002
しかし僕も、この十七年間で、そう易々とラブコメ的な展開が訪れないことは理解していた。だから、雨が止むまでの間にラブコメ的な、あるいはラッキースケベ的なハプニングが起きなかったことについては、別にがっかりしていない。本当に、まったくがっかりしていない……、つうか、そんなハプニングが起きていたら大問題だ。相手は初対面のお姉さんなんだぞ。いくら僕が惚れっぽい青二才で、相手がエキゾチックでエキセントリックな――つまりはエロい感じのお姉さんだとは云え、あまりにも得体が知れなさすぎる。茶をしばきながら、探り探り、歓談に応じてはいたものの、依然として彼女の正体は知れないままだった。なぜか僕のことを僕以上に知っていたり、僕のことを〈予言の仔〉あるいは〈ステラカリタス〉と呼んでみたり、神代がもうじき終わるなんて云う世迷言を吐いてみたり――と、突拍子の無い、意味不明な言動を繰り返すくせに、不思議と嘘を吐いているようには見えないので、いっそ、清々しいまでに胡散臭い……、もしかすると、魔法使いとは往々にしてそう云う者なのかもしれないけれど――彼女との歓談の最中で知ったのだが、魔法使いとは、魔術師や錬金術師、呪術師に導師など、世界に元来備わっている物理法則とは別に、その世界を運営する神々が世界に外付けした神秘法則である「魔法」に則って神秘を再現する者達の総称なのだそうだ。
「――無事か、ノートぉ!」
雨が止んですぐに、マウル爺さんは帰ってきた。
雨でずぶ濡れになっているところから察するに、彼は大雨にも拘わらず、僕を心配して町から飛んで来たらしい。おかげで肝心の薬すら買えていなさそうだ。
「お帰り、爺さん。ほら、僕はこの通り、ぴんぴんしているよ」
立ち上がって両手を広げて見せてやれば、彼は濡れた手で僕の頭やら頬やらを触りながら、良かった良かったと、顔をしわくちゃに歪めた。涙こそ流さなかったけれど、僕の肩に置かれた両手はか細く震えていた。
「……して、そちらのお嬢さんは?」
ひとしきり僕の生存を噛み締めた彼は、にこにこと静かに微笑んでいたミナーヴァを恐る恐ると云った風に見やった。そりゃあ、自分の家に見知らぬ誰かが居座っていれば、誰だって恐いもんだぜ。だから僕は、努めて平静を保ち、あらかじめミナーヴァと打ち合わせた通りに「この人はミナーヴァさん。旅をしてる魔法使いらしいんだけど、この森に立ち寄ったところを丁度、さっきの雨に出くわしちゃったみたいでさ……、ずぶ濡れになるのも可哀想だったから、家に入れてやったんだ。勝手に入れちゃってごめんよ」と、彼女を紹介した。私が〈褐彩の英知〉であると云うことは、君以外には隠して欲しい。それが彼女のオーダーだった。
「魔法使いとは珍しい……、いや、構わんよ。困った時はお互い様だからね。儂は、マウル。汚いところですまんが、どうぞ、ゆっくりしていってくだされ」
「いえいえ、汚いところだなんて滅相もありません。雨を凌がせてもらったばかりか、暖まで取らせていただいて……、ありがとうございます」と、ミナーヴァは淑やかな態度で謝辞を述べたけれど、その実、降雨の原因、ひいては火災の原因もまた彼女にあった。
僕を探してヘダテルイウ山脈を挟んだ西側にある隣国から、僕の属する国・ウルメナオへ渡る道中、人間界には存在しないはずの魔物を発見した彼女は、それを処理するために魔術を行使したのだそうだ。
しかし、その時は折悪くも寝起きだったらしく、魔術の火力を間違えたらしい。いやあ、寝起きで魔術なんか使うもんじゃないね――とかなんとか言っていたが、つまり先刻のあの大爆発は、彼女が熾した魔術だった、と云うわけである。爆発の原因を知る以前の僕は、彼女のことを、火災から救ってくれた命の恩人だとばかり思っていたから、彼女が名乗ってすぐ、ところでさっきはありがとう、だなんて言ってしまったものだけれど、いくら彼女が美人だとは云え、謝意を搾取されるのは腹立たしい限りだ。
「……しかし、ノートや。あの死骸はなんだね?」
