003


 日が傾き、西の空が赤らみ始めて間もなく、町に到着した僕とミナーヴァは、その後、空が淡く紺色に染められるまで、魔物の死骸を引き摺りながら町内を練り歩く羽目に遭った。珍しいから高く売れると聞いたけれど、あまりに珍し過ぎると値段の付けようが無いらしく、どこの買取屋も、魔物の死骸を珍しがるばかりで、買い取ってはくれなかったのだ。

 とんだ誤算だぜ、まったく。

 キャラバンが訪れる時期だったなら、あるいは彼らが買い取ってくれたのかも知れないけれど、今は九月――ウルメナオ首都のウルメティアラを拠点として国土内の各地を巡回する商業ギルドの隊商が、エングルスに訪れるのは偶数の月――である。いやはや、困った困った……、いくら魔物とは云え、死骸はナマモノなので、放置していれば腐るらしい。まだ夏の暑さが残るこの季節なら、その速度も一入のはず――困りあぐねた僕は、仕方が無いので、友人の邸宅を訪ねることにした。エングルスを執りまとめる辺境伯様ならば、魔物の死骸を買うくらい、余裕でしょ?

「――と云う訳で、久しぶりだね、ヒイロきゅん」

 幼馴染であり、現辺境伯様の次男坊君であるカルキン=ソールブ・ヒイロと会うのは、実に二カ月ぶりだった。国家騎士を目指している彼は、此処、エングルスに分校舎を有する王立の士官学校に通う学生の身であるため、忙しい毎日を送っている。現に今も――下校して間もないのだろうか――玄関に顔を出した彼は、少しよれた士官学校の黒い制服を着用していた。農作業がやりたくないからと、マウル爺さんの下で狩人の真似事をしている僕とは大違いである。

 ヒイロは、僕の顔を見るなり溜息を零し、そして僕の右隣に立つミナーヴァを見やってから 思い切り顔を顰めた。眉間に皺が寄ってるぜ、ヒイロきゅん。

「こちとら謎の大爆発の対応で随分と大変な思いをさせられたって云うのに……、女連れとはイイご身分だな、ノート」

 貴族である御身が他人様の身分をイジるのはどうかと思うけれど、ともかく、彼のれの言う通りにミナーヴァが熾した大魔術は、エングルスに多大な被害を齎していたのだった。

 炎に棲み処を焼かれ、森を追われた動物達が大挙してエングルスに押し寄せた。

 結果、町は大混乱――人も獣も興奮と混雑を極め、危うく町が崩壊しかねないほどの乱痴気騒ぎにまで発展し、その鎮静には町を警護する衛兵団と町に駐屯する国家騎士団のみならず、国家騎士の卵である士官学生までもが動員されたのだとか。

 ヒイロの言う『大変な思い』とは、つまりそう云うことだった。

「悪いけど、父上も俺も疲れてるんだ。今日は帰ってくれ」

「そこをなんとか! 幼馴染のよしみでさあ、ね?」

「無理なもんは無理だし、つうかそもそも、魔物の死骸の相場も分かんねえのに、どうやって買い取れっつうんだよ。来月まで大人しく待ってろ」

「いやいや、来月までもたないでしょ? 生肉なんだから」

「なら、諦めて土に埋めろ」

「あっ、じゃあ、来月までヒイロの家の冷凍庫で預かっててよ」

「うちの冷凍庫は死体安置所じゃねえ!」

「首は刎ねてあるんだけど、胴体もバラした方が良いかな?」

「オレの話、聞こえて無いの? それとも無視してるの?」

「じゃ、ちょっとその腰に差してるの借りるねえ」

「――ちょ、おまっ、勝手に抜くなよ! それは騎士の誇りだぞ!」

 拝借した直剣は軽く、何とも振り回し甲斐の無い剣だった。とは云え、貴族のボンボンが佩刀していた物であるから、きっとお高いに違いない。鍔と柄の部分なんか、金色に輝いている――試しに、顔見知りの執事さんの提案で庭にある噴水の傍に放置していた死肉に、軽く切先を突き刺してみると、何の抵抗も無く、刃はするりと食い込んだ。これなら余裕でバラせそうだ。木刀とは大違いである。

