002

 と云う訳で僕とミナーヴァは、手始めに、最初の失踪者である六名の士官学生の話を聞くため、エングルスの南近郊に位置する、士官学校の分校舎へと向かうことにした。町の中央部に位置する辺境伯様の邸宅から分校舎までは、徒歩で一時間ちょっとも掛かるのだけど、分校舎が町の中央から離されているのは、そこに通う学生さんたちが、勉学と鍛錬に集中できるようにと云う配慮のためなのだと、ヒイロから聞かされたことがあった。たしかに、町の中央部は商業と歓楽の施設でずいぶんと賑わっているので、ヒイロのような熱心な学生からすれば、町から離された校舎とは、この上なく合理的な環境であると云えるのだろう。

 けれども、今回のような、イレギュラーな出来事でもない限りは立ち寄ることのない僕からすれば、この上なく傍迷惑な話でもある。

「にしても神隠しねえ……、ノートはどう思う?」

 相変わらず手を繋いだままの僕らの足取りは牛歩の如く鈍間だった。おかげで、辺境伯様の邸宅を出発して既に一時間は経過している筈なのに、分校舎まではまだまだ遠い――道中、いくつかの屋台に寄って色々な甘味にうつつを抜かしていたのが、それが何より良くなかったのは云うまでもない。辺境伯様から貰ったお小遣いは、既に底をつきかけていた。

 バッカでえ。

「辺境伯の口ぶりから察するに、今回の依頼はつまるところ、ヘダテルイウ山脈に棲む女神を退治しろってことだろ? まあ、それ自体は出来なくも無いんだけれど、実際のところはどうだんだろうね。本当に女神様とやらが、人を攫っているのかねえ」

「どうもこうも無いよ。女神様はそんなことしないんだから」

「ははは、そうだった。ノートは女神様に頼まれて、もともと今回の事件を調べてたんだもんな。まあ、成果はほとんど挙げられなかったみたいだけど」

「……なんで知ってんのさ」

「何でも何も、だから、私は君にまつわることなら大体は知ってるんだぜ? それくらいのことは知っていて当然――君の初恋相手が、その女神様だってことも、あるいは知っている」と、彼女の台詞に僕は、口の中にあったピーナッツバターのソフトクリームを吐き出した。ケホケホ。「ちょ、汚いな!」と言われたけれど、構うもんか――弁明。

「あれは違うよ! 恋とか、そう云うんじゃない! 憧れとか、そう云うヤツだ。例えるなら、ほら、幼い女の子が、将来はパパと結婚するって言っちゃうような、そんな感じ」

「あははは! べつにそんなムキになることじゃあ無いだろ」

「ムキになってない!」

「……おっかしいなあ、君は。けど――ああ、それもまた十全に知っている。あれが、幼さゆえの未熟な愛情だったのは、ちゃんと分かっているさ」

「じゃあ、どうして初恋だなんて言うのさ」

「揶揄っただけだよ」意地悪そうに微笑んだ彼女は、梅ペーストが練り込まれたソフトクリームを「ほら、一口あげるから許してよ」と、僕の口元に寄越した。……うーん、仄かな酸味がクセになる感じだ。まあ、僕は酸っぱいのがあまり得意では無いので、好き好んで食べようとは思わないけれど……、僕のも一口くれてやる。

「まあでも、君が女神様に恋焦がれてしまったのは仕方のないことではあるよね。幼かった君は、今ほど〈ステラカリタス〉としての性質に慣れていなかった訳だから、人外に向けられた好意に中てられ易かっただろうし」

「ねえ、その〈ステラカリタス〉ってのは何なの?」

 昨日も聞いた単語だけれど、昨日の時点で詳しい説明は無かった。

「あら、言ってなかったか……そうだねえ、じゃあ説明するけれど、〈ステラカリタス〉あるいは〈星の愛し仔〉とは、ある性質を持った者のことを指す言葉――まあ、称号みたいなものだと思ってくれていい」

「ふうん?」

「して、その性質とは、端的に言えば『無条件に神秘から愛されてしまう』ことだ。君にもいくつか思い当たる節があるだろうけれど、君があの山脈の女神様から尋常じゃないくらい愛されているのは、正にそういう理由さ。神様なんぞと云うのは、それこそ神秘そのもの――みたいな連中だからね。あの女神様からすれば、〈ステラカリタス〉である君はとにかく可愛くて仕方が無いんだよ」

「そうだったんだ」

 僕が女神様から可愛がられているのには、そんな理由があったのか……、なんか、何とは無しに切ない気持ちだ。悪い男から、都合のいい女扱いされていた女の子ってのは、こんな気持ちなのかも知れない。体だけが目当てだったのね――なんて言うのは、馬鹿な女の子だけだと思っていたけれど、そうか、あの女神様は、僕の性質だけが目当てだったのか……。

