二日目(1)

001

 いつもより早く目を覚ましたのは、体がやけに熱かったからだ。

 正確には胸のあたりから太腿にかけてが全体的に熱かった。どれくらい熱かったかと云うと、ちょうど人肌くらいである――寝ぼけた意識の中、自分のモノではない寝息を聞いた。ああ、きっと、寂しがり屋な妹が、僕のベッドに潜り込んだのだろう。可愛い奴め。と、胸の上に乗せられた頭を撫でてやれば、知っている手触りとは微妙に異なる感触に驚く――そこでようやっと、昨晩のことを思い出した。僕は今、幼馴染の邸宅の一室にて、ヘンテコな魔法使いと二人きりなのだった。

 そしてその魔法使い様は、暢気にも、人の上でぐっすりと眠っていやがる……、流石に起こしたら可哀想だな。そう思ってしまったが最期、身動きが取れずにいると、部屋の外が慌ただしいことに遅ればせながら気が付いた。辺境伯に仕える使用人たちだろうか――忙しく駆ける足音はどんどんとこちらに近づいている。

 なにか事件でも起きたのだろうか?

 三度のノックの後、僕の返事も待たずに扉を押し開けて現れたのは、ピシッと折り目正しく黒い制服を着熟したヒイロだった。学校ってのは、ほぼ毎日あるんだっけ? 学生さんは忙しくて大変そうですね。とは云え、了解も無しに扉を開けるのは学生以前に紳士として如何なものだろうか。

 ちろりと睨む。

「悪い、出直す」

「やめろ、そう云う意味じゃない、妙な気を使うな! ああほら、そっと部屋から出ようとしなくて良いから!」

「……昨日の今日でそこまで懐柔してしまうとはな、恐れ入ったぜ」

「懐柔だなんて、犬や猫じゃあ無いんだから、そんな言い方しないでよ」

「そう言う割には、ずいぶんと可愛がってるみたいじゃあねえか。いったい、いつまで魔法使い殿の頭を撫でているつもりなんだ?」と、朝の挨拶も無しに僕とミナーヴァに咎めるような視線をぶつけてくるヒイロきゅんだけれど、まさか、目覚ましのためだけに顔を出したわけじゃあるまい。

 用件は何かね、早く済ませんしゃい。

「――食事と着替えは此処に運ばせるから、食って着替えたら、魔法使いを父上の書斎に連れて行ってやってくれ。用があるらしいんでな」

「分かった」

「それじゃあ、伝えることは伝えたから俺は行ってくる」

「はいはい、行ってら」

 そんな風に見送って間もなく、ミナーヴァは目を覚ました。

「君の幼馴染は、朝から騒々しい奴だな。モテないだろ」

 それは申し訳なかった。貴族のボンボンで次男坊な彼は、基本的にマイペースな奴なんだ。許してやってくれ、とは言わないけれど、幼馴染の僕としては、大目に見てやって欲しいところである――ところでミナーヴァさん。どうして貴女は、僕の上に居るの?

「寝相が悪いんだ」

「そんなレベルじゃないと思うけど……?」

「もしかして嫌だった?」

「嫌とか云う問題じゃないだろ」

 無防備が過ぎる。

「なんだ、心配してくれてるのかい? はは、だったら安心してくれ。君以外の人間にはほとんど魅力を感じないからさ――こんな風に甘えるのは、ノートにだけなんだぜ?」

「昨日会ったばかりの、どこの馬の骨とも知れない年上の美人さんに甘えられる僕の身にもなってくれ。心臓が悪くなる」

「そう言う割に、君はほとんど表情を変えないよな。顔を赤らめるくらいのことはしてくれないと、お姉さん、自信失くしちゃう」と、ミナーヴァは僕の胸に手を突いて上体を起こしてから、大きくうんと伸びをした。僕の上から退く気は無いらしい。

「で、朝食は運んで来てくれるんだったかな?」

「うん、あと着替えもね」

「着替えはまあ何でもいいけど、昨日奪われた私の一張羅は返してもらえるのかしら」

「奪われたって、人聞きの悪い……、洗ってくれてるんだよ、きっと」

「頼んでないけどね――魔術さえあれば、いつでも新品同様の状態を保てる」

「そりゃ、すげー」

「私と結婚したら、取り敢えず料理以外は任せてくれて構わないぜ?」

「料理は苦手なんだな」

「食べるのが専門なモンでね」

 ――などと、寝ぼけた頭で下らない遣り取りに興じていれば、昨日見たメイドさんとは異なる、二人のメイドさんが朝食(メニューはロールパン、ゆで卵と夏野菜のサラダ、スクランブルエッグ、ホワイトソーセージ、オニオンスープの五品だと、顎に黒子のあるメイドさんが教えてくれた)を運んで来てくれたので、いそいそとそれを胃袋に片し終えると、ミナーヴァだけが困り眉のメイドさんに連れられて部屋を後にした。