「……まじで魔物じゃんか」と、遅れて来たヒイロは、しげしげと死骸を睨みつつ、その体を突いたり引っ張ったりしていた。そう云えば、彼は幼い頃に首都の方へ出かけた際、兄に連れられて訪れた見世物小屋の一角で、生きた魔物の幼体を目撃したことがあるんだっけ……、果たして、幼き日に目撃した魔物が、今、目の前に斃れている魔物と同種なのかは分からないけれど、一度目撃したことのある彼には、これが魔物であると一目で分るようだ。

 流石は貴族様ってところか。

「お前が殺ったのか?」

「まあね」

「一撃か?」

「見ての通りだよ」

「…………」

 見飽きたのだろうか――魔物の傍を離れたヒイロは、僕を通り過ぎ、腕を組んで僕の後方に立った。剣を返せと言わないところを見るに、冷凍庫に置かせてくれるらしい。いやはや、持つべきものは、物分かりの良い友人だぜ――取り敢えず四肢を斬り落とす。

「んで、お姉さんは何者なんです? まさか、こいつのガールフレンドか何か?」

「残念ながら、まだガールフレンドでは無いかな」と、剣を持って走った僕と、それを追って走ったヒイロを、優雅にも歩いて追いかけ、僕が剣を振るうタイミングで到着したミナーヴァは、ヒイロの横に並んだ。

 彼女は、僕にまつわることなら大体は知っていると嘯くくせに、ヒイロのことは知らなかった。いや、違う、その表現はは正確じゃあ無い。彼女は、僕に貴族の幼馴染が居ること自体は知っていたのだ。そしてその幼馴染君が、僕の人格形成に一役買っていたことも知っていた。けれど、その幼馴染君の名前がカルキン=ソールブ・ヒイロで、見た目は栗色のロン毛野郎で、職業は士官学生で――と云うようなことは、何も知らなかったのだ。どうやら彼女の云う『僕にまつわること』とは、かなり限定的であるらしい。ミナーヴァ風に云えば、私にとっての主人公であるノート以外にはまったく興味がない、だ。

 ヒロイン兼メンターと云うよりも、メンヘラ的ストーカーである。

「そう言えば、夕方よりちょっと前に、海外の魔法使いがエングルスに来たと衛兵からの報せを受けたんだけど――カノジョじゃないなら、魔法使い様が、ノートに何の用なんです?」

「ノート君に一目惚れしちゃったから付いて回っているだけさ」

 そう云えば、彼女、町の関所で止められた時に不思議な通行手形を見せていた。見せられた衛兵は急に横柄な態度を改めてペコペコし始めたけど、あの通行手形って、もしかして凄いものだったのかな――腹を裂いてみたけれど、内臓の処理は、熊の内臓を処理する感じで良いのだろうか? 魔物の解体は初めてだから、どうにも要領を得ない。

「では、どうして海外からはるばるこんな辺境の国に?」

「それはねえ、運命の人を探しにきたんだよ」

「運命の人……ですか?」

「いやさ、私もこの歳になるまで全然気づかなかったんだけどね? 女の寿命ってびっくりするくらい短いのよ。少し前までは何をしなくても男の方から摺り寄って来てたのに、気付いたら、別の新しい、若い女の子が、ついこの間まで私が居た席に座って、男共にちやほやされてんの。それこそ、女なんかナマモノと一緒――いつまでも女の子でいられないわけ。老いたら腐って、おばさんに成んの。そのうえ、世間はただのおばさんに冷たいじゃない? 結婚して子供を作れなきゃ、性格とか容姿とか、どっかこっかに問題があるって決めつける」

