第2話 生き抜く力
クエスタは、あてもなく歩き出した。青に緑にと輝く石を踏みつけて、ただ足の向くままに進む。しばらくして分かったことは、ここが森の中であること。そして木々は自発的に輝いているのではなく、光を反射するだけと言う事実だ。
「ここはどこなんだ。僕はもう死んでいて、死後の世界に……」
そこでふと思い出すのは、落下中のことだ。なぞなぞの声は確かに言った。魔界という言葉を。
クエスタは経験上知っている。このスキルは決して嘘をつかない。その答えも正解すれば必ず結果に現れ、逆にハズレの方は、絶対にその結果は起こらない。
これまで培った常識や習慣よりもよほど信頼できる。それが彼の『なぞなぞ』呼ばわりされたスキルだった。
「つまりは、ここが魔界って場所なのか」
彼も知識が無い訳ではない。魔界とは魔族の住まう荒れ地であり、草木1本生えない不毛の地だと聞いている。だから眼前の光景が、魔界だと信じられないのだ。
そうして手探りで歩いていると、再び脳裏に言葉が過ぎった。今度は頭痛まで伴っている。魔力を使いすぎたせいだ。
――すごぉく強い『暴虐の獅子』から生き残るには、右に飛ぶ? それとも左?
「えっと、右?」
――ピンポンピンポン、正解です!
なぜそんな事を聞いたのか。そう思ううち、肌に痛烈な寒気を覚えた。咄嗟に飛び退る。右手の方へ。
すると、眼前を凄まじい速度で一頭の獣が駆け抜けていった。その余波で大木の幹が削られ、鈍い音とともに倒れてしまう。
「危なかった。ぼんやりしてたら死んでたかも」
安心したのも束の間、再びスキルが発動した。クエスタはそろそろ限界だ。言葉が聞こえるたびに、こめかみに刺すような痛みが走るようになる。
――魔力と空腹を満たしてくれるよ。それは赤い果実? それとも青い果実?
「あ、青……?」
――残念、ハズレです!
つまりは食べろという事か。クエスタは飢えを感じたのもあり、近場の木々を探して回った。すると低木にそれらしい果実が実っている事に気づく。赤く発光する小さなものだ。
「これ、あんまり美味しそうじゃないな……」
小指の先ほどの実を1つ頬張ってみた。すると、酸味の強い汁が喉を通り、唾液とともに胃へ送られていく。
「酸っぱい……。でもちょっと甘いかも」
いまいちな味と思うが、体は正直だ。頭痛は軽減され、体力も戻った気にさせられる。飢えて死ぬよりマシ。彼は握りこぶし分の果実をもぎ取っては、少しずつ食べ進め、やがて完食した。
その頃には既に、あらゆる不足が満ちた後だった。
「これは何ていう果実なんだろ。地上では見かけなかったけど」
返事はない。彼のスキルは相談相手でも、気安い知人でもないのだ。ただ、何かをキッカケとし、図抜けて明るい声で語りかけてくる。その事も彼は理解しており、別に落胆はしなかった。
そして、寂しがる必要もない。スキルは求めには応じないが、ひっきりなしに発動したからだ。
――寝る時は地面派と枝派、どっちが賢い?
――この湖は飲める? 飲めない?
――魚が釣れるポイントは右と左のどっちだ?
問いかけは2択だった。そして、仮に間違えても、逆の答えをなぞれば良い。そうすれば苦もなく良い結果を手に出来るのだから。
そうして外敵を事前に察知し、毒のある飲食物は避け、天候の異常も知らせてくれる。それはまさに、実りある未来へと導く羅針盤のようであった。
――この世界は、楽しい? 楽しくない?
クエスタは少し考えてみる。仲間どころか同族すら居ない世界。恐ろしい獣がうろつくが、一面は絶景で、食料も豊富。何よりも、しがらみや制約が無い事が嬉しかった。
ここは自由だ。蔑む視線も、いちいち突っかかる声も無いのだから。
「楽しい。まだ3日だけど、すごく楽しいよ!」
――ピンポンピンポン、正解です!