「いや、うーん……まあ、そうだね、その通り! あの女神様は、君の性質だけが目当の悪い女だったんだ――ああ、でも、そんな悲しそうな顔をしないでよ。ほら、君の隣をよく見てごらん。女神様なんかよりよっぽど好い女が居るじゃあ無いか。私なら、ノートにそんな顔はさせないぜ?」

「……でも、ミナーヴァは、僕が王様になるとか、神代が終わるとかって、意味分かんないことばっかり言うし、もっと言えば、昨日会ったばっかりだし」

 更に云えば、別に悲しそうな顔はしていない。

「今のところ、僕から見たミナーヴァは、普通にヤバイ女だよ」

「えっ、マジ……?」

「うん」

「うわーん、お姉さん、とってもショックだよ!」と、下手くそな泣き真似をしながら、僕の右肩に額を寄せたミナーヴァは、まあでも、と口を開いた。

「女神はやめとけ。あんな奴らに魅入られた日には、悲惨な最期を迎えることになる。それこそ、私の知り合いに女神と駆け落ちした馬鹿な男が居たけれど、アイツは死後、天国にも地獄にも逝けず、その女神の傍でゾンビをやることになっちまったからね。死と云う概念を持たない神様ってのは、死生観がぶっ壊れていやがるから、一度、奴らと永遠を誓ってしまうと、本気で永遠に束縛されることになるのさ。ありゃあ、地獄で閻魔にしごかれるより、よっぽど辛い生き殺しの拷問だぜ」

「……肝に銘じておきます」と、ほんのり肝に冷や汗を掻いたところで、ようやく、僕らは目的の分校舎に辿り着いた。四階建ての、白い、大きな建物は、辺境都市には似つかわしくないような気もするけれど、ヒイロに曰く、国境付近にあるエングルスはいざという時に最前線となり得る要所であるため、士官学校も含めたエングルス近郊の全ての軍事施設は、首都のウルメティアラと遜色がないレベルの堅牢さが求められる――のだそうだ。

 正門の係員に要件を伝えると、ウルメナオの国家騎士に与えられる紺色の制服を着用した金髪の男が現れた。彼は、ハンディークと名乗った。此処で教鞭を執っているとも。

「辺境伯様の使者と云うことですね、分かりました、すぐに主任までご案内します」

 国家騎士然とした厳粛な態度を取る彼に連れられて、粛々と辿り着いた二階、分校舎の主任教諭の執務室は、目当ての主任らしき金の角刈り男以外に、先客の姿が――赤みがかったミディアムの茶髪を首元で一房に結わえた、その後頭部には見覚えがあった。振り返った彼女は、僕の姿を見つけるなり、そのヘーゼルの大きな瞳を一層と大きく丸めて見せた。

「コノメロフ主任、辺境伯からの使者をお連れしました」

「ナクーム殿からの使者ですか……、分かりました」

「では、私はこれで」

「ご苦労様です、ハンディーク先生――ああ、セレナさんももう戻って結構です」

「……分かりました、失礼します」と、彼女――ベリタス=ルブルム・セレナは、ハンディークに続いて執務室を後にした。彼女とは一月ぶりの再会だったから、出来ることなら挨拶の一つくらいはしたかったけれど、彼女が大人しく退室した手前、それを呼び止めることは憚られたので、此処は我慢――まあ、帰り際にでも、挨拶すれば良っか。

「――で、ナクーム殿からの使者だと云う君たちは、何者なのかね?」

 訊ねられた僕たちは、どちらが答えるべきか顔を見合わせたけれど、有利に事を運ぶためには、魔法使いであるミナーヴァの顔を立てたほうが無難だろうと判断――するまでの間にデスクを離れ、小さなテーブルを挟んで向き合う一対の長ソファの左側の真ん中に腰がけた彼に勧められるまま、彼の対岸である右側のソファに並べば、ミナーヴァが「魔法使いのキト・ミナーヴァです。こっちはダーリンです。今日は、辺境伯様から受けた依頼のため、分校主任であらせられるコノメロフ殿のお話を伺うために参りました」とにこやかに口上を垂れた。

 いや、嘘じゃん。

「おお、でしたら貴女が昨日、町で噂になっていた『魔物殺しの魔法使い様』ですな?」

 そんな噂があったとは知らなかった。が、ミナーヴァは、はいそうです、と平然と肯定して見せた。魔物を斃したのは僕なのに……なんど嘘を吐けば気が済むんだ。

「いやはや、しかし魔法使いと云うのは恐ろしい。その美貌の裡に、あの邪知暴虐な魔界の生物を単独で殺しうるチカラを秘めていると思うと……、綺麗な花には棘があるとは謂いますが、貴女の持つ棘は、いささか強大が過ぎますね」

