第3話「死人に梔子」



 もしもし?株式会社トーコの陸田りくたです。先日はどうも。こないだ提案されていた商品についてなんですが、各支店長と相談したところやはりウチに置くのは厳しいかと。良い商品なんですけどウチが扱ってるコンセプトのもとは違っているのがやはり大きく、あとこの値段だとウチの客層では手に取りにくいのがネックでして。えぇ、本当に申し訳ない。お詫びと言っちゃアレなんですが、個人経営で雑貨を展開しているところを紹介しますよ。えぇ、えぇ、いいんですよ。私個人として、この商品はとても良い物だと思ってるんです。是非とも鶴崎つるさきさんには頑張ってもらいたいんですわ。後日リストを送りますんで、えぇ。じゃあ失礼します~。


 もしもし、お疲れ様です営業の陸田です。エリアマネージャーいます?出てる?あそう。じゃあ帰って来たら鶴崎さんの件は大丈夫でしたって伝えてもらえる?折り返しとかそういうのはいらないからって。うん、うん、じゃあよろしくお願いします~はい~。


 もしもし田代たしろさん?俺です陸田です。あれさ、新堀にいほりの件どうなったか分かります?F店の新堀サン。無断欠勤してるってハナシだったでしょ?あいつ確か個人経営店の店長と仲良かったから連絡先知ってるなら教えて貰いたかったんだけど……え、行方不明?……うん、うん。じゃあ下手したら一週間前の無断欠勤の時からそうなってたってことだよね。なんだかなぁ……。俺の方でもそれらしい人がいなかったか訊いてみるよ。いつまでも見つからないんじゃ親御さんも心配だろうしね。うん。じゃあリストは新堀のデスクにあるってことね。このままF店に行ってリスト探して来ますわ。いや~ホントそれですよ。ただフラッとしてるならそれでいいけど。何か事件に巻き込まれて……ってなってたら寝覚めが悪いし。田代さん俺がもしいなくなったら証言してくださいよ(笑)じゃあ、失礼します~。


 はいっもしもし陸田です!あぁ、平坂ひらさかさんお疲れ様です、どうかしましたか?……えぇ、先程田代さんから聞きました。彼はどこに行ってしまったんでしょうね。私もただただ不安ばかりで……え、あの晩ですか。あの晩は新堀とK店の千石とR店の間宮の四人で飲んでいました。えぇ、そうです、合同会議があってそのあと合同の飲み会がありましたよね?一応次の日仕事があるからと一次会でほぼ解散となりましたが、私達は同期だけで飲み直さないかということになって二次会をしていました。それが大体九時から十一時ぐらいですね。私と間宮は朝番だったのでそこで二人とは別れました。まさか次の日新堀が欠勤して、しかも行方不明になっているなんて思いもよらなかった。……心当たり、ですか。新堀が身を隠すような心当たり?飲み会でもそんな話したかな……ちょっと思い出せないです。でも多分、してないと思います。……はい、えぇ、はい。明日警察がウチに来るんですね。分かりました、それまで自宅で待機しているようにします。はい。失礼します。