「ソウ、ナンデスネ……」

「だから、私もそろそろ結婚しなきゃなあって――それで運命の人を探してたのさ。だって折角なら、本気で愛せる人と結婚したいじゃない?」

「…………」

 おやおや、どうしたんですか、ヒイロきゅん。そんな、藪を突いたらドラゴンが出ちゃったみたいな顔をして。まあ、気持ちは分からなくも無いけどね……、運命の人と云うのが言葉の綾であることを知っている僕だって、ミナーヴァの長台詞は怖かった。かたしに僕は、町の関所で衛兵に渡来の理由を尋ねられ、その流れで運命の人がどのような人物なのかを問い詰められた際、悪びれることなく、運命の人の正体が僕であり、僕が未来で王となる旨のことを口走った彼女に、僕が王に成るだなんて云う狂言を他の誰かに言いふらさないで欲しいとお願いしたけれど、だからと云って、此処までの真に迫る詭弁を求めたわけでは無かった――思いの外に綺麗だった内臓の処理を終えた僕は、速やかに噴水のところで手を洗い、剣を濡らす血液を払い飛ばす。

「バラし終えたぜ、さんきゅーな」

「……お、おう」

 剣を手渡す。

「それじゃ、僕は頭と胴体を持って行くから、ヒイロは四肢をよろしく」

「当然のように俺も手伝わされるんだな、疲れたって言ってるのに……、内臓はどうするんだ? 往復すんのも面倒だろ」

 ミケルにでも頼むか? と、そんな風にミナーヴァを頭数に入れていないあたり、今の数分で相当に苦手意識を育んだようだ。可哀そうに。

「残りはミナーヴァがやってくれるよ――ね?」

「ああ、かまわないよ」と起術反応――薄い暗がりに包まれた庭が、彼女の纏う輝きに照らされると、僕が庭にバラして広げて並べた臓腑と、庭の芝生を染めて汚して穢した血液が、まるで透明な球状の器に押し込めたられたかのように一塊となって、宙に浮かび上がった。ご丁寧にも、僕の衣服に浸み込んだ血液まで搔き集めてくれたらしく、解体作業の後なのに、僕の身体には血腥さが無かった。

 これがデオドラント魔術ってやつか。

「胃腸の内容物はどうする? これも冷凍庫まで運ぶかい?」

「んー……いや、珍しいものは何も無かったから、別に要らないかな」

「それじゃあ、焼却してしまうね」

 今度は彼女の指先に小さな赤い火種が芽吹く。ボウっと、闇を切り裂くような灯は指から放れて着火。汚物から吐き出された饐えた煙は――

「おい、何をやってるんだ!」と、急にヒイロが吠えた。何をそんなに血相変えてるのかと思えば、今度は、噴水の水を燃える汚物にバシャバシャと被せだした。そんなんじゃ消火なんて出来なかろうに……それでも彼は、必死だった。

「芝生の上で火を扱う奴があるか⁈」

「まあ、それはそう――だけど、よく見てみなよ。水が火に掛かってないぜ?」

 汚物から吐き出された饐えた煙は――まるで、透明なクロッシュでも被せられているかのように、立ち上ることは無く、炎と混ざりながら、ドーム状に滞留していた。臓腑と血液を一塊にしたのと同じ要領なのだろう。

 炎が燃え広がることは無さそうだ。

「さあ、さっさと冷凍庫に片しちゃおー」

 ずぶ濡れになったヒイロを放置して、僕とミナーヴァは勝手に辺境伯の邸宅内へと踏み入った。玄関を潜ってすぐに、魔物の死体を庭に放置することを提案してくれた執事さんに出くわしたので、冷凍庫はどこかと聞けば、「冷凍庫は地下の食糧庫に併設しております――が、魔法使い殿が宙に浮かべている臓腑の類は、何かに容れる必要がありますね……、今、壺か何かをお持ちしますから、先に冷凍庫の方へお進みください」と言うので、冷凍庫があると云う地下へ降りる階段を探す。階段の場所は教えてくれなかったのだ。