「それはどうも」

「して、ナクーム殿から受けた依頼とは何でしょう?」

「神隠しの調査です」

「ほう、神隠しですか……すると魔法使い様は、最初の被害者である六人について調べるため、此処を訪れたのですね?」

「ええ、その通りです」

「分かりました。では、私の知っている範囲のことをお伝えします」と、コノメロフ主任は、失踪した最初の六人について語りだした――拝聴。

「失踪した最初の六人が、ウチの生徒だと云うのは既にご存じだと思いますが、彼らがどのような生徒だったかは知らないでしょうから、まずはそこから――失踪したのは三年の男子生徒が二人、二年の男子生徒が三人、一年の男子生徒が一人で、三年の片方――バミレダ君を除いては、皆、成績は上と中の間をウロチョロと云った感じで、学業については特筆すべき点の無い、まあ、よくいる学生でした。が、失踪した六名の中で、バミレダ君だけは良い意味で目立つ学生でした。品行方正、成績優秀――先ほど、この部屋を去った女子生徒がいたでしょう? 彼女は、ウチでトップの成績を修める極めて優秀な生徒なのですが、バミレダ君は、彼女に次いだ実力を持つ優秀な生徒でした。士官学生としての基本となる戦闘面、学習面は勿論優れていましたけれど、特出していたのはその精神面――騎士としての心構えとリーダーシップ、そして愛国心には、目を見張る物がありました」

「主任殿は、彼がお気に入りだったんですね」

「え? いやいや、教師たるもの、生徒を自分の好みだけで甲乙つけたりなどは断じていたしませんが、それでも彼は特別だったのです。彼と共に行方が分からなくなった他の学生たちだって、そのことは認めていたでしょう――ウチには、五つの学生寮があります。それぞれ『タイコヤ』、『オオツヅミヤ』、『コツヅミヤ』、『フエヤ』、『ウタイヤ』と云う名でして、失踪した六名は、いずれもフエヤの寮生でしたが――」

「分校舎だと云うのに、五つも寮が有るんですね」と、口を挟んだミナーヴァだったけれど、確かに僕もそれは気になった。ヒイロの話から、エングルスの分校舎の規模は、他の分校舎(エングルスにあるのを含めて三つあるらしい)よりも規模が大きいのは、何となく知っていたけれど、どうして大きいのかまでは寡聞にして知らなかったのだ。

「ウチは分校ですけれど、国境付近に校舎があるものですから、首都の本校舎と違って、実戦を経験する機会に恵まれているのです。そのため、実家が首都にあるという学生でも、自ら進んで分校舎に移動する学生も多くいるくらいで……、寮が五つもあるのは、そのためです」

「へえ……でも、ウルメナオって、山脈より向こうの国と戦争してるわけじゃあ無いですよね? むしろ同盟関係にあるはず。なのに実戦とは、どういうことなのでしょう?」

「ヘダテルイウ山脈には、いくつかの少数民族が居りまして、たまに彼らが、性懲りも無く侵攻してくるものですから、否が応でも、実戦を経験せざるを得ないんですよ」

「なるほどです」

 ……そういう理由だったのか。ちなみに、その少数民族とは、僕も喧嘩したことがあった。マウル爺さんの家の傍の湖をはるか北西に越えると、彼らの縄張りになるらしく、爺さんからは向こうへ行くことを禁じられていたのだけれど、見慣れない鳥を追うことに夢中となった僕は、意図せず彼らの縄張りに侵入してしまったことがあった。その際、彼らの戦士たちと会敵した僕は、人間相手に弓を引けるわけもなく、已む無く、彼らと殴り合ったのである。とは云え、制圧後に落ち着いて話をしてみれば、案外に気の好い奴らであったから、わざわざ争う必要は無いと思うのだけれど。

 話は戻る。

「――して、その六人が生活していたフエヤなのですけども、其処はウチで一番古く、また規模も小さく、その六人以外には入寮者が居ない状況でしたから、バミレダ君は何かと同寮生に世話を焼いていたようで――だから、他の五名からとても慕われておりまして、六名が揃って自主訓練に励む姿は、学内でも度々見かけることがありました」

「そうですか……、では、彼らが一緒に行動していると云うのは、学内では別に珍しいことでは無かったと?」

「ええ、そうなります。ですから、半年前、フエヤの寮母から、六名が外出届の期限を過ぎても帰ってこない旨のことを知らされた時に、すぐさま捜索を行わなかったのは、そう云うためでした」