僕が勧めた椅子に腰かけたマウル爺さんは、思い出したようにそう言った。あの死骸とは、家の前に斃れる鰐面の胴体を言っているのだろう。余っていた麦茶を注いだ湯呑を受け取ったマウル爺さんは、それで喉を潤してから続けた。
「あの死に方を見るに、きっとお前が殺ったんだろうが、儂は今まで、あんな巨大な動物は見たことが無い。いったい、どこから来たんだ?」
「えっと、あれは……」
どう説明したものか。
単純に魔物だと答えて良いものなのだろうか? 魔物は本来、魔界だの幽世だのと呼ばれる、此処とは別次元に生息している存在である。ゆえに、普通に生活している分には遭遇することなどまずあり得ない。だと云うのに、わざわざ、あれは魔物です、と言って、マウル爺さんを不安にさせるのも如何なものか、と思うのだ――答えに窮していると、代わりにミナーヴァが「あれは魔物です」と答えてくれた。
あ、言っちゃうんだ、それ。
「魔物? あの、魔界に住むという生物か? 魔獣ではなく?」
「はい、魔物です。私も、旅の道中で幾度か目撃しましたから、間違いありません」
「……ふむ、儂はこの森からほとんど出なんだから、よう分からんが、もしや外では、何か良くないことでも起きているのかい?」
「ごめんなさい、私もよく分かっていないのです」と、しおらしく謝って見せるミナーヴァだったが、実際には外で起きている良くない何かを、彼女は知っている。と云うか、それこそ先述した彼女の意味不明な言動の一つ――もうじき神代が幕を閉じる、と云うのが正にその「良くない何か」だった。
魔法使いに曰く、この世界(「この」も「その」も、世界が複数あるという考え方自体、僕には理解し難かったけれど)は、他の世界に比べて、神代――つまりは神が世を治める時代が長すぎるのだと言う。魔法使いで無い僕には、彼女の言っていたことがさっぱり分からなかったけれど、とにかく、この世界は、喩えるなら、親離れできていない状態なのである(驚くべきことに、他の世界とやらにおける神様とは、世界創造の解釈の中あるいは英雄譚や叙事詩などのフィクションの中にのみ登場する、空想上の存在でしかないらしい。換言すれば、他の世界の人類の殆どは、神様を目撃したことが無い、と云うことである)。そして、永いこと親離れできていなかったこの世界は、魔界や天界、人間界と云った異なる次元の境界が曖昧になり始めているらしく、だから僕は、本来まみえるはずの無い魔物と遭遇したのだった。
まあ、このようなことは時代の転換期にはよくあることらしいので、それほど心配する必要は無い、と彼女は言っていたけれど……。
あるいは。
神の時代を終わらせ、人の時代を始める最終試練みたいなもの、だとも。
「――いやいや、あんたが謝ることは無い。神の思し召しなど、人間ごときには到底理解できるものでは無いからね」
「ええ、そうですね。まったくその通りです」
「ところでお嬢さん、あんた、旅をしていると聞いたが、仲間はどうした?」
「仲間……ですか?」
「ん? まさか、女の子が一人で旅をするなんてことは無いだろ? 神の御加護があるとは云え、女の子が一人きりで放浪できるほど、世界と人間は優しくないからね……一人、なのかい?」
「はい、一人です」
「そうか、はは、こりゃあ参ったね。えらく向こう見ずなお嬢さんも居たもんだ」
愉快そうに笑うマウル爺さんは、しかし髭を撫でていた。彼が髭を撫でる時は決まって、不安を感じている時なのだが、彼は別に厭な妄想したわけでは無い。彼はちょっとした古傷のために、女の子に対して過保護になる節があるだけなのだ。僕がここへ、僕の妹を連れて来た時なんか、妹に対し、まるで割れ物でも扱うかのように、おっかなびっくりと云った感じで接していたくらいである。
「旅は始めてどのくらいになる?」
「一年ほどですかね」
はい、ダウト。本当はもっと長いらしい――が、女性に年齢のことを聞くのは失礼にあたるため、正確な年数は聞けなかった。長いこと旅をしている、との言を信じるしか無かったのだ。まあ、見た目は僕より五、六上くらいなので、たかが知れているけれど。