 もしもし間宮まみや?よかった、新堀のことでさっき平坂さんから連絡があってさ。うん、俺もさっき知ったんだ。本当だよな、まさか行方不明になってるとは思わなかった。すごいショックだよ……こんなのドラマか映画の中だけの話かと思ってたのに。それで、明日午前中に警察が自宅に来るからって言われたけど、俺平坂さんに『新堀がいなくなった心当たりがあるか?』って訊かれたんだけど……あぁ、やっぱりそうだよな。新堀の悩みは訊かなかったよな?あンとき借金がヤバイって話をしていたのは千石せんごくの方だよな?スロットやキャバクラで相当遊んでたらしいもんな。でも千石さ、口ではヤバイヤバイって言ってる割にはあんまり暗くなかったじゃん。なんていうか、そう、深刻そうじゃなかっただろ?俺達を気遣って、あえてそういう風な表情だったのかなって思ったけど、千石ってそういうキャラじゃなかっただろ。なんでも顔に出るってカンジでさ。だからさ……千石は本当に困ってなかったんだよ。一ヵ月前さ、社内で横領事件があっただろ?横領っていうかほぼ窃盗なんだけど……社員の給与明細いじって横領して、しかも金庫からも現金を盗んでたって話だ。監視カメラに映らなかったし指紋も発見されなかったけど、どう考えたって内部の犯行だろうから社長も横領という言葉を使ってるんだと思う。もしかしてさ……千石がやったんじゃないか?そんなまさかとは思うし、信じたくないよ俺だって。でも本部によく足を運んでいたし、あの日―――横領された日、シフトに入ってなかった。……あぁ、そうだよ。お前の言うとおり、俺は新堀が千石に殺されたんじゃないかと疑ってるんだよ。新堀も本部勤めの経験があったし、あの日千石と同じくシフトが入ってなかった。二人でやったのか、それとも千石がやったってことを新堀が指摘したのか分からないけど、それでついカっとなってってこと……十分に考えられるだろ?考えすぎかもしれないけど、今日あとで千石に探り入れてみるわ。アイツ今日シフト入ってなかったはずだし。もしそれで何もないならそれでいいんだ、ホント。なんか悪いな、こんな胸糞悪い話しちゃって。早く見つかるといいな、新堀。うん、うん、じゃあ、また。


 もしもし陸田です。あれ、鶴崎さん?どうかしましたか?……はい、はい、へぇ~フレグランスですか。価格帯は?うん、うん……その値段でその容量なら納得だし、むしろお買い得感が出て良いかもしれませんね!種類が十種類以上もあるんですね。はは、たしかに。我々のような年齢だと香水はまたちょっと気後れしてしまいますよね。学生の頃に大人ぶってつけてみたりしたことはあっても、加減が分からなくてどうにもトイレの芳香剤みたいで臭かった。あははは、鶴崎さんは煙草でしたか!ずいぶんヤンチャしてたんですねぇ。……あぁ、私ですか?それがですねぇ。こないだ健康診断で引っかかって以来吸ってないんですよ。えぇ、禁煙ってやつです。これがつらいのなんの……分かりますかぁ!口が寂しいというか集中できないというか……そうなんですよね~。百害あって一利なしとは言いますが、煙草は本当にそのとおりなんですよねぇ。ま、いつまで禁煙が続くか分かりませんが(笑)それではあとで資料とテスターを送っていただけますかね。企画作って店舗に置いて貰えるよう頑張りますんで。はい、はい。それでは。失礼します~。


   *


「これは貴方のですか?」

 時刻は昼を過ぎた十四時。人々の喧騒から逃れるように歩いて会話しているうちに、ひと気のない路地に来てしまっていたようだった。電子端末を胸ポケットにしまい一息つこうして、そんな声を掛けられた。振り返ると黒いセーラー服の女子高生が立っており、真面目な印象とは真逆のジッポのライターを手にしていた。ご丁寧にハンカチで包まれている。

「ああ、私のです。ありがとうございます」

 それを受け取ろうと手を伸ばすが、少女はライターを持っていた手をすっと引いてしまった。おや、と思いながら何度も手を出してみるが一向にライターを受け取ることができない。むっとした表情を少女に向けると、眼鏡の奥にある冷たい目と合った。感情がまるで読めない。

「すみません。貴方が嘘をつくものですから、ちょっと意地悪しました」

「誰が嘘を……早く返してくれないか。仕事が待ってるんだ」

「じゃあ、名前を教えてください。間違った人に渡すと私が怒られてしまいますので」

「何故見ず知らずの君にそんなことを……」

「言いたくなければそれでいいです。そこにある交番に届けてきます」

 少女はあくまでも態度を崩さない。こんなところで足止めされたくないと小さく舌打ちをして「陸田悟朗です」と名乗った。更に問われたら面倒なので免許証も見せる。少女は免許証と顔、そしてライターを見比べながら「間違いないですね」と頷いた。