「すぐに捜索を行わなかったんですか?」と、僕は思わず声を出してしまった。すると声を上げた僕の方を見やったコノメロフ主任は、ムッとした様子で眉根を潜め、唇の端を下げてから小さく頷き、ミナーヴァに向き直った。暗にお前は黙っていろと云われた気分だ。いや、実際に彼はそのつもりだったに違いない。

「彼らは、長期休業期間になると、決まって遠征の自主訓練と称し、六人でヘダテルイウ山脈へキャンプに行くことがあったのですが、その日――つまり半年前の春季休業期間中のことです――も、ヘダテルイウ山脈への自主的な遠征訓練を理由に外出届を提出しておりまして、帰還が遅くなる、と云うのは、そう珍しいことではありませんでしたから、寮母も私も、事態をそう重くは捉えていなかったのです」

 ならば、失踪事件は神隠しなどでは無く、単なるキャンプ中の事故のはずだ。そう思った僕は、またもやミナーヴァを差し置いて、口を開いてしまった。

「でも、そう云うことならば、六名の失踪は事故では無いんですか? ほら、さっきコノメロフさんが仰った通り、ヘダテルイウ山脈にはいくつかの少数民族が生活していますから、知らずに彼らの縄張りに足を踏み込んだりとか――」

「馬鹿を言っちゃあいけないよ、ノート君。この誉れ高きウルメナオ王立士官学校の学生が、人の容をしただけの獣に後れを取る筈がなかろう。間違いなく彼らならば、卑しき山の民を一網打尽にしたことだろうな――それに、山の捜索中、山の民を捕まえて尋問したが、失踪した六人を見たという者は一人として居なかった。そも、山には彼らのキャンプの形跡すらなかったのだ。これは間違いなく神隠しだろう――し、ナクーム殿もそう確信しているから、魔法使い殿に依頼を出したのではないかね?」

「……けど、女神様はそんなことしません」

「ははは、本当に落ちぶれたものだね、ノート君。かつては韋駄天の神童なんぞと褒めそやされ、果てには七天武騎の生まれ変わりなどと謳われた君も、今や、体の良い女神の奴隷なんだから……、もしや、君がウチの生徒を攫ったのではないかね? 山に引き籠ってばかりで、いっさい我々の味方をせず、卑しい山の民ばかり祝福するあの駄目な女神に唆されて、ウルメナオの民を攫っているのは、君なんだろう? そう言えば、町の者も噂をしていたよな。神隠しの犯人は君と、あの山で暮らしてる風変わりな爺さんだと」

「マウル爺さんはそんなことしない」

「どうだかねえ。妖精だか妖怪だか知れないが、人間には見えないモノを視えると嘘を吐く君らの言を、誰が信じると思うかね?」

「私は信じますよ」と、ミナーヴァは言った。そして、いつの間にか俯いていたらしい僕の頭に、彼女はぽんと手を置く。慰めてくれるらしい。優しい人だね。

「まあ、失踪した六人のことは何となく分かりましたから、あとは自分の足で調べます」

「……そうですか、分かりました。くれぐれもよろしくお願いしますよ」

 僕たちはコノメロフさんの執務室を後にした。部屋を出てすぐ、ミナーヴァは、僕の右腕に絡んできた。見送りは無いようなので、僕も彼女を受け入れて、チョークが黒板を叩く音と教壇に立つ教師の声が木霊する冷たい廊下を歩く。

 時間はまだ昼前。何となく覗いてみた階段傍の教室の生徒たちは、腹が空いているのか、何処となく気力がないように見えた。ヒイロの姿は無い。

「……気にする事は無いよ」

「なんの話?」

「君の過去の話さ」

「…………」

 校舎を出でれば心地良い風が頬を掠めた。

「もう帰るのか?」

 と。

 そんな風に呼び留められたのは、学校の正門へ向かう途中、クレイ補装された第一競技場の横を通り掛かった時のことだった。声のした方を振り向けば、そこには、執務室で見た白い制服では無く、白いジャージに着替え、木刀を片手に、首に巻いたタオルで頬の雫を拭うセレナの姿がある――此処に来るまでの道中で見た、いくつかの教室は、正に授業の最中だったはずだが、此処には彼女以外の、教師やクラスメイトらしき姿は見当たらない……、まさか、サボり?

 競技場に入る。

「うん、丁度、帰るとこだよ」

「そうなのか……それで、そちらの方は?」

「えっと、この人は――」

「はじめまして、ベリタス=ルブルム・セレナ殿」と、ミナーヴァは自ら名乗り出たけれど、はて、僕はミナーヴァにセレナのことを紹介していただろうか?