浮かべたのは、いつぶりかの笑顔だ。クエスタは自分が素直に笑えた事に驚きを隠せなかった。
「それよりも、そろそろ獣肉が食べたいな。魚と果実だけじゃ物足りないよ」
クエスタは早くも魔界の条理を理解していた。魔力回復にはマズベリィー、怪我にはすり潰したピコロ草を塗る。夜になれば高い枝の間に竹を通し、なるべく海抜を稼いだ上で眠る。場合によっては河が増水し、どこかへ流されてしまうからだ。
「スキルのおかげで助かったなぁ。僕だけじゃ、今頃生きていられるか……」
その時、脳裏に言葉が過ぎる。次の情報は何かなと、胸を踊らせたのだが、もたらされたのは予期しないものだった。
――空から女の子の姿が。助ける? それとも助けない?
「女の子……? もちろん助けるよ」
――ピンポンピンポン、正解です!
クエスタは思わず見上げた。すると、暗闇の空から確かに何かが降りてくる。それが傍を過ぎり、地面に落ちると、驚愕の声をあげてしまった。
「ミア、ミアじゃないか! しっかりしてくれ!」
その体には痛々しい傷が見て取れた。手足に赤黒く腫れた打撲痕がいくつもある。落下する時に打ち付けたのか、それとも最初からあったものか、事情を聞かねば分からない。
「えっと、とにかくピコロ草を持ってこなくちゃ!」
草の束を掴んで、岩場に置いた。そして光る石を手にとって、叩く。緑色の火花が散るのにも構わず、ただひたすらに繰り返す。
やがて液体塗れの草の葉茎が出来上がり、それを患部に巻いてあげた。割としみる。それが刺激になり、ミアは静かに眼を開けた。
「良かった、ミア。僕が分かる?」
「クエスタ……ここはどこ?」
「魔界だよ。たぶん」
「アナタは何を言って……痛ッ!」
「じっとしてて。今は治療中だから」
困惑するミアをまた横たえた。しかし寝入る気配もないので、事の顛末を尋ねる事にした。
「ミア。もしかして、生贄にされてしまったのかい? 僕で終わりに出来なかったの?」
「うん、そんな感じ。昨日、雨はやっとあがって、皆安心してたんだけど」
「雨があがったのに、何で君まで落とされたんだ」
「あの、それは言い辛いんだけど、コーディが……」
「彼がどうしたんだい」
ミアの説明は要領を得なかったが、繰り返し尋ねる事で全容が理解できた。
コーディはクエスタが居なくなっても暴言を吐き続けた。それを苦々しくも我慢していたミアだが、とうとう限界を迎えてしまう。『あんなクズでも命を張れば役に立つ』との言葉が、かつてない怒りを買ったのだ。
「それで、火を点けちゃったの? コーディに?」
「だってアイツ、許せなかったんだもん! クエスタに感謝してるなら良いよ。でも、あんな酷い言葉、わざわざ私に聞こえるように言うもんだから……」
「だからって、一思いに殺っちゃうのはさすがに……」
「生きてるわよ、ちゃんと加減したもん!」
「でもさぁ……その結果、村を追放されちゃったんでしょ? お父さんだって悲しんでる……」
「パパが突き落としたのよ。私を散々引っ叩いた後で」
「本当に!? あんなに優しいオジサンだったじゃないか」
「村の皆に必死になって弁明してたわ。コイツはもう家族じゃありません、魔族に取り憑かれたんだって。まぁ騒ぎを起こす魔術学院帰りよりも、純粋で小さい弟の方が可愛いから、私を切り捨てたのね」
「そんな……。確かに君はちょっと危なっかしいと言うか、向こう見ずな所があるけども」
「やめてくれない? 今は結構ナイーブなんだけど」
「だからって間違ってる! 何が生贄だ、大地の神だ! そんな神様はどこにも居なかったし、命を粗末にしてるだけじゃないか!」
「クエスタ……」
彼の涙は複雑だった。ミアの為でもあり、自分の為でもある。しがらみが軋轢を生み、競争や悪意で満ち溢れ、終いには命までも奪おうとする。必要な犠牲、苦渋の決断。そんな大義名分で飾ろうとも、帰結する答えは1つだ。
誰もが自分の幸せを守りたいだけなのだ。しかし、切り捨てられた側の人間は浮かばれるのか。追放された先に未来はあるのか。哀しみが渦巻く心に、ふと、以前の記憶が舞い降りた。
――この世界は楽しい? 楽しくない?