「確かにこれは陸田悟朗さんのライターですね。ここにG・Rとも刻んであります」

「じゃあ」

「でも貴方は陸田さんじゃないので返せません」

 少女はライターを丁寧にハンカチに包み直すと、そっとスカートのポケットにしまって言った。


「そうですよね、さん」


 太陽が雲によって隠れる。翳る路地。二人の他に歩く人はいなかった。

「いえ、これは推理でもなんでもないんです。ただの、そう、確認です」

「確認?確認のためにこんな茶番を」

「茶番なんかじゃありません。人が殺されていますので」

「……」

「先程、間宮さんとお話されていたようですが『もしかしたら千石が新堀を殺したかもしれない』という内容でしたよね?会話を盗み聞きしてすみません、少し気になってしまったので」

 少女は表情を変えず―――しかしどこか困ったような雰囲気で―――話し続けた。

「えぇと、一ヵ月前に会社内で窃盗事件があったんでしたよね?お給料いじって、さらに金庫から現金を盗んだ。監視カメラには何も映っておらず、指紋もない。このことから社長さんは内部に詳しい者の犯行とみているが、まだ犯人は見つかっていない……ということですよね?」

「……それが何か」

「平坂さんという方は、どうして新堀さんが身を隠すような心当たりがあるのかと訊いたのでしょうか」

 男は答えなかった。少女は続ける。

「窃盗事件があったその日、アリバイが無いのは千石さんと新堀さんでしたよね。でも新堀さんが無断欠勤し行方不明になったことで、平坂さんやもっと偉い方達は『新堀さんが窃盗犯で、逃亡したんじゃないか』という疑い眼差し新堀さんに向けたんです。もしかしたらその前から疑っていたのかもしれませんが……恐らく今回の一件で限りなく黒になったかと思います。周囲の認識も『F店の新堀さん』から『犯罪者の新堀さん』くらいになっていると思います。

 でも貴方は平坂さんとの電話のあとに、間宮さんに電話をかけてます。内容は先程も言いましたが『千石さんが新堀さんを殺したかもしれない』ということでした。千石さんの浪費癖と借金というのは恐らく嘘ではないと思います。きっと日頃からそういう方なのでしょうね。けど、ここで千石さんが新堀さんを殺害したとなれば認識が変わってきます。それもすごい真実味のある根拠ですよね。『窃盗の疑いがかかっていた千石さんが、同じく疑いをかけられていた新堀さんと飲みに行き』、『翌日新堀さんは行方不明になった』―――これだけで、いっきに窃盗の犯人が千石さんになりそうです。明日警察が同期である貴方達三人に事情聴取した際に、陸田さんの姿の貴方と間宮さんが『千石さんには借金があった』と証言すればきっとこんなシナリオになったと思います。

―――千石さんが借金返済か遊ぶ金欲しさに社内の金に手をつけ、それに加わったかもしくはその犯行を指摘した新堀さんは口封じのため殺害されたか監禁されているかもしれない。

 ふう……これでようやく陸田さんと間宮さん、そして新堀さんが窃盗の疑いから晴れるでしょう」

 やれやれ、と言わんばかりに肩を竦める少女。しかし男は「そんな穴だらけで」とやっと口を開いた。

「本当にそれで疑いが晴れると思っているのか」

「思いません」

 にべもなく、そしてきっぱりと少女は否定する。肩に下げていたショルダーバックから紅茶のペットボトルを取り出し、おもむろに飲み出した。あまり喋ることが得意ではないのだろう―――ごくごくとそれを飲み干すと、手の甲でそっと口を拭いて男を見つめた。

「新堀さんと一緒に帰らなかった間宮さんと陸田さんが警察の捜査対象から外されるだけで、新堀さん疑惑はまだ残るでしょう。なにせ遺体も何もまだ見つかっていない状態です。容疑を決定させるなら千石さんの自宅付近で新堀さんの死体を発見させるか、その前後に千石さんが自殺にしか見えない死に方で死んで貰わないと警察は関連付けすると思います」

