちな少女の瞳と。


「ま、魔人……?」


 両者は固まったままだ。少女のワンピースが、風に煽られて裾が揺れる。パタパタと音をたてるうち、やがて魔人の少女は金切り声をあげた。


「大変! 地上人がここに居るわ!」


 クエスタは反射的に逃げ出した。友好的な種族じゃない。それが分かっただけでも収穫だが、目的の達成は遠のいた。


「教えてくれ、僕は何をすれば良いんだ!」


 すがる様に祈ると、いつもの調子で声が聞こえた。待望のスキル発動だ。しかし、何人かの追跡者を引き連れている状態では、小馬鹿にされた様な気分にさせられた。方々から聞こえる怒号を背に受けつつ、導かれるままに駆け抜けた。


――近道は右と左、どっち?


――近道は大通りと路地裏どっち?


――近道は大きい建物と小さい建物、どっちでしょう?


 クエスタは必死だった。もはや潜入だの友好だの言うゆとりもなく、ただひたすら、見知らぬ種族の村を駆けずり回った。正解と聞けばそちらに飛び、たまにハズレの方へ行きかけたりしたが、一応は正しく選ぶ事ができた。


 そのハズが、彼は追い詰められてしまった。袋小路を背に、道という道には壮健な男達で満ち溢れている。もちろん人間などおらず、全てが魔人と思われる種族だった。


「何でだよ、どこも間違えなかったハズなの……に……」


 クエスタの体から唐突に力が抜けた。膝は折れ、うねる様な目眩が、体の自由を奪い去ってしまう。


 そんな姿を見定めた魔人達は、一斉に押し寄せてた。伸ばされる何本もの手。それを払いのけるだけの力すら、クエスタには残されていなかった。


「やめて、触らないで……」


 言葉は通じる。せめて命乞いをしたい所だが、それすらも叶わなかった。強烈な疲労感がクエスタの体を蝕むからだ。そうして薄れゆく意識の中、いくつかの怒号を聞いた。


「男の方は大丈夫だぞ、適性があったらしい」


「女の方は危険だ! 早くマージンを呼んでこい!」


「とにかく安静に、ボサッとしてないで手を動かしな!」


 何を言ってるんだろう。考えたくとも、頭は全く回らず、そして瞳を閉じた。


 どれだけの時間が流れただろう。クエスタは、温かな匂いで目が覚めた。天井には黄色の光が輝き、昼間の眩しさが眼に届いた。


 横たわるのは柔らかなベッド、温かなブランケット。久しぶりに感じた文明の手触りだった。


「地上……ではないか」


 窓の外に見えるのは、やはり暗闇の世界だ。村の内側は明るくとも、遠くまで見通す事など出来なかった。


「おやおや、目覚めたんだね。調子はどうだい?」


「えっ……?」


 親しげな声は台所から届けられた。恰幅の良い女性は、鍋のスープを一口すくい上げ、大げさにすすった。そして「さすが私」と小さな勝利を掴んでは、クエスタの方へと歩み寄った。


 その女性もやはり黒髪に青白い肌で、黒目がちな瞳が印象的だった。他に目立つのは大きな体つきとワシ鼻という事くらいだ。


「村の皆から聞いたよ。アンタ、女の子を抱えて巨獣の森からやって来たらしいじゃないの。しかもダイリベリィを食べてだなんて、格好良いじゃん。若い頃の亭主みたいだわ」


「あの、僕は……」


「地上人だろ。知ってるよ、顔を見れば一発さ。ここらの幻素は、地上人に合わないらしいけど、アンタは平気みたいだね。百年くらい前に来た子も、酷く反りが合わなくってねぇ、馴染むのに何ヶ月かかった事やら」


「そういえばミアは……」


「連れの子ならウチじゃないよ。マージン先生の所で治療を受けてるさ。あの子はちょいと大変でね。でも心配いらないね、数日もすれば元気になると思うよ」


「ありがとうございます、そこへ案内を……痛アァッ!」


 体を起こそうとした瞬間、とてつもない痛みが全身を駆け抜けた。手足がもげたかもしれない、と不安になるのだが、体をまさぐる勇気すら持てない。それくらいには衝撃的だった。