「私は魔法使いのキト・ミナーヴァです、以後、お見知りおきを」

「……私のことを知っているのですね」

「ええ、そりゃあ勿論ですよ。なんたって貴女は、ウルメナオの建国神話に登場する七人の英雄――七天武騎の一人、ベリタス=ルブルム・アスターナの末裔ではないですか」

 なるほど、そういう意味でミナーヴァは、セレナのことを知っていたのか。僕以外の人間には興味がないとか言っていたけれど、歴史に関わるような人物ともなれば、また話は違ってくるようだ。

「貴女の武勇は、海外にまで届いております」

「いえいえ、私なんかまだまだです――ところで、どうしてノートと魔法使い様が一緒に行動しておれるのですか? 腕まで組んで……随分と楽しそうですけど?」

「ああ、それはね」と、僕。「辺境伯様から失踪事件の捜査を頼まれたからだよ」

「失踪事件って、神隠しのこと? ノートが頼まれたの?」

「ううん。ミナーヴァが頼まれて、僕はその助手をしてるんだ。その証拠に、ほら見てよ、剣まで返してもらったんだから」

 正確には、ミナーヴァの都合上、依頼の受諾に僕がクッションとして挟まれているだけなのだが、まあ、そんなことは些細な問題である――僕は、セレナに、左腰に提げた剣を見せびらかした。

「剣を握るの、許してもらえたんだ。良かったね」

「一時的にだけどねー」

「そっか……それじゃあ、ねえ、今って時間ある?」

 問われて、何と答えるべきか迷った僕がミナーヴァの顔を見やると、彼女は「別に先は急いで無いよ」と言うので、僕は頷いた。

「大丈夫、時間はあるよ」

「なら、久しぶりに私と模擬戦しない?」

 少し挑戦的に口の端を上げたセレナの提案は、僕的には思ってもみないモノで、答えるのに躊躇していると、僕の代わりにミナーヴァが「良いねえ、やろう!」と嬉々として答えた。いや、やろうってお姉さん。戦るのは、僕とセレナだよね? どうして貴女がそんなにウキウキしてるのさ。

 ミナーヴァは、するりと僕から離れた。

「得物はどうする? まさか、真剣と木刀で戦るわけじゃ無いだろ?」

「え、ええ、そうですね。どうしましょう」

「じゃあ、此処は公正に、私が全く同じ剣を用意してやろう」

 そう言って、身体を起術反応に輝かせながらしゃがみ込んだミナーヴァは、両の手の平を地面に触れさせると、ゆっくりと立ち上がりながら、地面を――剣のような形をした土塊をそれぞれの手で引っ張り上げた。

 瞬く間に、二振の直剣が出来上がる。

「魔術……ですか?」

「いいや、これは錬金術だね。グランドの土を材料に剣を象ったんだ――ほれ!」

 それぞれに投げて寄こされた剣は、実際の剣と似たような感触だった。

「そこら辺に売ってる鋼の剣よりずっと頑丈に作ったから、安心して振るうと良いよ。まっ、ノート君の全力に耐えられるかは、微妙なところだけどね」

「ありがとうございます、魔法使い様」

「良いよ良いよ、何も気にする事は無い。それより、魔法使い様って呼び方は止してくれ」

 セレナちゃんは特別に、ミーちゃんと呼んでもいいからさ。

 そう付け足したミナーヴァは、僕とセレナから離れて一人、木陰のベンチへ行ってしまった。御役御免とばかりにだらしなく座した彼女は、僕らに手を振って、頑張れ、と叫んでいた。完全な野次馬である。

「……よし、それじゃあ、戦ろうか、ノート!」

「それは良いけど、ルールは?」

「うーん……どっちかが降参するまでにしよう」

 どっちかが降参するまでって……素人に毛が生えた程度の僕に、それはちょっとスパルタ過ぎやしないですか? これだから頑張り屋さんは苦手なんだよな――セレナが木刀ならぬ土刀を両手で握って中段に真っすぐ構えたので、僕は、半身になり、右手に握った剣の切先を下げて脱力した。僕なりの構えである。

「相変わらず、不思議な構えだな」

「仕方ないだろ、構えなんか誰も教えてくれなかったんだから」

 と言うか、小さい頃にほんの少しだけ僕に剣の振り方を教えてくれた元国家騎士のお爺ちゃんが、お前は特殊だから偏に型を覚えても弱くなるだけだ、と言うので、基本の「き」である剣の握り方といくつかの歩法、人間の急所の大概は正中線上にある、と云うようなことしか教えて貰えなかったのだ。なので、僕の剣術は基本的に我流だ。