「……よくそこまでくだらない妄想ができたな。まだ約束の時間まで猶予があるからもう少し訊いておこうか。君の推理が概ね合っていたとしても、私が陸田悟朗ではないとは言えないんじゃないかね?」

「いえ、貴方は新堀翔さんであって陸田悟朗さんではないのです」

 言いましたよね、と少女は首を傾げる。

「これは推理ではなく、確認だと。私達は千石さんの住むアパートの近くの雑木林の中で死体を発見しました。しかもバラバラにされた死体です。いくつか見つかっていない部位もありました。猟奇殺人事件と決定する前に、確認のため特別派遣捜査課の捜査を要請しました。するとその捜査員の方から『顔のニオイが違う』という指摘があったのです。鑑識による解剖の結果、顔そのものは〝新堀翔〟でしかないのに、顔の下の血液や骨格は全くの別人のものだと判明しました。まるでお面のように顔の表面だけが削がれて付け換えられているようでした」

「そんな怪奇じみたこと誰に……」

「ですからこれは人間が行った殺人事件ではなく、咎鬼とがきが行った殺人事件なのです」

 咎鬼―――現世と幽世の狭間〝境界〟に漂う高位霊体異常粒子が、何らかの反応を起こして人体に取り込まれたときに人間が人間でいられなくなる現象であり、また鬼になった者の総称である。咎鬼の多くは異能力を持ち、人に紛れて生活するものもいるという。元人間だったのにヒトとして生活することの何が悪かという声もあるが、咎鬼の〝咎〟とは罪である。この罪とは咎鬼になった以上彼らの主食はその人間達だ。もっと言えばその魂なのだが、なんにせよそれ人間の社会にとっては殺人であり―――また脅威になりうる。

 少女の口から出た単語に男は否定しなかった。しかし、「馬鹿馬鹿しい」と首を振った。

「咎鬼が新堀とその誰か分からない奴を食べる為に殺害した、ということだろう。俺には何の関係もない話だ」

「ここまできて関係無い話はしないと思いますが……そうなると、顔が付け換えられた理由が分からなくなります」

 そもそも、と少女はさらに続ける。

「ただ食べるだけならバクっといっちゃえばいいんです。もしくは誰か判別がつかなくなるまで顔を耕すことも咎鬼にはできちゃうんです。そうした方が咎鬼的には楽らしいですよ、被害者が誰か分からなければ中々警察も捜査しにくいので。

 言い換えれば、

 咎鬼にはその死体が〝新堀翔〟と思わせなくてはならない事情があったということ」

 はあ、と少女は溜息を吐く。説明することが面倒というより、喋り続けることが心底苦手な雰囲気だ。どことなく気だるげで疲れたような印象を受ける。

「新堀さんが窃盗事件の犯人だった。平坂さんという方がどれくらい上の立場にいる人か存じ上げませんが、ほとんどそういう認識が会社内にある中で新堀さんが助かる手立ては〝誰かに罪を被ってもらうこと〟―――では何故身元不明の死体があるのか、状況を考えると以下の感じになるかと。

―――一週間前、同期の飲み会の時に事件が起こりました。それは新堀さんが一ヵ月前に起こした窃盗事件の犯人だとバレてしまったのです。そこに殺意があったのかは分かりませんが結果的に自分を犯人だと指摘した人物を殺害してしまいます。窃盗事件だけでなく、殺人も犯してしまった新堀さんは、自分を守るべく殺した相手に成り代わることにしました。成り代わることで〝新堀翔〟はあくまで憐れな被害者だったと周囲に再認識させ、同時期に千石さんを殺害すれば新堀翔さんも陸田悟朗さんも無実であることを証明でき、安寧が訪れたことでしょう。

 正直、新堀さんがいつ咎鬼になったかは定かではありません。しかし被害状況から察するに陸田さんを殺害した直後でしょう。計画的に見えて、ずいぶん杜撰な手口なのも能力を過信したからです」