それは彼の心を打ち震わせるのに十分な言葉だった。
「ミア、地上なんか忘れちゃおう! ここは色々と面白いものが沢山あるんだ!」
「う、うん」
「ご飯だって心配要らないし、たまに怖い目に遭うけど安全だよ。少なくとも地上よりは楽に暮らせるはずさ!」
「そ、そうなの。じゃあエスコートしてくれる?」
「もちろん。まずは不思議な果実からだ!」
クエスタはミアを背負いながら、彼の知りうる魔界知識を披露した。最初のうちは腰が引けた彼女も、すぐに好奇心の煌めきが見られるようになる。傷が癒えるなり、むしろ彼女の方から飛びつく程だった。
「酸っぱいこれ! でも後引く味だわ!」
魚を捕まえて焼けば、豊かな脂に舌鼓を打つ。
「うわぁ美味しい! 脂は濃厚だし骨までパリパリじゃない!」
思う様に辺りを巡れば寝床の用意だ。
「風が気持ち良いね、木の上で寝るのってこんなに心地良いんだ!」
「眩しいから、背中を向けて寝た方が良いよ」
「ありがとう。まだ眠たくないけど」
隣で肩を並べて寝るのは、何となく悪い気がした。そのために幹を挟んで2箇所設置したのだが、寝そべって喋る分には問題ない。
「ところでクエスタ。何だかすごく元気になったよね、前とは別人みたい」
「そうかな。あんまり変わらないと思うけど」
「えぇ? それこそセミの抜け殻みたいな感じだったわよ。いつもボヤッとしてるし」
「そうだっけ。そうかも」
「何よそれ、自分の事じゃない。まぁ、そういう変な所も魅力なのかも?」
ミアが眼を三日月に歪めて笑った。その屈託のない笑みが、クエスタにも疑問を抱かせた。
「ねぇ、ミアはどうして僕を気にかけてくれるんだい?」
「えぇ……? もしかして覚えてないの?」
「あぁ、うん。ごめんよ。もう忘れないから教えてくれる?」
「あれは半年くらい前かしら。ちょうど、学院で野外実習をしてた時ね。コーディが突然、近道をしようって言い出したの。そうすれば遊ぶ時間が出来るからって」
「そっか、だから急にルートから外れたんだ」
「アナタは知らずに付いてきたのね。そんで、運悪く魔獣の巣を探り当てちゃったじゃない。這い寄る狩人セナカアカグモよ。用意の無い私達はあわや死にかけちゃった」
「あれは大変だったよね。無事で良かったよ」
「その時に、私をかばってくれたでしょ。しかも敵まで倒しちゃった。その瞬間から決めたの。私はクエスタの味方で居ようってね」
「そっか。半年前か……」
「そう言えば、その頃かしら。コーディがやたらと五月蝿くなったのは。事ある毎にアナタに対抗意識を燃やしちゃってさ。すごく見苦しかった」
クエスタは一連の話に実感を持てなかった。ある程度は覚えているのだが、それは夢でパーツを拾い集めたようであり、現実味が酷く薄い。そこまでボンヤリと生きていたのかと、自身の振る舞いが恥ずかしくなる。
「ねぇクエスタ。ここでの暮らしは本当に楽しいわね」
「そうでしょ? 僕も驚かされたもんだよ」
「こんな日々が、変わらず、ずっと続けば良いのにね」
「そうだね……!?」
「どうしたの、顔が真っ青だけど」
「つ、続く!」
「なになに? また例のスキルなの?」
クエスタは両腕を抱えて身震いをした。そして、不吉な気分を追い払うかのように、おやすみと告げて眠りだした。喋り足りないミアに背を向けて。
明くる朝。クエスタは荒い息によって目覚めた。
「ミア、大丈夫?」
ここから見えるのは背中だ。木の幹を回り込んで顔を覗き込んで見る。すると、顔を真赤にしたミアが、呼吸を激しくしているのが見えた。
「酷い熱だ……何かの病気にかかったのか!」
クエスタは素早く木から飛び降り、辺りの草花を引っ掴んだ。病に効く草など知らない。スキルの発動を待つのだが、何を手にしようが一向に声は聞こえなかった。
「お願いだ、僕に教えてくれ! 彼女を死なせたくはないんだ!」
声が木々にこだますると、僅かに輝きを変えた。そして待望の声が脳内に響き渡る。
しかしそれは彼の望むものとは違っていた。
――魔人の村があるのは、前と後ろのどっち?
「魔人の村、だって?」
薬については知る事が出来なかった。しかし、突拍子もない言葉には、常に何らかの意味が込められていた。彼が生き抜く為に必要なものが。
「分かったよ、そこに行けって事だよね」
すかさず彼は考えなしに答えると、正解との祝福を得た。それからは、うなされるばかりのミアを背負い、足元が煌めく森を進んでいった。
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