「それじゃあ私から――参る……!」

 いきなり大上段に構えたセレナは、僕の懐へと潜り込むと、そのまま剣を振り下ろそうとしたので、左手で彼女の右肘を優しく押して重心を右にずらしてやれば、彼女の剣は空を切った。あとは、地面を叩いた剣を思い切り踏み砕いて終わりかなあ。そう思って、左脚を上げようとしたところ、返す刀の勢いで、二撃目の切り上げが僕の面に目掛けて飛んで来た。もっとも、この攻撃は左手のみの攻撃で、初撃の両手で握った振り下ろしよりもずっと往なし易しかった――柄頭を押さえてやれば、それだけで剣の動きは止まる。さあ、今度こそ剣を折ってしまおう。そのまま剣を押し込み、地面に突き刺そうと力を込めた。然らば、ぐっと、大した抵抗もなく、すんなりと剣の切先は地面に触れる――がしかし、剣はそのまま、地面に突き刺さることは無く、滑り、セレナの身体が回転するのに従って、袈裟懸けの三撃目に、正しく転身して見せた。手首の柔らかい彼女ならではの連撃である。綺麗で流麗。この上なく見事な剣術だけれど、利き手じゃない左手で振るわれた剣はやっぱり軽いため、難なく右手にぶら下げていた剣で防御可能。無駄に鍔迫り合いすることも無く、とっとと弾き、彼女が距離を取る前に、左腕を彼女の腰に回してそのまま――切先を彼女の首元に突き付ける。

 勝負アリ、ってね。

「……近い」

「僕の勝ちだね」

 剣を捨て、セレナの手を取り、ぐいっと仰け反った彼女の身体を引き寄せる。

「あーあ、手も足も出なかったぜ……、やっぱりノートには一生、勝てる気がしないわ」

「そんなこと言うなよ。セレナの剣はとっても綺麗なんだから、勝ち負けなんかどうでも良いじゃないか。僕はセレナが好きだよ」

「…………」

 そっぽを向いたセレナは、黙ってミナーヴァの方に歩いて行ってしまった。アレか、負けた奴に、勝ち負けなんかどうでも良い、などと言うのは、無神経だったか? 僕としては慰めのつもりだったし、実際、セレナの剣は綺麗で、僕は彼女の剣が大好きだけれども、だからと云って、言って良いことと悪いことがあるよな……。ねえ、と僕は、剣を拾ってセレナを追いかけた。

「あのね、セレナさん。その、今のは違くて――」

「大丈夫、分かってるから。全然、へーき」

「そお?」

「うん、だから、ちょっとあんまりこっち見ないで。あと、あんまり近づき過ぎないで」

「……うん」

 もしかしてだけど、僕、嫌われちゃいましたかね? 

 折角、勝ったのに何だか気持ちがブルーだぜ。

「おお! 二人ともお疲れ! ……どしたの、二人とも? セレナちゃんは真っ赤っかだし、ノート君は真っ青だし……、面白い奴らだな、君たちは」

 僕は今、どうやってセレナと仲直りしようか、必死に考えているっつうのに。くそっ、愉しそうに笑いやがって、このヘンテコ魔法使い! 僕とセレナから返却された土刀を、ふうと息を吹きかけただけで砂に戻してしまった彼女は、やたらと楽しそうだった。

「いやあ、実に素晴らしい見世物だったよ」

「あの、魔法使い様」と、そっぽを向いているため、僕からは伺えないが、どうやら顔を真っ赤にして怒っているらしいセレナさんが、おずおずと挙手をした。

「ミーちゃんが良いなあ、セレナちゃん」

「ミナーヴァさん、あの、私にもその神隠し解決のお手伝いをさせてもらえませんか?」

 頑としてミーちゃんとは呼びたくないらしいセレナだけれど、え、手伝ってくれるの? そりゃあ、セレナは可愛いし賢いから、君が手伝ってくれるなら百人力。事件はもう、解決したと云っても過言ではないかもだけれど……。

「でも、セレナは学校があるでしょ――って、そうだ、授業は? サボったの?」

「サボってません! 私は特待生だから、基本的な座学と実技は免除されてるの。だから手伝おうと思ったら、それなりに時間は作れるよ」

「いやでも――」

 セレナの迷惑になるのは嫌だな。そう言おうとして、でも、言えなかった。僕が言うよりも早くにミナーヴァが「本当かい? 君が手伝ってくれるなら心強い」と、驚くことに、セレナの申し出を受け入れたからだ。あれ、てっきりミナーヴァは、僕と二人きりでいたいのだとばかり思っていたけれど……思い上がりだったか。やばい、ちょっと恥ずい。