 そこまでして助かりたかったのか、と彼女は糾弾しなかった。あくまで彼女は冷静で、淡々としている。

「別に助かるだけなら、陸田さんがやったことにすれば良かったのです。けど、それだけでは新堀さんのご両親はきっと納得されないでしょう。貴方は家族にこれ以上心配かけさせないために、こんな遠回りをされた。―――それがこの顔剥ぎの動機です」

 疲れました。少女は小さく呟いた。一方男―――新堀は不思議と笑みを浮かべていた。

 新堀自身に借金は無かった。借金があったのは彼の両親の方だった。実家の会社が不況により倒産し、多額の借金に悩まされていると知った息子にできることは少なかった。どんなに彼が働いても得られる賃金は微々たるもので、これでは何年働いても焼け石に水だ。そこで彼はかくなるうえは……と、会社の金に手を出した。しかし、

『自首してくれないか、新堀』

 飲み会を終えて帰宅した新堀のアパートに、陸田が訪ねて来たことで全てが変わってしまった。

 陸田は新堀がやったことを全て知っていた。給与明細の改竄も、金庫の現金を盗んだこともそのために監視カメラをいじったことも。陸田がそれでもなお新堀を説得したのは、同期のよしみだったからだ。彼は彼で新堀が悩んでいたことと、社長が犯人に勘付いていることに板挟みになっていた。―それを新堀は、陸田になるまで分からなかった。

 結局知らぬ存ぜぬと白を切り、新堀と陸田は言い争いになりやがては手を出し始めた。しかしついカッとなって新堀は近くにあった包丁で陸田を刺し殺してしまった。―――そこから彼の記憶は酷く朧気になっている。少女の言うように、そこから自分が自分でなくなるような―――咎鬼になっていたのだろう。

 気が付けば、新堀は自分の顔を見下ろしていた。眠るように死んだ自分はこんな表情をするのか、とどこか遠いところで思いながら中途半端に埋めていた。以前の自分もこんなことを考えたのだろうか―――もう分からなった。とにかく普通に戻りたかった。普通に戻るには陸田になりきるしかなかった。やったことのない営業、いつも笑顔と調子のいい声音。起きて、顔を洗って鏡に映る他人の顔にも慣れた。何のしがらみもなく仕事をして、寝て、起きる―――これだけでよかったのだ。そうするために、そうで在り続けるためには仕方が無かったのだ。


「そうやって自分を正当化して、関係無い人を殺しても貴方は『しかたがなかった』と言って他人に罪を被せて自分だけ生きていくんですね」


 少女の声音はいつになく恐ろしく、氷のようだった。鋭く突き付ける事実に新堀が顔をあげると、少女の手には電子端末が握られていた。

「たった今、特別派遣捜査課の人からDNA鑑定の結果が届きました。雑木林で亡くなっていたのは陸田悟朗さんで間違いないそうです。煙草についていた唾液と、健康診断の結果と首から下の体液が一致したそうです」

「……今までの確認作業は、時間稼ぎか」

「それもあります」

「〝も〟?」

「……千石さんも殺害させるわけにはいきませんので」

 そういえば、と少女は電子端末をバックにしまって新堀を見据える。

「名乗っていませんでした。私は不知火瑠依しらぬいるいと申します。四神警察庁霊法局霊法課よつがみけいさつちょうれいほうきょくれいほうか第零部隊だいぜろぶたい第二席―――通称〝暗部〟と言えば伝わりますか」

 少女―――瑠依はそう言って、リボン帯の下にあった赤と黒の鉄十字のついたアクセサリーを音もなく取り外した。

「人であって人ではない咎鬼達を殺す部隊に所属しています。咎鬼達の限界は、己の欲求を追うあまり倫理と理性を消失させ命を蔑ろにしてしまうこと。奪うことしかできない貴方達の存在を我々妖鬼ようきは認めません」