「辺境伯殿はお金持ちなんだねえ」

 淡い輝きを放ったままのミナーヴァは、僕よりも二歩前を、僕とまったく同じ歩調で歩きながら、通路に配置された花瓶やら絵画やらを興味なさげに流し見ていた。

「まあ、エングルスはウルメナオの国防を支える要所だからね。その要所の統治を任されている辺境伯様ともなれば、そりゃあ大層な大金持ちだよ」

「ふうん……、ねえ、今晩はどうしたらいい?」

「ん? 言ってる意味が分からないんだけど……?」

「だから、今晩の私のお宿をどうするか――って話だよ。君ん家に泊めてくれんの?」

「なんでだよ!」

 話の流れが読めない。

「私さあ、今、手持ちが殆ど無いんだよねえ。だから、正直この魔物の死骸を売ったお金を当てにしてたんだけど、どうにも今日中にお金は手に入ら無さそうじゃん?」

「そうだけど、お前、やっぱり僕の獲物を横取りする気だったのかよ!」

「なーに、ちょっとばかし君の儲けを借りようと思っただけさ」

「得体の知れない女に貸すお金はねえ」

「いいや、君は貸してくれるね。困ってる人を見過ごせないのが、君の良い所で、悪い所なんだから――で、寝床に困ってるんだけど、泊めてくんない?」

「ねえ、僕にまつわることを知っているなら、僕の両親の名前は知らなくても、僕の家庭環境くらいは知ってんでしょ?」

「まあね、それなりに荒れていることは存じているよ」

「じゃあ、悪いことは言わないから、家には泊まらない方がミナーヴァのためだ」と、出会って間もない男の家に上がり込もうとするふてぶてしい魔法使いの相手をしていれば、とうとう地下へ続く階段を発見した。ので、そそくさと降りる。

「おい、ノット。なんでオマエの方が来るの遅いんだよ」

 すると驚くべきことに、冷凍庫の前には既に四肢を担いだヒイロと壺を持った執事さんの姿が在った。どうやら僕らは、随分と遠回りをしていたらしい。貴族の家ってどうしてこうも無駄が多いのか。

「こちら、先ほど申しました、壺です」

 執事さんが中々に大きい(成人男性の下半身くらいならばすっぽりと収まりそうだ)壺を差し出してくれたので、どうもー、とミナーヴァはそれに臓腑と血液の塊を流し容れ、起術反応を解いた。ちゃぷん。溢れない、ギリギリである。

「じゃ、私は荷物も無いし、此処で待ってるね」

「左様でございますか――ああ、ノート君、冷凍庫内は大変滑り易くなっていますから、足元には十分注意してください」との忠告を受けたので、言われた通り、足元に注意を払いながら冷凍庫に這入り、手頃な置き場を探してきょろきょろ――左奥の隅なんか、良いんでないの? 棚の設けられた右側とは異なり、凍えた鈍色の壁面が剥き出しになっているそこならば、骸を放置しても、多分、邪魔にはならないだろう。

「披いた胴体はそこの肉吊りのフックにぶら下げろ。でないと、床とくっ付いちまうぞ」

 牛か豚か――屠殺され、食用の肉塊として保管されるそれらを吊り下げるためのフックを指差して、ヒイロがそう言うので、一応は申し訳なさそうに、空席だった三つの内の二つを占領した。牛や豚よりも大きいので、フック一つでは足りなかったのだ。

「――さて、それじゃあ父上のとこに行くか」

 人工の寒さに震えながらも、何とか骸を片し終え、冷凍庫を脱出したところで、ヒイロがそんな事を言いだした。

「なに? パパさんたら、なにか僕に用事でもあるのかい?」

「お前じゃねえ、魔法使いに用事があんだよ」

 辺境伯様は、ミナーヴァをお呼びのようだ。

「ついて来て貰えますか?」

「ああ――うん、ノート君が一緒なら良いよ」

「はい、もちろん、ノートも一緒で構いません」

 この機に、ミナーヴァから逃げられるかも知れないと一瞬でも考えた僕は愚かだった。まだしばらく帰宅は出来なさそうである。まあ、僕が居ない方が、実家は平穏無事に生活を営めるので、別に急いで帰宅する必要は無いんだけど……、ウチは風通しが悪いから、長男に対する風当たりも厳しいのだ。寂しいねえ。

「では、付いて来てください。父上は食堂に居ります」

 先行するヒイロの案内によって辿り着いた装飾豊かな食堂では、食事を運ぶため頻繁に出入りする三名のメイドさんを除けば、二人だけが並んで――と云うには体の正面の向きが直角に異なるけれど――長方形の食卓に付いていた。勿論、その正体は辺境伯様とその夫人――つまりはヒイロのパパさんとママさんであるわけだけれど、いやあ、相も変わらずお綺麗なママさんだこと。ウチの母さんも相当な美人だけれど、ママさんは纏っているオーラが高貴だ。惚れ惚れしちゃうぜ。