「そうか、そんなに長く旅をしているのか。いやはや、見た目で侮ってすまなかった。それだけの間、一人で旅をしていられたのなら、森に引き籠っているだけの儂が心配することは何も無かったな」
「いえいえ、心配していただけるのは嬉しいものですよ」
「ふむ……、しかし、一年も旅を続けるとは、どんな原動力があったのかね? もしよければ、聞かせてくれないか?」
「人を探しています」
「人を探して一年も……、もしや、生き別れた家族とかかね、その探し人とやらは?」
「いいえ、そのようなものではございません。強いて言えば、運命の人を探しております」とは、随分とロマンチックな物言いだけれど、その運命の人の正体は、彼女の言を馬鹿正直に信じるのなら、僕と云うことになる。
面映ゆい限りだぜ、てれてれ。
「運命の人か……心当たりは有るのかい?」
「ええ、一応、目星は付いています。そのためにウルメナオまでやって来たんですから」
「そうかいそうかい、見つかると良いねえ、その運命の人……さて、ならばこんな場所で油を売っている訳にもいくまいな」
マウル爺さんはそう言うと、おもむろに立ち上がって空になった三人分の湯飲みを手にした。僕が片すよ、と言ったのだけれど、爺さんは「お前は、お嬢さんを町まで案内しておやりなさい」と、洗い場を僕に譲る気は無さそうだった。
「ほんの束の間でしたけど、お世話になりました。ありがとうございます」
「達者でな、異国のお嬢さん」
ミナーヴァは頭を下げ、そのまま家を出た。
「薬は何を買ってきたらいい?」
「……気付いておったのか。いや、また明日にするから、気にしないでくれ。それよりお前が無事で良かった。帰り道も気をつけなさい」
「分かった。それじゃあまた明日」
木刀を担いで家を出れば、一足先に外へ出たミナーヴァは、池の淵に立っていた。
空っぽの池なんか見て、何をしてるんだ?
木刀を倉庫に片してから、彼女の横に並んで池だった窪地を覗き込めば、そこには既にそこそこの嵩の水溜まりがあった。川から流れてきた水と、さっきの雨水が溜まっているのだろう。
「うーん……元に戻るのは、三日後くらいかな」
なるほど、一時的にでも枯らしてしまったことに罪悪感を感じていたのか。意味不明な言動の多い彼女だけれど、存外、悪い奴では無いのかも知れない。
「ちなみに、あれはどうするつもりかな、ノート君?」
指差した先には、毛に覆われた鰐のような頭があった。そいつの周りだけ、水が赤く濁っている。取り除いた方が良いかも知れない。
「取ってきた方が良いのか?」
「そうだね。魔物の頭は珍しいし、高く売れるから、この胴体と一緒に町まで持って下りれば良いんじゃないかな――って、おいおい、まさか素手で取ってくるつもりかい?」
高く売れると言うから、さっさと取って来てしまおうと、水溜まりに飛び降りようとしたところで、彼女に左腕を掴まれてしまった。なんだよ、まさかお前、僕の獲物を横取りするつもりなのか?
「いやいや、そのままで行ったら汚れちゃうだろ?」
「それはそうだけど、でも――」
「べつにお金なんか要らないよ、私は――とにかく、ちょっと見てなさい」
そう言うと、ミナーヴァの肌が再び青みがかった銀色の輝きを帯びた。この輝きは「起術反応」というモノらしい。魔法に則し、技術を以て奇跡を行使した際、術者の身体に現れるモノで、その色は人によって様々なのだとか――水溜まりに浸かっていた魔物の頭がふらふらと浮かび上がり、ゆっくりと僕の手許にやって来た。……こうして間近で見ると、随分と恐ろしい顔をしている。よくもまあ、躊躇なく殺せたもんだぜ。
「頭はノートが持っておいて。体は私が運んであげるから」
「いや、いいよ。どっちも僕が運ぶ」
「こんな巨体、魔術も使えない今の君じゃあ無理――あれ、うそ、本気で一人で運ぶつもりなの? マジ? え、行けちゃうの……?」
「何を呆けてんのさ。町まで案内してやるから、ちゃんと付いて来なよ」
僕は鬣を左手で握り締め、二又の尾を束ねて右手に巻き付けて、巨体をずるずると引き摺りながら、ミナーヴァを先行した。