 握りしめた鉄十字は、乱れた映像のように形を歪ませそして一丁の拳銃へと変貌を遂げた。

 S&W M19―――別名コンバットマグナムを模した境界武器〝秘霊刀ひれいとう〟である。

「本当に自分のことか考えられなかった―――バラバラにした理由も、指紋の回収とどちらが陸田でどちらが新堀か分からなくするため―――自分が逃げおおせるためならなんでもする」

 銃口を真っ直ぐに新堀へと向ける。

「黒衣の狩人の名において、執行します」

「おぉおおおおォオオオオオおおぉおまえらにオマエラナンカニ、」

 新堀は―――いや、新堀だった者の身体は今や奇妙に捩れ膨れ上がり、最早〝顔〟だけが辛うじて人間だったのだと判別できるほど醜いぶよぶよとした肉塊へと成り果てた。

「ウィドウさん」

 瑠依はやはり淡々とそう小さく呟くと、彼女の左手に黒い弾丸が生じた。慣れた手つきで一発だけ装填し、彼女が構えると醜い肉塊が襲いかかってきた。

「おまえおまええらににニにこころされててててたまるかよぉぉぉォォオオォおぉぉ!!!」

「〝黒死の繰り手〟発射ファイア

 迫る肉塊に臆することなく、瑠依は引き鉄を引いた。瞬間、黒い軌跡を描いて銃弾は―――肉塊を前に弾けた。

「不発ふはつフハツふうううはああああつうううううぅううぅう!!」

 その様子に嘲笑い、肉塊が瑠依を叩き潰すべく腕を振り上げる。だが―――

「ぅ……う……?」

 振り上げた腕が、下ろせない。それどころか身体を動かすことも、指一本動かすことすら彼には最早不可能だった。まるで録画のポーズボタンを押したように、彼に自由はない。

 辛うじて動かせる目玉で瑠依を見つめる。すると、視界の端にもうひとり誰かが立っていることに気が付いた。

 現代に相応しくない喪服のドレスに黒いベールを纏い、扇子で口元を隠すようにその女性は影のように佇んでいる。

『ずいぶん、欲に塗れた肉塊だこと』

 凛として、それでいてどこかこの世ならざる者のような美しい声音が響く。

『そんなにたくさんあるのなら、少しくらい減らしてもかまわないわね?』

 ―――だって貴方、あんまりにも醜いもの。

 そう言って手を翳したその先に、きらりと光る何かが見えた。

「い、糸………?」

黒後家蜘蛛ブラックウィドウ

 喪服の女王をたしなめる瑠依。「顔は絶対残して」という台詞はいつになく冷たい。

「何も残らないと後々不便」

『注文の多いマスターだこと』

「返事は」

『……おおせのままに、女王陛下』

 わざとらしく肩を竦めて妖しく笑うウィドウ。―――黒後家蜘蛛。疑惑の未亡人とも呼ばれている彼女は〝呪い〟が擬人化したものだ。路地裏に張り巡らされた糸のような呪いから、もう咎鬼は逃げるどころか喋ることもできないだろう。

『死人に口無しとは言うけれど、貴方は他人に罪をなすりつけすぎだわ』

 ノックするような手つきで、糸を手繰り寄せるように指を曲げる。

『自分の罪は自分で背負いなさい、ボウヤ』

 その瞬間、巨塊に張り巡らされた糸が一斉に彼を絞めあげた。血飛沫が飛ぶこともなくただ鬼は一瞬にして肉が削ぎ落され、やがてごとりと首を落とした。


   *


『では、次のニュースです。先日行方不明になっていた株式会社トーコの会社員・新堀翔さん(三十一)と同じ会社に勤めていた陸田悟朗さん(三十二)が一昨日遺体で発見されました。発見された場所は四神市青龍台にある雑木林で、散歩中だった近隣の住民によって発見されたということです。

 警察などの調べによりますと、新堀容疑者には多額の借金抱えており金銭を巡ってトラブルになったとみて勤めていた会社に確認を取るとともに―――』

「瑠依」

 手元でいじっていた電子端末から顔を上げると、左目に黒い眼帯をつけた灰色の髪をした男が立っていた。たった二人しかいない特別派遣捜査課の、藤咲白狼叉ふじさきしろうさそのひとである。瑠依は思わず立ち上がり礼をする。