「では、学校の方に連絡と、出掛ける準備をしてくるので、ここで少し待っていて下さい」

 そう言うと、セレナは校舎の方へ走って行った。随分な急ぎ様である。待たされる身の僕が云うのもなんだけど、そんなに急がなくてもいいのに……。などと思っていると、ミナーヴァが「アレは時間がかかりそうだなあ」と呟いた。

「――さて、それじゃあ私たちは、ここで涼んで待っていようぜ」

「うん……」

 頷いた僕は、ミナーヴァの隣に腰がけて、ぼんやりとクレイの競技場を眺めた。そこには沢山の足跡がある。学生たちの鍛錬の証。

「そう云えば、ミナーヴァはセレナのことを知ってたんだね」

「まあね。彼女のことは、君のことと同じくらいには知っている――君の物語において、重要な登場人物の一人だからね」

 僕は驚いて、ミナーヴァの方を見ると、彼女は僕に横顔を向けていた。視線の先、競技場の向こうには、ウルメナオが所有する砦がある。砦には、ウルメナオの国家騎士団が駐屯していて、彼らがこの国の国境を維持してくれているおかげで、エングルスの平穏な暮らしがあるのだ――けど、僕は、何となくあの砦が嫌いだ。

 視線をグランドに戻す。

「まさか、セレナも十二人の予言の仔だったりするの?」

「彼女は予言の仔ではないよ」

「でも、僕の物語に関わるってことは、ミナーヴァの妄そ――じゃなくて、予言には登場するってことなんだろ?」

「今、物凄く失礼な言い間違いをしなかったかい?」

「嚙んだだけだよ」

「違う、本音だった――まーあ? 私も? 昨日の今日でまるっきり信じてもらおうとは思ってなかったし? むしろ、今の今まで、別段、取り乱すことも無く、私のその『妄想』とやらに付き合っていた君の気が知れないくらいだよ」

「まあ、普段から女神様の頓珍漢に付き合わされてるからね……、それに比べれば、魔法使いの珍奇な妄想の方が、まだ、物語として面白かったし、聞いてられたかな」

「自覚がないとは云え、これから自分の身に降りかかる災難を、そんな風に片づけられてしまう君は、やっぱり王の器なのかもね」

「王に成るってのは、災難なのかよ」

 誉れ高いことじゃないのか?

「そりゃあ、災難だろうよ。だって、人の身で人を従えようって云うんだぜ? これが災難じゃなかったら、何が災難なのか、分かったもんじゃあ無い」

「いやいや、人の身で人を従えるってのは、偉業なんじゃないの?」

 少なくとも、それが災いだとは思えない。難しいことではあるだろうけれど。

「まっ、その辺はそれぞれの解釈だろうね。何を以てして偉業とするのか……、偉なるとは如何なる業を表すのか……、それは、時代や文化によって様々だからさ。別に君が人を統べると云う行為を偉業と呼ぶことに間違いはない。ただ、正しくも無いってだけでね」

 ミナーヴァはそう言って、ベンチの背凭れにだらしなく身を委ね、胸を張るようにして青々と茂る木の葉の隙間から空を見上げた。僕は、そんな彼女を見やりながら、彼女の言葉を反芻する。

 王への道を災難と揶揄する彼女。

 王の役割を偉業と評価する僕。

 生まれてこの方、王と云う者が何者であるのか考えたことの無い僕には、だから、この相違が示す意味がまったく分からず――間違っては無いけれど正しくも無い。その言葉の意味もまた、僕には分からなくて、しかしそれを深く考えるのも面倒だと思い、僕は、セレナの話に戻ることにした。どうして彼女は、ミナーヴァの妄想に登場するのか。その意味を質す。「――で、どうしてセレナがミナーヴァの予言に登場するの?」

「ああ、それね――私は、マウルさんのことを知らなかった」

「? 突然どうしたの?」

「ただ、君に高齢の友人がいることは知っていた」

「うん、らしいね」

「また私は、君に貴族の幼馴染がいることも知っていた。けれど、名前は知らなかった」

「みたいだね……」

「さらに私は、君にもう一人、女の子の幼馴染がいることも知っている。でも、やっぱり私は彼女の名前を知らない」

 ……つまり?