 顎に黒子のあるメイドさんと二人きりになった僕はされるがまま、顔を洗われ、寝癖を直され――これまで、人にべたべたと顔の周りを触られる機会の無かった僕は、辱めを受けたような如何ともしがたい気持ちを抱えながらも、なんとか着替えまでを済ませて、ミナーヴァの支度が終わるのを待った。

「……おかえり」

 程なくして帰ってきたミナーヴァは、その灰色の長髪を青に輝くバレッタで緩く纏め上げて首元を露わにし、ベージュのオープンカラーシャツを着崩して、くすんだ暖色の幾何学模様が施されたハイウエストのボリューミーなロングスカートを上品に揺らしていた。とても綺麗だと、僕はまたもや見惚れたものだけれど、当の本人はと云えば「スカートはあんまり好きじゃ無いんだよね」と、不服そうにスカートの裾近くを握りしめていた。慥かに、彼女の一張羅とやらのボトムスは、黒いフレアスラックスだった。

「すげー似合ってると思うけどなあ」

「ふうん……、ノート君はスカートが好きなんだ」

 辺境伯様が待っているらしい三階の書斎までの道中、ミナーヴァの要望で、僕は、手を繋いで彼女をエスコートしていた。スカートの所為で歩きにくいのだ、と優雅に歩きながら言われても説得力は無かったけれど、やっぱり断る理由も無かったので、二つ返事で彼女の要望を飲んだのだ。

「そう云う話じゃあ無くて、ミナーヴァは綺麗だから、スカートも似合うよねって話さ」

「なるほど?」

「いや、もちろん、好きでないモノを無理に着る必要は無いと思うけどね」

「そうだね、好きなモノを着た方が良いよね――けど、たまにはこう云うのもアリかも知らんね。ノートが褒めてくれるならなおさら」

 褒めるだけでミナーヴァの色んな姿が見られると云うのなら、僕なんか、飽きもせずに褒め続けるけれど――辿り着いた書斎の扉を三度とノックすれば、這入りなさい、と向こうから辺境伯様の声が返ってきた。

 失礼します、と両開きの扉を押し開け、ミナーヴァが僕の手を離れて入室を果たしたのを見届けてから、後ろ手に扉を閉めた。

「どうぞ、お座りください」

 辺境伯様がミナーヴァを席に勧めた。

「お前も座りなさい」

「……はい」

 云われるがままミナーヴァの横に並んで腰かけた僕は、無駄に柔らかいソファの感触よりも、肩の凝りが気になった。あーあ、僕はこう云うのが苦手なんだよなあ。早いとこ用事を済ませて帰りたいぜ……。

「――それで、御用と云うのは何ですか?」

 僕が着席してすぐ、颯爽と現れたメイドさんがつつがなく淹れてくれた珈琲を、一口ほど飲み下したミナーヴァは、僕の気持ちを知ってか知らずか、さっさと本題に入る。辺境伯様からすれば、無粋だったかもしれない。

「いやはや、宿を提供した翌日にこんなことを言うのは気が引けるのですが……今、エングルスでは少し困ったことがありまして……それの解決のため、魔法使い殿のお力をお借りできればと、お呼び立てした次第です」

「さいですか……、まあ、こちとら一宿一飯の恩がありますからね、私なんぞの力で良ければ、いくらでもお貸ししたいところではありますが、その困ったことの内容如何によっては、まったく何の役にも立たないやも知れません。ので、まずはその困ったことの内容について教えていただけませんか? 力を貸すかどうかは、それを聞いてからお返事します」

「神隠しでございます」

 神隠し。

 それは、僕もよく知るところだった。

「ことの発端は半年前になりますが――エングルスにある、ウルメナオ王立士官学校の分校舎に通う生徒六名が謎の失踪を遂げました。この時分は、去年の初夏――今よりだいたい一年前のことです――即位したばかりの先王が謎の病に臥したと云うこともありまして、国中が慌ただしかったものですから、失踪した生徒六名の行方については、まともな捜索も行えずに終わりました。が、ここ二か月ほどで新たな失踪者が相次いで報告されまして……」

「はあ、それはお気の毒ですね」

 ピクリと辺境伯様の眉が跳ねた。ミナーヴァの様子を見るに、悪気はまるで無いのだろうけれど、流石の僕も、今のはどうかと思う――辺境伯様は、冷静に一呼吸おいてから話を続けた。

「衛兵のみならず、有力な士官学生や優秀な町民などを募り、勢力を上げて失踪者の行方を探ったのですが、分かったことと言えば、失踪者が全員、まだ未成年だったと云うことくらいなもので、解決に繋がるような手掛かりは何も見つからず、どころか失踪者は増える一方で――、一週間ほど前ですか……この一連の失踪事件を、とうとう『神隠し』と断定したのです」