「お疲れ様です白狼叉さん。白狼叉さんがいなかったら、今回の事件が咎鬼だと分からなかったと思います。本当に助かりました」

「頭を下げるな顔を上げて胸を張れ。倒したのを持って帰ってこれたのもお前の手柄だ。……おつかれさん」

 そう告げると白狼叉は「コーヒーでも飲むか?」と紙コップでの飲料販売機まで歩いて行く。相変わらずの脚の速さに瑠依は慌ててその背を追った。

―――四神警察庁霊法局、食堂。昼より少し前という微妙な時間帯のせいか人はまばらだった。もう三〇分もすれば社員が大勢入ってくることだろう。

 瑠依は食堂のテレビでも報道されていた事件の報告書を提出しに、この霊法課に足を運んでいた。事件の真相が表沙汰にならないように、事実と嘘を織り交ぜて警視庁や報道に提出するのである。理由は明確で、一般市民に余計な不安を植え付けない―――そのためである。

 一般市民に高位霊体異常粒子凶暴種ことレウスは視えない。現世と幽世の境界の存在を一般人が認識できるのは、彼らのテリトリーに侵入した時だけ。レウスをテリトリーの外側からでも認識でき、戦おうという意志を持つ者を〝妖鬼〟と呼び秘霊刀を境界の巫女より賜ることができる。妖鬼の歴史は古く長いものの、表の世界に進出し始めたのは近年になってからだ。そんな状況下で、妖鬼や咎鬼の存在を表沙汰にすれば本来人間側である妖鬼が迫害されかねない。近年、霊法課の存在は周知されてきているものの、咎鬼が境界ではなく現世で人に紛れて人を喰っていると分かれば混乱が生じるだろう。それを回避するために、瑠依の所属する第零部隊、通称暗部が存在するのである。人でありながら人ではない者を殺し、真実を闇に隠す彼らがいるから世間はまだ幾分平和らしい。

「嫌なハナシするとな、死体はマジでギリギリだった」

 アイスカフェオレを手渡しながら、白狼叉は言う。

「損壊とかそういうアレじゃなくてだな、被害者の顔に合わせて身体もあとから変化してたんだわ。発見が遅ければありゃ完全に新堀になってたろうよ」

「うわ、エグいですね」

「新堀の家にライターが落ちていたから疑ったようなモンだ。―――あいつ、煙草は吸わなかったようだしな」

 なんにせよギリギリだった、と白狼叉は自分の分のブラックコーヒーを機械から取り出して啜る。

 被害者である陸田の肺は健康診断で引っかかるほどタールに汚染されていた。まさかそこから被害者と加害者が特定できるとは、顔を付け換えた新堀も思わなかっただろう。

「葬式ン時も面倒だからつって付け換えてもらった。他人の―――それも自分の息子を殺した奴を弔うのは嫌だろう」

「あ、ありがとうございます。……そういえば、容疑者のご両親は容疑者が会社で盗んだ現金を受け取っています。そちらは……」

「返してる」

「え」

「返してたんだ、あれ。息子がいきなり大金持って実家に帰って来たから、もしやと思ってこっそり社長のトコ行って返してたんだとよ」

 殺し損だ、と白狼叉は紙コップの縁を噛む。

「社長サンはよ、自首するか自分ンとこに言いに来るか待ってたんだとよ、他の社員にも黙って。―――犯人が改心してまた働けるようによ。だが黙っていたからこそ、まさか陸田が新堀を犯人だと問い詰めていたとは知らなかっただろうな」

「そう……ですか……」

 やるせなかった、しかたがなかったとも二人は言わない。しかたがないことでは無かった―――新堀がもっと周囲を見て相談や助けを求めれば良かったし、そもそも窃盗に走らなければ済んだ話だった。その『たられば』をしたところでこの状況が変わるわけではなく、ましてや考えればキリがない。