 ちなみに、僕が貴族家系の息子であるヒイロと幼馴染をやれているのは、ママさんと、僕の母さんが親しい間柄だからだ。親友――そう呼んでも差し支えないほどに親しく、だから僕も、ヒイロのママさんには良くして貰っている。やっほーと、手を振って迎え入れてくれるくらいには、可愛がられているのだ。

「……いつも思うが、どうしてお前は、俺の母上に対してそんなにフランクなんだ」

 手を振って返していると、ヒイロが辟易顔でそう言った。なんだよ、羨ましいのか? ヒイロきゅんがマザコン野郎だったとは知らなかったぜ……、お前とはおしめが取れる前からの付き合いだって云うのにな――おほん、と上座の辺境伯様が場を執り成すように厳かな咳ばらいをした。

「よくぞ参られました、魔法使い殿。私は、この地を納めるカルキン=ソールブ・ナクーム。そして、こちらは妻のエルディメです」

「魔法使いのキト・ミナーヴァです」

「……突然の御来訪だったので、ささやかな持て成ししか出来ませんが、ウチのシェフが腕によりをかけた食事です。どうぞ召し上がってください」

「ノートちゃんも、こっちへいらっしゃい」

 呼ばれた僕は、辺境伯様の右隣、ママさんの対面に座したヒイロを尻目に、ママさんの左横の席に腰掛けた。すると、僕の後を付いて来たミナーヴァは僕の左隣――料理が用意されていない席に、何食わぬ顔で座して見せた。いや、何やってんの、ミナーヴァさん。あなたの席は、どう見てもあそこ――辺境伯様の対岸の下座でしょ? どうしてそんな、あからさまに辺境伯様の意図を無視すんの? 僕にまつわることは知っているくせに、恐いもの知らずなの? 

 まあでも、貴人と美人に挟まれて、悪い気はしないかな。

「……ミケル、悪いが料理を移動させてくれ」

「畏まりました」と、先ほどの執事さんが、粛々と、下座にあった料理を、ミナーヴァの眼前に移動させてくれた。ので、僕は、ミナーヴァの代わりに頭を下げた。

「それでは、乾杯」

 辺境伯様の号令を合図にそれぞれの手許に用意されたグラスを掲げた――しかし、さっきはヒイロから『帰ってくれ』と言われたのに、どうしてこんな歓待を受けているのだろうか? 随分と手の込んだ料理の顔ぶれを見るに、つい今しがた準備した物ではあるまい……、そう云えば、僕はヒイロにミナーヴァのことを紹介していなかったはずなのに、彼はミナーヴァと異国の魔法使いをイコールで認識していた。もしかすると、町の関所を通った時点から、僕たちは、辺境伯様の息が掛かった誰かに後を尾行つけらていたのかも知れない。

「――魔法使い殿は、何故、この町へ?」

 グラスの紅い液体に口を付け、一度だけ喉仏を上下させた辺境伯様は食事に手を付けない。肘をついて指を組み、テーブルに身を軽く乗り出すような格好だ。

「人探しです」

 咀嚼もほどほどに、ミナーヴァは短く答える。

「人探し?」

「はい、運命の人を探してここまでやって参りました」と、ミナーヴァがお決まりの返答を述べた直後、一瞬、ヒイロの顔が引き攣ったように見えたのは、多分、見間違いじゃない。僕の横ではママさんが「あら、素敵ねえ」と、愉しそうに微笑みながら、嫌いなキャロットラペの人参を僕の皿に移していた。メインではない生ハムだけを食べるつもりのようだ。貴婦人らしからぬ行動だけれど、辺境伯様や傍に控える執事さんとメイドさんに見つかっていないのは流石である。

「運命の人ですか……それは、見つかりましたかな?」

「さあ、どうでしょう。目ぼしい人には出会えましたけど――」

 つんつん。

 おい、止めろ、このタイミングで僕の頬を突くな! あらぬ誤解を招いてしまうじゃあないか。ほら、ヒイロなんか、僕に同情の目を向けている。今にもご愁傷様と言いかねない雰囲気だ――けど、それは流石に、ミナーヴァに失礼なのでは?

