第3話

結婚式の日取りは出来るだけ早い方が良いという事で、六月の末に決まった。

これで私もジューンブライド。あはは、嬉しいなー(棒)

両親があらかじめ用意していたウエディングドレスを試着しながら、私は遠い目で頭上を仰いだ。

ゆらゆらと輝くシャンデリア。

その台座は昔私がおいたをしたせいで、少しだけ欠けていた。

何とは言っても、二十六年間住んで来た家である。

ペルレの屋敷も大層豪勢らしいが、我が家以上に愛おしい物はないだろうと思った。


「おおー姉様綺麗だねぇ!流石母様たちが十年かけて見繕った事はある……じゃなかった、馬子にも衣裳ってやつだね!」

「何?喧嘩売ってるの、シュバルツ」


眉を顰めた私に、横で見ていたシュバルツが「滅相もない!」と首を振る。

お姉さまを敬わないとペルレに献上すんぞ、と険を込めれば、シュバルツはすぐさま大人しくなった。

ペルレ様万々歳である。いや、自分の弟を婚約者に献上するのも如何かと思うが。

でも、多分ペルレは現在進行形で男妾(あいじん)いるだろうし……。

うーん、自分で言ってて何だけど、ちょっと悲しいな。

 鬱々とそんな事を考えていると、不意に部屋の扉が開いた。

噂をすれば影と言うべきか、そこには穏やかな微笑みを浮かべたペルレが立っている。

シュバルツがマッハでマスクを装着した。そんなんでこれからやっていけるのだろうか。


「とてもお綺麗ですね。あなたの様な美しい花嫁を娶れる私は本当に果報者です」


赤薔薇の花束を私に手渡しながら、ペルレはニコリと笑った。

婚約関係を確立してからペルレは前にも増して、私に贈り物をしてくる。

傍から見れば、仲の良いカップル。だけれど、私はこれがペルレなりの罪滅ぼしなのだと知っていた。


「……ええ。どうもありがとうございますわ。今日は赤薔薇(リメンブランス)なんですのね」

「庭で咲いていたのがとても美しかったので。凛とした面持ちが、あなたに似ていると思ったんです」


良くそんな砂を吐きそうな言葉を、真顔で言える。

しかし周りには絶大な効果があったらしく、気障(キザ)って遺伝なのかなぁ……と白い眼をする私よそに、シュバルツは小さく舌を出しながらそさくさと退散した。

……薄情な弟の似顔絵をペルレに進呈しようと思う。


「そう言えば、式の会場である教会に行くのは午後からでしたわよね?随分お早いお迎えだと思うのですけれど、もうお仕事は終わったんですの?」


花束に顔を埋めながら、ペルレに問いかける。

すると彼は少し困った面持ちで、しんなりと眉を下げた。


「その事について伝えに来たんです。申し訳ないのですが、午後から他国の使者を迎える事になってしまって。折角の約束を破らないといけないのは心苦しい限りですが、日時を改めても良いでしょうか?」

「まぁ、そうなんですの。でも会場の下見くらいなら特に問題も起こらないでしょうし、お忙しいのでしたら私だけでも行って来ましょうか?ここの所、ペルレ様は大層お疲れに見えますもの」


そう提案すれば、ペルレは逡巡しつつも承諾してくれた。

まだ幼い王に変わって、国政の殆どを担っているのはとても大変だと思う。特に、あんなマセガキが相手ならば尚更だ。


「本当にあなたにはご迷惑をおかけします。お詫びと言っては何ですが、何か欲しい物はありますか?物でしかお返し出来なくて申し訳ない限りですが……。前に申した通り、天上の月以外なら何でもねだって頂いて結構ですからね」

「……なら、地上の月は頂けて?」

「え?」

「……いえ、何でもありませんわ。以前一緒にお出かけした時、ブローチがありましたでしょう?黄薔薇の蕾みたいな。あれが、欲しいですわ。旦那様は私のお願いを叶えて下さるかしら?」


何事もなかったかの様にニコリと笑い、私はそっと首を傾げた。

私の言葉にペルレは微かに瞠目すると、至極愉快そうに口角を上げた。

ああ、叔父と甥なのに何でこんなに似ているのだろう。

これから毎日、この顔を見なくてはいけないのか。


「奥様の仰せのままに。何なら、都中のブローチをあなたに献上してもよろしいのですよ?」

「あら、それでしたらとびきり大きな宝石箱も頂かないといけませんわね。ペルレ様のお屋敷に入りきるかしら?」


お互い、顔を見合わせて笑う。

別に、これはこれで良いのかもしれない。

脳裏を過った一抹の寂しさを追い払う様に、私はそっと目をつぶった。


***


 暖かな日差しが降る、初夏の午後。

ついでにお墓参りもして行こうかとペルレがくれた赤薔薇の花束を抱え、私は都一大きな教会、セント・ルイス大聖堂に訪れた。

ここには大勢の貴族が眠っているだけでなく、名家の結婚式も頻繁に行われる。

だから本当は私が直に来る必要なんてないのだが、つい前世の習慣で下見に来てしまった。几帳面な日本人の性だ。

ざっと教会を一通り回って、裏手にある墓地へ赴く。従者には数時間後迎えに来るよう言ってあるので、久しぶりにゆっくり墓参りが出来そうだ。

並ぶ白い墓石の中からまだそう古くない一つを見つけ、そっと赤い花束を置く。

辺り咲いているのは全部白薔薇。華やかな物が好きだった彼女が眠る場にしては、静かすぎると思った。


「ねぇ、私、やっと結婚が決まったのよ。この花束も、その人からもらったの。え?使い回しはせこいって?やあねぇ。あなたが一番好きな花なんだから、細かい事は良いじゃないの」


