うつろの花園

影平まこと

第1話

 彼女は素敵な人だった。慎ましやかな態度と可憐な仕草、花に対する愛と知識。言い出せばキリがないほどに、魅力に溢れていた。だからこそ、理解もしていた。愛の女神は、きっと彼女に微笑むのだと。


 彼女と出会ったのは、雨音が耳に心地よい、夏越の月の頃だった。俺は転職のため新たな土地に引っ越してきた。片付けをしたばかりで殺風景な部屋を彩るために、雑貨を探しに街へと向かう。初めて見る商店街に心を躍らせながら中を進んでいくと、ある花が目に止まり足を止めてまじまじと眺める。それは、花屋の軒先にひっそりと、しかし確かな彩をもって、歩行者たちを眺めていた。そのふわふわとした淡いピンク色にどうしようもなく焦がれてしまい、店内に足を踏み入れる。花の名前を聞きたくて店員に声をかけようとした瞬間に、正しくは、店の奥からのぞく無垢な笑顔と澄んだ声がこの身に届いた瞬間に。私は心臓を射抜かれたのだ。ひとめぼれ、というやつなのだろう。年甲斐もなく、そのような恋をしてしまったことを恥じつつ、心は舞っていた。花の名前はアスチルベというらしい。そう嬉しそうに語る彼女を見ていると、自然と、己の内側の、深く、暗い、湿った部分が、陽に照らされてゆくようだった。


 その日話したことは、花の名前以外覚えていない。気づけば私は店を出て、雨跡が残る道を革靴で踏みしめ歩んでいた。胸には綺麗に包装されたアスチルベをしっかりと抱えて。この思いの行きつく先など、まったく、見えてはいなかった。

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うつろの花園 影平まこと @sakura-1993

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