「なるほど、話はまあ、分かりました。それで私に、失踪者の捜索もとい、その神隠しの犯人をとっちめてくれ、というわけですね? 何の証拠も無しに」

「そこは魔法使い様ですから、我々のようなただの人間には及びもつかないような超常的な視点からのアプローチを期待しています」

「魔術はそこまで万能ではありませんよ?」

「とは言え、ただの人間などよりは、ずっと優れておいででしょう――それこそ、神と渡り合えるくらいには」

「…………」

「ああ、報酬のことならお任せください。解決された暁には、宿泊費とは別に謝礼もご用意いたします――お力を、どうか我々にお借ししてはいただけませんか?」

 頭を下げた辺境伯様に対し、ミナーヴァは、うーん、と難しそうな顔で唸って、それから、ねえ、と困り顔で僕の方を見た。ころころと表情を転がす彼女はちょっと可笑しかったけれど――なぜ、僕の方を見る?

「私はどうしたらいいのかな?」

「どうしたらって、そりゃあ、ミナーヴァのしたいようにしたら良いんじゃないの?」

「ぐぬぬ、難しいことを言ってくれるね、君は。傍観者の私としては、できるだけシナリオに関与するのは避けたいから、その『神隠し』とやらにはあんまり関わりたくないんだけどなあ……」

「……?」

 彼女はいったい何を言っているのだろうか……まるで意図が分からない。

「うーん……よし、決めた――辺境伯殿、その依頼はノート君が引き受けます」

 ……は? 僕と辺境伯様は、思わず顔を見合わせて首を傾げた。多分、生まれて初めて辺境伯様と考えが重なった瞬間だった――えっと、と僕よりも早くにフリーズから再起動を果たした辺境伯様は、彼女の意図を探る。

「私は貴女にお願いしているのですが……?」

「ええ、それは分かっています――が、こちらにも事情がありまして、魔法使いが人間様の事件問題に直接関わるのは、御法度――とまでは言わなくとも、あまり宜しくありません。そこで、彼の出番です」

「つまり、ノートが私の依頼を引き受けるのなら、魔法使い殿はノートの手伝いをすると云う形で、間接的にこの事件に関われる――そう云う訳ですね?」

「いえーす」

「理解いたしました……では、ノートよ」

「はい」

 僕は居を正して見せた。

「お前に『神隠し』解決の任を与える。尽力なさい」

「承知しました、全力で事に当たります」

「うむ」

 頷いた辺境伯様は、ちょっと待ちなさい、と立ちかけた僕とミナーヴァを制し、続けて彼が大声で執事さんの名前を呼ぶと、

「こちらに」

 扉の向こうからすぐさま、何となく見覚えのある桐箱を抱えた執事さんが現れた。その桐箱、かなり重そうだが、彼はそれを持ってずっと扉の前にスタンバっていたのだろうか? 

 ご苦労様です、ホント。

「ノート、お前に渡す物がある」

 執事さんから桐箱を受け取った辺境伯様は、僕にその桐箱を寄こした。受け取って、改めて間近で見ると、ますます強い既視感に襲われる。

「開けて見なさい」

「……はい」

 促されて、恐る恐る桐箱を開けた僕は、そこでようやく既視感の正体を思い出した――桐箱の中には、シンプルな黒い柄の直剣があった。頑丈なだけが取り柄と云わんばかりに無骨なナリのその剣は、懐かしき僕の愛剣だ。

「それは一旦、お前に返すから、くれぐれも魔法使い殿の世話は頼むよ」

「……最善を尽くします」

 二年ぶりに再会した剣は、相変わらずその簡素な見た目よりもはるかに重く、装飾性を微塵も感じさせない造りには品らしきものが見当たらないけれど、手に馴染む感覚は嫌いじゃない。昔は両手で持つのがやっとで、まともに振るうことも出来なかったが、今の僕なら余裕をもって使いこなせるだろう。

「それと、魔法使い殿、事件のことで何か、詳しく聞きたいことがありましたら、そこのミケルか、分校主任であるコノメロフ、あるいは衛兵団団長を務めるヨウミルをお尋ねください。私の名前を出せば、協力を仰げるはずです」

「分かりました、伺って見ます」

「それでは、何卒、よろしくお願いします」

 執事さんから別途で黒い、これまた頑丈そうな鞘を受け取った僕は、ミナーヴァの手を取って辺境伯様の書斎を後にした――まさか、こんな形で『神隠し』に関わるとは思ってもみなかった。

 あるいはそれだけに、ミナーヴァには感謝しなければならないのかも知れない。辺境伯様の命を受けた今、僕にはこの事件を調査する大義名分があるのだ。言い換えれば、一昨日までのようにこそこそと人目を忍んで情報集めに奔走する必要は無くなったというわけである。

 ――一刻も早く、女神様の容疑も晴らさなくちゃ。

 僕は彼女との約束を思い出していた。

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