「私の予言もとい私たちが観た、神代に幕が下りるまでの物語には、沢山の登場人物が存在するのだけれど、でも、私たちも、その全てを把握できている訳じゃあ無いんだ。名前や生い立ち、その人格形成にまつわる種々を把握できているのは、メインのキャラである十二人の予言の仔とその十二人の王に仕える家臣、そしてプラス・アルファのキーパーソンだけなんだ。だから私は、ノートのことを知っているけれど、物語の本筋には関与しない、君の家族や幼馴染、友人などについては、ほとんど何も知らない」

「……なら、セレナは?」

「彼女は、物語の本筋に関わるキャラクターであり、もっと詳しく云えば、王を目指す君を支え、王となった暁には、君を守る剣となる人物――王たる君に絶対の忠誠を誓う八人の怪物、その内の一人なんだよ」と、ミナーヴァは愉しそうに笑っていたけれど、僕は正直、笑えない。セレナは、僕にとって大切な友人の一人で、ウルメナオの建国神話に登場する英雄の末裔――換言すれば、王家に連なる者なのだ。平民の僕は、王族や貴族の血縁関係や利権闘争には疎いので、詳しいことは知らないけれど、セレナに曰く、彼女の血統であるベリタス=ルブルム家には、王位の継承権こそ無いものの、それでも、ウルメナオ国内で彼の家名が有する権力とは絶大だ。辺境伯様だって、セレナには敬語を使うくらいである……だと云うのに、ミナーヴァの妄想では、彼女は将来、僕の部下になると云うじゃあないか。友人を部下にすると云うだけでも、あまり気分が良くないのに、その上、僕なんかでは到底手が届かないレベルの尊い家柄の彼女を自分の下に置くと云うのは、まったく空恐ろしい話である。もし、今のミナーヴァの妄想が彼女に聞かれでもしたら、僕なんか、不敬罪で殺されても可笑しくない――戦々恐々と首を回してみるけれど、未だ、セレナの姿は無かった。

「まあ、今すぐと云う話では無いから、今の君が気にすることではないさ」

「セレナにも言うの? 僕に、君は王に成るって言ったみたいに」

「うーん……おいおい、彼女の行動を鑑みてからかな」

「僕にはのっけから王に成るって言った癖に」

「いやあ、君に出会えたのが嬉しくって、ついね、口走ってしまったんだよ」

 そう言って、照れ臭そうにミナーヴァが笑うと、彼女の笑い声に混じって、軽快な足音が聞こえた。こちらに向かって来る足音の主は、当然、セレナである――制服に着替えた彼女は少し頬が赤く、また、とても良い香りがした。勿論、さっきの彼女が汗臭かったという訳では無い。断じて、そんなことは思わなかった。けれど、今の彼女は、とにかく、良い香りがしたのだ。

 解かれて、自由になった髪が揺れている。

「お待たせしました」

「お帰り」

「それで、調査とは伺いましたが、何か当てはあるのですか?」

「うん? そうだなあ……衛兵団の団長さんのとこにでも行ってみる?」

「ヨウミルさんのところですね、分かりました」

「よし、じゃあ早いとこ用事を片して、美味いものでも食べに行こうぜ――ノート?」

 いつの間にか立ち上がっていたミナーヴァに呼ばれて、僕は、遅ればせながら、うん、と頷いて立ち上がった……、小さい頃から強い陽光は苦手だったけれど、暑さにでもやられたのだろうか――ぼうっとしていたらしい。頭を振る。

「大丈夫かい?」

 差し出された褐色の手を、僕は握って返した。

 セレナを先頭に、校門の方へ、ゆっくりと歩き出す。

「大丈夫……、それで、衛兵団のとこに行くんだっけ?」

「そうしようかなーって」

「そっか、じゃあ、別に衛兵団のとこは今日じゃなくても良い?」

「どっか行きたいところでもあるの?」

「女神様のとこに行ってみよう。最初に失踪した六名が本当に森で居なくなったなら、彼女がその足取りを知らない訳がないから」

「女神は本当に信じられるのか?」と、そう言ったのはセレナだった。正門を出てところで立ち止り、振り返った彼女は、少し不服そうな顔である。そう云えば、彼女もまた優秀な士官学生――愛国心の強い性格をしているのだ。ゆえに、ウルメナオの在り方にあまり好い顔をしない女神様のことを、あまり良く思っていなくてもおかしくはない。

「今回の事件は、すでに辺境伯様が『神隠し』と断定し、そう公表している。それだと云うのに、女神様に事件のことを聞きに行くのか? 騙されるかもしれないのに?」

「女神様は人を攫ったりしない」

「……そうか」

 セレナの顔が曇る。やはり、女神様の肩を持つのは気に食わなかっただろうか。そう思ったのだけれど、彼女は「――で、女神様は何処にいるの?」と、一瞬にして顔色を眩しく晴らした。明眸皓歯とは、彼女のためにある言葉なのかも知れない――なんて、僕は少しだけ本気で思ってしまった。可憐である。眩しい。

「山脈だよ。森に行けば会える」

「森……か。昨日、火事が在ったけど、ちゃんと会えるの?」

「うん、適当に歩いていれば、彼女の方から僕らを見つけてくれるはずさ」

 僕らは正門を出て左に折れた。

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