 ただ、どこにでもある不幸だったというには、あまりに惨い結末だった。

「ま、死んだ奴に何に言ったところで返事は来ねぇ。愚痴も相談も解決も虚構も方便も生者の特権だ。鷹和たかやの愚痴はうるせぇがな」

「ひとの説教を愚痴に捉えるな」

「ほらきた」

 笑う白狼叉。瑠依が振り返ると、眉間に皺を寄せて怒る男性が立っていた。一人は怒っているが、その後にいた青年は「どうだか」と呆れている。

「兄さんの説教は愚痴とごっちゃになってるよ」

「そーだそーだ、男がぐちぐちうるせぇぞ鷹和」

梟和きょうやも白狼叉も俺をいじめるな!!」

「事実を言っただけだ」

 歳の離れた青柳兄弟の兄・鷹和とその弟・梟和だ。梟和は瑠依の部隊の先輩であり、報告書と事件の始末で裏から彼女をカバーしていた。鷹和は二人しかいない特別派遣捜査課のその一人だ。白狼叉とは違い何の特殊な能力を持たないが、こうして事件解決に向けてこつこつと情報を集めていた。

「局長から解放されたし、不知火さんもお昼に行きませんか。兄さんが奢ってくれるそうなので」

「そんな、悪いですよ」

 顔面偏差値高い空間に自分がいるところを想像し、さらに年上に奢ってもらう申し訳なさで瑠依は断ろうとしたが白狼叉は「四川料理、うめーぞ」とからからと笑った。

「俺ァ汁無し坦々麺が喰いてぇ」

「お前は自分で払え。―――男だらけでむさ苦しいかもしれないけど、あそこの塩麻婆豆腐はおいしいんだ。どうかな、不知火さん」

「ぬぅ……お世話になります……」

 申し訳無さよりも食欲が勝った瑠依が頭を下げる。このナイスミドル(×2)とイケメン(先輩)に放り込まれる気恥かしさよりも、辛くておいしいものが大好きな女子高生はついて行くことを決めた。おいしいはすばらしい。

 そうして四人の男女が食堂から出て行く。入れ替わりに多くの職員が食堂へと入って行った。いつの間にかテレビもニュースが終わり、気象情報の番組が流れているのを瑠依は音だけで判断した。どうやら今日は少し暑くなるらしい。

 白狼叉と鷹和が前を歩く。その少し後ろを梟和と瑠依が歩いていた。どちらもあまり喋るタイプではないので無言で歩いているが、気まずいということはない。むしろ、丁度いい距離感だと瑠依は思いながら、何となくポケットを探る。コツン、と固い感触にぶつかった。何を入れていただろうか。

「それ、香水?」

 取り出した物を眺めていると、梟和が尋ねて来た。ラベルには白い花が描かれている。

「コロンです。友だちから新作のあげる、と言われて貰ったんですけどそのまま入れっぱなしにしてたみたいで」

「へー……。不知火さんもコロンつけるんだね」

「たま~……に、ですが」

「……まぁ、仕事と学校あるからね」

 瑠依の台詞に梟和は苦笑する。高校に香水をつけていけば確実に生徒指導に目をつけられるし、いつ入るか分からない仕事を思えばお洒落は最低限だろう。

「ニオイに敏感な白狼叉さんもいるので今はつけませんよ。それに」

「それに?」

「山椒と花椒の効いた四川料理には、花の香りは合わないでしょうね」

「―――恐ろしいほど合わないだろうね」

 お互い顔を見合わせ、小さく笑い出す。甘くてスパイシーな香りと、鼻を突きぬけるような香辛料の香りとでは喧嘩どころか戦争ものだろう。しばらく二人で笑っていると「着いたぞー」と鷹和に呼ばれる。

 瑠依はガーデニアと書かれたコロンをしまうと、梟和と足早になって店の暖簾をくぐる。梔子ガーデニアよりも香ばしいゴマ油のほうが好きだな―――そう思っているとお腹がぐうとなった。

 さて、お昼にしようか。




おわり

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