やれやれだぜ……、昼に通った時には青々と茂った木々に囲まれていた林道も、炎に呑まれてしまった今や、見るに堪えなかった。東側は、まだ何とか緑を保っているけれど、西側は随分と殺られてしまった。黒く焦げて細くなった木々の今にも斃れそうな姿は物悲しい。まっ、ヘダテルイウ山脈に棲む女神様が、また直ぐに生き返らせてくれるだろうから、そこまで深刻に考える必要は無いか。
「――それで、さっきの話って本気なの?」と、僕が引き摺る魔物の躯の上に、ちゃっかり腰を落ち着けていたミナーヴァに先刻のことを訊ねた。もうちょい安全運転で頼むよ、とのオーダーは無視する。僕は御者じゃあないんだ。
「君を探していたってヤツかい? ああ、もちろん本気だよ。でなきゃ、こんな辺境の島まで足を運んだりしないさ」と、聞けば、僕の暮らすウルメナオと他四つの国と地域を擁する大陸・アムラバキは、世界的に見れば、大陸では無く、島と云う扱いになるのだそうだ。一応は世界最大の火山島として有名らしいのだけれど、海外で流通してる世界地図では、東の端っこに、アムラバキは描かれているのだとか。
僕が生まれ育ったエングルスと云う名の町は、そんな辺境の島にある国の中でも、辺境都市と呼ばれる、国境(アムラバキを東西に二分するヘダテルイウ山脈が正にそれだ)付近の町であるため、基よりアムラバキの外には疎いのだけれど、世界が自分の想定よりも遥かに広いことを知った今の僕は、若干、浮足立っていた――まあ、それはそれとして、問題は、彼女が僕を探していたと云うことである。
神代の最後を飾る十二人の王。
ステラカリタス。
予言の仔。
「――やっぱり、人違いじゃないか? 確かにミナーヴァは、僕のことを何故か良く知っているようだけれど、よくよくか考えてみれば『ノート』なんて、そう珍しい名前じゃないだろ?」
「そうかい? まあ、確かにそこまで珍しくは無いのかも知れないけれど、でも、『NOT』と云う綴りで、ノートと読む人は少ないんじゃない? 小さい頃は友達から『ノット』って呼ばれていたみたいだし」
「確かにそうかもだけど……、そこはほら、僕の両親は生粋の平民で、まともな学があるわけじゃあ無いからさ、仕方ないだろ?」
「ははは、君の両親が浅学かどうかは知らないけど、私の探している『ノート』は君で間違いないよ」
「ふうん……じゃあ、ミナーヴァの言う通り、マジで僕が王様になっちゃうわけ?」
「ああ、大マジさ」
「平民の僕が王様ねえ……、でも、どうやって王様になるの? どこぞの国の王家に婿入りするとか? それともまさか、クーデターとか起こしちゃったりするの? 自分で言うのもなんだけど、僕って結構、温厚篤実なタイプの男の子よ?」
小さい頃は、チャンバラごっこよりも、野花で冠を作る方が好きだった。
「いやいやいや、よく言うよ。さっきは何の躊躇いも無く魔物の首を刎ねたくせに。普通、生まれて初めて見た生物を斬り殺そうだなんて思わんでしょ!」
「でも、無視する訳にもいかなかっただろ? ……思ったんだけど、僕が魔物と会敵する一部始終を空から見ていたなら、斬り殺す前に、お得意の魔術で助けてくれたら良かったじゃないか!」
「私も最初はそのつもりだったよ。君は、私にとって、ようやく見つけた憧れの主人公なんだぜ? これからヒロイン兼メンター的な役割を担う私としては、颯爽と君のピンチに駆けつけたかったのに……、私が助けるよりも速くに斬り殺しちゃんだもんなあ」
「じゃあなんだ、本当ならミナーヴァは、僕がピンチになるまで空で機を伺うつもりだったのか?」
「てへぺろ」
「まさか、寝起きだから魔物を取り逃したってのも嘘だって言うんじゃないだろうな⁈」
「流石にそんな嘘はつかないよ。でもまあ、〈褐彩の英知〉たるこの私が、寝起きとは言え、呪文をトチるとはね……、魔物を取り逃したのは完全に私の不手際だ。そこはマジで謝る。けど、絶対にわざとでは無いから、マジで」
「だと良いけど――さて、ここからがエングルスだよ」