私の独り言に答えてくれる声は、勿論ない。

私の親友でありグラウ兄様の婚約者だった少女は、八年前の火事で骨の髄まで溶かされてしまっている。

八年前の御前試合。敵国の斥候によって放たれた炎は、国王だけでなく試合の参加者だった将来有望な若者たちを大勢焼き尽くした。

グラウ兄様の未来も。赤薔薇の様な少女の笑顔も。

それ以降、私は御前試合に一度も出た事がない。

未だ独身のグラウ兄様にも私にも確かな時間が過ぎて行っているのに、あの子だけは永遠に少女のままだ。

ただうなじに小さく残った火傷の痕が、未だ変わらずに存在している。


 私の追憶を破る様に、大聖堂の鐘が鳴った。

リンゴーンガンゴーン。

それに小さく眉を顰めて、私はもう帰ろうかとドレスの裾を翻した。

その時、午後三時を告げる鐘の音に混じって、消え入りそうな程小さな讃美歌の歌が耳に届く。

どうやら大聖堂裏手の小さな教会の方から響いているらしい声は、透明で、もの悲しい音色だった。

前世、一瞬だけ聖歌隊に在籍した事があるので、讃美歌は別に嫌いじゃない。

この世界にキリスト教は存在していないので、勿論歌詞は全然違うのだが。

白い薔薇に埋もれる様に佇む、大聖堂の前身だったという教会を見やる。

どうせ特に用事もないし、行ってみようか。

まだ迎えの時間ではない事を確認して、私は讃美歌に導かれるよう、おもむろに歩を進めた。


「あの、奥様、白い薔薇のお花、いりませんか?一本、たったの三ペルです」


私を墓参りに来た人間だと思ったのだろう、籠を持った小さな少女が近寄って来る。

まだ六歳くらいなのに、偉いものだ。……奥様とか不届きな事を言われた気がするが、この際それは目をつぶろう。

もう墓参りが終わっている事は言わず、私は少女に代金を渡して、可愛らしい蕾を一輪だけ買った。

 丁寧に刺抜きがされた薔薇を手に、緑の芝生が敷かれた小さな丘の上を登る。

鍵のかかっていない教会の扉を開ければ、中には小さな人影が佇んでいた。

色とりどりのステンドグラスの光を受け、人影が緩慢に振り返る。

白い頬を滑る透明な雫に、思わずどきりとした。


「……おや、僕は神に祈っていた筈なんですけどね。何故、おばさんの姿をした悪魔が召喚されてしまったのでしょう」


耳に懐かしい、生意気な口調。

涙なんて流していなかった様な表情で、少年――アイト(仮)――は、一瞬だけ見せた動揺を取り繕う様に微笑んだ。


「教会に自分から赴く程、お馬鹿な悪魔はいないと思うけれど。あなたこそ、どうしてこんな場所にいるのよ。今日は他国からの使者が来ているんじゃないの?」

「ああ、聞いていたんですか、叔父上に。今日は母の命日でしてね。特別にお休みを頂いたんです」


その言葉になるほど、と頷く。

アイト(仮)の母親は前国王の側室ですらない愛妾で、私の親友同様、八年前の御前試合で亡くなったと聞いた事がある。


「だから、讃美歌を歌っていたのね。とても綺麗だったから、驚いちゃったわ」


同病相憐れむの気持ちで、私はアイト(仮)に微笑みかけた。

今日だけは、優しい気持ちで接せる気がする。


「一体どうしたんですか、おばさん。らしくない笑顔を浮かべないで下さいよ。不気味です。もしかして本当に悪魔なんですか?」


……うん。一瞬で消えたね。私の全ての優しさが。はぁっとため息をついて、額を押える。

これからは叔母として接することになるのだから、このままじゃいけない。

天使みたいとか、その涙を拭いたかったとか、思っちゃいけない。

粟立った鼓動を押さえつける様、私はそう、自分に言い聞かせた。


「……何か邪魔しちゃったみたいだから、もう帰るわね」

「ちょっと、それはないんじゃないですか?悲しんでいる幼気な少年を見たら、普通は慰めて行くものでしょう。薄情なおばさんですね」


踵を返そうとする私を引き留める様に、アイト(仮)が近づいてくる。

彼の顔を振り返らない様にしつつも、私は自然と足を止めていた。実に、情けない事である。


「……自分で言ってるあたり、何処が幼気なのかさっぱり分からないわね。アイト(仮)くん」

「あの、アイト(仮)ってまさかとは思うけど、僕の事じゃないですよね?」

「他に、誰がいるのよ。それとも、陛下とお呼びした方が宜しくて?」


たっぷりと嫌味を込めてそう言えば、アイト(仮)はやれやれという風に肩を竦めた。その様子を見ても、全く胸がすかないのは何故だろう。


「(仮)なしで、普通にアイトと呼んで下さると助かります。もう長く使っていない幼名ではありますが、間違いなく本名ですので。全く、イケずなおばさんですね。だから行き遅れになるんですよ」