「その子が目ぼしい人物なのですか……、理由をお尋ねしても?」

「いやだ、あなた。それを聞くのは野暮ってもんじゃありませんか」

 ねえ、ミナーヴァさん? と、横から割って入ったママさんだけれど、その顔には満面の笑みが張り付いていた。完全にあらぬ誤解をしている人の顔である。ミナーヴァもミナーヴァで、否定するどころか、ママさんの笑顔に対し、恥じらった風の曖昧な微笑みで返すものだから、始末が悪い。

 挟まれる僕の身にもなって欲しいもんだぜ。

「ちなみに、二人はどうやって出会ったの?」

 たった今、辺境伯様の問を野暮だと遮ったばかりのママさんは、嬉々としてそんなことを質す。やばい、このままでは面倒なことになりかねない。助けて、辺境伯様――疲れているのか、嫁を止めるそぶりは見せず、彼は、静かにミナーヴァを見据えていた。

「エングルスに這入ったのは慥か今日なのよね? なら、ノートちゃんとは今日、知り合ったばかりのはずだけれど、何がどうして、貴女のハートを射止めたのかしら?」

「そんな大層な出会いでは無いのですけど――魔物に襲われているところを助けてもらったのです」

 大層でないと言うのなら、勿体ぶらずに言うべきだ。

 そして情報が正しくない。

「あらやだぁ、ロマンチック!」

「ええ、まったく、アレは本当に痺れました。迫りくる巨大な魔物の首を、たった一太刀で刎ねてしまうんですもの。一年ほど旅をしてきましたけれど、アレほどに速い剣は見た覚えがありません」

「――ほう、一撃ですか」と、少しやつれたような顔をしていた辺境伯様は、その表情を一転させ、僕を鋭い目つきで見やった。突き刺すような視線であると同時、不思議と懐かしい視線でもある。幼い頃に幾度となく向けられた視線――激怒される、咄嗟にそう思った僕は少しだけ身構えた。辺境伯様が僕の名を呼ぶ。

「お前はまだ剣を握っていたのか」

 冷たい声音で繰り出された言葉に、ヒイロとママさんが、まあまあ、と僕を擁護してくれたけれど、辺境伯様は一歩として引く気が無いようで、僕を鋭く睨みつけ――不意に破顔して見せた。えーと……ナニユエ? 辺境伯様の心中を察しかねて呆然としていれば、ミナーヴァは「彼が剣を握っていると、何か都合が悪いのですか?」と、辺境伯様の声よりもなお冷たく、凍てつくような声音で質した。

「いえ、そのようなことはございません。ただ、今もまだ研鑽を積んでいたと云うことに驚いたのです」

「さいですか」

「お気を悪くされたのなら申し訳ありません――しかし、そうですか……、魔法使い殿はその子の剣の腕に惚れたのですね」

「そう云うことになるんですかね……、なにぶん、彼ほどの逸材に出会ったのは初めてですので、今はまだ、鋭意観察中――と云った感じかも?」

「左様ですか……すると、魔法使い殿はまだしばらくこの町に居られる、と云うことになるのでは?」

「……ええ、そう云うことになりますね」

「うーむ……ならば、拠点が必要になりましょうが、宿の方はどちらに?」

「いいえ、まだ――と云うか、旅の間に手持ちを使い果たしてしまいまして……、どうしようかなあ、と悩んでいたところです」

「そうでしたか。でしたら、ウチに泊まられては如何でしょう? もしアレでしたら、その子に身の回りの世話をさせることも可能ですが?」

「――⁈」

何故か、僕がダシに使われている。

「あの――」

「あら、本当ですか? ぜひともお願いします!」と、僕の抗議の声は、ミナーヴァの声に軽々と飲み込まれてしまった。二の句も言わせてもらえなかった。

「では部屋を用意しましょう。ノートも構わないね?」

「いや、そのですね――」

「君は別に帰る必要も無いだろ?」

 大きなお世話です。

 そう言ってやりたかったのは山々だけれど、三者三様に憐れむような目を向けられてしまうと何も言い返せなくて――僕は、はい、と頷いた。


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