粗雑な林道を抜けて、川沿いの素朴な道路に入れば、遠くに家屋が所狭しと密集しているのが見て取れる。市街地はまだまだ先なのだけれど、川を挟んだ向こう側にエングルス所有の大規模な農場があるため、森を抜けてすぐからがエングルスの、引いてはウルメナオの領土なのだ。
「君の実家はあそこらへんだよね?」
「まあ、うん、そうだけど……、ミナーヴァは、僕のことを知ってるみたいに、僕の家族のことも知ってるの?」
「君にまつわることだけなら大体は知っているよ」
「…………」
「あ、そうだ、あとで君のご両親には挨拶に行かなくちゃ!」
「どうして?」
「どうしてって、そりゃあ、これから大事な息子を預かることになるんだから、挨拶するのは当然だろ? 息子さんを私に下さい――ってさ」
「笑えない冗談だね」
「本気で言ってるからね」
「だったらいっそ可笑しいよ。平民に向かって『あなた方の息子さんは近い将来、王様になって神代を終わらせますから、どうぞ私に息子さんを下さい』なんて。本気で言ってるなら、それはもう、狂言だよ」
「さてはノート君。君はまだ、私のことを信じていないな?」
彼女は何を当然のことを言っているのだろうか。まさか、たった数時間の邂逅で、そう易々と信頼が得られると思っているのか、彼女は? だとしたら、やっぱりお笑い種だ。そう云うのは嫌いじゃないけどね。
「まあ、慎重なのは良い傾向だ。存分に疑いたまえよ……猶予はまだ少しあるし」
「猶予って何の?」
「君の、王としての人格形成の幕を上げる悲劇までの猶予さ」
「悲劇ってどんな悲劇? 失恋でもすんの?」
「悪いけど、それは教えてあげられない。あくまでも傍観者でしかない私は、だから本来は、あまり下手なことが言えない立場なんだよねえ」
まあ、やむを得ない場合は別だけど。
そう付け足したミナーヴァは、僕の実家がある農場方面とは逆の方、つまりはさっきまで僕らが居た森の方を眺めていた。あるいは、その視軸が少し上気味に傾いていたから、森のもっと向こう――ヘダテルイウ山脈の峰を眺めていたのかも知れない。まあ、どちらにしても確かなのは――彼女は、此処に無い何かを見つめていた、と云うことだろう。それが何なのかは、まるで見当もつかないけれど。
「……下手なことってのは、未来のことだろ? だとしたらさっきのはありなのか? 僕が王に成るってヤツ」
「それに関しては良いも悪いも無いよ。だって君、全然、信じて無いだろ?」
信じる方がどうかしていると思う。
中二病患者じゃないんだから。
「己の今後を左右するのは、結局、自分自身でしかないんだぜ? ……占いや呪いにしてもそうだけど、信じて行動するのは、自分なんだから、まず信じないことには、どんな奇跡も効果が無いのさ」
「だったら僕は、どうやっても王様には成れないな。王に成ると云う未来を、まったく信じて無いんだから」
「いやいや、それは間違いだよ。君はどうせ王に成る道を――王道を選ぶ」
「……馬鹿馬鹿しいね」
「今はそれで良いよ。私も、無理矢理に君を此処から連れ出そうとは思っていないし――時が来れば、君は自らの意志で故郷を捨てることになるんだからさ」
「僕の愛郷心を舐めるな」
「君が愛しているのは、場所では無くて、そこに生きる人だろ?」
買い被りだよ。
その台詞を口に出せなかった僕は、クソ親父の猿面を思い浮かべていた。真っすぐに人を愛せる人になりなさい――幼い頃にそう教えてくれたのは他でもない、彼だったはずなのに……疑うことを覚えてしまったアイツは、もう、この教えを覚えていないのだろう。
俯くと、水溜まりに映った自分の顔が目に入った。
中世的な顔立ちである。どちらかと云えば、自己肯定感の低い僕は、だから自分の面を綺麗だとは思えないけれど、醜くないことは分かる。目も口も鼻も、輪郭に至るまで、美しい母さんの遺伝子ばかりで構成された僕の面に、クソ親父の面影はない。似ても似つかない……、いっそ、僕が醜ければ――いや、どうしたってアイツと母さんの関係が元に戻ることは無いのだ。
……帰りたくない。
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