「寝てな寝てな。ダイリベリィ食って力尽きるまで走り回ってたんだ、反動だって大きくなる。今日一日は動くんじゃないよ」


「でも……」


 ミアに一目だけでも。そう告げたかったのだが、女は大きな腹を揺すって笑った。


「アンタの事なら任せときな。飯だの水だの、下の世話だの、そんなんはもう慣れっこだよ」


「下の世話って……えぇ!? 平気です、我慢しますから!」


「バカいうんじゃないよ。子供は遠慮しないで大人に甘えてりゃ良いの。こちとら5人もガキを育ててんだからさ。ションベンくらいで大騒ぎするわきゃないだろ」


 僕が騒ぎます。しかし、その言葉が無駄であることはスキルが教えてくれた。そして遂には、丁寧なお世話を受けるという、歴史的大敗北を喫してしまったのだ。


 クエスタの顔は夕焼けよりも赤い。これをキッカケに新たな性癖が芽生える、などと言えるほど彼は汚れてはおらず、ただ恥辱を耐え忍ぶのみであった。


「さてさて。お次はご飯だよ。ちゃんと食べきったら、甘いご褒美もあるからね」


 クエスタは妙に憔悴していた。しかし、野菜スープを一口食べさせて貰っただけで、沈んだ瞳に光が差し込んだ。


「初めて食べる味……でも美味しい!」


「そうだろそうだろ。アタシはね、食い物にはちっと五月蝿いんだ。それが高じて太っちょなんだけどね!」


 クエスタはお世辞を言った訳ではない。食べ進める口が止まらないのだ。そうして荒れ地に水が染み込むように、ゴロゴロ野菜のスープは完食した。デザートにマズベリィの蜂蜜和えまで食べ終わると、指先くらいは動かせる様になっていた。


「ご馳走様でした。本当に美味しかったです」


「そりゃ何よりさ。さてと、色々と聞きたがってる顔してるね? 話は良いけど、洗い物しながらで構わないかい?」


「えぇもちろん。本当なら手伝う所ですが」


「寝てな。下手に動かれるより、その方が助かるってもんさ」


 魔人は台所へ向かうと、何か小さく呟いた。そして術式が宙に浮かぶと、流し台に溢れんばかりの水が現れた。特に気負った風ではない。彼女にすれば日常そのものだ。


「そういや少年。名前を聞いてなかったね。アタシはソーニャ。仕立て屋のソーニャってんだ」


「僕はクエスタです。連れはミア、どっちも10歳で、地上から、生贄として……」


「あきれた。まだそんな無意味な事やってんのかい。もっとも、地上人が来てくれるのは、アタシらとしちゃ歓迎なんだがね」


「そうだ。そこも知りたいんです。どうしてここまで好意的なんですか? 赤の他人だし、種族も違うのに」


 思い返せば、不思議な点は他にもある。村に侵入した時、大勢の男達が捕まえようと躍起になった。しかしそれは悪意からではなく、善意の現れだったのだ。傷だらけの野生動物を助けるような、そんな意味合いが強かった。


「地上人はね、凄い恩恵をもたらしてくれるのさ。技術や文化ってのもあるけど、何よりスキルだね。アタシらには無い力だから、そんなものがあると、もうお祭り騒ぎだよ」


「そう……ですか」


「あらま。スキルは持ってないタイプかい? でも大丈夫。それで手のひらを返すような阿呆は居ないからさ」


「いえ、あるにはあります。あんまり使えないけど」


「ふぅん。差し支えなきゃ話を聞くけど?」


 クエスタは黙る理由もないので、とつとつと語りだした。大勢を落胆させ、爪弾きにされたスキル。生贄に選ばれた要因でもあったと、悔しさを滲ませた。


「アンタ、それはマジの話かい?」


「ソーニャさん、洗い物は……?」


 いつの間にか、大きなワシ鼻がクエスタの真ん前にある。


「使えないとか卑下してるけどさ、早い話が未来予知じゃないか。それって凄いことだと思わないのかい?」


「未来予知……。でも、分かったからって、運命を変えられる訳でもないし」


「そんなもん使い方次第だろ。地上人もバカだねぇ、その力さえあれば、万人が幸せになれたかもしれないのにさ」


 そのお陰で、魔人はアンタと知り合えたんだけどね。ソーニャは不敵な笑みを浮かべつつ、独り言ちた。


「ともかくね、アンタたちを歓迎するよ。魔王様にも会っておきな。きっと大喜びになるだろうさ」


「魔王って……大丈夫ですか?」


「ビビらなくて良いよ。見た目はおっかないけど、優しくて面倒見の良いお方さ。まぁ不機嫌な時は、近寄らない方が良いけど」


「どっちでしょう。安心すべきか、怯えるべきか」


「今だけはどっちでもないよ。快復が最優先。全てはミアちゃんと元気になってからだよ」

 

「そうか、そうですよね」


「そろそろ話し疲れたろ。ごめんね、お喋りに付き合わせちゃってさ」


 それきり、会話は途切れた。確かにクエスタには心地よい眠気が迫っており、瞳を閉じるだけで微睡みに陥った。


 窓の外からは、子供たちのはしゃぐ声。さよならの挨拶に、荷馬車を牽く音。地上にも似た光景、もしかすると一層に平穏な暮らしが、この地底にはある。そんな感想を、意識の明滅とともに思い浮かべた。


 ふと、彼の脳裏に問いかけがあったので、「元気になる」と答えた。続けて聞こえた言葉に満足し、本格的に寝入る事にした。

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