「あら、余計なお世話よ。私、来月にはあなたの叔母になるんだから」


自分で言った言葉が、ぐさりと胸に刺さった。

恐らく傷ついているであろう表情を隠す様に、深く俯く。


「そうとも限らないんじゃないですか?今、ここで僕と結婚すれば、おばさんは僕のお嫁さんになるわけですし」


さらりと吐かれたアイト(真)の言葉に、一層胸がじりじりと痛んだ。

本当に、何て不誠実な少年なのだろう。

私が一番嫌いなタイプである。


「……酷い事を、言うのね。嘘は駄目よ。ここは、神聖な教会だもの。神様が聞いているわ」

「だから、聞かせているんですよ。僕が、神の前で嘘をつく様な不届き者に見えますか?」


一か月会わない内にいつの間にか殆ど同じ位置になった月色の瞳が、真剣な光を湛えて私を見据える。

その事にどうしようもなく悲しくなって、私の目からはついに自制が効かなくなった涙がぼろぼろと零れた。

酷い。本当に酷い。嘘でも、言って良い事と悪い事がある。


「おばさんをからかわないで頂戴。どれ程私を馬鹿にすれば気が済むの」

「だから本当ですって。何なら神の前で誓いましょうか?あなたを、好きだと」

「騙されないわよ。おばさんおばさん詐欺だわ。あなたが、私みたいなおばさんを好きに何てなる筈ないじゃないの。そもそも理由がないわ」

「人を人を好きになる事に、何か高尚な理由がないと駄目ですか?元々情愛なんて、一番俗世的なものですよ?容姿が好きでも、地位が好きでも、一目ぼれでも、本当に想っているなら理由なんて何でも良いじゃないですか。確かに、時間の流れによって色んな物が変わってしまう。だけれど、愛だってちゃんと変化するんですよ?最初は相手の表面的な物が好きだったとしても、重ねた時間を、共に過ごした相手を、愛おしむ気持ちが嘘だと僕は思わない。だから、僕と試してみましょうよ。僕、あなたとなら、心から愛おしめるような時間を過ごせると思うんです」


私の言葉に、アイトが初めて見る程強い調子で言う。

ぐらぐらぐら。

自分が、揺れていくのが分かる。

けれど。


「……愛が、悪い方に変質しない保証なんて、何もじゃない。誓いなんていつかは破れるわ。その時の衝動や思い付きで、軽薄な事を言わないで!」


手に持っていた薔薇の蕾をアイトに投げつけ、自分でも驚く程大きな声で泣き叫ぶ。

アイトの表情を出来るだけ見ない様にして、私は全力で教会を駆け出た。

信じてしまいそうになるのが恐くて、裏切られるのが恐くて、それなのにアイトに嫌われるのが恐くて。

まだ一緒にいたい。もう二度と会いたくない。

本当は初めて会った時から、目を奪われたのだと大声で叫びたい。

もう大嫌いだと、その不誠実な笑みばかり浮かべる顔を思い切り叩きたい。

一瞬だけ振り返った教会のステンドグラスに、強かそうな顔で泣く私の顔が映る。

ああ、本当に私は矛盾だらけだ。

手の届かない天上の月には手を伸ばせるのに、すぐ目の前にある地上の月には指を一本動かす事すら出来ない。





 静寂が響く教会。

驚く程の遅さで必死に駆けていく後姿を見つめながら、アイトは投げつけられた花をゆっくりと拾った。

追いかけようかとも思ったが、今行っても逆効果になるだろう。

苦笑しつつ、細やかな姿態の薔薇を見つめる。

あの人の髪を思わせる清廉な白さに、一瞬目が眩んだ。


『……白い、薔薇の蕾ねぇ……。花を贈ったりするのは、僕の専売特許だと思っていたのにな。どうやら先を越されてしまったらしい』


花言葉は確か、「愛するにはまだ若すぎる」。

酷いのは、どちらだろう。

先程あの人が涙を浮かべながら言った言葉を思い出しながら、アイトは小さく嘆息した。

 ステンドグラスに映る姿を一瞥し、指を折る。

もうすぐだ。もうすぐ、あの人の背を完全に追い越せる。

アイトは、神なんて全く信じていない。それでも祈らずにはいられずにはいられなかった。

どうか。間に合ってほしい。間に合わなかったら、国中の教会をぶち壊してやる。

心の中で真剣に神を脅しながら、アイトはそっと膝を折った。

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